第26話 初めての動物園デートです

 そして迎えた、一週間後の日曜日。

 野毛谷動物園の最寄り駅であるくらちょう駅へとやってきた俺は、改札口を出たところで手元の時計を確認した。

 現在時刻は午前九時十二分。

 待ち合わせの時間は午前九時半だから、あと二十分弱は余裕がある。

 学校じゃ始業ギリギリに教室に滑り込むことも珍しくない俺だが、今日ばっかりは遅刻できないと少し早めに家を出たのだ。


「……変じゃない、よな?」


 待ち合わせまでの時間を使って、俺はその辺にあったガラス窓で自分の姿を確認する。

 無地のTシャツにパーカーを羽織り、下はチノパン。靴はいつものスニーカーで、トゲ頭を隠すために頭にはキャップ帽。

 思えば女子と二人で出かけるなんて生まれて初めてだし、最初はどんな格好をすればいいのか皆目見当もつかなかった。

 今日の俺の服装は、「例の親戚の男子に教えるため」という名目でモリタクから聞き出した「無難にいけ」というアドバイスを元に選んだものだ。


 本当は身近な女子からの意見なんかを参考にできたらベストなんだろうが、あいにく俺には「身近な女子」などという存在はいないので仕方ない。

 ちなみに姉貴は俺の中では女子じゃないのでノーカウントだ。


「っと、そろそろかな?」


 一通り身だしなみのチェックを終えて時計を見ると、ぼちぼち待ち合わせの五分前。

 ガラス窓に背を向けたところで、ちょうど改札を通り抜ける琴ヶ浜の姿が目に入った。

 きっちり五分前行動とは、さすが風紀委員だな。


「おはようございます、先輩」

「ああ。おはよう、琴ヶ浜」


 いつも通り律儀に頭を下げながら挨拶する琴ヶ浜の格好は、当然ながらいつも通りの制服姿ではなかった。

 今日の琴ヶ浜はゆったりとした半袖ロングTシャツにデニムパンツにスニーカーと、華やかさより動きやすさを重視しましたといったファッション。

 それでも普通にオシャレで可愛く見えるのは、やはり素材が抜群に良いからなんだろうか。

 何にしても初めてお目にかかった彼女の私服姿は新鮮で、普段よりも五割増しくらいに美少女に見えた。


 いやはや、まさかこうして琴ヶ浜と休日に出かける日が来るなんてなぁ。

 この姿を拝みたくて、けれど無念にも散っていたたちが一体今までにどれくらいいたんだろうか。

 それを思うと、なんだかちょっとだけ優越感を覚えてしまう。


「先輩? どうかしましたか?」


 気付けば俺は、無意識に琴ヶ浜の私服姿をまじまじと眺めていたらしい。

 怪訝そうな顔の彼女に呼ばわれて、ハッと我に返った。


「あ、ああ、ごめん。その服、良いなと思ってさ。似合ってるよ」

「ありがとうございます。なにしろ今日の目的地は動物園。たくさん歩き回ることが予想されます。なので汚れてもいい、動きやすい服装を意識しました」


 若干ズレた答えを返して、ふんすっ、となぜか得意げに胸を張る琴ヶ浜。

 大きめTシャツでも隠し切れない豊かな膨らみが強調される。


「いわば、動物園コーデです」

「お、おう、そうか……そいつは、でかいな」

「でかい? 何が大きいんですか?」

「じゃなくて! 、そいつはでかしたな!」

「? はい、ありがとうございます」


 あっぶね。いま一瞬完全に心の声がまろび出てしまった。

 俺は脳裏によぎった邪念を吹き飛ばすように頭を振る。


「さ、さて! それじゃぼちぼち移動しますか!」


 若干声が裏返りながらもそう言って、俺は佐倉木町駅前のバス停を指差した。

 目的地である野毛谷動物園は、小高い山の上にある。

 駅からは歩いても二十分はかからない距離なのだが、道中の坂道は徒歩だとなかなかキツいのでバスを使うのがベターだ。


 そうして、駅前から乗り込んだ市営バスに揺られること十分弱。

 動物園前のバス停に降り立った俺たちは、正面ゲートにいた係員にチケットを渡して園内へと足を踏み入れた。


「いや~久々だなぁ。子どもの頃、家族で何回か来てたよ」

「はい。私も小さい頃はよく家族で来園していました。中学に上がってからも、休日にはたびたび一人で足を運んでいましたね」

「へぇ、そうだったのか」

「……最近は、色々あってなかなか来る機会がなかったんですけど」


 琴ヶ浜はそこで不意に表情を曇らせ、けれどすぐに声を弾ませて振り返った。


「だから、今日は久々に来れてとても嬉しいです。改めてありがとうございます、先輩」

「どういたしまして。っていうか、俺が琴ヶ浜に日頃の礼をしたかったんだからさ。今日はそう肩肘張らずに、遠慮なく楽しんでくれよ」

「そ、そうですか? ……ならお言葉に甘えて、目いっぱい満喫させていただきます」

「おう。さて、んじゃあまずはどこから行くかな」


 俺は正面ゲート前の広場に設置された掲示板に歩み寄り、園内マップをぐるりと見回す。

「野毛谷動物園へようこそ」と大書された地図には、迷路のように張り巡らされた道のあちこちに様々な動物のイラストが描かれている。そしてイラストの脇には、それぞれに小さく番号が振られていた。


「動物ごとに番号が付いてるんだな。なら、ひとまずこの番号順で回ってみるか?」


 言って、俺が①の番号がついた「オシドリ・トキのなかま」エリアに向かおうとした、その時である。


「ぐぇぇ!?」


 歩き出した俺の首根っこを、琴ヶ浜がやにわにむんずと鷲掴みした。

 思わず、絞め殺される爬虫類みたいな声が出てしまう。


「こ、琴ヶ浜? 急に何を……?」

「待ってください先輩。番号通りに回るのはビギナーがやりがちな愚策です」

「ビ、ビギナー……?」


 ……え、なに? 動物園ってプロとかビギナーとかあるの?

 よっぽどそう聞き返したかったが、先ほどまでとは打って変わってやたら真剣な表情の琴ヶ浜に圧倒されて、俺は喉元まで出かかった言葉を飲み下した。


「たしかにこの番号通りに回れば、自然と園内を一周できるようにはなっています。しかし、そうすると各エリアでの『お食事タイム』を見逃してしまう可能性があります」

「お食事タイム?」

「動物たちがご飯を食べているところを見学できるんです。この時間を考慮して順路を決めれば、全ての『お食事タイム』をコンプリートできます。今日は日曜日なので、午前十時のミナミコアリクイ、午後一時二十分のレッサーパンダ、午後三時半のツキノワグマ、午後四時のフンボルトペンギン……この四エリアでの開催が予定されていますね。なので、それを踏まえて私の方で予め順路を決めておきました」


 すさまじい早口でそうまくし立てた琴ヶ浜が、手に持っていた園内マップを広げて見せてきた。

 マップのあちこちにはメモが書かれた付箋がびっしり貼られており、地図上の道にはすでに赤ペンでしっかりと動線が引かれている。


「今日はこのルートで行きましょう、先輩」


 ポカンと口を開けたままの俺に、動物大好き琴ヶ浜さんは得意満面にそう言った。

 たしかに遠慮なく楽しめとは言ったけど……。

 この子、想像以上にだ!

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