太平洋、空の旅//マトリクス

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 ──太平洋、空の旅//マトリクス



 東雲たちはサント・フシールの仕事ビズを達成し、武器を手に入れていたころ、ベリアたちはASAの拠点があるツバルに向かう準備をマトリクス上で進めていた。


「民間宇宙開発企業の偵察衛星が撮影したツバルはフナフティ・オーシャン・ベースの映像だよ。ここに注目して。前の映像ではメガフロートの一角にドックがあって、潜水艦が停泊していたけど今はいない」


「サンドストーム・タクティカルの保有する戦略原潜レヴィアタンか。補給を終えて戦闘配置に着いたってことかな」


 ロスヴィータがツバルはフナフティ環礁に位置するフナフティ・オーシャン・ベースの衛星画像を見て言うのにベリアがそう発言した。


「フナフティ・オーシャン・ベースは本来の目的としてはアトランティスの航空機開発基地でありデータヘイブンだ。今は航空機試験場には地対空ミサイルSAM陣地を初めとする防空コンプレックスが展開してる」


「ここに乗り込むとなるとこの防空コンプレックスが非常に厄介だ」


 第三次世界大戦でも明らかになったが、強固な防空コンプレックスは先進国の航空宇宙部隊であろうと作戦を困難にしてしまう。


「本当に小型機で強行着陸できると思う?」


「それはこっちの頑張り次第だね。“ケルベロス”のハッカーチームがサンドストーム・タクティカルの構造物への仕掛けランの準備を進めてる。一時的にでも防空コンプレックスをマヒさせれば、あるいは」


「けど、マトリクス上の戦術リンクで接続されてる防空コンプレックスはそれでどうにかなっても小隊レベルで配備されているだろうMANPADSは独立してるから、攻撃してくるよ。民間の小型機じゃちゃちなMANPADSでも致命的」


「分かってる。機体は慎重に調達しよう。できれば軍用機が手に入らないか手配してみる。ハワイのアメリカ軍からくすねられればいいんだけど」


 ロスヴィータが指摘するのにベリアが唸りながら返す。


「じゃあ、財団ファウンデーションの海軍部隊とサンドストーム・タクティカルとさらにアメリカ軍を相手に仕掛けランをやるんだね。これだとちょっと人が足りないんじゃない?」


「それは分かってる。ディーは太平洋を移動しているアメリカ海軍と日本海軍を相手にしてるし、雪風はサンドストーム・タクティカルを相手にしてる。“ケルベロス”のハッカーたちもいるけど高度軍用アイスを砕けるか」


「もう援軍はいないの?」


「ディーに死者の世界からの援軍を要請してはいる。少なくない数のハッカーが応じたそうだよ。それから特別な人間がいるって」


「特別な人間?」


「まあ、見てのお楽しみってことみたいだね」


 ロスヴィータが怪訝そうな顔をするのにベリアが肩をすくめた。


財団ファウンデーションはツバルに強襲上陸するつもりのようだよ」


 そこで王蘭玲が発言した。


「偵察衛星の画像だ。アメリカ海軍の空母バラク・オバマを中核とする空母C打撃SGと水陸両用作戦部隊の艦艇。そして、日本海軍の空母瑞鳳を中核とする任務部隊と水陸両用作戦部隊の艦艇」


「偵察衛星には映ってないけど間違いなく潜水艦もいるね」


 偵察衛星の映像には太平洋を航行する日米海軍艦隊が映っている。


「彼らが利用している通信衛星に仕掛けランをやった。それによれば財団ファウンデーションは配下の民間軍事会社PMSCの精鋭を動員している。その部隊は規模にして1.5個師団だ」


「師団規模か。本気だね」


 王蘭玲はその技術で高度軍用アイスに守られた軍用通信衛星をハックし、そこのトラフィックを盗み聞きしていた。


「サンドストーム・タクティカルの防空コンプレックスもそうだけど、財団ファウンデーションの海軍部隊も面倒な相手になりそう」


「そうだね。艦載機に撃墜されるかも」


 ベリアが愚痴り、ロスヴィータが頷く。


「アーちゃん」


「ディー。どうだった? 海軍の高度軍用アイスは砕けそうだった?」


「いけるぞ。今、構造物内にあったメンテナンス用のバックドアを見つけて来た。これでフリーパスだ。軍が運用している管理者シスオペAIが不正アクセスに気づいてバックドアを封じるまではな」


「オーケー。いい感じ」


 ディーが報告するのにベリアが二ッと笑ってサムズアップした。


「それから援軍だ。あんたに会いたいと言っていたから連れて来た、ロンメル」


「ボクに?」


 ディーが言うのにロスヴィータが怪訝そうな顔をして首を傾げる。


「先生!」


 そして、マトリクスに現れたのは亜麻色の髪をポニーテイルにし、赤いローブを羽織ったハイエルフの少女だった。


「エミリア!?」


「はい! 援軍に来ました!」


 そう、ロスヴィータの前に現れたのはロスヴィータの異世界での教え子で死んでいることは判明しているエミリア・バードンだった。


「待って。その子は異世界で死んだ子でしょう? どうやって……」


「死者の世界は多元宇宙的な構造なんじゃないかって説がある。いくつもの宇宙に繋がった存在。恐らくはいくつもの宇宙が生まれる中でもっとも最初に生まれた宇宙こそが、死者の世界なんじゃないかと」


「確かに異世界は存在するし、それは多元宇宙的であるけどそれが繋がってるって」


 ディーが説明するのにベリアが困惑しきっていた。


「話を聞く限り、死者の世界には現実リアルにあるが、死者の世界にはないものがある。時間だ」


「そう、死者の世界には時間という概念が存在しない。過去と現在は流れとして存在せず、並行して同時に存在する。原始時代と冷戦時代に時間の流れが存在せず、ただシステム上の構造物として同時に死者の世界に存在する」


「そういう意味では死者の世界は宇宙しては特殊だ。時間が存在しないということはあらゆる物理法則が歪んでいる。時間のない世界ではエントロピーはどうなるのか」


 ディーの言葉に王蘭玲が興味深そうに問いかける。


「ボクの専門は生物学で物理学については、とくに量子物理学については知識が足りないから何も断言できない。けど、エミリア。君がここに来れるということは、あの世界の死者たちもこっちに来れるの?」


 ロスヴィータが難しい話を抜きにして、起きたことだけを尋ねる。


「ええっと。この世界に繋がっていることを知ってるのは私と何名かだけです。前に先生が死者の世界に来た時に会ったあの方に死者の世界の事実と、この世界の存在を知らされましたから」


「ディーから聞いたの?」


 エミリアが説明をしようとするのにロスヴィータがディーを見る。


「あんたが白鯨とやり合っていた時、死者の世界から帰還した後に説明した。あんたが何をするべきだったのか。どうして死者の世界から去らなければならなかったのか。それを教えている」


「理解できたの? マトリクスやAIとかについて?」


「聞いてみなよ。あんたの弟子だろ」


 ロスヴィータが問いを重ねるのにディーが肩をすくめた。


「エミリア。どうなの?」


「私はあの日まで死者の世界を漫然と受け入れてきましたが、あの人の説明を受けて一緒にあの世界の裏側に潜ったんです。それでマトリクスというものやホムンクルスをその空間で再現したようなAIについて学びました」


 ロスヴィータの問いにエミリアが語る。


「彼らは情報通信科学という側面で死者の世界を分析しました。それに対して私たちは魔術的に解析しました。死霊術や私の魔術の根源となる神話から死者の世界という空間について理解しようとしたんです」


「アプローチを変えた。だから理解できた?」


「はい。いつか先生にも論文にして提出しますよ。けど、今はこの混乱を鎮静化させることです。私も協力します!」


 エミリアが力強くそう言った。


「けど、エミリアはどうやって協力するつもりなの?」


「もう先生も知ってると思いますけど、死者の世界もマトリクスも魔術が機能するんです。そして、私はあの時死者の世界の事実を知ってから、あの世界を旅し、様々な魔術について知見を得ました」


 ゼノン学派から魔族たちが使う魔術に至るまでとエミリア。


「だからマトリクスのどんな構造物も私にかかればちょちょいのちょい! 頼りにしてくれていいですよ、先生!」


「そうか。頼りにしてるよ、エミリア」


 胸を張るエミリアにロスヴィータが優しく微笑んだ。


「凄いよ。死者の世界と接続されるということは他の世界にすら行けるんだ。何の魔術も使わずに、だよ。世界が変わる」


「だが、今の世界はそのようなことを受け入れられる状態にない。死者の世界とも異世界とも無計画に接続すれば、それはコロンブスがアメリカ大陸を発見したときのような惨事が起きることだろう」


 コロンブスの偉業とされるアメリカ大陸の発見の裏には多くの奴隷にされた人々や新しい疫病の発生、そして植民地化が隠れている。


 王蘭玲がそのことを含めて語った。


「そうだな。六大多国籍企業ヘックスなんかが異世界の存在を知ったらろくなことにならない。今の世界はまだファーストコンタクトには早い」


 ベリアが王蘭玲の意見に同意する。


「じゃあ、援軍も来たことだし、飛行機を拝借しよう。アメリカ軍からね」


「衛星の画像。ヒッカム空軍基地にアメリカ空軍の戦術級高速ティルトローター機がいくつか駐機してる。これはいいんじゃないかな? ティルトローター機なら着陸もしやすいし、軍用だから地対空ミサイルSAMに対する防衛装備もある」


「オーケー。そいつをいただこう。アメリカ空軍の構造物に仕掛けランをやるよ。まずは偵察から。一緒にやる人は?」


「ボクは同行するよ」


 ベリアの問いにロスヴィータが手を上げた。


「私も行こう」


「私もです!」


 そして、王蘭玲とエミリアが加わる。


「さて、ヒッカム空軍基地を管轄しているアメリカ空軍の構造物はっと」


 ベリア、ロスヴィータ、王蘭玲、エミリアがアメリカ空軍の構造物に飛ぶ。


「凄いアイスだ。高度軍用アイスってのはいつみてもぞっとする」


「超複層式限定AI制御アイスとアメミット式ブラックアイス」


 何百という階層に別れた限定AIに制御されるアイス。そして、アクセスした人間のトラフィックログから侵入者か許可された人間かを識別して脳を焼くアメミット式ブラックアイス。


 それらがアメリカ空軍の構造物を防衛していた。


「どうやる? 何かいいアイディアは?」


アイスは何層にも渡っているが、その中身は限定AIによるものだ。一瞬で砕き切れば問題はないし、限定AIを機能不全に陥らせる手段は山ほどある。これを使うといい。ProHALというアイスブレイカーだ。私が改良した」


「へえ。こいつは凄そう。国連チューリング条約執行機関のAIキラーよりも殺意に満ちてる。これを食らって生きてられるAIはいないね」


「これに君たちが有する事象改変的現象──魔術的要素を組み合わせてほしい。限定AIは愚直に任務を果たすだけではなく、仕掛けランを解析する。このアメリカ空軍の構造物をハックできても解析データが他に渡る恐れがある」


「アメリカ軍のサイバーセキュリティはリンクしてるからね。空軍に対する仕掛けランの解析が海軍に渡ったら海軍への仕掛けランが難しくなる」


 王蘭玲が言うのにベリアが同意した。


 そう、“ケルベロス”は今まさに太平洋で作戦行動中のアメリカ海軍の構造物に対しても仕掛けランをやっているのだ。そちらが失敗してもこの仕事ビズは失敗となってしまう。


「ブラックアイスはどうする? 相手はアメミット式だからこっちのトラフィックログを偽装する?」


「無駄だと思う。アメリカ軍が正式に許可したという許可証のログがなければどうせ焼かれるし、その許可証を偽装できるなら正面から堂々と入れる」


 アメミット式ブラックアイスはアクセスしたユーザーのこれまでのトラフィックログを瞬時に解析し、不審な点を洗い出し、アクセス許可の有無を確認し、違反しているならば容赦なく攻撃してくる。


「私に任せてください。その手の守護者を撃破する魔術があります」


 そこでエミリアが発言した。


「じゃあ、仕掛けランの準備を始めよう。ジャバウォック、バンダースナッチ。猫耳先生のアイスブレイカーに魔獣的要素を組み込んで。エミリア、君は使用する魔術を教えておいて。こっちでアイスブレイカーにコンバートする」


 ベリアがきびきびと仕切ってアメリカ空軍への仕掛けランの準備を始める。


「さて、相手だ、アメリカ空軍!」


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