森に追放された元聖女ですが、冷淡だったはずの魔法使いがなぜか訪ねてきます。

道草家守

第1話 「追放にしては、悪くない」


 エヴリーヌの朝は、井戸から汲んだ水の浄化から始まる。


 この「穢れ森」に流れる水はすべて穢れに冒されているため、そのまま飲めば普通の人間であればすぐに内臓が焼かれて死に至るからだ。

 けれど聖女だったエヴリーヌはこの程度の穢れは大したことはない。指を組み己の体内に揺蕩う力に呼びかけると、体からこぼれた燐光が降り注ぎ、水瓶の淀んだ水はたちまち澄んでいく。

 ふう、と息をつく間もない。この後は畑仕事……正確には畑の土を浄化し、普通の植物が枯れないようにする仕事が待っている。


 ちょっとは自慢だった金髪はくすみ、肌も日に焼けてしまい、指の皮は厚く、あかぎれと豆だらけになった。今のエヴリーヌを見たものは、まだ23歳の娘だとも、ましてやほんの2ヶ月前までクレール王国で尊ばれる、聖女の一人だったとは夢にも思わないだろう。


「ま、なけなしの評判も地に落ちているのだろうけど」


 くすりと笑ってみても、言葉を拾う生き物はいない。

 なぜなら流刑地としても使われる穢れ森に棲むのはエヴリーヌ一人きり。あるのは申し訳程度に作られた掘っ立て小屋と、小さな畑。あとは穢れに耐えていびつに歪んだ植物と禍々しい魔物だけ。


「でもまあ、追放されたにしては、そんなに悪くはないわよね」


 ぽつりと呟いて、よいしょ、とボロボロの鍬を片手に畑へ向かった。


 *

 

 2ヶ月前まで、エヴリーヌはクレール国で浄化の聖女をしていた。

 様々な恩恵をもたらす魔力だが、魔力が淀むと穢れを生み出し害を為す。

 悪影響を消し去れるのが浄化の力であり、その力を持つ者たちは教会によって聖人、聖女として大事にされるのだ。


 国の端っこにある片田舎の出身だったエヴリーヌは、13歳の頃たまたま浄化の力を発現した結果、教会に引き取られた。

 どこにでもある魔力を使える魔法使いは多けれど、浄化の力を持つ者はあまり多いとは言えない。そのせいでエヴリーヌが引き取られた教会でも、浄化の力を持つ者は司祭のおじいちゃんただ一人だった。腰の悪い彼に無理はさせられないと、若いエヴリーヌは依頼があれば方々へ出張した。

 苦労は多かったが、幸い力が強かったおかげで、浄化自体はそつなくこなせた。その噂が王都にまで届き、エヴリーヌは王都の大聖教へまねかれ、さらに多くの任務をこなすことになった。


 エヴリーヌを育ててくれたおじいちゃん司祭をはじめ、村の人々達はとても心配してくれたが、援助と引き換えには断れない。

 穢れが溜まるのは死が充満する場所だ。凶悪な魔物の被害があったり、病が蔓延していたり、けが人が多くいたり、……戦争があったり。

 それでも仕事だからと文句も言わずに浄化をして華やかな娘時代を終えたのだが、それがどうやらまずかったらしい。


 何度目かの遠征の後王都に帰還してみると、エヴリーヌは「穢れをまき散らす張本人」「私欲のために浄化を怠った悪逆聖女」と言われていた。

 エヴリーヌが戸惑っている内にあれよという間に判決が決まり、幾人もの聖人聖女達が浄化を果たせなかった穢れ森に放り込まれた。


 それが2ヶ月前。これなら王都の名物料理を制覇しておくんだったと後悔しても遅い。


 聖女を罰するというのは外聞が悪いと思ったらしく、「穢れ森への赴任」と体裁は整えられ、掘っ立て小屋と申し訳程度の道具と当面の食料が与えられた。

 が、教会で大事に育てられた娘が、穢れにまみれ、通常の植物が育たない土地でたった一人で暮らせるわけがない。

 数日の後に自殺をするか、餓死するか。魔物に食われるか。いずれにせよ、実質の死刑であるのは明らかだった。

 ……それがエヴリーヌでなければ。





「まっ、畑仕事、は、4歳から手伝って、きたし! おじーちゃん、たちと、薬草園、世話してたし! 体力も、あるんだから、おてのもの、よ! ……やったー! 良いじゃがいも!」


 見事な芋を収穫したエヴリーヌは、古びた籠へぽいぽいと入れていく。

 後で薬草も摘み取ろう。良い炎症を抑える薬になるはずだ。

 空気は多少淀んでいるが、掘っ立て小屋の周囲にはエヴリーヌが施した術で常に浄化をしている。

 肉が食べられないことを除けば、それなりに暮らせるものだ。

 浄化に赴き、野宿が続くような生活よりは今の方が落ち着いている。元々エヴリーヌはのんびりすることが大好きだ。今の今までが忙し過ぎたのだ。

 ここには、エヴリーヌに取り入ろうとする甘い声も、聖女をにがにがしくそしる声も、高圧的に迫る人間もいない。静かで、エヴリーヌ一人しかいない。

 一人でいることにも慣れているし、案外今の生活は悪くないと思っていた。

 汗を拭ったエヴリーヌは、その甲にある焼き印を努めて無視する。


「さーて、今日は焼き芋かな、チーズを乗せて焼いたら絶対おいしいんだけど、さすがに無理だからなあ……っと」


 とんとん、と中腰の作業で強ばった腰を労り、玄関に向けて歩く。ひとり収穫祭に思いをはせていたのだが、すぐに足が止まることになった。

 信じられない気持ちで、ぎゅっと籠を抱えた腕に力を込める。

 玄関の前に立っていたのは、長い黒髪を高い位置でひとくくりにまとめた若い男だった。

 魔法使いの髪は、総じて長い。魔力の制御に役立つからだ。

 彼もまた例外ではなく、よく手入れをされた黒髪は夜を内包しているように艶やかで、整った横顔を彩っていた。だが冷たい鉄のような生真面目で硬質な表情がひどく近寄りがたい印象をもたらす。

 事実、彼に自ら話しかけに行ける人間などほとんどいなかった。

 それでも、細身ながら長身の体格に纏った宮廷魔法使いの証しである紫のローブがとてもよく似合う。今も持つ身の丈はある美しい杖を携えた姿は、令嬢や娘達の憧れだけでなく魔法使い達からも密かな憧れとなっていたのをエヴリーヌは知っている。

 だが、ここにいるのはとてもおかしい。なぜなら、彼は人に対して興味を持たない。何よりエヴリーヌは友人と呼べるほど親しくなかったし、むしろ嫌われていたはずだからだ。

 彼の名は――……


「セルジュ・ラ・ソルセルリー?」


 ここに来てからの癖で、つい声を漏らしたがもう遅い。

 ぱっと黒髪の筋が弧を描く。

 一切無駄のない動きで振り返ったセルジュは、紫の瞳で淡々とエヴリーヌを捉えた。

 任務で顔を合わせていたころと、全く変わらず。


「聖女エヴリーヌ・アンジェ。健勝ですか」


 なんの感情も読めない声音で。


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