第35話「優しい男の子は好きだよ」

「赤の他人である私には、何ができるわけでもない。それでも、どうにもあの時の恵里奈くんを放っておく気にはなれなくてね。せめて彼女の充実した学校生活の一臂いっぴにでもなれたらと、気付けば声を掛けていたんだ」


 ぽつぽつと語る照ヶ崎先輩の話に、俺は黙って耳を傾けていた。

「鬼の風紀委員」誕生の裏に、そんなエピソードがあったとは。

 思わぬところであいつのオリジンを知ってしまった気がする。

 

「もともと性に合っていたんだろう。風紀委員になってからというもの、彼女はそれはもう目覚ましい活躍をしてくれている。それこそ、『鬼』なんてあだ名が付くくらいにね」

 

 それは、まぁ……俺たち一般生徒は身をもって知ってます、はい。

 俺が肩を竦めると、照ヶ崎先輩も長い黒髪を僅かに揺らしながら苦笑して、


「とはいえ、だ」


 不意にその苦笑に一抹の不安を滲ませる。


「風紀委員という肩書のもとに校内の風紀や治安を守り、これを乱そうとする者にはしかるべき処罰を与える。そんな立場にあっても、私たちだって所詮は高校生だからね。『親や教師ならともかく、同じ生徒の分際ぶんざいで偉そうに』などとを叩く者も少なからずいる。ましてや、それがまだ入学したての新入生なら尚更、といったところだろう」


 照ヶ崎先輩の言葉に、思い出すのはいつかの三人組の不良女子だ。 

 ほとんどの奴らが琴ヶ浜に賞賛や憧れの眼差しを向けているなか、それとは逆に、あいつのことを鬱陶しく思っている連中もたしかにいるということだろう。


「彼女が恨まれる道理は一切無いはずなんだけれどね。もともと親しい友人もほとんどいなかったようだし、それどころか目の敵にしている者さえいる。彼女があまり他人の話をしないのは、単に話にするだけの交友関係が無いから、なのかもしれない。本人はそれを大して気にしていないようだけれど……そういう状況が、私は少し心配だったんだ」


「だから」と、照ヶ崎先輩はそこでフッと表情を和らげた。


「彼女の口から君の話が出た時には、驚くと同時に、ちょっと安心したんだ。まぁ、話の内容はほとんど君のバイト先での仕事ぶりが不甲斐ない、といったものだったけれど」


 うっ……俺の仕事でのダメっぷりが風紀委員長にまで筒抜けだったとは……。


「それでも、彼女にもそんな話をできるくらいに近しい友人ができたのかと、嬉しかったよ」


 そこまで言って、照ヶ崎先輩がスッと右手を差し出してきた。


「私がこんな事を言うのもおこがましい気はするけれど……だから、鵠沼くん。どうかこれからも、恵里奈くんのことをよろしく気にかけてあげて欲しい。頼めるだろうか?」


 漆黒の髪や瞳とは反対の、雪のように白い照ヶ崎先輩の右手。

 少しだけ躊躇って、けれど俺もゆっくりと手を差し出した。


「……ええ。まぁ、俺にできる範囲でなら」

「ありがとう。君のような優しい友人ができて、恵里奈くんもさぞ喜ばしく思っていることだろう。私もね、鵠沼君。優しい男の子は好きだよ」

「へ?」


 ギュッと手を握ったまま囁くようにそう言ってくる照ヶ崎先輩に、思わず頬が熱くなる。

 ちょ、ちょ、ちょ、近いです! 近いですって、照ヶ崎先輩!?


「ふむ。おまけに、中々なかなかどうしてからかい甲斐のある反応をするね、鵠沼くんは。君には悪いが、うん、これは少しクセになってしまいそうだよ」

「んなっ!? か、勘弁してください……」

「ふふふ。っと、私としたことが少々話し込んでしまった。昼休みが終わるまでもう時間もないし、さっさと要件を済ませてしまおうか」


 照ヶ崎先輩は書類棚の捜索を再開し、やがて一冊のファイルの中から二、三枚のA4用紙を取り出した。


「その恵里奈くんだけれどね。実は今日は学校を欠席しているんだよ」

「え、欠席?」


 そういや今日は昼休みにパトロール中の姿を見かけないと思ったけど……。

 そうか。あいつ、学校休んでたのか。


「少し体調を崩してしまったようだ。まぁ、クラス担任の先生には親御さんから『大した不調ではない』という旨の連絡があったそうだし、大事ないとは思うけれどね」

「そう、ですか」


 昨夜の俺の「八つ当たり」のせいで……なんて考えるのは、さすがに自意識過剰だろうか。

 しかし、どうしたもんか。

 学校では時間が取れなくても、シフトの時にでも昨日の事、謝ろうと思ってたのにな。具合が悪いっていうなら、日を改めるしかないかもしれない。


「ただ、今日彼女に渡すはずだった書類が何枚かあってね。私は彼女の家を知らないし、そもそも放課後も委員会の業務があって学校を離れられない。人づてに頼もうにも、あまり外部の者に預けられるようなものでもないからね。さてどう届けたものかと弱っていたんだ」


 悩ましげに眉間に指をあてがって見せてから、照ヶ崎先輩がくるりと俺の方へ向き直る。


「と、ちょうどそこへ現れたのが君だったというわけさ」

「じゃあ、俺に頼みたい事っていうのは」

「そう。鵠沼くんにはこれらの書類を恵里奈くんに届けてあげて欲しいんだ。彼女と懇意にしている君であれば、私もまったくの部外者に託すよりは安心できるからね」


 いやいや。そんな「名案だろう?」みたいな顔をされましても。


「話はわかりましたけど……俺だって、あいつがどこに住んでいるかなんて知りませんよ?」

「君自身は知らなくても、知っている人を知っているだろう? 君たちが働いている喫茶店の店主は、恵里奈くんの親戚だと聞いている。その人に頼るのではダメかな?」

「店主って、藤恵さんに?」


 たしかに従姉である藤恵さんなら琴ヶ浜の家がどこにあるかも知っているだろう。

 俺から藤恵さんに頼んで書類を届けてもらう、という形なら、そう難しい話ではないはずだ。


「……わかりました。なら、俺の方から店長に掛け合っておきます」

「ありがとう。ではよろしく頼むよ、鵠沼くん」

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