第24話 ハードル高すぎるだろ!

 一夜明けて、月曜日。

 いつものように家を出た俺は学校へと向かう道すがら、財布に忍ばせた「野毛谷動物園入園チケット」を取り出して朝の日差しにかざす。

 さほど興味があるでもなく、そもそも一緒に行くような相手もいない俺にとっては宝の持ち腐れにしかならないシロモノだろう。

 なら話は簡単。興味があるやつに譲ればいいんだ。


「琴ヶ浜、動物好きだって言ってたもんな」


 まだまだ短い付き合いとはいえ、ルピナスでの仕事でもそれ以外でも、あいつにはいつも世話になってるからな。

 日頃のお礼も兼ねた、ちょっとしたプレゼントってやつだ。

 せっかく二枚あることだし、いつもお留守番をしているという妹ちゃんとでも一緒に楽しんできてもらおう。


「へへ。あんな酔いどれ姉貴でも、たまには人の役に立つもんだな」


 学校じゃそもそもあまり出くわさないし、渡すなら今日のシフトの後かな。

 チケットを渡された琴ヶ浜の鉄仮面がほんのりと緩んでいく様を想像しつつ、俺は意気揚々と学校へ向かった……のだが。


 ※ ※ ※ ※


 その日の昼休み。

 俺は早くも自分の計画に根本的な欠陥があったことを思い知らされることとなった。


「おい、剣の字。ちょっと中庭見てみろよ」

「どうした急に」

「いいから見てみろって。珍しいもんが見れるぞ」


 いつものように食堂へと向かう道中。

 ウキウキした様子のモリタクに急かされて俺が廊下の窓から中庭へと目をやれば、そこには琴ヶ浜が立っていた。

 例によって昼の校内パトロール中のようだったが、琴ヶ浜の前にはもう一人、上級生らしき男子生徒の姿があった。穏やかな微笑を浮かべた、細身で長身なイケメンだ。


「琴ヶ浜と、あと一人は誰だ?」

「ありゃ、うちの元テニス部部長だった三年の先輩だな。名前はたしか、古谷ふるやとか言ったか? 家が結構な金持ちの上にあの美形ってんで、部員はもちろん、校内の女子の間でもかなり人気があるいけすかねぇ野郎だ」


 吐き捨てるようなモリタクの言葉通り、気付けば琴ヶ浜たちを見守っているのは俺たちだけではなくなっていた。

 中庭に面した校舎の窓のあちこちでは、あの古谷とかいうイケメン男子に熱い視線を送っている大勢の女子生徒の姿が見て取れる。


「こんにちは。一年の琴ヶ浜恵里奈さん、だよね? 校内の見回り中かな?」


 そうこうしている内に、夏場に流れる某乳酸菌飲料のCMかってくらいに爽やかな笑顔を浮かべた古谷が琴ヶ浜に近寄った。

 対する琴ヶ浜は、不意に声を掛けてきた上級生の爽やかイケメンに少しも動じる様子はない。ペコリと軽く頭を下げて、「こんにちは」と律儀に挨拶を返す。


「急に声を掛けちゃってごめんね。えっと、俺は三年の古谷。一応、このあいだまでテニス部の主将だったんだ。よろしくね、琴ヶ浜さん」


 そう言ってやたらフレンドリーに握手を求める古谷。

 ニッコリとはにかむ彼の姿に、校舎の方々で黄色い歓声があがった。


「はい。よろしくお願いします、古谷先輩。それで、私に何かご用でしょうか?」


 ひるがえって琴ヶ浜はというと、相変わらずの不愛想極まるポーカーフェイス。さすがである。


「ああいや、特に用があるってわけじゃないんだけどね。ただ、風紀委員会に優秀な一年生が入ったって噂を聞いてさ。おまけにかなりの美人だって評判なものだから、一度会ってみたいと思ってたんだよ。うん、たしかに噂通り、いやそれ以上の美人さんだ」

「そうですか。お褒めにあずかり光栄です」


 古谷の褒め殺しも、琴ヶ浜は柳に風と受け流す。豆粒ほどにも光栄とは思っていなさそうだ。ここまで褒め甲斐のないやつも中々いないんじゃなかろうか。


「こうして実際に会ってみて、ますます君に興味が出てきたよ。そうだな、お近づきの印に何か贈り物をしたいんだけど……琴ヶ浜さん、こういうものには興味あるかい?」


 古谷が取り出したのは、綺麗な青色をした小さな宝石のようなもの。

 細い紐が付いているのを見るにストラップか何かのようだ。高校生が持つには、少々高そうなシロモノに見える。


「それは?」

「ハンドメイドのアクセサリーだよ。いまSNSを中心に中高生の間で大人気の作家さんが販売してるものでね。しかも、アカウントのフォロワーの中でも抽選で選ばれた数十人にしか購入できない限定品だ。これを、ぜひ君にプレゼントさせて欲しい」


 天然なのか計算なのか、パチリとウインクをキメる古谷。またぞろ周囲で黄色い声が挙がる。

 が、琴ヶ浜はやはり眉一つ動かすことなく、丁重にイケメンの申し出を断った。


「いえ。すみませんが、お気持ちだけいただいておきます」

「そう遠慮しなくてもいいよ。ああ、もしかして値段のことを気にしているのかな? たしかにそれなりに高価だったけど、大丈夫。君が喜んでくれるなら、俺はそれで満足さ」


 古谷が「満足さ」の「さ」の字を発音すると同時に、とうとう校舎にいた何人かの女子生徒が立ち眩みでも起こしたかのように倒れ込む。

 もはやアイドルか何かみたいな扱いだ。

 しかし、それでも。


「申し訳ありませんが、率直に言ってそういったたぐいのものには興味がありません。いただいたところできっと持て余してしまうだけだと思います。そもそも、初対面である貴方からいきなり贈り物をもらう理由も道理もありませんので、結構です」


 さっきよりもきっぱりと即答する琴ヶ浜。

 さしもの爽やかイケメンの頬にも汗が伝う。


「あはは……オーケー、わかった。なら贈り物はまたの機会にして、せめて連絡先だけでも交換してもらえないかな。こうして立ち話するのもなんだし、今度二人でカフェにでも──」


 そう言ってポケットからスマホを取り出したのが古谷の運の尽きだった。

 オイオイオイ死んだわあいつ、と俺の隣でモリタクが鼻で笑うのとほぼ同時に……。


「うわっ、ちょっ、琴ヶ浜さん!?」


 スッと伸びた琴ヶ浜の右手が、次にはスマホを持った古谷の右手首をガッシリと掴んでいた。

 彼女のブラウスの袖に留められた、赤い腕章が風に揺れる。


「ど、どうしたのかな? そんなに慌てなくても、いま俺の番号を……」

使は校則違反です」

「へ?」

「ただちに電源をオフにするかマナーモードに設定し、速やかにしまってください。従わない場合、この場であなたの携帯を没収したのち、生徒指導室に引き渡します」


 有無を言わせない琴ヶ浜の警告に、あわれイケメンはすっかり気圧けおされて無言で頷くのみだった。言われるがまま、スマホの電源を落としてポケットに戻す。


「ご理解、ご協力いただきありがとうございます。今回は注意喚起で済ませますが、次にお見かけした際は『反省の色なし』とみなし問答無用で没収しますので、そのつもりで」


 黙りこくる古谷に毅然とした態度でそう告げると、琴ヶ浜はクルリと身を翻し、


「では、パトロールがありますので私はこれで。失礼いたします」


 そのまま振り返りもせずに言い残してさっさと中庭を後にしてしまった。

 一部始終を見守っていた生徒たちの間に、にわかに騒めきが伝播でんぱしていく。


「いやぁ、久々に見たな! 『鬼の風紀委員』が男子をフるところ!」

「ああ。最近めっきりチャレンジャーも減ってたからな」

「元テニス部エースで女子人気もトップクラスのあの古谷先輩ならあるいは、とも思ったけどなぁ。やっぱりその辺の女子とはガードの固さがちげぇや」

「あの人でダメなら、もう誰が行っても無理だろ」


 琴ヶ浜の高嶺の花っぷりに、野次馬たちは口をそろえてそんなことを言い合う。


「……でもさ~、さすがにちょっとおカタ過ぎない?」

「ね~。何もあんなあからさまに素っ気なくしなくてもいいのに」

「そうそう。せっかく古谷先輩に誘われてるのにあの態度。ぶっちゃけ『何様?』って感じ」


 中には彼女の不愛想な対応に難色を示す連中もいる。

 良くも悪くも、生徒たちの心には琴ヶ浜恵里菜の武勇伝がまた一つ、しっかりと刻み込まれたようだった。

 ……なんて、冷静に周囲を観察している場合じゃないだろ、俺!


「ははっ、なかなか面白い見世物みせものだったな。なあ剣の字……剣の字?」


 そうだよ、忘れてた。

 ここ最近は彼女の穏やかな一面を見る機会が多かったもんで、すっかり忘れてしまっていた。

 あいつは、琴ヶ浜恵里奈は、「鬼の風紀委員」なんだ。

 学校の男子連中の間では絶大な人気を誇り、お近づきになろうとするやつは数知れず。しかしてそのことごとくを一蹴し、けして誰にもなびかない孤高のお姫様。


 そんな彼女が、果たして俺なんかからのプレゼントを受け取ってくれるのだろうか。

 ……いや、無理じゃね? 

 だって、あんなイケメン男子からのかなりレアものっぽい贈り物だって、あの通りまるで興味を示さなかったんだぞ? 


「おいどうした剣の字? 急にそんな『やっちまった!』みたいな顔してよ」

「え? あ、ああいや、何でもない……」


 琴ヶ浜に日頃のお礼を、なんて軽く考えていたが、とんでもない。

 そもそもあいつにチケットを渡すまでのハードルが高すぎることを完全に見落としていた。うっかりしていたにも程がある。


(これは……か?)

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