5話 その名は白乾児
2013年のゴールデンウィークはまたしてもショッキングなニュースで幕を閉じた。
親父も参加していた会合からの帰宅途中の陸上自衛隊幹部が、夜半に見通しの良い国道の横断歩道を横断中に無職の男が運転するバイクに跳ねられて亡くなったのだ。
昨年末に左派政権から保守政権に交代してからというものキャリア公務員の変死が相次いでいる中、またまたキナ臭い事件が起きた訳だが、親父とは同志であり国防の重要人物が亡くなったというニュースは我が家にも全く無関係ではない。
何故なら親父は昨年、セキュリティ会社の役員に就任していた。その「日本ユニバーサルサービス株式会社」通称JANUS(ヤヌス)は実は公安職の公務員の天下り先として作られた会社で、元々警察や一部海保絡みの仕事などが業務の大半を占めていたのだが、最近では不動産開発業者と組んでのマンション開発やカジノ利権にも首を突っ込んでおり、親父の仕事は海外の人脈を用いてこれから日本に導入されるであろうカジノを東京に設立する為の下ごしらえを行う事だ。
また「ヤヌス」はギリシャ神話に出てくる「門の神」であり、また2つの顔を持つ神であることからも会社の表の顔が、セキュリティなのに対して裏の顔は諜報組織であることが暗に分かる。
またジェームズ・ボンドが表向き「ユニバーサル貿易」の社員であるのに対して、日本のスパイ組織のフロント企業の名称が「日本ユニバーサルサービス」とは中々ジョークのわかる人が居たのだと俺は感心していた。
早朝、ゴールデンウィーク明けの混雑を避けるべく新宿御苑に面したま新しいマンションを出る。5階建の小規模マンションはJANUS千駄ヶ谷」と言い、1Fには日本ユニバーサルサービスのガードマンの詰め所があり、セキュリティの高さ売りとしている物件だ。
我が家は4階北西の角部屋で占有面積110平米にプラス130平米という広さのルーフバルコニーの付いたゆったりとした3LDKのフラットだった。気に入っている点は外国人用マンションみたいにトイレが2つに、浴室とは別にシャワールームがあるところ、あとはプライベートな屋上バルコニーだろう。
因みにJR代々木駅まで徒歩5分という立地も申し分無い。
東日本大震災の補償金が累計で9000万円近く出たことに加えて、役員割引を適用された事でこの素晴らしいマンションをかなり安く購入出来たのだが、これは母のお手柄だ。
実は母は地下鉄テロによるトラウマによって未だ地下鉄や高層ビルなどといった逃げ場のない場所を嫌う反面、一種の予知能力的な感覚に目覚めた事による投資の才能がある。
2016年のリオ五輪を予想しブラジル国債を買って一山当てた事や
3年前に二足三文で購入したログハウスが震災から僅か2年の間に千駄ヶ谷に100平米を超えるマンションに化けていたりする。
そして今年9月に東京でのオリンピックが決定すれば資産価値が現在の倍以上になるというのが母の目論見らしい。
また他にも身寄りのない親父の支援者達が所有している青山や横浜などの不動産を遺贈という形で引き受ける社団法人を設立中の
中々の手練れなのだ。
家を出た俺はJ R代々木駅の改札の内側に立っていた女子高生から声を掛けられた。
「あの萬尾サンですよね、フェンシングの?」とのたまう鈴の音の様な声の相手に既視感を感じた俺は「そうだけど、何処かで会いましたか?」と答える。
まるでベース音の様な低音のボイスに一瞬驚いた女の子は「あの私、本田瞳って言います。この間のジュニアオリンピック予選でお見かけした銀髪のカッコいい人だって。」
「ああ、銀髪でフェンシングバッグを持っている人ってこの辺りでは余り居ないよね。」俺も笑いながら答える。
「確かに居ませんよね。あの、よかったら食べてください。」と笑いながら手に下げた紙の手提げ袋を差し出しだす。
察するに中身はどうやらサンドイッチの様だが、いつも学校の近くの食堂で朝食を済ませている身としてはそれを有り難く頂戴する事にして「ありがとう、助かります。」と素直に受け取る。
俺たちはお互い自己紹介をする。
俺の名は萬尾・フォン・リヒトホーフェン・晄人(アギト)
名前が長ったらしいのは母親がドイツ系ブラジル人だから。
また髪が銀髪なのは生まれつきで、
ゲームが趣味のオタクで、女の子と話をする時にすごく嬉しそうな顔をしているとよく言われる事や品川の都立工科芸術高専の4年である事
などを面白おかしく話した。
「アハハ!」と鈴の音の様な声で笑う瞳の反応を見ながら俺はアメリカの高校でのスピーチの授業を思い出していた。
あちらでは幾らテストの点数ばかり良くても、自身の価値を上手くプレゼン出来ない者は無能な奴と思われるのだが、以前の俺がそれだったのだろう。
だが震災特例というか、タカ派知事の好意によってアメリカの高校へ1年間の無償留学をしたのだが、それによってこれまでの生活習慣から大きく方向転換を図れたのだが。
対して瞳はセレブの子女が集まる港区にある私立高校に通っているとの事だった。
ヒトミという名前の女の子は俺の知る範囲では美人が多いが、彼女もご多分に漏れず、女オタクを自認する俺から見ても95点がつく様な超絶美少女だった。
電車の中で暫く談笑しているうちに恵比寿に着き、俺は乗り換えるが別れ際に
「実はテスト1週間前なんで気が重かったんですけど、『マオ』さんとお話し出来たので気分が上向きになりました。」とハイな瞳と別れた俺は電車を埼京線に乗り換えた。
現在俺の通う「都立工科芸術高等専門学校」は20世紀前半のドイツにあった著名な美術学校である「BAUHAUS」に倣った全国で唯一というデザイン系の単科高専で関係者の間では「バウハウス」と呼ばれている。
偏差値は65だがそれ以外にも芸術的センスが求められ、入試科目にはデッサンがあるほか、1学年辺りの定員が40名と一般的な高専の1/5という少数精鋭教育を行う狭き門であり、またその特殊性から学生の約4割程は他県の出身であり、また男女比においても7割が女子で3割が男子というのもこの学校の特徴だろう。
また高専というと、オタクや陰キャが多く集まる「工業高校と短大を合わせたような5年制の学校」というのが世間の認識の様だが、高校と高専との一番の違いは高専は大学と同様に高等教育期間になるということだろう。
そのため服装やバイト、車の免許を取るのも個人の自由だが、その反面進級条件はかなり厳しく、5年間でストレートに卒業出来るのは全体の8割弱位という中々にハードな世界なのだがこれはバウハウスに置いてもも他の高専と同様だ。
もっとも、俺の場合、中学での成績はと言うと県内模試では1桁順位だったのだが、帰国子女だったから内申点が不足して地元のトップ校を受験出来ず高専に進学したものの今では結果オーライなのだが。
校門をくぐり、教職員用の駐車場の隅に停めてある古いアメリカ製の銀色のキャンピングトレーラーへと向かう。
このエアストリームのトレーラーは俺が所属している「海洋環境研究会」のOBの卒業作品で、現在は海研の部室として機能している。
トレーラーの中からはビバップのジャズが漏れて来るが、その中から感じる気配は俺のよく知るものだった。
トレーラーの内装はウッディなしつらえが施されており、室内には入れ立てのコーヒーの素敵な香りが漂っていた。
「お早う、今コーヒーを淹れたところ。」とデロンギのコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲みながら、スナック菓子を食べているツナギ姿の女子を見て、先程、本田瞳から感じた既視感の正体はこれだということに気づく。
瞳とどことなく似たオーラを発しているそのツナギの女子は校内一のマドンナであり「美人の上沼恵美子」の異名をとる成瀬真名美だった。
真名美は人気マンガGANTZ大阪編のヒロイン、山咲杏が現実に居たらこんな感じだろうと思える小顔にボブの似合うコケティッシュな美人でプロダクトデザインコースの5年生になるが既に千葉大のデザイン科への編入試験に合格しており、後は卒業出来れば良いという訳で、卒業制作のためにこの所、泊まり込みで作業をしているのだ。
俺は瞳から貰ったローストビーフのサンドイッチを取り出すと、真名美の淹れたモカブレンドのコーヒーと一緒に食べ始める。
俺がサンドイッチを食べる姿を食い入る様に見つめている真名美に微笑むと、サンドイッチを半分渡しても、少食な俺には十分な程の量があった。
そして腹ごしらえが済んだ俺と真名美は長い長いキスをする。
「ねえ午後から会えるの?」と可愛い鼻をつつくと「また夕方にね。」と告げるとトレーラーを出た。
◆◆◆◆◆
休み明けの教室は騒がしかった。
ここは他の高専とは違い女子率が高く、またデザイン学校だけあってメイクに気合いの入った女子が多い。
対して男子の方は小綺麗なオタク多いが、中には黒尽くめで逆さ十字架のペンダントを架けた様な痛い奴も中にはいるのだが、ここではお互い他人の趣味趣向にそれほど干渉しない。
一匹狼もしくはコミュ障の集まりといった連中は無理に群れたりせずにお互いが必要に応じてその都度協力しあう事から俺に取ってむしろ都合の良い環境だ。
と言うのも俺は一昨年の5月に震災特例によって福島よりここの2学年に転入したのだが、そのまま前期の終了と同時に1年間をニューヨークのミリタリースクールへ留学してその後、3年の秋に帰国した為、学年こそ4年生だが校内では完全な外様だった。
だがそんな俺にも先ほどの真名美以外にも、友人がいたりする。
東北の高専時代に中国で開催されたEゲームの国際大会に出場した際に同じチームだった「パイカル」こと真白乾児とここバウハウスで再会したのだ。奴とは出席番号が前後ということもあり、授業でもプライベートでも最近何かとつるむ事が多くなっている。
バウハウスでは1年から3年生までは共通のカリキュラムで授業を受け、4年生より5つある専攻へと分かれて行くが、俺と真白とは同じ都市デザインコースに進んでいた。
世界は悪意に満ちている。 ボン @bon340
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