第25話 俺と一緒がいい……ってコト!?

 午後の授業を終え、放課後にルピナスに向かい、いまいち身が入っていない仕事ぶりにたびたび琴ヶ浜から説教されつつ、その日のシフトを終えるまで。

 俺は何も良い考えを思いつくことができなかった。


「お疲れ様でしたぁ……」


 スタッフルームで帰り支度を整えて裏口を出たところで、夜空に向かってため息をつく。

 はぁ……結局、琴ヶ浜にプレゼントの話は切り出せなかったな。

 本人も動物が好きだって言っていたし、動物園のチケットというのは我ながら悪くないチョイスだと思ったんだけどなぁ。


 けど、今日の昼休みの様子を見るに、行き先がどうこうというより、琴ヶ浜にはそもそも休日に誰かとどこかへ出かける気もひまも無いらしい。

 勉強や風紀委員としての活動に加え、ルピナスではチーフも務めているわけだし、その多忙さを考えれば仕方ないとは思うけども……。


「どうしたもんかねぇ……」


 うんうんと頭を悩ませてみても、やはり良い考えは浮かばない。


 ぐぎゅるるるるるる~。


「……腹も減ったし、今日はひとまず帰るか」

「鵠沼先輩?」


 仕方なく帰路にこうとしたところで、店の裏口から出てきた琴ヶ浜に呼び止められた。


「よかった、まだ帰っていなかったんですね」


 そう言ってそっと胸を撫で下ろす琴ヶ浜。

 慌てて俺を追いかけてきたところのようだ。


「ああ、お疲れ琴ヶ浜。どうしたんだ?」

「『どうしたんだ?』じゃありません。ですよ、先輩」

「忘れ物?」


 何か忘れてたかな? と体のあちこちをペタペタと探っていると、琴ヶ浜が「これです」と言って何かを手渡してくる。

 見れば、いつもの「余り物」が入った紙袋だった。


「あ、ああ、コレね! 悪いな、うっかりしてたよ」

「本当です。せっかく作……コホンッ。んですから、ちゃんと食べてください。食材を無駄にしたくはありませんので」


 どうやら琴ヶ浜の中では、俺に弁当を渡すのはすっかりバイトがある日の日課となっているようだった。

 本人は、あくまでも日々の残飯整理の一環いっかんと言い張っているのだが。


「はは……いつもありがとうな、琴ヶ浜」


 紙袋を受け取った俺がボソリと呟くと、琴ヶ浜が何事かうかがうようにジッと俺の顔を見る。

 そうして数秒ほどの沈黙を保ったのちに、


「先輩、今日はどうしたんですか?」

「え?」

「今日の先輩は、なんだかいつもと様子が違うように感じました」


 ギクっ。


「そ、そうか? そんなことないと思うけど……」

「いえ、違いましたよ。たしかに今日のシフトでも先輩のうっかりミスは平常運転でしたが、いつも以上に視野が狭まっている感じでした。それに、時々チラチラとこちらの方を見ていましたよね? お仕事中、ずっと私に何かを言いたそうな、そんな雰囲気でした」


 ギクギクッ!?

 さすがチーフ、よく見ていらっしゃる……。


「先輩、何か私に言いたい事でもあったんですか?」

「ま、まぁその、あると言えばあるというか、ないと言えばないというか……」

「? よくわかりませんが、もしお仕事で相談したいことや悩み事などがあるなら、遠慮なく話してください。私にできる範囲のことなら、何でも相談に乗りますので」

「いやいや、ホントそんな大したことじゃないから! あえて話すほどのことでも……」


 俺は慌ててひらひらと手を振ってはぐらかそうとするが、琴ヶ浜は切れ長の目でジッと俺を見つめるのを止めなかった。

 話すまで帰さん、とでも言わんばかりの無言の圧力を感じる。


(……ええい、しょうがない! 気が重いけど、こうなりゃ当たって砕けろだ!)


 プレッシャーに耐えかねて、俺は観念して財布から例のチケットを取り出した。


「実は……今日は琴ヶ浜に、これを渡そうと思ってたんだ」

「え?」


 眉をひそめる琴ヶ浜にチケットを手渡す。

 受け取ったそれを見て、彼女はわずかに声のトーンをあげた。


「これって……野毛谷動物園の入園チケット、ですか?」

「ああ。昨日たまたまうちの姉貴に貰ったんだ。琴ヶ浜、たしか動物好きって言ってたよな? だから、せっかくだしプレゼントしようかと思ってさ。いつも教育係とか差し入れとかで琴ヶ浜には世話になってるし、そのお礼を兼ねて、ってことで」


 言ってから、慌てて付け加える。


「ああ、いや、べつに無理に受け取ってくれってわけじゃなくてな! あくまで『よかったら』ってレベルの話で、要らないっていうならそれでも全然構わないから!」


 昼間のこともあって、俺は若干早口になりながらせかせかと予防線を張る。

 だが、十中八九すげなく突き返されると思っていた俺の予想に反して。


「……これ、本当にいただいてもいいんですか?」

「へ?」


 琴ヶ浜は意外にも食いついたようだった。

 いつも大人びた印象を与える凛とした瞳はいつの間にか爛々らんらんと輝き、不愛想なへの字口は「△」の形になっている。めちゃくちゃ興味津々しんしんといったご様子だ。

 あれ? なんか、思いのほかすんなり受け取ってくれそうな雰囲気?


「あ、ああ! もちろん! そのために持ってきたんだからな!」

「そう、ですか……に」


 琴ヶ浜は驚き半分喜び半分といった表情で、チケットと俺とを交互に見やる。

 それからふと、チケットが二枚あることに気付いたらしく、


「あ、ありがとうございます。それで、その……二枚あるということは、つまり……?」


 何故かドギマギとした様子で、けれどどこか期待するような眼差しで、琴ヶ浜が俺を見上げてくる。

 こいつにしては何だか歯切れの悪い態度だけど……ああ、そうか!

 彼女の言わんとしていることを察し、俺は元気よく頷く。


「うん。まぁ、一人で二回行くのも良いとは思うけど、せっかく二枚あることだしさ」

「! は、はいっ!」

「どうせなら、例の妹さんでも誘ってさ。一緒に楽しんでこいよ!」


 コクコクと頷く琴ヶ浜に、俺はそう言ってグッとサムズアップをしてみせた。


「…………は?」


 瞬間、それまでは上機嫌だった様子の琴ヶ浜が、再びいつものクールな彼女に逆戻り。

 チケットを握りしめたまま、なぜかいぶかしげに俺を睨んでくる。


「あ、あるぇ!? 琴ヶ浜……さん? どしたの?」


 なんでそんな「こいつ、正気か?」みたいな目をしてるのカナ?


「……先輩は、来ないんですか?」

「へ?」


 俺が聞き返すと、琴ヶ浜がズイッと半歩ほど距離を詰めてきた。


「ですから、先輩は来ないんですか?」


 なぜか急に不機嫌そうな顔で詰め寄ってくる琴ヶ浜。

 え、ええ……なんでちょっと怒ってるの、この子?

 彼女の言葉の意味をいまいちはかりかねつつ、俺はひとまずコクコクと頷く。


「あ、ああ。だって俺の分のチケットとかないし……」

「私は」


 ボソリ、と。

 俺の台詞を遮るようにして、琴ヶ浜が呟く。


「私は……先輩が一緒に来てくれるものだと、そう思っていたのですが」

「え、俺? いやいやいや、俺なんかと一緒に行ってもしょうがない──」

「思っていたのですが」


 さらに半歩ほど距離を詰めてきた琴ヶ浜が、真っ直ぐに俺の目を見返していた。


(うぉ……顔、近い近い近い! 肌スベッスべ! まつ毛なっが!)


 突如として眼前に押し寄せてきた学園有数の美貌に脳内の情報処理が追い付かず、俺の口はただただ「え~」とか「あ~」とかしどろもどろな言葉しか出力しない。

 いや待て、落ち着け。落ち着いて、もう一度琴ヶ浜の台詞を反芻はんすうするんだ。


 ──先輩が一緒に来てくれるものだと、そう思っていたのですが。


 ……これってつまり、琴ヶ浜は、ってこと?


「えっ……と」


 ひとまず琴ヶ浜から一歩、二歩と距離を置いて、俺はガシガシと自分のトゲ頭を掻いた。

 じっとこちらの返答を待つ彼女に、それからおそるおそる切り出してみる。


「そ、その……じ、じゃあ、今度の休みにでも、行くか? ……二人で」


 スッ、と前のめりだった姿勢を起こし、琴ヶ浜が居住まいを正す。

 不機嫌そうに寄せられていた眉根は元に戻り、それと入れ替わるようにして、やがて固く引き結ばれていた口の端が微かに持ち上がった。


「はい。行きましょう、先輩。……二人で」


 そう言って微笑んだ琴ヶ浜は、遠足前夜の子どもみたいに、心底楽しそうだった。

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