第7話 メニューを覚えろ!

 ホールに出ると、すでにそれなりの数の客が席を埋めていた。

 店内をぐるりと見回すと、琴ヶ浜はホールスタッフの控え場所となっているカウンター裏でカップを拭いている。


「お、お待たせしました、琴ヶ浜!」


 駆け寄った俺に、琴ヶ浜がカップを棚に戻して向き直った。

 琴ヶ浜の格好も上は黒シャツ、下は学校指定の膝丈スカートだが、俺とは違って前掛けの代わりに紺のエプロンを身に着けていた。

 涼子さんも同様だったところを見るに、こっちは女性用のスタイルなんだろう。


 それにしても……琴ヶ浜のエプロン姿、なんか妙にハマってるな。

 元の素材がいいというのももちろんあるだろうけど、それなりに長いこと着ているからか、さすがに着慣れている感があって似合っている。

 クールな雰囲気と、そのいかにも家庭的な女の子っぽい格好とのギャップに、不覚にも可愛いと思ってしまった。


「鵠沼先輩? どうしました?」

「い、いや、何でも!」


 危ねぇ。

 一瞬とはいえ見とれていたなんて知られたら、またぞろ通報されかねんからな。

 俺は誤魔化すようにブルブルと頭を振った。


「じゃあ、さっそく研修を始めていきたいと思います」


 ああ、いよいよ「鬼の風紀委員」による指導が始まってしまうのか。

 ……こうなった以上、もう腹をくくるしかないだろう。

 どれだけ厳しくしごかれるのか今からガクブルだが、これも仕事だと割り切ってせいぜい覚悟を決めようじゃないか。


 なぁに、大丈夫。これでも中学時代は陸上部で体育会系ならではの縦社会に揉まれてきた俺だ。気難しい先輩をできるだけ怒らせないための処世しょせい術くらいは心得がある。

 俺の運動部仕込みの腰の低さ見せてやるぜ!


「なにとぞご指導ご鞭撻べんたつのほど、よろしくお願いします! 琴ヶ浜先輩!」

「……べつに、呼び捨てで構いませんよ。それにそんなかしこまった話し方もしなくていいです。私の方が後輩なんですから」

「え? でも、ここじゃそっちの方が先輩だし……」

「なら言います。普通に学校の後輩と接するようにしてください」


 俺の言葉を制して、琴ヶ浜がピシャリとそう言った。

 なんだか出鼻をくじかれた気分だが……まぁ、彼女がそうしろと言うならそうした方がいいだろう。なにしろ先輩命令だ。


「えっと……わかった。じゃあ、改めてよろしくな、琴ヶ浜」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、ケン……コホン、鵠沼先輩」


 俺は要望通りフランクに接してみるが、対する琴ヶ浜はやはり事務的な態度を崩さない。

 彼女にとって、今の俺は学校の先輩でありバイト先の同僚。それ以上でも以下でもないんだろう。どこまでもクールな女の子だ。

 藤恵さんには悪いけど、「仲良く」なんてできそうにもないよなぁ、やっぱり。


「それで、今日は何をすればいいんだ?」

「そうですね。先輩にはまず、卓番とメニューの内容を覚えてもらいます。まずは私が諸々もろもろの講義をしますので、先輩はそれをノートに書くなりメモを取るなりしてください。ひと通り講義が終わったら確認テストをしますので」

「なるほど、講義と確認テスト……って、それだけ?」

「ええ。そのつもりですが、何か?」

「い、いや、何でもないっす」


 あれ? 思ったより普通の研修って感じだな。

 てっきり「ひたすら皿洗い」とか「ひたすら商店街で店のチラシ配り」とか、そんなでも受けるのかと思ってたけど。


「うちはテーブルの数もメニューの数もそこまで多くはありませんが、覚えるべきことはそれなりに多いんです。特にメニューは時間帯や月によって内容が変わったりするものもあるので、間違えないようにしっかりと覚えて下さい」

「お、おう。了解」


 なんだか拍子抜けした気分で俺は頷いた。

 なんだ。琴ヶ浜のやつ、こないだは「躾」だなんてビビらせるようなことを言っていたけど、案外大したことないじゃないか。

 たしかに飲食店バイトは未経験だし、琴ヶ浜の言う通り色々と覚えることも多くて大変そうではある。

 でも、これくらいの研修ならそこまで苦労することもなさそうだな。


「なるべく早く完璧に頭に入れてもらいたいのですが、大丈夫ですか? 先輩」

「ああ。大丈夫だ、問題ない。あっという間に覚えてみせるさ!」


 すっかり安心しきった俺は、そう言って威勢よく胸を叩いてみせた。

 バイト探しに明け暮れていた一年間、もはや何冊の求人誌でいくつの店舗データを頭に叩き込んだかわからない。

 この一年で人並み以上に鍛えられた記憶力だけは、惨敗続きだった日々の中で唯一誇れる俺の勲章だ。


「こう見えて物覚えはいい方なんだ、俺は」


 ※ ※ ※ ※


「──本当に物覚えが悪いですね、先輩は」


 二時間後。

 さんざっぱら大口を叩いておきながらろくすっぽ卓番とメニューを覚えられず、年下女子の先輩にガチ説教を食らって正座している男子高校生の姿が、そこにはあった。


 ……っていうか、俺だった。

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