第10話 早朝の死闘
つかの間の夏休みは瞬く間に過ぎた。
残念なことに諒也にはあの幼馴染以外に親しい友人はいないため、休みの間は家族と過ごした。
あと入院していた分の落ちた体力と体を鍛えるためにランニングと筋トレも日課にした。もちろん課題も欠かさずこなす。
その中で驚いたのがこの体のポテンシャルの高さだ。まず運動神経がすばぬけている。体がイメージ通り動くのだ。
前世ではあまり運動神経が良い方ではなかった俺は脳内のイメージと実際の体の動きのズレを埋めるのに何度も繰り返し練習してようやく出来ていた。
それが、この体にはそれが無い、大抵の事は見ればそのとおりに出来る。
記憶力にしても優秀で、それこそ教科書を丸暗記できるほどに。
ここまで来ると嫉妬を超えて呆れる。
そして折角の才能を無駄にしていた諒也自身にも……いやこれは違うか、元が違う俺だから気づけたことで、本人からすればそれが普通だったわけである。
記憶から見ると、きっと諒也は自分がハイスペックな人間なんて思ってもいなかっただろう。
でもこれは、俺にとっては好都合だった。
本当なら自立のため高校を卒業したら就職しようと考えたいた。
大学へ行くにしても久方家の世帯収入では奨学金は受けられない、でも諒也の才能ならアルバイトを多めにしても学力は保持出来るだろう、そうすれば大学に通うことも可能かもしれない。
俺はそんなことを考えながら、明日から俺として通う学校に多少不安を覚えながら眠りについた。
「……おきて……おきてよ、リョウ……」
俺を呼ぶ声に少しづつ意識が覚醒していく、寝ぼけまなこに見知った女の姿が映る。
一瞬で目が覚めると叫んでしまう。
「なっなんで、お前がここにいるんだ。どこから入った?」
それはそうだろう、居るはずのない幼馴染の女が、あろうことか俺に跨っていれば、驚きを超えて恐怖しかない。
「えっ、普通に美子さんが入れてくれたよ」
「お兄ちゃん、大丈夫、大声がしたけど」
隣部屋の美郁が心配して声を掛けてくる。やましいことなどしていないが、何となく美郁にはこの状況を見られたくなかった。しかし、そんな俺の願いは無情にも通じることなく、心配した美郁が「入るよ」と言って部屋へと入ってきた。
「なっ、なっ、なにしてるのよ、アンタ?!」
「えっ、今日から学校だからいつものように朝起こしに来ただけだよ」
伯東のさも当然のような言い方に俺も反論する。
「いや、だからっていつもそんな起こしかたしていなかっただろう」
記憶の範囲でも部屋まで来ても肩を揺すったりする程度で跨るようなはしたない真似はしたことがなかった。
「えー、幼馴染はこうして起こした方が喜ぶって聞いたから」
幼馴染という関係は抜きにして好意のある相手からなら人によっては喜ぶかもしれない。でも、それは、あくまでも好意があればの話だ。
なんとも思っていない相手に朝からマウントポジョン取られたら普通に怖い。
「はぁ、アンタあたま大丈夫? って今更か……そんなことより、早くお兄ちゃんからどきなさいよ」
美郁は伯東に近づくと手を掴んで俺から引き離そうとする。
「ちょっ、危ないよミクちゃん。どく、どくからちょっと待ってよ、あっ、きゃあ」
「あぶなっ」
俺の声も虚しく、思いっきり美郁に引っ張られ体勢を崩した伯東が美郁の上に倒れ込む。
「いたっぁ」
「もーミクちゃんが引っ張るからだよー」
「あんたがお兄ちゃんに不埒なことしてるからでしょう」
「えー、リョウくんを起こしてただけだよ」
「あれが? だいたい彼氏いるくせにお兄ちゃんに跨るとか有り得ないでしょ、何考えてるのさ、って早くどいてよ」
そく言れてようやく伯東が美郁からどいて立ち上がる。
俺もベッドから起き上がると倒れている美郁に手を伸ばす。
一瞬大きく目を開くと嬉しそうに手を掴んで立ち上がる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「あー、ズルい」
伯東はそう言うとわざわざ座り直して俺に手を伸ばす。
「「…………」」
その時の俺と美郁が伯東を見る目は得たいの知れないモノを見るものだったに違いない。
「行こうか」
「うん」
「えっ、えっ、ひどいよー」
俺はその声を無視して洗面所に向かい顔を洗い登校するために身だしなみを整える。一度部屋に戻り制服に着替えるとダイニングに向かう。
そこにはちゃっかりいつもの席に座って朝食にあやかろうとしている伯東の姿。
少し遅れたタイミングで美郁がやってくる。
「……あの人、面の皮が厚すぎだよね?」
「ああ、俺もビックリだ」
「あらあら、どうしたの」
事情を知らない美子さんが不思議そうに俺達を見る。言わなかった俺の責任でもある。しかし、誰が彼氏が出来たのに、ただの幼馴染の家に朝からお仕掛けてくると思うのだろうか。
「この人、彼氏出来たのにお兄ちゃんの部屋に入り込むとか有り得ないことしてたんだよ……あんな、うらや……まなこと許さないから」
「あらあら、それは私が起こしてきてってお願いしちゃたから。でも今の話だとミーちゃんの言うことも分かるわね」
「大丈夫ですよ、私は気にしませんから」
いや気にしろよと思わずツッコミを入れたくなる。もしかして、それが狙いなのか疑いたくなるほど俺には伯東の思考が理解できない。
「うううん駄目よ〜。今日は知らなかったら起こしにいってもらったけど、ミカンちゃんに彼氏が出来たのなら、ちゃんと線引をしないとね〜」
以外なことに、そういうことには無頓着だと思っていた美子さんが伯東を嗜める。
「んっ、どうしてですか?」
「ふふふ、ミカンちゃんが良くても、きっとリョウちゃんは気にすると思うし、ミーちゃんはご覧の通り心良く思ってないでしょう。ただ私としては友人として、適切な距離で接してくれるなら特に何か言うつもりはないのだけれど……」
思いがけない美子さんの言葉。
なんだかんだでこの人はちゃんと俺達の母親として考えてくれているようだ。
「えっと、分かりました」
どうやら伯東も美子さんの言葉には思うところがあったのか頷く。
「良かった。ミカンちゃんはやっぱりいい子ね。これからは友達として来る分には歓迎するからね。でもちゃんとリョウちゃんかミーちゃんの許可を取らないとダメよ~」
それは今までのように顔パスで家には入れないということを遠回しに告げていた。
「えっ、でもそれって?」
「大丈夫よ、ミカンちゃんなら。これから友人としてリョウちゃんやミーちゃんと信頼関係を結べばいいだけだから」
美子さんの言葉に俺も頷く。
放っておいた方が何をしでかすかわならないやつだから、むしろきちんとルールを決めたほうが行動を抑制できると思ったからだ。
それに、この幼馴染の行動は諒也からすれば裏切りに近いのかもしれないが、俺からすれば付き合っていた訳でもないので裏切りとは思っていない。
その後の配慮に掛けた告白やらが気に障っただけで恨みなどもない。
ただこの何を考えているか理解できない伯東と、友人関係を築けるとは思えなかった。
「僕は絶対に嫌だから!」
美郁はテーブルを叩きつけ伯東を睨み威嚇する。
「ミクちゃん……」
伯東が悲しげに美郁を見つめる。
「ごちそうさま、それじゃあ僕はもう出るから」
そんな視線を無視し美郁はリビングに置いてあった鞄を手に取り家を出ようとする。
「ミィ駅まで一緒に行こう」
出ようとする美郁に一声掛けて、美子さんに「ごちそうさま」と感謝を述べる。
美子さんは目を丸くすると嬉しそうに微笑んでいた。
「えっ、でもお兄ちゃんこの時間だとまだ早いんじゃ」
美郁の言うとおり、俺と伯東が通う学校の方が最寄り駅から二駅で着く近さだ。逆に美郁の通う学校はその倍以上あるのでいつも美郁は俺より先に家を出ていた。
「今日は久々の登校だしな、少し早めに学校に着いておこうと思って」
俺の言葉に慌てた伯東が残りの朝食を急いで食べだす。
「んんっ、まんてっ、んだじも」
おそらく自分も行くと言ってるのだろう、伯東の顔がエサを頬張りすぎたリスのようで、頬を膨らませている姿は脱力させられる。
美郁もそれを見て怒っていたのがバカらしくなったのかため息をひとつ吐くと言った。
「はぁ、早くしないと置いていくから、ささっとしてよね」
美郁としても伯東には苛立ちや不満が先に来てしまうのだろう、それでも突き放して見捨てることができないのは幼い頃からの繋がりのせいだろうか。
それは、なんだか入院前に諒也にみせていた態度に似ていた。
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