第20話 優等生は猫語も話せるらしい


 あいつ、たしか今日はシフトの日じゃなかったか? 琴ヶ浜に限ってサボりなんてことはありえないだろうけど、なんで公園なんかにいるんだろうか。

 俺はベンチの前で野良猫を見つめる琴ヶ浜のそばに近寄った。それでも琴ヶ浜は猫に夢中なようで、俺の存在には気付いていない。


「……にゃー、みゃー」

「よ、お疲れ琴ヶ浜」

「っ!?」


 俺が声を掛けると、そこでようやく気付いたらしい。

 琴ヶ浜は弾かれたように顔を上げると、すぐさまビシッと立ち上がった。


「く、鵠沼先輩……? お疲れ様です」


 それから何事も無かったかのように、ペコリと頭を下げて挨拶を返す。


「琴ヶ浜、いま猫に話しかけてなかった?」


 俺が何の気なしに聞くと、途端に頬を赤らめる琴ヶ浜。

 しかし、すぐに冷静を装って澄まし顔になる。


「……おっしゃっている意味がよくわかりませんが」

「え? いやほら、さっきそこの猫に話しかけてたよな、って」

「まさか。公園を通りかかったらたまたまベンチでゴロゴロしている猫さんを見かけたから、その可愛らしさについ見とれてしまい、気付いたら無意識にコミュニケーションを図ろうと猫語を呟いていた、なんてことは全く、微塵もありませんが?」


 すっげぇ早口ですね、琴ヶ浜さん。

 というか、自分で全部言っちゃってませんか? 大丈夫ですか?


 かたくなにさっきの「にゃー」発言を認めようとしない琴ヶ浜の態度に、俺はなんだかちょっとだけ悪戯いたずら心をくすぐられてしまい。


「いやいや、言ってたよ。『にゃー』って」

「言ってません」

「言ってた」

「言ってません」

「言ってません」

「言ってました……あ」


 見事に引っかかってしまった琴ヶ浜は、一瞬ハッとして口を抑えると、次には羞恥心と恨めしさが入り混じったような顔でジトっと俺を睨みつけた。


「…………先輩のいじわる」


 うわ、何その顔かわええ。

 ちょっとからかうだけのつもりだったのに……う~ん、これはクセになってしまいそう……って、いかんいかん。何考えてるんだ俺は。


「ごめん、ごめん。とまぁ、冗談はこれくらいにして。どうしたんだ、こんなところで。店のエプロン着けたままだけど、休憩中か?」


 気を取り直して俺が聞くと、琴ヶ浜も気持ちをリセットするようにコホンと咳払いをした。


「はい。藤恵姉さんに買い出しを頼まれたのですが、ついでに少し休憩してきたらと言われまして。今はあまりお客さんがいませんし、店内でできる仕事もほぼ片付けてしまったので」


 琴ヶ浜が、右手に持っていたトートバッグを掲げて見せる。

 中には業務用のガムシロップやコーヒーフレッシュの大袋、それにデザートメニューで使う用のフルーツ缶がいくつか、そのほか細々こまごまとしたものが詰め込まれていた。


「それで、一通り買い物も終わったので、この公園で一休みしようとしたら……」


 俺に説明しながらも、琴ヶ浜の目はチラチラと傍らの野良猫に向きがちだった。

 ははぁ、なるほど。そこでこいつを見かけて、ってところか。


「随分と人に慣れてるみたいだな」

「この辺りでよく見かける子ですね。近くにある古い洋食屋さんのご夫婦が、いつもご飯をあげているようです。近所の皆さんは『フガシ』と呼んでいます」


 琴ヶ浜は再び身をかがめて、名前の通りに麩菓子みたいなこげ茶色の毛をしたその野良猫の首周りに指をやった。


「ほら、見てください先輩。この子、この辺りを掻いてもらうのが好きみたいなんです」


 その言葉の通り、琴ヶ浜の細い指が動くたびにフガシはゴロゴロと喉を鳴らしていた。


「ね、可愛いでしょう?」


 琴ヶ浜の声は弾んでいた。なにより、いつもの仏頂面とは正反対なその無邪気な微笑に、俺は思わず見とれてしまった。

 あれだな、うん……たしかに可愛いな。


「猫、好きなのか?」

「そうですね。猫……というより、動物全般が好きなんです。小さくて可愛らしい動物などは特に。こうして一緒に遊んだり、お世話をしてあげるのも好きです」


 へぇ、動物好きね。

 ちょっと前までの「鬼の風紀委員」のこいつしか知らなかった頃の俺なら「意外過ぎる!」と驚いていたことだろう。

 けどまぁ、今ならなんとなくしっくりくる。

 こいつがなんだかんだで面倒見のいいところもあるというのは、俺もルピナスに来てからの数週間で段々とわかってきたことだった。


 そうこうしているうちに、やがてフガシは琴ヶ浜の手から離れて立ち上がると、気まぐれでマイペースな野良猫らしくスタスタとどこかへ行ってしまった。


「あらら、行っちゃったな」

「そのうちまた会えますよ。今度は何かおやつでも用意しておきます」


 少し名残惜しそうに呟くと、琴ヶ浜はトートバッグを担ぎ直して立ち上がる。


「ふぅ……そろそろお店に戻ります。藤恵姉さんがコレを待っていますから」


 そう言って琴ヶ浜がポンポンと叩いたそれは、彼女の細腕が持ち運ぶには、文字通り少々荷が重そうに見えた。


「そんなら、俺も一緒に店まで行くよ」


 右手のビニール袋を肩に引っ提げ、俺は空いた手を琴ヶ浜の方へ突き出す。


「ほら、琴ヶ浜」

「? 何でしょうか?」

「何って、そのバッグだよ。結構重そうだし、俺が店まで持っていく」

「いえ、そんな。今日はせっかくのお休みなんですから、先輩の手をわずらわせるわけにはいきません。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」


 丁重に断りつつ、琴ヶ浜はペコリと頭を下げる。

 相変わらずよくできた後輩だなぁ。「せっかくのお休みなんですから」、だってさ。

 人の休日を嬉々ききとして邪魔するどこぞの酔っ払いや、なりゆきとはいえさんざっぱら買い物に付き合わせるどこぞのJCにも、ぜひとも大音量で聞かせてやりたい台詞だよ。


「気にするなって。荷物運ぶくらい、大した手間じゃないし」

「でも……先輩だって、すでに結構な大荷物のようですが」


 俺が抱えているビニール袋に目をやり、琴ヶ浜が不安そうに漏らす。


「こんくらい平気だよ。これでも元運動部だからな、力仕事は任せてくれ」

「……そう、ですか?」


 手元の荷物と俺とを交互に見比べ、琴ヶ浜は少しの間考え込む素振りを見せる。

 それからやがて「わかりました」と頷くと、おずおずと俺にトートバッグを差し出した。


「せっかくの厚意を無下むげにするのも忍びないですし、そういうことなら先輩のお言葉に甘えさせていただきます」

「ほい来た。了解だ」


 話もまとまったところで、俺たちは公園を後にして商店街へと向かった。

 公園からルピナスまではそう遠くない。数分も歩けば着くだろう。


「……それにしても」


 道すがら、隣を歩く琴ヶ浜が改めてまじまじと俺を眺める。


「そのビニール袋も随分と重そうですね。お夕飯の買い物帰りですか?」

「ん? ああいや、これはそういうんじゃないよ。中はほら、これだから」


 俺は持っていたビニール袋の口を開いて中身を見せた。

 途端に琴ヶ浜が半眼になって俺を睨む。


「……なんですか、この大量の缶ジュースと菓子類は。まさか先輩、休日だからってこんなもので食事を済ませようなどと思っているんじゃ」


 あ、やべ。「鬼の風紀委員」の説教スイッチが入りそう。


「いやいやいや! さすがにそんなことしないって! これはその、姉貴に頼まれてさ」

「姉貴? 鵠沼先輩、お姉さんがいたんですね」

「え? ああ……うん、いるよ」


 ロクでもないのがな。





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