第2話 「健勝か、なんて聞かれたこともなかった」
突然のセルジュの来訪に、驚き過ぎて息をするのを忘れ、エヴリーヌは立ち尽くした。が、すぐに我に返ると、持っていた籠を放り投げて彼に駆け寄った。
「セルジュ様! 穢れには冒されていませんか! 胸の痛み倦怠感気分の落ち込みなどは!」
穢れ森は普通の人だと深部に立ち入って5分で体調を崩し、10分過ごせば死の危険がある。この掘っ立て小屋がある場所まで歩いて優に30分はかかるだろう。
エヴリーヌはすぐに浄化の力を使おうと手を伸ばしたが、その腕は避けられた上、手首を掴まれる。
衝動的に動いたエヴリーヌだったが、あっと思い出す。
彼は突然体に触れられることを好まない。まだ聖女だった頃に一度エヴリーヌが握手を求めた時も拒絶された位だ。
そして、何より今の自分は“罪人”だ。この穢れ森に来たのであれば、エヴリーヌの今の評判も聞いているはず。
羞恥が襲ってくるが、エヴリーヌはすべてを飲み込みうつむいた。
そのせいで、セルジュの視線がどこを見ているのか気づかなかった。
「ごめんなさい。セルジュ様。体に触れられるの嫌いでしたよね」
「……いいえ。魔力で体を保護しながら来ましたので、問題ありません」
必要最低限の言葉だけで応じる低い声は、他者が聞けば威圧を与えるものだ。けれどエヴリーヌは聞き慣れれば心地よいと思う。
ちらりと視線を上げて見ると、セルジュの表情は全く感情が見えなかったが、顔色は悪くはない。おそらく、怒ってもいないだろうとエヴリーヌは判断した。
安堵するとなぜ、という疑問が湧き上がってくる。
「セルジュ様、あなたは辺境へと長期の赴任をされていたはず。王都へ戻るのはあと1年先だったでしょう。なぜこのようなへんぴな場所にいるのですか」
宮廷魔法使いは、溢れる魔物に対処するため、力がある者は特に頻繁に派遣される。セルジュは25歳と若く、実力ある魔法使いだったから、エヴリーヌの追放が決まった時には、王都にいなかったのだ。
セルジュは淡々とエヴリーヌを見返すと、感情が読めぬ生真面目な顔でこう答えた。
「あなたがここにいると聞きました」
「……なら、私がどういう罪状でここに追放されてきたか知っていますよね」
こくり、と頷かれたことで、エヴリーヌはますます困惑する。
エヴリーヌが穢れ森にいると知っているのなら、王都で罪に問われ、追放された顛末も知っているはずだ。
魔法は緻密な計算と図式の構築が必要だ。だからこそ一分の狂いも許されないため、魔法使いはルールを守らないことを嫌う傾向がある。
自分が知っているセルジュという男は、生真面目で職務に忠実であり魔法使いの鑑とも称されるほど厳格な人間だった。
だから、世間から罰された「悪逆聖女」であるエヴリーヌなんかに、わざわざ穢れ森に入ってまで会いに来た理由がわからなかった。
困惑するエヴリーヌだったが、セルジュの手がまだ離されていないことを思いだした。
「セルジュ様?」
「……健勝ですか」
言葉を繰り返されて、エヴリーヌは彼の質問に答えていなかったと思い出し、小さく笑った。
胸に炙られるような温かな懐かしさが宿る。そうだ、彼と仕事をこなしていた時もこうだった。セルジュは無駄な言葉を語らない。だから、彼は問い掛けるとその返答をいつまでも待つのだ。はじめは辟易したものだったが、慣れた今では楽しむ余裕があった。
「元気ですよ。ここでの生活は前と違って全部自分でしなきゃいけないので、朝から晩まで働き通しなんですけど、案外気楽で楽しいです。まっ井戸も畑も家の周りも浄化の力を張り巡らす必要があるんですが、畑仕事よりは断然まし。なにせ畑がうまくいかないと私あとちょっとで餓死する所だったので!」
エヴリーヌは久々に相手がいる会話だったため、余計なことまで話した気がして黙り込む。
が、黙って聞いていたセルジュの瞳は地面に転がるじゃがいもを追っていた。
「収穫中、でしたか」
「そうなんですよ! 私一応赴任ってことになってますけど、こんな所には絶対物資の配給なんてこないでしょう? 実際ここに来て2ヶ月になるけどセルジュ様がはじめてだし。だからはじめに渡された野菜に浄化の力を与えて成長促進したんですよ。あっこれ教会のおじいちゃん達から習った裏技なので、王都の人には内緒にしといてくださいね」
浄化の力は生命力全般に作用する。だが神聖なものだから、特別な時以外には見せてはいけないと、王城で仕えるようになってからは、大聖教のお偉方に口を酸っぱくして言われたのだ。
だがここにはエヴリーヌひとりだけ。使ったとしてもとがめる人は誰もいない。
とはいえ横紙破りはセルジュが嫌うものだ。黙っていてくれるだろうか。
「今お説教はやめてくださいよ? ただでさえ食べるものが限られてるんです。ほんとはお肉も食べたいですけど、ここに住んでる動植物はみんな穢れに冒されているので、浄化しないと食べられないんです。手間がかかりすぎますから、畑にあるものが命綱なんですよ!」
先手を打って言い訳を重ね、大事な栄養源であるじゃがいもを拾い直しつつそろりと伺うが、エヴリーヌはすぐにぽかんとする事になる。
なにせ、彼が身をかがめて、側に転がっていたじゃがいもを拾っていたのだ。
金縁の紫色のローブと黒の毛先が地面を撫でるのを呆然と見つめていたエヴリーヌは、次いで差し出されたじゃがいもに更に混乱する。
自分に課せられた仕事以外では一切動こうとしない彼が、じゃがいも拾いを手伝ってくれたのだと理解した時には、セルジュはすでに立ち上がっていた。
「また来ます」
言うなり、彼の足下に複雑で奇っ怪な魔法陣が広がり、膨大な光が彼の姿を飲み込んだ。
目を細めたエヴリーヌの視界で、黒い髪の筋が躍る。
ぱっと消えた時には彼の姿はない。超高等魔法である転移の術だ。
あらかじめ印を付けた場所にのみ帰還できるとてつもなく便利な代物だが、行使のために必要な理論が難解な上、一度使うごとに普通の魔法使いならば命を懸けねばならぬほど膨大な魔力を使う。
いろんな魔法使いに会ったことがあるエヴリーヌも、当たり前のように使う魔法使いは、セルジュしか知らない。
「一体、なんなのよ」
短時間の邂逅は自分の白昼夢なのではと考えかけたが、掴まれた手首の感触も、手に乗ったじゃがいもも嘘ではない。
なにより夢と語るには、彼の様子がおかしすぎた。
「冷淡で、生真面目で、四角四面で、おおよそ人間の情みたいなものを表に出さない情緒欠落野郎がセルジュ・ラ・ソルセルリーでしょう? ありえない、ありえない。きっとなにか任務があったのよ」
何事も適当に楽観的に生きることにしているエヴリーヌはそれ以上考えるのをやめて、じゃがいもの処理にかかった。
ただ、あとで気がついた。
健勝か、だなんて聞かれたことも、はじめてだったな、と。
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