第22話 俺にだけ……だと?

 二人だけの秘密──


 おそらく琴ヶ浜に他意はないのだろうが、なんだか色々と良からぬ妄想が膨らんでしまうそのワードに、俺はちょっとドキドキしてしまっていた。


 いや、そりゃこんな超絶美少女に耳元でこんなこと囁かれたら無理もないわ。

 だって前に姉貴に無理やり一人称視点のⅤRホラーゲームをやらされた時だって、こんなにドキドキしなかったもん。

 ……それとこれとはまたドキドキの種類が違うか? 違うね、うん。


「お、おう、わかった。俺たちだけの秘密、な?」


 それにしても、だ。

 僅かな不正も決して許さない、絶対的な法の番人。そんな「鬼の風紀委員」の口から、まさか「二人だけの秘密」なんて言葉が出てくるとは。

 普段こいつの厳格な一面しか見てない学校の連中に教えたところで、誰も信じやしないだろうな。

 ルピナスでバイトを始めなきゃ、俺もきっとそうだったに違いない。


「けど、それなら何も無理に持ってきてくれなくて良かったんだぞ? いや、気持ちは嬉しいし、実際助かったんだけどさ。それでもし琴ヶ浜の立場が悪くなったりしたら……」

「さすがにこれくらいでそんな事態にはなりませんよ。仮にそうだとしても、私の立場が悪くなるより、先輩が暑さで倒れてしまうことの方がよほど嫌ですから」


 あっけらかんとそう言う琴ヶ浜。

 うーん、相変わらず二人だけの時はめちゃくちゃ甘やかしよるなぁ、この子。


「とはいえ、先輩も先輩です。この蒸し暑いなかお外を出歩くというんですから、きちんと小まめに水分補給をしなきゃダメでしょう?」

「うっ! お、おっしゃる通りです……」

「水筒、は難しいにしても、せめてペットボトルのお水くらいは持ち歩くことをお勧めします。熱中症や脱水症になってからでは遅いんですから」

「そ、そうだな。次からはなるべくそうするよ」

「ぜひ。……それから、一応こちらも渡しておきます」


 と、そこで琴ヶ浜が左手に忍ばせていたものをおもむろに俺に差し出した。

 手のひらサイズの、三角形の紙包み。

 その中に入っていたのは、小さなサンドイッチだった。


「これは?」

「ミニサンドです。食いしん坊の先輩のことですし、きっとおつかいで歩き回ってお腹を減らしているのではないかと思いまして。さっきお店の余り物で適当に作ったものですが、良ければお夕飯までのつなぎにでもどうぞ」

「え、いいのか? しかも、わざわざ作ってくれたなんて……」

「いいですよ、別に。これくらい、それこそ大した手間ではありませんから」


 言うなり、琴ヶ浜は俺の返事も待たずにさっさとミニサンドをビニール袋に押し込んだ。


「えっと……これも、やっぱり?」

「はい。秘密、です」


 なんだか隠れて餌付けされている野良犬のような気分だが……まぁ、くれるというのだからありがたく頂戴しておこう。

 何より、琴ヶ浜の手料理は美味しいのだ。断る理由もない。


「はは、ありがとな。ぶっちゃけ、実はちょうど小腹が空いてたところでして」

「そんなことだろうと思いました。まったく、先輩は本当に食いしん坊さんですね」


 まるで手のかかる子どもを前にする母親のごとく、琴ヶ浜が悩ましげに腰に手を当てる。

 エプロンを付けているせいだろうか。余計にそれっぽく見える彼女の姿がなんだか可笑しくて、俺は思わずクスクスと笑ってしまった。


「どうしてそこで笑うんですか?」

「いや、ごめんごめん。ただ、そうしてるとなんか『お母さん』みたいだな、と思ってさ」

「……私が母親なら、こんな世話の焼ける子に育てたりはしないはずなんですけれどね」


 何を馬鹿なことを、とでも言いたげに琴ヶ浜が肩を竦める。

 たしかに琴ヶ浜の性格を考えれば、きっと子どもに対しても厳しく教育するんだろうな。

 勉強もスポーツも疎かにさせず、真面目で規則正しい生活を心掛けさせる、みたいな。


 ……いや、どうかな? たしかに琴ヶ浜は誰に対しても厳しい奴だ。それは間違いない。

 けど、ここ最近の俺への接し方からも垣間見えるように、どうもこいつは意外と過保護っぽいところがあるみたいだしなぁ。


「でも、琴ヶ浜ってなんだかんだ世話焼きなところあるだろ? ひょっとしたら、案外存分に子供を甘やかしちゃうタイプだったりしてな」


 そこまで考えた所で、俺はあくまでも冗談めかしてそう言ってみたのだが。


「世話焼き、って、べつに私は……」


 と、一度は首を横に振ろうとした琴ヶ浜は、しかし思い直したように「いえ」と呟いた。


「……そう、ですね」


 てっきり一蹴されるとばかり思っていた俺の予想に反して、琴ヶ浜はコクリと頷く。

 それからなぜか照れ臭そうに身をよじりつつ、次にはボソリと言葉を漏らした。


……たしかに、そうかもしれません」

「へ?」


 そう言って上目遣いで俺を見上げた琴ヶ浜の瞳は、心なしかフルフルと揺れていた。

 な、なんだ、その意味ありげな表情は? 

 なんでちょっと頬染めてんの?


「俺に、対しては?」


 聞き間違いの可能性も考えて俺がそう返してみても、琴ヶ浜はやはりコクリと頷くだけ。


「そ、それって、どういう……」

「……渡すものも渡しましたし、私はそろそろ仕事に戻ります。先輩も、気を付けて帰ってくださいね。それでは」


 最後にそれだけ言い残して、琴ヶ浜はさっさとルピナスへと戻ってしまう。


「な……なんだったんだ?」


 俺はただただ呆然と、その背中を見送るしかなかった。

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