第9話 ヒロインとその家族たち
「みんな、ただいまー!」
「アンジー姉ちゃん!」
「アンジー姉さん、おかえりなさい!」
彼女は王立魔法学園に進学しても、『満天の聖女様』と讃えられても、孤児院のアンジー・スライであった自分のことを忘れてはいなかった。だから年末に帰る家も孤児院のある教会だったし、家族への土産物も帰り道に買っていた。
年越し祭の菓子や、味が良くて日持ちのするちょっと上等な食べ物類。いくつあっても足りない、冬用の毛布や毛糸類。実用的なモノばかりではあったが、必要なものだった。
「ねえねえ姉ちゃん、学校の話を聞かせて!」
「お勉強も見て!」
わらわらとまとわりついてくる小さい子供達――様々な事情で頼れる庇護者を亡くし、行き場がなかったところを拾われたアンジーの弟達と妹達に、シスター・リリィが「ちょっと離れておあげなさいな、このままだとアンジーが入れませんよ」と笑った。はぁい、と返事をして子供達が離れてくれたから、彼女はやっと我が家に入ることができた。
教会の孤児院は、運営費を教会と寄付で賄っている。アンジー達が産まれる前にあった戦争で町中に孤児が増え、その時に多数作られた孤児院のひとつだった。戦争も終わった今では、孤児院の大半が規模を緩やかに縮小させたり、閉院したりしている。子供達の面倒を見ているシスター・リリィも元はこの孤児院で育った子供だったし、アンジーも大人になったら孤児院の手伝いをするつもりでいた。
アンジー・スライの実の親が誰か。それはアンジー自身も知らないし、『幸せの鐘が鳴る時』でも設定されていなかった。だがここがゲームでない以上、アンジーを産んだ両親はこの世のどこかにいたはずである。一年前――この世界がゲームの流れを汲んでいた時、彼女の親を名乗る貴族が現れたことはあった。だがその人は偽者で、『満天の聖女様』と呼ばれた彼女の後ろ盾になることで、その名前を使って権力を得ようとしていた俗物だとアルフレッドに看破されている。(この時、連れ去られそうになるヒロインのピンチを一番好感度の高い相手が助けに来てくれるというイベントになっていた。ちなみに個別ルートに入っていないと飼い殺しバッドエンドになる)
彼女は教会の前に捨てられていた赤子として拾われ、おくるみに縫われていた『アンジー』という名前をつけられた。この名前とおくるみだけが、彼女と親を繋ぐ手掛かりになる。スライの姓は孤児院の皆が持っているものだったから、ちょっと下町の事情を知っている者なら孤児だとすぐにわかる名前だった。それ故に嫌がらせをされることもあったが、彼女は成績で見返すことに成功している。
「アンジーや、お夕飯にしましょうね。今日はおめでたい日だから、シチューはみんなおかわりしていいわよ」
「やったー!」
「マム大好きー!」
マム……孤児院の院長であるマザー・セシリアが腕を振るった特製シチューは、アンジーの大好物だった。学園で食べるどんなご馳走より、量を出すために少し薄いそのシチューが今でもおいしい。
「この間、アンジーのお友達だっていうお貴族様が沢山寄付をしてくださってね。『俺にはこれくらいしかできないんだ』って言いながら金貨を出してきたから、びっくりしてしまったわ。ふふ、いいお友達ができたのね」
「マム、お名前聞いた? 後でお礼を言わなくっちゃ」
「それが、名乗らないで帰ってしまわれてねぇ。アンジー、分かったら私からもお礼を言ってたと伝えて下さるかしら」
「うん、勿論!」
いくら都に住んでいたとしても、孤児院の一院長が第一王子の顔を見る機会など稀にある祝い事くらいしかない。そしてそれも遠目のものだったから、マザー・セシリアはその『お貴族様』が自分達の国の第一王子であることには気づいていなかった。
「……アンジー姉さん、今年も帰ってきてくれてよかった」
「ん? どうしたの?」
アンジーに特に懐いていた妹分の言葉に、彼女は小首を傾げて目線を合わせる。
「だって……だって姉さん、お貴族様が行くような学校に行って、色々買って帰ってきてくれるようになって。この間魔物がいっぱい来た時に、姉さんに命を助けられたって人が沢山いたでしょ? それで姉さんのこと、聖女様って言う人たちも出てきて。だから、姉さんが遠くに行っちゃったみたいで、怖かったの……!」
不安気な言葉に、他の孤児たちが「僕も」「わたしも」と何人か賛同した。年上の子は年齢が上がっているからこそそう思い、年下の子は本能的に察したようだった。
「大丈夫、私はどうなっても、ここの家族のアンジーであることに変わりないよ」
そう言って妹分の頭を撫でたアンジーの元に、王城から手紙が来たのは三日後のことだった。
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