第21話 「二人だけの秘密ですよ?」
「なるほど。つまりお姉さんからおつかいを頼まれた、と」
「違うぞ琴ヶ浜。これはおつかいじゃない、『パシリ』と言うんだ」
「? よくわかりませんが……いずれにしろ、そのお買い物の帰りというわけですか」
「ああ。昼にうちの近所のスーパーでパパッと済ませるはずだったんだけど、ちょっと色々あって、結局こんな時間まで長引いちゃってさ」
二人でそんな他愛のない話をしているうちに、やがてアスファルトの道が石畳に変わる。
そこからさらに進んでいくと、通りの先にある十字路の角、店前にある細長いブドウのような形の青い花の花壇が印象的な、見慣れたカフェが見えてきた。
「今日はありがとうございました、先輩」
店の扉の前まで来たところで、俺からトートバッグを受け取った琴ヶ浜が頭を下げる。
「わざわざお店まで荷物を運んでくれて……正直、助かりました」
「どういたしまして。お前にはいつも迷惑かけてるし、むしろ役に立てたなら良かったよ」
俺はヒラヒラと手を振り、それから玉のような汗が浮かんでいた額を袖で拭う。
ふぅ、こんなことならタオルハンカチの一枚でも持っておくんだったな。
「……あの、大丈夫ですか、先輩? すごい汗ですが」
琴ヶ浜が俺の顔を心配そうにのぞき込んでくる。
「はは、さすがに暑くて。俺、もともと人より汗っかきみたいでさ。いつものことだよ」
大したことじゃない、と笑ってみせるが、琴ヶ浜は不安げな表情を崩さない。
汗だくの俺の顔を見上げ、しばし無言で何事かを思案すると。
「先輩、ちょっとここで待っていてください」
「え?」
「すぐに戻りますので。勝手に帰っちゃダメですよ」
念を押すようにそう言いのこして、店の中へと入っていってしまった。
どうしたんだ、あいつ? まぁ、待てというなら待つけどもさ。
俺は両手に持っていた重たいビニール袋を地面に置き、レンガ造りの花壇の縁に腰かけた。
ちょうどいい、少し休憩していこう。
「ふぃ~……」
重荷から解放された両腕をグルグルと回し、汗を吸って重くなったシャツの裾をパタパタと仰いで、待つことしばらく。
「先輩。口、開けてください」
「へ……もごっ!?」
カランカラン、というドアベルの音に振り返るなり、俺の口に何か冷たいものが放り込まれる。
疲労と蒸し暑さで若干ぼやけていた頭が一気にクリアになった。
「
口に入れられたそれをコロコロと舌で転がしてみて、気付く。
「はい。コーヒー氷です」
琴ヶ浜の言う通り、彼女が俺の口に入れたのは、大きめのスーパーボール大の氷だった。
それも普通の氷ではなく、コーヒーを凍らせた特製のものだ。
ルピナスで出すアイスコーヒーはホットのものに氷を入れて作るのではなく、凍らせたコーヒーにホットコーヒーを注いで作る、というちょっと珍しいタイプ。
琴ヶ浜は、きっとその時に使う用のコーヒー氷を砕いて持ってきたのだろう。
普通はこれだけを食べたりはしないのだが、今日みたいに暑い日なんかはアイスでも食べているみたいでなかなかにグッド。
いやまぁ、字面的にはそのまんまだけど。
「少しは涼しくなりましたか?」
「あ、ああ。びっくりしたけど、冷たくて最高だ。喉も乾いてたし助かったよ、サンキュ」
と、ひとまず礼を言ってみたはいいものの。
これって一応、店の食材って扱いになるよな?
バイトが勝手に持ち出して食べちゃうのは、まずいんじゃなかろうか?
遅ればせながら不安になるそんな俺の内心を察したのか、琴ヶ浜は「心配ありませんよ」と涼しい顔でそう言った。
「これくらいなら、『店主の身内特権』の範疇です」
ははぁ、なるほどそうきたか。俺はポンと手を打った。
考えてみれば当然だ。そういう理由もなしに、ただこんなことするはずがないもんな。
なにしろこいつは「鬼の風紀委員」で「鬼教官」。ミスや怠慢、ズルや規則違反なんかとはまるで正反対の位置に立っているようなやつなんだから。
なんて、俺はいつもの調子でそう考えていたのだが。
「……でも」
不意にそう呟いた琴ヶ浜が、口の中でモゴモゴとコーヒー氷を転がしていた俺の顔に、ぐっと自分の顔を近づけた。
「こ、琴ヶ浜?」
急接近してくる端麗な顔と、ふわりと漂ってくる甘い花のような香り。
俺は危うく、まだ溶け切っていないコーヒー氷を喉に詰まらせそうになる。
「あまり、他のスタッフに示しがつかないのも事実なので……」
口元にそっと手を添えて、琴ヶ浜が俺の耳元で囁くように言った。
「このことは私と先輩、二人だけの秘密ですよ?」
いつも通りの凛とした声で、いつも通りのクールな無表情。
けど、そう言ってピンと立てた人差し指を口に当てる琴ヶ浜は。
どことなく楽しそうにも見えた気がした。
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