ハヴォック//ガンジス川の畔

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 ──ハヴォック//ガンジス川の畔



 対ASAハッカーグループ“ケルべロス”の結成から、いよいよ彼らが動き出した。


 ベリアたち“ケルべロス”のハッカーチームはマトリクスから、東雲たち“ケルベロス”の物理フィジカル担当は現実リアルで、それぞれインドにあるASAの研究施設に対する仕掛けランを始めた。


「“ケルベロス”?」


「そ。ベリアたちが結成したハッカーチーム。なんと雪風も参加してるんだぜ?」


 インドのケンペゴウダ国際航空宇宙港に超音速旅客機のファーストクラスのフライトを味わいつつ、呉と東雲は雑談していた。


「ふうむ。あの雪風がね。そいつは大したもんだが、同時にそれぐらいヤバいことって意味だよな? 雪風が前に動いたのは白鯨が大暴れしたときだぞ」


「そういうことだな。白鯨、というより奴が生み出したマリーゴールドである“ネクストワールド”がクソヤバイって話なんだよ。マトリクスの理と現実リアルに上書きする。そして起きるのは?」


「マトリクスで使える魔術って奴が現実リアルで使えるようになる。ワイヤレスサイバーデッキがお手軽なテロ実行装備になる」


「それだけじゃない。マトリクスは死後の世界に繋がっている」


「はあ? あんたまでオカルトに染まっちまったのか?」


「オカルトと言えばオカルトだろうが事実でもある。マトリクスから死後の世界に行って戻って来た連中がいるんだ。そうだよな、八重野?」


 呉が訝し気な顔をすると東雲が八重野に話しかけた。


「ああ。私はブラックアイスを踏んだときに前のジョン・ドウであるエイデン・コマツとであった。そのことで私はエイデン・コマツの名を知ったんだ」


「マジかよ。じゃあ、“ネクストワールド”で上書きされたら」


 八重野の言葉に呉が唸る。


現実リアルに死人が溢れかえる。歩く死体デッドマン・ウォーキングの世界になっちまうってことだ。最悪だろ?」


「最悪だな。どう考えたっていい結果にはならない」


 東雲が機内サービスの合成赤ワインのグラスを揺らしながら言うのに呉がそう断言して背もたれに身を預けた。


「こいつを防がないと優雅な引退後の生活は台無しになる。俺はジェーン・ドウからの仕事ビズが被らない限り、“ケルベロス”に協力するつもりだ。あんたらもできれば付き合ってくれ」


「ああ。可能な限り付き合うつもりだ。死人が現世を歩き回るなんて、まるでゾンビアポカリプスの話じゃないか。ASAの連中は何考えてやがる」


「さあな。イカれた科学者が実在するってのはフィクションの世界だけであって欲しかったよ。どうも今の時代には頭のおかしいくせに技術を持った連中がいる。そいつらの理想ってのは独りよがりなものみたいだ」


 呉が呻き、東雲が肩をすくめた。


「そろそろ到着だ」


「オーケー。ようこそ、インドへ」


 東雲たちを乗せた全日本国空中輸送ANASの超音速旅客機がインドはカルナータカ州ベンガルールのケンペゴウダ国際航空宇宙港に到着。


 東雲たちは生体認証で5秒で終わる入国手続きを済ませて、歴史ある国家インドの大地を見渡した。


「すげえ発展してる。高層ビルが馬鹿みたいに並んでるぜ」


 ベンガルールの街は経済的に発展しており、TMCには及ばないもののかつて先進国と言われた国々の主要都市クラスの街並みを有している。


 交通インフラも整備されており、リニアモーターカーや無人バス、無人タクシーが行き来していた。昔ながらの鉄道も走っている。


六大多国籍企業ヘックスの金だよ。インドは有望な市場だった。少なくともゼータ・ツー・インフルエンザにパンデミックが集結してからはな」


「ゼータ・ツー・インフルエンザでインドでも流行ったのか?」


「当り前だ。ゼータ・ツー・インフルエンザは世界規模のパンデミックだ。そして、インドにメティス・メディカル製のワクチンが渡されたのは後になってから。クソみたいに人が死んで、一時期は人口が減少に転じたぐらいだ」


 東雲が尋ねるのにセイレムがそう言った。


「パンデミックそのものの死者はもちろん生じた混乱で起きた死者も馬鹿にならない。感染者が出た街や村を暴徒が住民ごと焼き払ったり、自棄になった感染者がテロを起こしたり。とにかく人が死んだ」


「市民による自主的防疫措置というものだな。感染者はとにかく攻撃されたし、少しでも感染者と接触があった人間も攻撃された。中世の黒死病の流行のように炎が狂信され、あちこちで人が生きたまま焼かれた」


「今でも変わった病気の患者がおると放火される病院があるぐらいだ」


 八重野が付け加えるのにセイレムが肩をすくめる。


「日本じゃそういうことはなかったのか?」


「日本は開発に金を出していたからワクチンの最優先供与国のひとつだったし、大井医療技研も抗ウィルス剤をかなり早い段階で製造していた。死人が出なかったわけじゃないが、他と比べると格段に少ない国だ」


「へえ。病気で死ぬってのは嫌だね」


 八重野の言葉を聞きながら、東雲は無人タクシーを捕まえる。


 東雲たちはタクシーに乗り、呉が伝手のあるインドの犯罪組織“ボーン・フロム・ニューク”の拠点を目指した。彼らの拠点は郊外のスラムにある。


「インドはヒンドゥー教の国だからイスラム教はマイノリティか?」


「インドの歴史からするとイスラム教の支配が続いた時期は長いから入り乱れてる。確かにヒンドゥー教徒が大多数だが、イスラム教は無視できるほど少数派でもない」


「ふうん。それで第六次中東戦争後にアラブ人の難民が来たのか」


「ペルシャ人もな。イランはイスラエルの核でぼろくそにされたし、難民の多くはイランを経由して、同じく核を首都イスラマバードに食らったパキスタンを抜けて、かなり経済的に余裕があったインドに逃げ込んでいる」


「インドはよく受け入れたな。難民受け入れってのか金がかかるし、後々問題になることが多いだろ? パレスチナ難民を受け入れたヨルダンはパレスチナP解放L機構Oと戦争になったし」


「国際社会の圧力って奴だ。インドの当時の首相はバリバリのヒンドゥー原理主義者でインドに来るムスリムの難民を機関銃で皆殺しにすると言ったが、国際社会から批判されて渋々一部の難民を受け入れた」


「貧乏くじだな。他の国はどうせ受け入れなかったんだろ?」


「インドほどではないが各国も受け入れはした。安価の労働力になることを期待した日本政府のような場合もある。だが、インドには不法越境して逃げ込んでくる難民の数が馬鹿にならなくなっていた」


 パキスタン国境とインド洋経由で難民が流れ込んだと呉。


「気づけば国内は難民だらけ。追い出そうにも崩壊したイスラム圏の軍隊が持ってた武器で抵抗してくる。政治的、経済的弾圧を加えれば定番の“俺たちを尊重しろテロ”が発生して爆弾がドカン、ドカン」


「うへえ。ちょっとした地獄だな」


「ちょっとしたってもんじゃない。テロで人が死にまくって、政治的、経済的な信頼性も低下。そのせいでインドも六大多国籍企業に完全に屈した。インド独力では対処不能になったところに連中の民間軍事会社の出番でございます」


「それって仕込んでるだろ。国際社会の難民受け入れの圧力ってのは六大多国籍企業がかけてたんじゃないか。インドを屈服させるために」


「そう考えてるインド人は少数派じゃないだろうな」


 六大多国籍企業の悪辣さにため息が出る。


 そうしている間に無人タクシーはスラムの手前まで到着し、限定AIが脅威判定を行って危険度が高い治安レベルから運転を停止する。


 東雲たちはタクシーを降りて、徒歩でスラムを歩く。


「ひでえ臭いがする。人が腐ってる臭いだ」


「野犬に気を付けろ、東雲。ここの犬はほぼ狂犬病の媒介ヴィクターだ」


「最悪」


 八重野が言うのに東雲がそこらにいる野犬を見た。やせ細り、乾いた黒い血を口の周りにつけた犬が2、3匹で群れを作っている。食い荒らされたであろう人間の死体の傍にいる野犬もいた。


 異臭の漂うスラムを呉の案内で進み、目的地に到着。


「ここか?」


「そうだ。昔、学校だった建物だ。難民増大でスラムに飲まれてからは“ボーン・フロム・ニューク”が拠点にしている。気を付けろよ。連中のトリガーはかなり軽い」


 呉がそう言ってかつて学校だった建物のゲートを潜ると、イラン陸軍が使っていた軍用自動小銃で武装した軍服姿の男たちが出迎えた。安全装置を外してトリガーに指をかけたままという歓迎ぶりだ。


「どこのどいつだ?」


「呉だ。アミル・アリに仕事ビズを頼んでいた」


「待て。確認する」


 “ボーン・フロム・ニューク”の構成員が呉を生体認証する。


「確認した。通っていいぞ。アミル・アリは2階の事務所にいる」


「ありがとよ」


 呉たちが通されて、“ボーン・フロム・ニューク”の拠点内に入った。


 学校だった建物の窓の一部は鉄板で覆われ、銃撃戦に備えている様子だった。さらには機関銃陣地まである。


 そこを抜けて東雲たちは呉が仕事ビズを依頼した男のいる場所に向かう。


「アミル・アリ。呉だ。頼んでおいた仕事ビズはできてるか?」


「呉か。できてるぞ。問題はない」


 アミル・アリは太った大柄な男で、やはりイラン陸軍の軍服を着ている。腰には金メッキの50口径レボルバー。趣味が悪い。


「オーケー。報酬を払おう」


仕事ビズは大変だったんだぜ。インド政府から業務委託を受けてる民間軍事会社の連中がしつこくてな。手間がかかった。大変な手間だ」


「で、だから値上げしろってか?」


「俺たちもボランティアじゃないんでね。35万新円だ」


「分かったよ。端末出せ」


「話が早くて助かる」


 呉は“ボーン・フロム・ニューク”の構成員の端末に指定された金額をチャージし、構成員がそれを確認した。


「荷物まで案内させる」


 “ボーン・フロム・ニューク”の下っ端が東雲たちを密輸した荷物まで案内し、古いガソリンエンジンのバンに積まれた八重野の“鯱食い”や電磁パルスグレネードを東雲たちは回収した。


「オーケー。これで戦闘準備完了。ホテルで作戦会議だ」


「いよいよだな」


 東雲たちはスラムを出て、また無人タクシーを捕まえるとベリアたちが予約していたインド出張のリッチなビジネスマン向けのホテルにチェックインした。部屋は最高級のプレジデンシャルスイートである。


「ゴージャスな部屋だけど今回はジェーン・ドウの金じゃないんだよな」


「どうせあまるほど金はあるだろ」


「そうだけどさ。節約した方が良かったかも」


 セイレムが呆れるのに東雲がインド風の異国趣味のそれで整えられた部屋の中を見渡した。綺麗で、目を引く模様の絨毯などはインドに来たという感じはする。


「作戦会議を始めるぞ、東雲」


「あいよ。まずこのベンガルールの警察業務を委託されているのは独立系民間軍事会社PMSCのヴリトラ・ディフェンスだ。元インド軍の軍人が多く、六大多国籍企業に対しては概ね中立」


 東雲がミーティングモードでARから情報を展開する。


「装備は?」


「アーマードスーツから無人攻撃ヘリまで一通りのものは持ってる。だが、動きは遅いって話だ。ベンガルールには政治的、経済的信頼がある。むやみに軍隊みたいな連中を展開させてそれを落としたくはない、とさ」


「なるほどね。つまり、民間軍事会社とドンパチやることになるのはそこまで騒動が拡大した場合ってことか」


「そういうこと。だが、ASAの研究施設にはサンドストーム・タクティカルがいることをベリアたちが確認している。かなりの規模って話だ」


 呉が言うのに東雲がそう言ってASAが占領しているアトランティス・インディア・サイバー・インスティテュートの地図をAR上に表示した。


「施設には地対空ミサイルSAMやらバンカーやらいろいろ。無人警備システムも当然配備されてる。そこにサンドストーム・タクティカルだ。まともに突っ込めば蜂の巣されても文句は言えない」


「じゃあ、どうするんだ?」


「マトリクスから支援してもらう。無人警備システムを焼き切るかジャックし、さらにサンドストーム・タクティカルのC4Iに仕掛けランをやって連中を混乱させる。その隙に研究施設に忍び込んでお土産パッケージゲット」


 八重野の問いに東雲がそう答える。


『東雲? インドにはもう到着してるよね?』


「おう、ベリア。今はホテルで作戦会議中だ。そっちの支援が必要だぜ」


『その前にテレビ見て。早く!』


「なんだよ。いきなりテレビって」


 東雲が文句を言いながらホテルに備え付けのテレビを付ける。


「おい。こいつは」


「なんてこった」


 テレビは緊急速報を流していた。


 “BREAKING NEWS”として表示されているのはひとつ。


歩く死体デッドマン・ウォーキングが地上に溢れる!』


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