第36話 お見舞いイベント発生!
……とまぁ、そういう話に落ち着いたはずだったのだが。
「そういうことなら、今から鵠沼くんが恵里奈ちゃんのお家に届けてあげて」
その日の放課後。
学校からルピナスへと向かった俺が、さっそく藤恵さんに事情を説明して件の書類を渡そうとしたところ。
逆に藤恵さんの方から、そう頼まれてしまったのである。
「え、今から? 俺がですか?」
「ええ。私がお店を抜けるわけにはいかないし、かといって閉店してからだと、だいぶ遅い時間に訪ねることになっちゃうから。悪いけど代わりにお願いしてもいいかしら? もちろん、その間の時間も買い出しの一環ってことで計上しておくから、安心して」
「いやっ、でも、いいんですか? 俺なんかに勝手に住所を教えちゃっても」
「? 鵠沼くんなら、特に問題は無いと思うけど」
「その
というわけで、結局は俺が直接琴ヶ浜の家に書類を届けることになった。
そうして現在、藤恵さんに教えてもらった一棟のマンションの前に立っているという次第だった。
「ここが、あいつの住んでるマンションか」
こんな形で訪れる機会があるとは思わなかった場所、パート2である。
というかここって、俺の家からも結構近い場所じゃないか。道理でここまで来る途中、なんとなく見覚えのある街並みだと思った。
「まさかご近所さんだったとはなぁ」
大理石でできた小階段を上って、マンション玄関口の自動ドアをくぐる。
辺りを見回すと、右手の壁辺りにインターホンが埋め込まれていた。
「えっと……藤恵さんの話じゃ、『五一一号室』だったな」
ポチポチと三ケタの数字を打ち込んで、呼び出しボタンを押す。
ピンポーン。
〈──はい〉
スピーカー部分から聞こえてきたのは大人の女性の声だった。
「こんにちは。あの、こちらは琴ヶ浜さんのお宅でよろしかったでしょうか?」
〈はい、そうですが……どちら様でしょうか?〉
「は、はい。百船学園二年の鵠沼と言います」
続けて要件を伝えようとしたところで、スピーカーの向こうの声が僅かに弾む。
〈まぁ! そう、あなたが……〉
それからすぐに、玄関口と建物内とを隔てていた内側の自動ドアが開いた。
〈待っていたわ。さぁ、入って。うちは五階右側の角部屋です〉
「え? は、はい。失礼します」
えっと、何故かすでに歓迎ムード……?
怪訝に思いつつも、俺はおずおずと自動ドアを通り過ぎ、エレベーターを探して五階へと上がる。
廊下へ出ると、五階というのはどうやらこのマンションの最上階のようだった。
思えば他人の家を訪ねるなんて、たまにモリタクの家に行くくらいのものだ。いわんや女子の家など完全に未知の領域だった。
な、なんだか、急に緊張してきたな。
「五〇七、五〇八、五〇九……ここか」
五一一号室の前まで来た俺はひとつ大きく深呼吸し、震える指で呼び鈴を鳴らした。
ピンポーン。
軽快な電子音が響き渡り、扉の向こうでパタパタとスリッパが床を叩く音がする。
果たして、扉の向こうから顔を覗かせたのは、先の声の主であろう女性だった。
「こんにちは。……あなたが、鵠沼くんね?」
反射的に直立の姿勢を取っていた俺にさっと視線を巡らしたその女性は、やがて俺のトゲトゲの髪に目を向けると、そこで微かに神妙な顔つきになる。
「そう……そういうこと」
何やら訳知り顔でそう呟いた彼女は、けれどすぐにたおやかな微笑をこちらに向けた。
「初めまして。恵里奈の母です」
ああ、やっぱりそうか。声の感じや
にしても、随分と若くて綺麗なお母さんだな。
琴ヶ浜のあの美貌は母親譲りだったというわけか。
「ど、どうも、初めまして!」
緊張のあまり、俺はつい陸上部時代のような大げさなお辞儀をしてしまう。
それを気にする風もなく、琴ヶ浜母が優しげな笑みを浮かべて口を開いた。
「藤恵ちゃん……江之浦店長から話は聞いてます。娘に届け物を持って来てくれたそうね」
琴ヶ浜に似て淡々としているようでいて、それでも言葉の端々から穏やかな印象を与える声色で彼女がそう言ってくる。
どうやら、すでに藤恵さんの方から一通りの事情は伝わっているようだった。
「は、はい。それと、藤恵さんからもいくつかお見舞いの品を預かってまして」
俺は自分のカバンから例の書類が入った茶封筒を取り出し、それを見舞い品の入ったトートバッグと一緒に差し出した。
「まぁ、それはわざわざご苦労さまだったわね。ありがとう。でも、なんだか申し訳ないわ。体調不良といっても、本当に少し風邪気味で寝ている程度だから」
琴ヶ浜母が困ったような笑顔でそれを受け取る。
俺も「そうですか」などと二言三言交わしたのち、あまり病人のいる家の玄関先で長居するのもまずかろうと、話の途切れたタイミングを見て頭を下げる。
「えっと、じゃあ俺はそろそろ戻ります。琴ヶ浜……じゃなくて、恵里奈さんにも『お大事に』とお伝えください」
そう言って、早々に琴ヶ浜家から引き揚げようとしたのだが。
「ああ、鵠沼くん」
エレベーターホールへと向かいかけていた俺の背中に声が掛かる。
振り返ると、琴ヶ浜母は俺を招き入れるように部屋の中を手で示していた。
「よかったら、少し上がっていかない? せっかくここまで来てくれたんだもの、届け物とお見舞いのお礼にお茶くらいはご馳走させてほしいわ」
「え? いや、でも……」
「あの子なら部屋で寝ているから、そんなに気を遣わなくても大丈夫よ。お店の方も、あとで私から藤恵ちゃんに連絡しておくから。……それに」
まるで先回りするように俺の懸念を
「鵠沼くんとは少し、お話したい事もあるしね」
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