第8話 琴ヶ浜さんのスパルタ教育

「では、もう一度。ここは何番テーブルですか?」

「……十四番?」

「十三番です。これで三度目ですよ? いい加減覚えて下さい。じゃあ今度はメニューについて。『今月のケーキ』は何ですか?」

「えっと……」

「チョコレートチーズケーキです。これくらい即答してください。お客さんに尋ねられた時にも、そうやってモタモタとメモを見るつもりですか、先輩?」

「……すみません」


 店内図とメニューを片手に説教する琴ヶ浜の前で、俺はひたすら縮こまる。

 琴ヶ浜から卓番やメニュー内容について一通り講義を受けた俺は、事前の打ち合わせ通りその確認テストを行っている真っ最中だった。

 が、これがもうてんでダメ。

 琴ヶ浜から次々と出される問題に俺はまるで答えられず、これが学校のテストだったら赤点どころの話じゃないほどのていたらくだった。


「また不正解。……鵠沼先輩、ちゃんと私の講義を聞いていたんですか? さっきから全然まともに答えられていないじゃないですか」

「い、いや、聞いてたよちゃんと? すごくわかりやすかった! ただ、その、講義のスピードが俺にはちょっと早すぎて、処理が追い付かないっていうか……」


 さすがに成績優秀な優等生。琴ヶ浜の教え方は懇切丁寧で実にわかりやすいものだった。

 ただ一つ誤算があったとすれば、それはもう完全に俺と彼女の地頭の差を見誤っていたとしか言いようがない。

 冷静に考えてみれば当たり前のことで、俺の一だった記憶力が十に鍛えられたところで、しょせん琴ヶ浜の百の記憶力には遠く及ばない。彼女が一回で覚えられることを、俺は十回もかけなきゃ覚えられないんだから。


 その結果。琴ヶ浜の、彼女にとってはだと感じている講義スピードにまったく付いていけずにこの有り様だ。

 これが、学年主席が生きている世界の速度か……。


「言い訳は結構です。今は店が人手不足ぎみですし、鵠沼先輩には即戦力になってもらわなければなりません。一日でも早くその研修バッジが取れるよう、死ぬ気で覚えて下さい」

「……が、ガンバリマス」


 琴ヶ浜の名誉のためにもはっきりさせておくが、彼女は決して理不尽な要求はしてこない。言葉こそ厳しいが、言っていることも至極まともなことばかりである。

 琴ヶ浜恵里奈という女の子はただ、ひたすらにスパルタだったのだ。

 畜生、誰だよ「大したことない」だの「そこまで苦労することもない」だのと甘っちょろいことをほざいたのは。

 ……そうですね、俺ですね。


「では、続きです。モーニングを出す時間帯は──」

「恵里奈ちゃん、ちょっといい?」


 確認テストを再開させようとした琴ヶ浜に、ホールで仕事をしていたスタッフの一人が声を掛ける。


「はい、何でしょうか?」

「さっきキッチンの藤恵さんから『トマト缶が切れそう』って言われてね。研修中のとこ悪いけど、食品庫に行って取ってきてくれない? こっちは今ちょっと手が離せなくてさ」


 それだけ言うと、両手両腕に皿を乗せたそのスタッフはせわしなくホールへ戻っていった。


「仕方ありませんね。私、ちょっと行ってきます」

「あ、ああ……なんか、悪いな。俺に付きっきりなばっかりに」

「いえ。今日はもともと鵠沼先輩の新人研修に専念する予定でしたし、藤恵姉さんからも頼まれていましたので。先輩が気にすることではありません」

「なんだったら俺も手伝おうか? 力仕事なら男手があった方が……」

「必要ありません。悪いと思っているなら、先輩はとにかくまず卓番とメニューについて徹底的に頭に叩き込んでください。戻り次第、また確認テストの続きをしますので」


 俺の申し出はすげなく一蹴され、琴ヶ浜はさっさとカウンター裏から出ていった。


「はぁぁぁぁ~……」


 束の間の休息に、ひとり残された俺が長い長いため息を吐いていると。


「随分お疲れみたいだね」


 琴ヶ浜が去るのを見計らっていたかのように、苦笑いを浮かべた涼子さんがやってきた。


「どうだった? エリナちゃんの研修は」

「……どうもこうも、さっそくこってり絞られましたよ」

「はは。仕事ぶりは誰より優秀だし、決して悪い子じゃないんだけどねぇ。ただ、自分にも他人にも厳しい真面目でストイックな子だから、指導にもつい熱が入っちゃうみたいで」


 涼子さんはやれやれといった風に肩を竦める。


「あの鬼教官ぶりがダメって人も多くてね。今までも新人が入ってはすぐに辞めの繰り返し。どうにか研修を終えても、年上相手でもミスや手抜きは絶対許さない彼女の厳しさが嫌で、結局辞めちゃう人もいた。おかげでウチはいつも人手不足ぎみ、というわけなんだ」

「学校じゃ『鬼の風紀委員』で、バイト先では『鬼教官』、か……涼子さんの時も、やっぱりあんな感じでスパルタだったんですか?」

「うーん、そうねぇ」


 涼子さんは顎に手を当て、しばらくの思案の末に答えた。


「……いや、むしろアタシの時よりはマシな方じゃないかなぁ」

「あれで!?」


 予想外の答えに、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。

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