第4章 俺の後輩が俺にだけ優しい
第15話 まさかの手料理ですか!?
それからも俺は時々、普段の琴ヶ浜からは打って変わって甘々な彼女と対面することになった。
「先輩、十番テーブルのナプキンが空です。早く補充してきてください」
「ご、ごめん! 今行く!」
「先輩ストップ。手ぶらで行こうとしないで。九番さんのコーヒーが出来ましたから、それを運ぶついでにお願いします」
「りょ、了解!」
こんな感じで、基本的にはいつもクールで厳しい態度を崩さない琴ヶ浜だが……。
「いいですよ、先輩。代わりに私がやっておきますから」
「先輩、今日は一枚もお皿を落としませんでしたね。偉いです」
「大丈夫ですか? 疲れているなら、無理せずスタッフルームで休んでくださいね、先輩」
それでも時々こんな風に、彼女は俺をゴリゴリに甘やかしてくる。
それもどういうわけか、彼女が甘々になるのは決まって俺と二人きりの時だけだった。
店のスタッフはもちろん、店長であり従姉でもある藤恵さんの前ですら、琴ヶ浜は決してそんな素振りを見せようとはしない。
謎は深まるばかりである。
※ ※ ※ ※
そうして、俺がルピナスに来てから二週間ほどが経った頃。
「ふぅ、終わった終わった」
外もすっかり夜のとばりに包まれた時間帯。
その日のシフトもつつがなく終えてルピナスの裏口を出た俺は、
「お疲れ様です、先輩」
商店街の表通りに出たところで、同じく仕事終わりらしい琴ヶ浜に声を掛けられた。
「おう、お疲れ。そっちも今あがったところか?」
「はい。正確には三十五分ほど前に退勤したのですが、少しお店でやることがあったので」
「お、おう、そっか」
いやそんな厳密に答えなくてもいいって。ほんと律儀というか何というか。
無駄に真面目くさったガハマロイド……もとい琴ヶ浜の受け答えに曖昧な笑みを返しつつ、俺はついと商店街の通りに目をやった。
この時間だともうシャッターを下ろしている店舗も多いためか、通りを歩く人影もまばらだ。
昼間の喧騒とは打って変わって、街は静かなものだった。
「えっと、じゃあ俺はこれで。また──」
ぐぎゅるるるるるるり。
明日な、と言おうとしたところで、俺の腹の虫が盛大に鳴り響く。
「……お腹、空いてるんですか?」
「い、いやぁ、あはは……」
「先輩、さっきしっかりお店のまかないを食べていたはずですよね?」
「そ、そうなんだけどさ。それでもシフト終わると、なんか腹減っちゃうんだよな」
苦笑いする俺に、琴ヶ浜は呆れ顔だった。
「お仕事はまだまだ半人前なのに、食べる量だけは一人前どころか二人前以上なんですね」
「うっ……ぐうの音も出ませんです、はい」
ぐぅぅ、ぐぎゅるるるる。
「……腹の音は、出るみたいだけど」
「は?」
「すみませんなんでもないです」
やめて! 女子のマジトーンやめて!
特に君のそれは
「はぁ……本当にしょうがない人ですね、先輩は」
ため息交じりにそう言うと、琴ヶ浜はおもむろに自分の学生カバンに手を伸ばした。
カバンの中から取り出されたのは、一抱えほどの大きさの紙袋だ。
「これ、どうぞ」
「え? な、なにこれ?」
「いいから。はい、先輩」
そう言って、琴ヶ浜が半ば無理やりに俺の胸に紙袋を押し付けてくる。
何が何やらわからないままに受け取ったそれを検めてみると、袋の中には紙製のランチボックスが二つ入っていた。
たしか、店でテイクアウト用に使っているやつだ。
「これって、もしかして……」
箱を開けると、片方にはこんがり焼き目のついたホットサンド。もう片方には色鮮やかなコブサラダと、山盛りのフライドポテトが入っていた。
できたてなのか、どちらもまだほのかに温かい。
「琴ヶ浜、これ」
驚いて視線を前方に戻すと、琴ヶ浜は澄ました顔でつんと明後日の方向を向いていた。
「余りものです」
「え?」
「私の家、両親が共働きで夜遅い日が多いんです。私はお店のまかないがあるので大丈夫ですが、家で留守番をしている妹はそうもいきません。なので藤恵姉さんに許可をもらって、シフトが終わった後はいつもキッチンで妹用の夕飯を作って持ち帰るのですが……今日は少々作り過ぎて余ってしまったので、先輩にもおすそ分けします。それだけです」
普段よりも心なしか早口でそう言う琴ヶ浜。
へぇ、琴ヶ浜って妹いたんだ……じゃなくて。
「え、マジで? これ、ほんとに貰っちゃってもいいの?」
俺が聞くと、しばらくの間を空けたのち、琴ヶ浜はコクンと頷いた。
「うわぁ、助かるよ。わざわざサンキューな、琴ヶ浜!」
っていうか余りものとはいえ、これって琴ヶ浜の、つまり女子の手料理ってことにならないか? なるよな?
おお、なんかちょっとテンションあがるなオイ。
「べつに、感謝されるほどのことではありません。あくまでも余りものですので」
降ってわいたラッキーに喜ぶ俺とは反対に、琴ヶ浜の態度は冷めたものだった。
話は終わったとばかりに、そのままクルリと
「では、私はこれで。お疲れ様でした、鵠沼先輩」
「え、ああ、うん。お疲れ様……」
俺の返事も待たずに、琴ヶ浜は石畳の商店街通りをスタスタと歩いて行ってしまった。
うーん、相変わらずクールなやつ。
苦笑しつつ、去っていく彼女の背中を見送っていると、しかし十歩ほど歩いたところでなぜか琴ヶ浜がピタリと足を止める。
それからクルリとこちらに振り返り、
「……あくまで余りもの、ですので」
最後にくぎを刺すようにそれだけ言い残して、今度こそ商店街の宵闇へと消えていった。
──それからというもの、琴ヶ浜はバイトのある日はほぼ毎日のように妹用の夕飯を作り過ぎては、その「余り物」を俺に分けてくれるようになったのだった。
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