第14話 式典前、前哨戦

「アンジー・スライ嬢、ご到着!」

その簡素な名前が読み上げられた時、この扉の向こう側では上品なレースにくるんだ無遠慮な視線が突き刺さっているだろうことを私は感じ取っていた。自分の服の首から下を軽く確認する。アルフレッド様が誂えて下さったドレスは、今までの授業で習ってきた立ち居振る舞いによって皺がつくこともなく私の体を包んでいる。トルソーが纏っていた衣装そのままの、綺麗で格式に則ったドレス。まるで、お伽話のお姫様のようだ。

(でも、これから赴くのはそんな生易しい場所じゃない。それは、アルフレッド様にも言われたもの)

海千山千の古強者が、手ぐすねを引いて待っている恐ろしい場所だと。けれど、アンジー・スライが成したことに対して何もしないという選択は国として取れないから、申し訳ないけど来てほしいと。そう言われた時に、アルフレッド様からある程度は聞いていた。

 白い花の髪飾りに、白に淡い紺が混ざった色のドレス。完全な白のドレスは花嫁と王族が着るものだから、許される範囲ギリギリまで白くしたドレスを着るのが式典用ドレスにおける未婚の娘の規定。『満天の聖女様』だからと、ドレスの正面には金糸で星々の縫い取りをつけてくれていた。ヒールは平民なので一番低いけれど、女子の中では背が真ん中の方なので招待された人たちの予想しているより私は大きく見えるはずだ。白い花の髪飾りは、この新年の祝典における専用の白。長手袋に扇子はドレスと同じ色で、胸元に飾りがないのは―――これから名誉あるものを戴くとわかっているから。仕立て屋さんの話によると、勲章を戴く人には事前にこっそりと連絡が来ていて、胸元に何も飾りのない服で来るようにお達しがあるそうだ。王様の手ずから付けてもらう時に、余計な飾りがあったなんて不名誉を起こしてはいけないと。だから『胸元がぽっかりしている』人はその年の名誉ある人だと一目見てわかる、とアルフレッド様は仰っていた。

 招かれたのは私、勲章をいただくのは私なんだから、とめいっぱい胸を張って、教科書通りに完璧に歩いてみせる。ぴんと背を伸ばして、平民だって侮られないように。確かに平民の孤児だけれど、私の『学年一位』は実力で勝ち取った物だ。勿論、こういった場の立ち居振る舞いだって試験科目にある。

(教科書を頭に載せられてのウォーキングと思えば平気、平気……)

「ねえ、あの名前、孤児院の……」

「やぁだ、どうして栄えあるこの場に……」

「ドレスのお金どうしたのかしら、盗んだの?」

口がさない悪口を話すもの。

「ああ、彼女だ、俺の命を救ってくれた……」

「そうか、噂の『満天の聖女様』か。王が褒賞を与えぬはずがないからな」

「私の弟も、聖女様に救われたんだ」

命を助けることができた人達や、その縁者。

「アルフレッド様と仲がおよろしいという噂の子かしら」

「ああ、元々アシュクロフト伯爵令嬢とは不仲と言うのが公然の秘密だったから……」

「それなら、あのドレスもきっと贈り物なのだろうかね?」

噂、噂、噂が駆け巡っていく。まだアルフレッド様達王族は来ていないから、その間に数多の情報が好感されているのが分かっていた。学校の食堂で噂話をするのが、「社交の練習」としてある程度黙認されているのを理解した気がする。勿論口だけではなく、何らかの意味を含んだ仕草を交わす人達もいた。『符牒会話』の選択授業を取っておくべきだったかもしれない。やっぱり、ドキドキする。心臓の音を会場中に聞かれたような心地がした。どうしよう、まずは誰かに話しかけてみるべきだろうけど、誰から。

「スライさん、ご機嫌よう。このような場は初めてでしょう、緊張していませんか?」

皆が遠巻きにする中、エスメラルダさんが話しかけてきた。ますます私達を囲んで輪ができる様子に、彼女の後ろにいた大人の男性が少し困ったような顔をする。髪の長い男の人は、この中だと彼くらいのようだった。

「……アシュクロフト伯爵令嬢、ご機嫌よう。その、少し緊張しているみたいです」

「まあ、このような場に珍しい人が来るからと皆様気になっているようですからね。お互いに珍しい動物でも、眺めるような気分でいた方がいいでしょうかと」

「ど、動物ですか…?」

「父様が昔、そう仰ってましたから。ねえ父様?」

銀の長い髪の男性は、エスメラルダさんのお父上……アシュクロフト伯爵だったらしい。「懐かしい話をするね」と柔らかく笑って、私達に飲み物を薦めてくれた。

 いただきます、と言って泡の出る紅茶を飲むと、炭酸の刺激が沸騰しそうだった頭を落ち着けていく。意外な人が話しかけてくれたことに、私はまだ少し信じられないでいた。

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