第3章 俺の後輩の様子がおかしい

第10話 風紀委員長、登場

「おっす剣の字。学食行こうぜ」

「……んあ? おー」


 ルピナスでのバイトを始めてから一週間ほどが経った日の昼休み。

 モリタクの誘いの声に、俺はフラフラと席を立った。


「おいおい、どうしたよ。なんか疲れた顔してんなぁ」

「え、そうか?」


 連れ立って教室を後にし、俺たちは校舎一階への階段を下りる。

 学食のある特別棟は、本校舎一階廊下の東端にある連絡通路を通った先だ。


「ああ。ただでさえ怖いのに、今日はまた死にかけのピラニアみたいな顔だぜ?」

「はぁ? そんなわけ……」


 と反論しようとしたところで、廊下の先を歩いていた女子生徒のポケットからハンカチが落ちたのに気付く。

 気付かずに行ってしまう彼女に、俺はハンカチを拾って声を掛けた。


「あの、ハンカチ。落としてるぞ」

「え? ……あ、本当だ。すみません、拾ってくれてありがとうござ……ヒィ!?」


 振り返ってハンカチを受け取ったその女子が、俺の顔を見上げるなり悲鳴をあげる。


「し、死にかけのピラニア!?」

「へ?」

「いやぁ! 食べないでくださいぃぃ!」


 言うが早いか、女子生徒は凄まじいほどの速度で逃げるように……いや、うん、逃げた。

 何もそんな全力疾走しなくても。

 慣れっことはいえ、さすがにちょっと泣けてくるぞ。


「だから言ったろ? で、どうしたんだよ」

「いや……なんつーか、ちょっとバイト先で色々あってな」

「ああ、そういやもうお前がバイト始めて一週間くらいか。どうよ、調子は」

「まだまだ研修の段階だけど、まぁ、ボチボチやってるよ」


 ただちょっと同僚に怖い人がいて、あろうことかその怖い人が俺の教育係になっちまったんですがね。


「バイト先、お洒落なカフェなんだろ? 同僚に美人なお姉さんとかいた?」

「お前は本当そんなんばっかだな、モリタクよ」

「なんだよ、そこ一番大事なとこじゃん。で、どうなんだよ」


 そう言って、うざったらしく肘で小突いてくるモリタク。鬱陶しいことこの上ない。

 美人なお姉さんねぇ。まぁ、たしかにいるにはいる。

 涼子さんや藤恵さんなんかは、それぞれタイプは違うけど確実にその部類に入るだろう。だが彼女らのことを喋れば、この年上好きのバカが毎日でも店にやってくるかもしれない。

 仕事中にいちいちこいつを店の裏口のゴミ箱に捨てに行くのは面倒だ。


「別に。いなかったよ、そういうのは」

「えぇ、つまんねーの。じゃあ可愛い女子は?」

「可愛い女子、か……」


 と俺が遠い目をしたところで、不意に廊下の先がザワザワと騒がしくなる。


「はぁ? そんなことアンタに言われる筋合いないんだけど?」


 続いて聞こえてくる、誰かが誰かを威圧するような声。

 気になって視線を向けた先では、複数人の女子生徒たちが何やら言い争っていた。

 ……いや、というか。


「で、ですから、こう見えても私は風紀委員で、ですね? 委員としては、さすがにあなたたちのその服装は見逃せないというか何というか……」

「だ~か~ら~。ウチらがどんなカッコしようがウチらの勝手じゃんって言ってんの!」

「ひぃっ!? ぼ、暴力反対……!」


 壁際に追い詰められた一人の女子生徒を、三人組の女子生徒が囲んでいる。構図としては、完全にカツアゲの現場にしか見えない。


 涙目で悲鳴をあげている気弱そうな方は、ネクタイの色からして二年生らしい。ブラウスの袖には、風紀委員の証である赤い腕章をつけていた。

 そんな彼女に詰め寄っているのは、派手な髪色に着崩した制服と、見るからにギャルとかヤンキーとかいう類の女子三人組。こちらは全員とも一年生のようだ。

 状況から推測するに、おそらくあの二年生風紀員が三人組の服装をとがめたら逆ギレされた、ってところか。


「うわぁ……先輩、しかも仮にも風紀委員相手によくやるわ」

「ありゃ、一年の中じゃ早くも悪目立ちしてる連中だな。う~む、みんなルックスは悪くないんだが……やっぱ、ああいう女子はあんまし俺の好みじゃあないな」

「お前の好みは聞いてねぇっての」


 不良女子たちに囲まれた二年生風紀委員は、いよいよ狼に食い殺される寸前の子羊みたいに震えていた。その顔は気の毒なくらいに青ざめている。


「あはは! こいつ超ビビってんじゃん」

「泣くくらいなら最初から絡んでくんなっつーの」


 甲高い笑い声をあげながら、好き勝手なことを言う三人組。

 いよいよ周囲で見ていた生徒たちも顔をしかめ始めた、その時。


「あなたたち、そこで何をしているのですか?」


 不意に、廊下の反対側から聞き覚えのある鋭い声が投げかけられる。

 その場の全員の目が一斉に向いた先にいたのは、案の定、琴ヶ浜だった。昼のパトロール中に騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。


 ただ、彼女の隣にはもう一人、これまた風紀委員の腕章を付けた生徒が立っていた。

 緑色のネクタイをした、三年の先輩と思しき女子。背中まである長い黒髪と、髪と同じく真っ黒な瞳がミステリアスな印象を与えている。

 纏う雰囲気もどこか大和やまと撫子なでしこ然としており、袴でも着ればそのまま大正ロマンの世界にいてもおかしくなさそうな和風系美人といった感じだ。


「おっ、てるさき先輩じゃん。やっぱあの人綺麗だよなぁ。さすが『四ヶ嬢』の筆頭だ」

「お前、三年の女子の情報まで網羅してんのかよ」

「あたぼうよ。つーか、俺にとってはむしろ一番の要チェックポイントだっての」


 にわかにはしゃぐモリタクを横目に、俺もその先輩女子に目を向ける。

 とはいえ、彼女の顔は全校集会などで何度か見たことがあって知っていた。

 一学年上の女子生徒で、現帆港学園風紀委員長を務める照ヶ崎青葉あおは先輩だ。


「げっ、『鬼の風紀委員』!? しかも委員長サマまで……」

「……ちっ、ウザいのが来たよ」


 彼女らの登場に、不良女子たちが舌打ち交じりに吐き捨てる。

「鬼の風紀委員」、それに加えて風紀委員長まで相手にするのはさすがに面倒だと思ったのか、次には「行こ行こ」と言ってそそくさと廊下の人混みの中へ消えていってしまう。


「大丈夫ですか?」


 琴ヶ浜が、不良たちから解放されて壁際にへたり込んでいた二年生風紀委員のもとに駆け寄った。


「う、うん、なんとか。ごめんね、琴ヶ浜さん。私、必死に言い聞かせようとしたんだけど……結局、聞いてもらえなくて……」

「心配いりません。彼女たちには、私が必ずきちんと指導をしておきますので」


 二年生風紀委員に決然とした表情で頷いて見せた琴ヶ浜は、それからかたわらの照ヶ崎先輩を振り返る。


「委員長」

「うん、了解だ。ここは私が見ておくから、あの一年生たちは君に任せるよ、恵里奈くん。ひと通り事が済んだら、一応風紀委員室まで報告に来るようにね」

「はい、ありがとうございます」


 さすがにこういった状況には慣れっこなのか、テキパキと方針を固める大和撫子な美人委員長とクールビューティーな美少女ルーキー。


「おい見ろ。照ヶ崎先輩と琴ヶ浜さんだ」

「いつ見ても二人で並んでると絵になるよねぇ」


 そんな二人の揃い踏みとあって、廊下を歩く生徒たちが次々に足を止める。

 気付けば彼女たちの周辺にはちょっとした人だかりができていた。


「……相変わらずうちの生徒たちはノリがいいよな」

「なーに『俺は興味ないけど』みたいなフリしてんだよ剣の字ぃ。お前だってあの二人に見惚れてたくせに。あれか、『後方彼氏づら』ってやつか?」

「うざい。やめろ。頬っぺたをつっつくんじゃねぇ」

「やっぱ俺、マジで風紀委員会入り目指そっかなぁ。あんな美女二人と一緒に委員会活動なんかできたら、高校生活バラ色一直線だろうなぁ」

「成績で俺とタメ張ってる時点でお前にゃ無理だよ。それに……」


 騒めく人だかりの向こうの琴ヶ浜を見やり、俺は小声で呟いた。


「あいつと一緒なんて……そう良いもんでもないと思うぞ」

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