第3話 「以前の味と、変わりませんね」
結論を語ると、セルジュは翌日に現れた。
今日も今日とて畑の世話をしていたエヴリーヌは、今度は水の桶を取り落とす。
なぜなら、セルジュは大きな荷車を引いて来ていたのだから。
正確には何らかの魔法を使って荷車を自走させており、セルジュはその横で杖を携えて歩いていた。だがそれでも魔法使いの高貴なローブに似合わないことこの上ない。
セルジュはエヴリーヌの前で荷車を止めると、かけられていた覆いを取る。
荷車には新鮮な野菜と穀物であろう包みを始め、多くの食材が積まれていた。
エヴリーヌが切望していた肉の切り身も見つけて、思わずごくりと唾を飲む。あまりに嬉しすぎる荷物だったが、セルジュの意図が全くわからなすぎて、エヴリーヌは喜ぶよりも先に戦いた。
「ど、どうしたんです?」
セルジュは少し考えるように間を置いたが、唇を開いた。
「人を訪ねるときには、手土産を持つのが一般的だと」
「たしかにそのとおりですね。私も挨拶はしてくださいねって沢山言いましたし。親しくない方とかにだったら余計に心遣いは必要です」
「……昨日は、忘れていました」
少し返答に間があった気がしたが、エヴリーヌは思い出す。
そうだ、セルジュという男は、己に一般常識がないことを少々気にしていた。特に人間に対する礼節は無駄と排していたのを、エヴリーヌが懇切丁寧に……いやもはやけんか腰でやり合い、譲歩させた部分もあったのだ。
この荷車の中身は量はおかしいが、それはそれだ。今のエヴリーヌのことを考えた良い心尽くしの品だとも言えるだろう。大方お詫びも含めてこの量だと考えれば説明もつく。
エヴリーヌは彼の行動の意味がわかり、ようやく喜びを爆発させた。
「いやったーー!!! ありがとうございますセルジュ様、超大好きです来てくださって感謝いたしますっ久々にお肉が食べられる小麦粉も嬉しいパンを作るには酵母がないんですぐには無理ですけどパンケーキしましょうパンケーキ! あっガレットも良いですね!」
これがセルジュ以外であれば、エヴリーヌは抱きついて感謝の想いを表しただろう。
彼に対してそんな事をすれば蛇蝎のような目で見られそうなので頑張って抑えた。エヴリーヌとてそれくらいはわきまえている。
なので一通り荷車の中身を確認したあとほんのりと冷静になったエヴリーヌは、再度セルジュを見る。彼が礼節を守ったのであれば、自分も守るべきである。
「疲れたでしょう。中に入って休まれますか。何にもないですが、ハーブティーくらいはごちそうできますよ」
ほんの型式上の問いだった。
なにせセルジュは雑談や茶会というものを嫌っている。
とある令嬢が、あくまで感謝の意を表すために誘ったお茶会を時間の無駄だと、切り捨てて泣かせたエピソードは界隈では知らない者は居ない。
エヴリーヌも、何度も一人でいる彼を食事に誘ったが、社交というのも無意味だと切り捨てられたことを覚えている。ましてやエヴリーヌの知っているセルジュは、エヴリーヌのことを避けるほど嫌っていた。
今回の訪問の意図はすごくすごーく気になるが、それよりも得体が知れなくて怖いという感情が先に立つ。
「いただきます」
「はいそうですよね。でもほんとに食材はありがとうござい……え」
間抜けな声を出すエヴリーヌを、顔色一つ変えずに見つめ返したセルジュは、言葉を繰り返した。
「お茶を、いただきます」
あの、茶会嫌いのセルジュが承諾した。
何か悪いものでも食べたのだろうか。それとも穢れ森を通ってきて頭がおかしくなったのか。
よっぽどそう聞きたかったが、エヴリーヌが喜びの舞をしていた間も真顔で佇んでいたセルジュはどんなに見てもいつも通りにしか見えなかったのだ。
「……どうぞ」
セルジュを室内に招き入れたエヴリーヌは、がたつくテーブルにハーブティを注いだコップを差し出した。
杖を壁に立てかけ椅子に座ったセルジュは、無言でお茶の水面を見つめたあと、その対岸に置かれた椀を見る。
「あなたのコップと椅子は」
「ありませんよ、ここには一人しか住むことを想定されていないので、ぜんぶお一人様なんです」
我が家に唯一ある椅子を占領しているのはセルジュだ。
けれど、部屋はこぢんまりとしているため、すぐそばにあるベッドの端に座れば問題ない。
と、いう訳で、ベッドとは名ばかりの板の枠に座ったエヴリーヌは、じっとこちらを見つめる紫の瞳を向き合うことになった。
彼はしばらく沈黙していたが、ようやくカップを取った。
「いただきます」
「あ、はい。どうぞ」
無骨なカップだというのに、彼のすらりとした指が持つと美しく見えるのだから不思議だ。
しかしそれっきり手持ち無沙汰となってしまい、エヴリーヌは途方に暮れる。
仕方なしに、自分の分のお茶を飲み出した。
ハーブティーは、野菜についていた土に種が紛れ混んでいたのか、勝手に生えてきたものを、エヴリーヌがより分けて育てたものである。
はじめて見付けたときには、涙を流して喜んだものだ。薬草たちは、すべてエヴリーヌが第二の故郷と呼ぶべき教会でずっと親しんでいたものだから。
だから、以前から飲んでいたものとそう変わらない。
ほんの少し、セルジュの表情も緩んだ気がした。
「以前の味と、変わりませんね」
しゃべった。とつい思ったと同時に、喜びがこみ上げてくる。
「まあそうですね。レモングラスとカモミール。あなたが根を詰めて休もうとしないから、無理矢理休ませるために飲ませましたもんね」
「……あの日は、眠りすぎて迷惑でした」
確かにはじめてこのお茶を飲んで眠り込んだあとのセルジュは、恐ろしいほどの能面顔でエヴリーヌに迫ってきたものだ。
予想していたエヴリーヌは、彼に一服盛ったわけではないときっちり説明し、過労のせいだと突きつけたものである。
こうしている間も表情は正直かなり恐ろしい。が慣れっこであるエヴリーヌはにっこりと笑ってみせた。
「説明をせずに飲ませたのは悪かったと思っていますが、あなたが最も嫌う非効率的な仕事をしていたんですもの。その点については今でも譲りませんよ」
「その通りです。あれ以降、緊急時以外は、睡眠時間と休憩時間を確保しています。不眠の際はこのお茶を飲みます」
えっと、エヴリーヌは思わずセルジュを見るが、彼はカップの水面を見つめて続けた。
「ですが、この味にはなりません」
「そりゃあ、淹れる人によって味が変わるのは当然だと思いますが」
それにハーブティは栽培場所によっても、乾かし方や保管の仕方でも味は容易に変わってしまうものだ。
だが飲めれば良い、食べられれば良いと全く食に頓着しなかったセルジュの言葉なのだろうか。
エヴリーヌは本当に本人かと疑い始めていたが、セルジュはことりとカップをテーブルに置いた。
すくりと立ち上がったセルジュは平坦な声で言う。
「お茶を飲み終わりました。邪魔にならないうちに帰宅します」
「あっはい。お粗末様でした」
この唐突さはセルジュ本人だ。本気で礼儀として供応を受けただけらしいと、先ほどまでの自分の考えをすぐに翻す。
しかし、セルジュは扉から出る寸前、エヴリーヌを振り返った。
紫の瞳で、まっすぐエヴリーヌを見つめる。
なぜか、急に素っ気なく金髪をひっつめただけの薄汚れた自分が気になった。
「また、来ます」
ひとつひとつ、宣言するような言葉だと思った。そんなところまで律儀に守るのかとエヴリーヌは感心した。
が、しかし、エヴリーヌには拒む理由はない。
「ええと、まあいつでもどうぞ。どうせ私は森の中で暇ですから!」
明るく答えると、セルジュは無言で頷くなり、昨日と同じく姿を消した。
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