第28話 アニマルマスター琴ヶ浜さん

 その後もあちこちを歩き回り、俺たちは野毛谷動物園を満喫した。

 一応、園内にはコインを入れて起動するタイプの音声ガイドも各所に設置されていたのだが……。


「レッサーパンダの手首には『種子骨』という小さな骨があるんです。片手で竹の枝やリンゴを掴めるのは、この種子骨が支えになっているからで──」


「知っていますか、先輩? 一般的に肉食動物と比べて草食動物の一日の睡眠時間は短いと言われていますが、中でもキリンは二時間、短い時は数十分しか眠らないとも言われ──」


 この通り、俺の隣にはすでにして琴ヶ浜という優秀なガイドがいてくれたので、なんだか随分と得した気分だった。

 ごめんな、音声ガイド。聞いてやれなくて。

 

「へぇ。スマトラトラの『ハナちゃん』、か。おーい」

「先輩、いきなり声を掛けるなんて非常識ですよ」

「へ?」


 ただ、このガイドさん。色々と独特な「動物園での作法」もお持ちのようで。


「先輩とは初対面なんですから、まずは自己紹介をしないとダメじゃないですか」

「自己紹介!?」


 いやたしかに初対面でしょーけども! 

 動物相手に自己紹介ってなに? 何かの儀式?


「ほら先輩、早く。ハナちゃんがこっちを見ていますよ」

「わ、わかったよ……」


 何かおかしい気もするが、ひとまず言われた通りにしてみる。


「え、えっと~。初めまして、鵠沼剣介です~(ニコッ)」

『ガルルルルル』


 めちゃくちゃ威嚇された。

 やはり作り物の笑顔では動物の目は誤魔化せないようだ。


「よかったですね。これできっとハナちゃんに顔を覚えてもらえましたよ」

「だろうな。たしかに『そのツラ覚えたからな』って顔してるもんな」


 ※ ※ ※


 とまぁ、こんな具合で琴ヶ浜のも交えつつ、俺たちは園内の様々な動物たちと交流していった。


「……いいですよ、先輩。優しく、ゆっくり下の方に手を入れて」

「こ、こうか?」

「ん、上手です。両手で持ち上げて、そのままの体勢で……」

「このまま? だ、大丈夫なのか? 痛くないか?」

「大丈夫です。ですから、そのままゆっくり……はい、膝の上に乗せてあげてください」


 特に琴ヶ浜のイチ押しだったのは、ちびっ子たちにも大人気な「ふれあい広場」だった。

 放し飼いにされているモルモットやハツカネズミといった小動物たちと、直に触れ合うことができるエリアだ。

 そういや俺も小さいころは、野毛谷動物園に来た時は必ずここに寄ってたっけ。

 まぁ、じっとしてるのが苦手な姉貴が動物たちをしつこく追い回すせいで、俺たち家族はいつもすぐに追い出されていたような気がするが。

 よくまぁ出禁を食らわなかったもんだ。


「お、おぉ」


 モルモットを抱き上げてタオルを敷いた膝に乗せると、じんわりと暖かさを感じる。

 少しごわついた毛並みに沿って頭を撫でてみると、「キュー」と鳴き声をあげた。


「おっと、頭はダメだったか?」

「大丈夫ですよ先輩。リラックスしている証拠ですから」

「そうか、そんなら良かった……って、琴ヶ浜!? どうなってんだ、それ!?」

「え? ああ、この子たちですか?」


 俺がようやくモルモット一匹を抱っこできた隣で、琴ヶ浜の周りにはちょっとした動物王国が出来上がっていた。

 膝の上で気持ちよさそうに寝ているモルモットをはじめ、両手には二、三匹のハムスター。おまけに頭や肩では何匹ものハツカネズミがチョロチョロと動き回っている。

 羨ま……けしからんことに、琴ヶ浜の胸の谷間をベッドにして寝こけているやつもいた。おいネズ公、ちょっとそこ代われオイ。

 

「小さいころから、ここに来ると大体いつもこんな風に集まってきてくれるんです。ふふ、ちょっとくすぐったいけど、みんな可愛らしいですよね」


 キューキュー、チチチ、と賑やかな小動物たちに囲まれている中心で、その全てを包み込むような慈愛の笑みを浮かべている琴ヶ浜。

 す、すげぇ、完全にこいつらを手懐けてやがる。

 よくおとぎ話の映画やなんかで、プリンセスがめちゃくちゃ動物たちにたかられてるシーンみたいだ。


「琴ヶ浜は本当に動物が好きなんだな」

「はい、大好きです。もしかしたら、人間なんかよりよっぽど好きかも知れませんね」

「えぇ……そんなさらりと怖いこと言うなよ」

「ふふ、冗談です」


 琴ヶ浜は膝元のモルモットを起こさないようにそっとハムスターたちを檻に戻し、それから肩口にいたハツカネズミの一匹をくしくしと指で撫でた。


「こうして触れ合っていると、改めて実感します。こんな風に私たちの手の中にすっぽり収まってしまうほど小さくても、この子たちも私たちと同じ『生き物』なんだな、って」


 そう言って微笑んだ琴ヶ浜は、けれどそこでふと表情を曇らせる。


「それでも、やっぱり私たちほど丈夫ではなくて…………だから、も……」

「あの子、って?」


 俺の問いに、琴ヶ浜がハッとしたように顔を上げる。


「……いえ、何でもありません。とにかく、この子たちは私たちよりもずっとか弱いですから。こうして触れ合う時は、怪我などさせたりしないよう、十分に注意しないといけません」

「? まぁ、それもそうだな。こんな膝くらいの高さでも、こいつらにとっては怖いよな。うっかり落っことしたりしないように気を付けるよ」

「そう、ですね…………落としたりしたら、大変ですから」


 膝上で寝息を立てるモルモットを撫でながら、琴ヶ浜がポツリとそう呟く。

 俺にはそれがなんだか、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた気がした。

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