第11話 やっちまった!!
「先輩。さっきコーヒーの注文を受けた時、ミルクと砂糖を付けるか聞き忘れましたよね」
「わ、悪い。ついうっかりしてて……」
放課後。
バイトを始めてからの一週間で、俺がカウンター裏で琴ヶ浜に説教される光景は、もはやお約束と化しつつあった。
近くで作業をしていた他のスタッフたちからの「またか……」という視線が肌に痛い。
「うっかりじゃなくてしっかりして下さい。それから隣の五番テーブル、もう空いている食器がいくつかありましたよ? そういう時は注文を受けて手ぶらで戻って来るんじゃなくて、ついでに空の食器を持って帰ってきてください」
バイト初日から徹底的に仕事内容を頭に叩き込んだ俺は、ようやく琴ヶ浜からのお許しを得て、ぼちぼち客前での仕事が始まっていたのだが……。
「ホール業務の基本は『
「……
今日も今日とて彼女のスパルタ指導は健在だった。
十対ゼロの割合で俺に落ち度があるので何の言い訳もできないが、相変わらず情け容赦がない鬼教官ぶりである。
ほらな、だからそう良いもんでもないって言ったんだ。
あの風紀委員長はどうか知らないが、少なくともこんな彼女と一緒に委員会なんて……。
ダメだ。バラ色どころか、真っ先に取り締まられて
「やっぱりまだ先輩をお客さんの前に出すのは早かったんでしょうか。こんな調子なら、また一から私の確認テストで
「だ、大丈夫! 大丈夫だから! 今度はちゃんとやるから、な?」
もはや躾という言葉を取り繕うこともなくなってきた琴ヶ浜チーフ。
ぶつぶつと不穏なことを口走り始めた彼女を、俺は必死になだめすかした。
やっと実践段階に来たところなんだ。またあの勉強漬けの日々に戻るのだけはぜひとも
「……わかりました。ひとまずはその言葉を信じます」
「ほっ」
「ですが、こういったミスが続くようなら、その時は容赦なく再教育をしますので」
そう釘を刺しつつ、琴ヶ浜はホールへと戻っていった。
やれやれ。自分じゃ少しは仕事にも慣れてきたつもりだったけど、どうやらまだまだ一人前とは認められていないみたいだな。
こりゃ、先は長そうだ。
「鵠沼くん。十二番さんのサラダ、もうすぐできるから運んでもらってもいいかしら?」
きょう何度目とも知れないため息をついたところで、キッチンから声がかかる。
「あ、はい! わかりました」
「ありがとう。どう? お仕事にはもう慣れた?」
いそいそと受け渡し口に駆け寄ると、藤恵さんの優しい笑顔が出迎えてくれた。
店長である藤恵さんは、同時にルピナスのキッチンを一人で切り盛りするシェフでもある。
「いや、はは。それがまだ全然みたいで。さっきもまた琴ヶ浜に説教されちゃいました」
必然的に、俺がキッチンとやり取りするときは常に藤恵さんが相手だ。
いつも琴ヶ浜の怖い顔ばかり見ているだけに、さながら聖母のごとき微笑みを向けてくれる藤恵さんとの会話は、俺にとっては
陸上部時代、キツい練習中にふとマネージャーの女の子が笑顔でスポーツドリンクを手渡してくれた時を思い出す。
やっぱ、優しい女の子ってイイよなぁ。
「俺がダメダメなのがいけないんで、仕方ないっちゃ仕方ないんですけど」
「ふふふ、恵里奈ちゃんったら手厳しいものね」
俺が苦笑すると、つられるようにして藤恵さんもクスクスと笑った。
「けど、きっとそれだけ鵠沼くんのことを考えてくれているのよ。だって本当に見込みが無かったり、どうでもいいと思ってる相手だったら、あそこまで口うるさく言わないもの」
「それは……まぁ、そうですね」
たしかに琴ヶ浜は厳しいが、それでもただ厳しいだけじゃない。
俺のミスに目ざといのはそれだけしっかりと俺を見てくれているってことだし、失敗した時だってただ叱るだけじゃなくて、次からはどうすればいいかをちゃんと教えてくれる。
そういう意味じゃ、やっぱり意外と面倒見がいい奴なのかもしれないな。
「大丈夫。今は失敗ばかりかも知れないけれど、誰でも最初はそうだもの。だから、あんまり焦って気負い過ぎないで。一歩一歩着実に、ね?」
「そうですね。はい、焦らず一歩一歩頑張ります」
「その意気、その意気。っと、十二番さんのサラダ、完成ね。さ、運んでくれる?」
「はい! 行ってきます」
受け渡し口に置かれたサラダを手に取り、俺は意気揚々とホールへ向かった。
話し声や食器のこすれる音が飛び交う客席を
「お待たせいたしました! こちら、ご注文のコブサラダでございます」
なるべくギザ歯を見せないように注意しつつの、精一杯のスマイル。
今まで顔を合わせれば「怖い」だの「不良」だの言われてきたのだ。できる限り相手を威圧せず、かつ爽やかな笑顔の作り方は嫌でも身についている。
「あそこのカフェ、めっちゃ顔怖い店員いるよね」なんて、そんな悪評がルピナスに立ってしまうことだけは断固として避けねばなるまい。
「では、ごゆっくり」
ペコリと頭を下げた俺は、そこでテーブル端に置かれた空き皿を見つけた。
ふと、つい先ほどの琴ヶ浜の言葉が脳裏をよぎる。
ホールの基本は「1ウェイ2ジョブ」……だったよな。
「こちらのお皿、お済みでしたらお下げいたしましょうか?」
「ああ、そうだね。お願いします」
「かしこまりました」
よし。料理の運搬と食器の回収、きっちり2ジョブできたな。
一人前にまた一歩近づいたと、カウンター裏へ向かいつつ俺は小さくガッツポーズした。
と、ここまでは順調そのものだったのだが。
「すみません。注文いいですか?」
「あ、はい! ただいまお伺いしますので、少々お待ち……うわっ!?」
ひと仕事終えて油断していたというのもあるだろう。
不意に呼び止められて振り返ろうとした俺は、その拍子に足をもつれさせ、空き皿を持ったまま床に前のめりに倒れこんでしまった。
ガシャァァァン!
床面に激突した空き皿が派手に割り砕ける。
大きな音が店内に響き渡り、話し声や食器の音が一瞬途絶えた。
(や……やっちまったぁぁぁぁぁ!)
店内を支配していた沈黙はやがて騒めきに変わっていく。倒れ伏す俺に、ホール中から視線が集まっていた。
驚いた顔、怪訝そうな顔。しかめ面を浮かべている人もいる。
(マズいマズい。早く片付けないと。いやその前に謝罪か? ま、まず何をすれば……)
軽いパニック状態に
「──失礼いたしました」
ざわつくホール中に、すぐさま凛とした声が響き渡る。
ハッとして起き上がった俺の前に颯爽と現れたのは琴ヶ浜だった。
いつの間に用意したのか、その手にはすでにほうきとちりとりが握られている。
「琴ヶ浜……」
「とにかく急いでここを片付けます」
「お、俺も一緒に」
「いいです。かえって時間がかかりますので」
小声で言いつつ、琴ヶ浜はテキパキと皿の破片をちりとりに収めていく。
掃除はあっという間に終わり、立ち上がった彼女はホールに向けて深々と頭を下げた。
慌てて俺も頭を下げたところで、琴ヶ浜がクイっと俺のシャツの袖口を引っ張る。
「行きますよ、先輩」
「お、おう……」
俺の返事を待つこともなく、スタスタとカウンター裏へ戻っていく琴ヶ浜。
はぁ……これはまた、お説教コースだなぁ。
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