第14話 めっちゃ甘やかすじゃん……
「……ふぅ。すみません、少々取り乱してしまいました」
ほどなくして落ち着きを取り戻した琴ヶ浜が、おずおずと椅子に座り直した。
けれどまだ恥ずかしさが抜けきらないようで、ほんのりと赤面したままフイと顔を逸らしてしまう。
今の彼女からはあの凄みのあるオーラというか、「寄らば斬る」とでも言わんばかりの
なんというか、いたって年相応の女の子といった感じだ。
「あの、大丈夫か、琴ヶ浜? どこか具合でも悪いのか?」
「い、いえ。私は大丈夫ですので……それより、先輩の方こそお怪我は大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ。おかげさまで、もう何ともないけど……」
俺はちょっと大げさなくらいに包帯が巻かれた親指を掲げて見せる。
問題なく動くそれを見て、琴ヶ浜は心の底から安堵したように「ほっ」と豊かな胸を撫で下ろした。
「よかった……割れたのが先輩の親指じゃなくてお皿の方で、安心しました」
「え? でも、『身を
「お皿より先輩の身の安全の方が最優先です」
「『一枚たりとも割るな』とも……」
「それでも先輩の指の方が大事です。お皿やコップはまた買い直せばいい話ですが、先輩の親指はそういう訳にもいかないでしょう? もっと自分の体を大切にしてください」
えぇ、すごい甘やかすじゃん……。
一応もとには戻ったみたいだけど、いつもとはまるで正反対な態度だな。
もう何がなんだか訳がわからないよ俺は。
「……鵠沼先輩」
と、対面に座る琴ヶ浜が、不意に声のトーンを落として
呼び方もいつの間にか名前から苗字に戻っている。
「さっきの、お皿……私から教わったことを実践しようと思ったんですよね?」
「え? あ、ああ。琴ヶ浜がアドバイスしてくれたからさ。いっちょそれをやろうと、な」
まぁ、結局は派手に失敗してしまったわけだけども。
「でも、私がそうやってきつく言い過ぎたせいで、先輩が無茶をして。その結果、先輩に大怪我までさせることになってしまって……」
「い、いやいやいや! これが大怪我だったら骨折なんか不治の病じゃん! そんな大した怪我じゃないっての。それに皿を割ったのだって百二十パー俺の不注意だしさ。別に琴ヶ浜から無茶ぶりされたなんて思ってないし、何もそこまで責任感じなくても」
慌ててフォローを入れるも、琴ヶ浜の表情は晴れない。
部下の失態は上司の責任、ってか?
なんというか、マジで自分にも厳しい奴なんだなぁ。
「…………ええっと、さ」
口を閉ざしてしまう琴ヶ浜を前に、俺は頬を掻きつつ言葉を探した。
「まぁたしかに、琴ヶ浜の指導は厳しいし、正直きついって思うこともある」
ぎゅっ、と。
琴ヶ浜が胸元で合わせた両手を握りこむ。
「けど、教えてほしいことはちゃんと全部教えてくれるし、厳しいのはそれだけ一生懸命に俺の教育係やってくれてるってことだろ? だからまぁ、少なくとも俺は『言い過ぎ』とは思わないよ」
「え……?」
「だから、これからも俺がミスったらさ、気にせずガンガン言ってくれ。全力で直すから」
俺はグッ、と包帯でグルグル巻きの親指を立てると、不敵にそう笑ってみせた。
琴ヶ浜はしばらくポカンとした表情を浮かべていたが、やがてフッと肩の力を抜くと。
「……ふふっ」
お、おお! あの琴ヶ浜恵里奈が笑っている!
いつも怖い顔ばっかりだったから全然気付かなかったけど、なんだよ。笑うとめちゃくちゃ可愛いじゃんか。
いつもそうしてたら、もう鬼とか呼ばれなくなるんじゃないの?
今まではただただ「怖い女の子」としか思ってなかったけど……どうやらそうでもなかったようだ。
「先輩……親指、おっきすぎ。手品みたい」
「って、そこかよ! 俺いま結構いいこと言ったつもりなんですけど!?」
つーかこれやったのキミだからね?
まぁ、いいんだけどさ別に。
「ふふ……ありがとうございます、先輩。そう言ってもらえて、少し気が楽になりました」
「そっか。そりゃよかった」
「はい。……では、手当ても終わりましたし、そろそろお仕事に戻りましょうか」
たしかに二人してホールを抜けてからもう結構な時間が経っていた。
そろそろ戻らないと、いい加減まずいだろう。
「おう。そんじゃあ行くか」
「はい……あの、先輩」
椅子から立ち上がった俺の袖を、琴ヶ浜がクイクイと引っ張る。
「その、さっきのことは……」
「ああ、わかったよ。ここだけの秘密、だろ?」
俺が答えると、琴ヶ浜も満足げに頷いて席を立った。
※ ※ ※ ※
俺たちがホールへ戻ると、既に先ほどの皿クラッシュ騒動のほとぼりは冷めたようで、客席はすっかりいつも通りの空気だ。
ホールへと向かう琴ヶ浜と別れて、俺はカウンター裏へ向かう。
と、ちょうど食後のコーヒーセットを用意していた涼子さんに出迎えられた。
「おっ。おかえり、鵠沼くん」
「ただいま戻りました。すみません、ホール抜けちゃって」
「大丈夫よ~、ちょうど客足も落ち着いてきたところだしね。それより……」
ポットのお湯でコーヒー粉を蒸らしつつ、涼子さんが苦笑する。
「エリナちゃん、めっちゃ怒ってたんじゃない?」
「そうですね。『緊張感が足りない』って、バッサリ切られました」
「ははは、そっか。さすが鬼教官のエリナちゃん。それは災難だったねぇ」
「鬼教官……ですか」
涼子さんの言葉を聞き流しながら、俺は先ほどの一幕を思い返す。
たしかに説教をしている時の琴ヶ浜はまさに鬼教官そのものだった。
けどそのあとの彼女の態度はなんというか、もはや過保護な母親って感じだったよなぁ。
「……案外、それだけじゃないのかも」
「ん? 何か言った、鵠沼くん?」
「ああいえ。こっちの話です」
まぁ、そんな話をしたところできっと信じてはもらえないだろうけど。
なんて、俺がぼんやりとそんなことを考えていたところで。
「お二人とも、そこで何をしているんですか?」
「ひっ!?」
不意に響いた凍てつく声に、俺は脊髄反射で「気を付け」の姿勢をとる。
ぎこちなく振り返ると、そこには背後で「ズズズズズ……」という効果音が出ていそうなほどの鋭い目付きでこちらを睨む琴ヶ浜がいた。
お、おやぁ?
なんか琴ヶ浜のやつ、いつの間にか元の鬼教官モードに戻ってないか?
「鵠沼先輩、何をボーっとしているんですか?」
「へ?」
「『へ?』、じゃありません。六番テーブルのお客さまがお帰りです。レジは私がやりますので、先輩はテーブルを片付けに行ってください」
「え、えっと」
「グズグズしない」
「ぎょ、
ビシッと俺を
えぇ……どゆこと?
さっきのことで少しは打ち解けられたかな、とか思ってたところなのに。なんだかすっかり友好度がリセットされてないか?
(……あの甘々な琴ヶ浜は、やっぱり幻覚の
なんだか狐にでも化かされた気分で、俺は包帯でグルグル巻きの親指を見下ろした。
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