第4話 噂話と彼女のこと

「ねえ、聞いた? とうとうアシュクロフト伯爵令嬢とアルフレッド様、婚約破棄だって専らの噂でしてよ」

「あのお二人は婚約者だというのに、ずっと離れておりましたからね」

婚約破棄の話を、誰かが聞いていたのだろうか。エスメラルダが次の日、寮の食堂に降りてくると、噂話でもちきりだった。当人の姿を前にしても、ひそひそ話が止むことはない。彼女はそれを気にすることなく、淡々と配膳された朝食を受け取って空いている席に座る。《力》がないフリをしている以上、元々陰口には慣れているつもりでいた。

「でも、わたくしたちの婚約ってそういうものでしょう?」

「けれどほら、アルフレッド様はあの庶民とべたべたしていらっしゃるもの」

「やぁだ、あんな小娘を王妃殿下って呼ばないといけなくなるのかしら?」

「無能力者とはいえ、アシュクロフト家は宰相も輩出した貴族。どこの馬の骨ともわからぬ小娘と比べたら、まだマシだったんですけれど」

一人一人は声を潜めているつもりでも、数が増えればそれは何の意味もなさなくなる。エスメラルダとアンジーの周囲にはぽっかりと穴が開いているのがわかっていたが、エスメラルダはだからと言って少し離れたところにいるアンジーに話しかける気はなかった。今、何を言っても、アンジー当人より周囲が盛り上がるだけ。これ以上、噂話の焚き付けになるものを提供するつもりはなかった。

「……みんな、小鳥みたいに噂話をしてばっかり」

「小鳥よりタチが悪いんじゃないかしら」

ロールパンとスクランブルエッグ、紅茶にサラダ、ヨーグルトにフルーツ。エスメラルダがお手本のようなテーブルマナーで朝食を食べている時、生徒が全員着席しているにも拘わらず不意に食堂のドアが開いた。

「静粛に! 食堂より、貴女達の私語が目に余ると知らせがありましたよ!」

「ガ、ガーフィールド先生……」

誰かがそう呟いた。鋭い水色の目をした、灰色の髪をひっつめている厳格な教師だ。寮監として多少の噂話なら「社交の練習」と許容してくれるものの、違反したと判断した瞬間に一気に黙らせてくる教師だった。しん、と水を打ったように食堂が静かになる。

「貴女達が何を噂話の対象にしても興味はありませんがね、節度ある乙女としての慎みと礼儀を忘れてはいけません」

「「「はい、先生」」」

噂話に興じていた生徒たちが反省の意を示す中で、アンジーがほうと息をついたのがエスメラルダの耳には大きく聞こえた気がした。

エスメラルダがちらりとアンジーの方に目をやると、生徒達の隙間から彼女と目が合った。その琥珀色の目に宿る感情の色に、エスメラルダは気づかないフリをしていた。


***


(アシュクロフトさん、クールですごいなぁ……あれだけ噂の的になっているのに、驚くほど淡々としていて)

アンジー・スライは彼女の目を見ていることができなくて、すぐにエスメラルダから目をそらした。

他の生徒達と違って紅茶色の髪は短く、入学してから伸ばしてもまだ肩につく程度だった。この学園では身分の高い生徒が多く、そういった令嬢たちは髪を伸ばすだけの『余裕』がある。入学するまで孤児として、教会の手伝いをしていたアンジーとは大違いだ。毎日三食食べられることを有難く思う暮らしで、髪なんて伸ばしていられなかった。売り物にするにしても、手入れをしている余裕なんてないのだから。

(アルフレッド様は、私の短い髪がウサギのようで可愛らしいと言っていらしたけれど。やっぱり、長い髪は憧れるのよね)

奇跡のような偶然から自分に治癒の《力》があるとわかり、この学園に入学することができた。中庭で野良猫たちと遊んでいたら、その猫たちに話を聞いたと言ってアルフレッドに話しかけられた。それから色々と話したり、助けたり、助けられたりして―――好きだと告白されたのは、夢ではなかった。

『でも、私は親の顔も知らない孤児です。身分が釣り合いません』

『王家には過去、《力》の強い平民が輿入れした記録がある。君のその治癒の力がどれだけ強く有効

なのか、先日も証明してみせたばかりじゃないか』

『あ、あれは無我夢中でやっていたから……それに、アルフレッド様には婚約者もいるではありませんか!』

『……彼女とその家が俺との結婚を望んでいないことは、学園の皆が知っている』

そう言った時の彼の顔が随分と寂しそうなもので、どうにも放っておけなくて、頷いてしまったというのも嘘ではない。二人で出かける時だって、最初は『お出かけの練習』だと言われたものだった。

『強力な《力》に弛まぬ努力で手に入れた成績、そして奉仕活動による民からの信望。……俺とこの国は、これだけ頑張ってきたきみに相応のものを与えなくてはならない。それに、俺は……好きな人と、一緒になりたい』

一緒に過ごした時間が長くなるにつれて、今まで評判を聞いたり遠目に見ただけの『第一王子』から、『アルフレッド』になった。正式に婚約できると思えるほど、アンジーは分不相応な望みを抱いた愚か者ではないつもりだったのだが。仮にも学年一位を取るだけ勉強し、貴族社会についても学んでいる彼女は、『王子に見初められる平民の娘』というのはあまりないからこそ童話になるのだと思い知っていた。

それでも彼の告白を受け入れたのは、もちろんアンジーも彼が好きだったからに違いなかった。

『私でよければ……喜んで』

『ありがとう、アンジー。俺は冬休み、城に帰って父上を説得する。約束だ、俺は絶対に君を離さない』

かけてもらえた珠玉の言葉と、抱きしめられた感触。それは今も鮮明な記憶として焼き付き、アンジーの胸を温めていた。

アンジーは転生者ではない。彼女は、どうしてエスメラルダがあれほど善良な王子から距離を置きたがっているのかを知らない。

だから純粋に、それを疑問に思っていた。アルフレッドの人となりを知れば知るほど、ずっと。

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