第13話 鬼教官、ご乱心!?
「ダメだよ、ケンスケ!!」
……………………はい?
ケ、ケンスケ?
さっきまで「先輩」呼びだったのに、なにゆえ急に名前呼び捨て?
指をくわえようと開きかけた口を閉じるのも忘れて、俺はポカンと琴ヶ浜を見やった。
いつものクールな鉄仮面はどこへやら。
あの琴ヶ浜恵里奈が、まるでこの世の終わりでもあるかのように不安そうな表情でこちらを見上げていた。
いつもキリッとしている眉毛なんか情けなく八の字で、切れ長でぱっちりとした凛々しい瞳にはいまやウルウルと涙さえ滲んでいる。
「どど、どうしよう! こんなに血が出て……ま、待ってて! すぐに手当てしてあげるから! 大丈夫、大丈夫だよ。何も怖いことはないからね。いま救急箱を持ってくるから、ちょっとだけ大人しくしててね? 絶対に舐めちゃダメだよ。傷口からばい菌が入ったら大変なんだからね!」
馬鹿みたいに口を開けたままの俺をよそに、心底心配そうな顔をした琴ヶ浜が俺の指の怪我に目をやってそうまくし立てる。
え~っと……こいつ、本当にあの琴ヶ浜か?
あの感情のない、ただ淡々と正義を執行し悪を粛清する戦闘用アンドロイドみたいないつもの不愛想な態度とは、正反対じゃないか。
こんな傷とも呼べないような切り傷、しかもまだ知り合ったばかりの俺なんかの怪我に、まさかここまで取り乱すなんて……はっきり言って、予想外にもほどがある。
血も涙もない「鬼の風紀委員」とは、一体なんだったのだろうか。
(でも……琴ヶ浜って、こんな顔もするのか……)
「ええっと、ええっと……あった!」
そうこうする内に、琴ヶ浜がパタパタとスタッフルームの隅の棚に置かれた救急箱を持ってきて、部屋の中央にあるテーブルに置く。
「はい。ここに座って、手を出して」
「え、ちょ、まっ……」
言うが早いか、琴ヶ浜に半ば無理やりに椅子に座らされる。
続いて彼女もその対面の椅子に座り、気付けばあれよあれよという間に俺の親指の手当てを始めてしまった。
……なに、この状況?
色々と急展開過ぎて完全に置いてけぼりなんですけど?
いや待て、落ち着け。落ち着いて、まずは今の状況を心の中で文章化するんだ。
『店の皿を割ったかどで琴ヶ浜から説教をされていたかと思ったら、今度はその琴ヶ浜が何故かかいがいしく俺の親指の治療に
……うん、文章化しても全然意味わからん状況だなこれ。
ちらりと、身をかがめて俺の指に消毒スプレーを吹きかけている琴ヶ浜を盗み見る。
学校では誰もが憧れ、と同時に畏れる「鬼の風紀委員」。
バイトでは徹底したスパルタ指導で数多の新人の心を折ってきた「鬼教官」。
自分にも他人にも厳しい性格で、相手が格上だろうと年上だろうと不正や怠惰は絶対に許さない。
どこまでもクールでストイック。それが琴ヶ浜という少女……のはずなんだが。
「はーい、消毒するよ~。ちょっと沁みるけど我慢してね、ケンスケ」
誰? これ?
こいつのこんな優しい声聞いたの初めてなんだけど?
俺のことも「先輩」じゃなくて名前で呼び捨てにしてるし、もはや別人だろこれ。
強めの幻覚でも見てるんじゃないだろうなと、彼女の豹変ぶりに俺は思わず自分の目か脳を疑わずにはいられなかった。
が、どうやらこれは現実らしい。
いつの間にか消毒された上に絆創膏を貼られ、さらに包帯までグルグル巻きにされていた俺の親指が、その何よりの証拠だった。
「ん、これで良し。よく頑張ったね。偉い偉い」
言って、琴ヶ浜がその小さな手で俺の額の辺りを「よしよし」と撫でてくる。
……本当に、血も涙もない「鬼の風紀委員」とはなんだったのか。
「あ、ああ。ありがとな、手当てしてくれて……」
「ふふふ、どういたしまして」
そう言って琴ヶ浜が満足げに微笑んだところで、俺はやっとの思いで切り出した。
「あ、あのさ、琴ヶ浜?」
「うん? どうしたの、ケンスケ?」
「えっと、なんだかいつもと感じが違うな、っていうか」
「感じが違う? …………あ」
そこでようやく自分の言動を
琴ヶ浜はハッとした様子で俺の頭から手を離すと、すかさず椅子から立ち上がって二歩、三歩と後ずさった。
「…………今の、見てました?」
「え? うん、まぁ、見たっていうか、見せられてたっていうか……」
途端にかああっ、と顔を赤らめる琴ヶ浜。
雪のように白い肌が、さながら桜が花開くようにほんのりとピンク色に染まっていく。
よほど恥ずかしかったんだろうか。表情こそいつものクールビューティーを保とうとしてはいるが、口はかたく引き結んだヘの字口。
目もあちこちに泳ぎ、エプロンをつかんだ拳はぎゅっと握りしめられている。
動揺しているのはバレバレだった。
「い、いやいや! タメ口とか呼び捨てとか、俺は全然気にしてないんだけどね? むしろ親しみがあっていいと思うけども!」
俺が慌ててフォローを入れたところで、琴ヶ浜がボソリと呟く。
「…………秘密です」
「え?」
「……さっきのことは、ここだけの秘密です」
「いや、でも……」
「秘密ですから」
有無を言わせぬ彼女の気迫に、俺は「りょ、了解」と頷くしかなかった。
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