第4話 家族団欒、一名除く

 キッチンから追い出された俺は、仕方ないので部屋に戻り、夏休み中に出された課題に手を付ける。事情が事情だけに免除されてはいるのだが、頭のリハビリも兼ねて課題をこなしていくことにした。


 幸いというか、諒也は俺より一年下なので既に習ったことを復習する形になったため、課題自体はそれほど苦労しなかった。

 勉強のレベルについても、元々俺はそれなりの進学校に居たので今のレベルなら問題なくついていけそうだった。


 しばらく集中して課題に取り込んでいると、ノックと同時に美郁が部屋に入ってきた。

 ノックと同時に入ったらノックの意味ないだろうと突っ込む前に、美郁が感嘆の声を上げる。


「おっ、お兄ちゃんが勉強してるー」


 まあ、美郁が驚くのも無理は無いかもしれない、諒也は勉強嫌いでテスト前ですらろくに勉強していなかったのだから。

 記憶では、まともに勉強したのは伯東が私立の中学を受験することになり、一緒に行きたいがためにした中学受験の時くらいだ。

 そして見事、伯東と一緒に合格した後は、また勉強をしなくなった。今行っている学校は大学までエスカレーター式なので最悪赤点さえ取らなければ問題なく進級出来るからだ


 そんな諒也を見続けていた美郁にすれば、なにか言われたわけでもないのに突然机に向かって勉強する俺の姿は違和感の方が大きいだろう。


「ミィ、そんなに驚くな。俺もあの事故にあってさ、色々考えさせられることがあったんだ」


 本当は早く自立するための一環なのだが、今は理由は話せないため、事故を転換期としてモヤッと誤魔化しておく。


「……そっか、お兄ちゃんも色々変わろうと努力してるんだね………うん決めた僕も、もう一度頑張ってみるよ」


 どうやら俺の勉学に励む姿を見て何かを決意したようだ。偽りとはいえ兄として背中で道を示せたのは何だか誇らしかった。


「そうか、ミィも変わりたいんだな、そのために頑張るなら俺も応援する。だから出来ることがあればなんでも言ってくれ」


「えっ、本当に、その何でも良いの? お兄ちゃん」


 俺の言葉に反応して美郁の瞳が昼間に見た輝く乙女のものへと変わる。


「えっと、そのもちろん出来る範囲でたからな、当たり前だけど。あと、ミィはなんの用事で俺のところに来たんだ?」


 何となく落ち着かない雰囲気になりかけたので話を逸らすかたちで美郁に尋ねる。


「あっ、そうだった。お兄ちゃんが勉強してるっていう驚天動地な出来事で忘れてたよ。ご飯できたから食べよう一緒に!」 


 すっかりトゲのとれた美郁に促されダイニングに向かう。父親である光四郎さんは残業で遅くなるらしく三人で食事をする。

 美子さんの宣言通りテーブルには諒也の好物と美郁の好物が並べなれて特別な日でもないのに豪勢だった。


「へぇえ、ホントに凄いな」


「でしょう、腕によりをかけたからねぇ。それからミーちゃんも頑張ってくれたのよ〜」


「そっか、ありがとうみ……ミィ、それから母さんも」


 思わず美子さんのことを名前で呼びそうになり、慌ててミィに変えて誤魔化す。


「えへぇへぇ、お兄ちゃんの唐揚げは私が作ったんだよ」


 確かに他のに比べれば少し揚げすぎた感はあるが美郁が一所懸命に作ってくれたのなら、どんな味だろうか美味しく食べてあげるのが優しさというものだろう。


 早速、席に付き皆で『いただきます』をする。

 美郁が期待に満ちた目で俺を見ていたので、期待通りに唐揚げから箸を伸ばす。


「あっ、美味しい」


 確かに色合いは少し濃いめだが、味は申し分ないどころか間違いなく美味しい。


「やった! 実は隠し味としてマスタード入れておいたの」


「ふっふ、入れたのはマスタードだけかしらねぇ」


 美子さんが意味深なことを言う。


「もう、ママ何言ってるのよ。大丈夫だからね、本当に僕が入れたのはマスタードだけだから」


「あら、そうなの私はたっぷり入れておいたわよ〜、料理に一番重要なスパイスをね〜」


 美子さんが意味深に微笑む。

 なんとなく落ちは読めていたが、ここは話にのって尋ねる。


「えっと、それってなに?」


「それはもちろん愛情よ〜」


 俺の問いに、まってましたとばかりに答える美子さん。


「あっ、ママずるい。それなら僕だってあふれる位に入れておいたんだから」


 その答えにつられて、美郁が慌ててのっかる。

 病室の件から仲直りしたが、今迄が酷かった反動からか美郁の諒也に対する態度が近すぎる気がする。

 だから、ここは俺が責任をもって適切な距離を保たないといけない。最初は記憶だけで妹としての実感はなかったが、素直に慕ってくれる美郁と接しているうちに俺も少しづつ美郁のことを……大切な妹と思い始めていたから。


「はは、ありがとう。しっかりと感じたよ、ミィの気持ち、お兄ちゃんとしてとっても嬉しいよ」


「あっ、えっ、うん」


「良かったわねミーちゃん」


「うん、そうだけど……うーん、なんか誤魔化されたような」


「それより、このサラダも美味しいな」


 考え込みそうなる美郁の気を逸らすために別の料理にも手を付ける。


「あっ、それも僕が作ったんだよ」


 と思ったら、誤魔化しは失敗し、それどころか思わず本音がこぼれ出てしまう。


「凄いな、俺は料理上手の妹が持てて幸せだよ」


「えへっん、何だったら……」


 気分を良くした美郁が何かを言おうとしたが、今迄笑顔で見守っていたはずの美子さんが遮り、咎めるような視線で俺を見てくる。


「む〜、なんかミーちゃんばかり褒めてズルい。私だってリョウちゃんのために愛情込めて作ったのに〜」


 そう言って、自分が作ったと思われる。肉じゃがを箸で摘んで俺の目の前に持ってくる。


「えっと、これは?」


「もちろん決まってるでしょう。はい、あ〜んですよ〜、リョウちゃん。フーフーしてるから熱くないですよ〜」


 有無を言わさず口の中にホクホクのジャガイモを放り込まれる。


「うっ、美味い!」


 正直にいうと料理に関しては圧倒的に俺の母親より美子さんの方が上だった。そうひとくち食べて分かるほどに圧倒的な差がそこにはあった。


「あっ、あっ〜、ママ、ズルいよ、僕も僕も」


 そう言って美郁も俺にアーンを強要してくる。

 しまいにはおかずだけでなく白ご飯までだ。

 俺はどうやらどこかで選択を間違えたらしい。

 その後の家族団欒の食卓は、母と妹が俺に餌付けし合うという、普通では有り得ない光景になっていた。



「うっ、苦しいっ」


 途中で美子さんが俺の様子に気付いて自重してくれたことで、美郁も落ち着き、何とか二人からのアーン地獄を乗り越えることができた。


「ゴメンなさいお兄ちゃん。ちょっと調子に乗りすぎちゃって」


 粛々と謝る美郁。この姿も最近では考えられないことだった。


「私もごめんね〜、ミーちゃんと張り合うなんて少し大人気なかったわね〜」


 申し訳なさそうにしながら、どこか嬉しそうな美子さん。きっと最近ギクシャクしていたことで家族揃って食べることが少なくなっていたから。光四郎さんが居なかったとはいえ、皆で食卓を囲めたことが余程嬉しかったのだろう。


 実際、事故に合うまで諒也は、美郁に気を遣って食事の時間をズラしていたから。


 しかし、それは第三者の立場から言わせてもらえれば最低の悪手だ。だって、そんなことをすれば美郁は自分が避けられていると勘違いするだろうから。

 諒也の下手な気遣いが逆に美郁を傷付ける。誤解とはいえ、そのことを知りようのない美郁は傷付くだろう、そうしてやり場のない感情を諒也にぶつける辛辣な言葉として……。

 最悪の悪循環はやがて決定的な溝を作っていたと思う、病院での出来事がなければ。


 そんなことを考えつつひと息ついていると美郁から明日の予定を聞かれた。


「ねえ、お兄ちゃん、明日なにか予定ある?」


「んっ? 明日は服を買いに行こうと思ってるけど」


 諒也は折角イケメンなのに髪をモッサリ前髪で隠していた上にファッションセンスも微妙というか絶望的だった。

 今日、美容室に行った時の服だって何とか無難な組み合わせで取り繕ったものだ。


「えっ、本当に? そっかー、お兄ちゃん、そんなところも変わろうとしてるんだね……でも、丁度良かったかも」


 何故かしみじみとちょっと憐れみの目で美郁に見られる。まあ美郁も諒也のファッションセンスは知ってる。隣を歩くなとまで言っていたし。

 俺としても諒也の着こなしで外に出る勇気は無い。


「なにが丁度良かったんだ?」


「うん、僕も明日お洋服買いに行こうとおもってたからさ、一緒に行こーよ。お兄ちゃんの服もアドバイスしてあげるからさ」


 きっと諒也のファッションセンスを知る美郁としては心配なのだろう。

 さすがに今の俺なら奇抜なデザインの服は選ばないが、いきなり趣味が変わるのもどうかと思い、ここは美郁の好意に甘えておくことにした。

 実際に美郁は可愛いだけあり、自分の見せ方をよく知っている服の選び方をしていたと記憶している。


「分かった。電車でショッピングモールまで行こうと思ってたけど、それで良いか?」


「ああ、あそこだね。良いよ、僕の好きなブランドも入ってるし、でもまずは明日何着ていこーかなー、ふっふふん」


 美郁はそう言って鼻歌交じりでご機嫌だ。


「あらあら、本当に昔みたいに仲良しに戻って。私も嬉しいわ。折角だからこれ」


 隣で聞いていた美子さんも嬉しそうに笑うと俺に少なくない額のお金を渡してきた。


「えっ、母さん。これは?」


 諒也には悪いが諒也の貯金以外はなるべく使いたくなかった俺は美子さんの心遣いに躊躇ちゅうちょする。


「ミーちゃんにプレゼントのひとつでも買ってあげて、美味しいものでも食べてきなさい。仲直りできたリョーちゃんにご褒美の特別臨時ボーナスよ」


 美子さんは諒也と美郁が仲直りできたことが本当に嬉しかったのだろう、その目は母親の慈愛に満ちた眼差しそのもので、気持ちを無下にするのも忍ばれた。だから美郁のために使うならとの名目で臨時のお小遣いを受け取った。


 

 


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