ハヴォック//クーデター

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 ──ハヴォック//クーデター



 大井は大井海運本社ビルに対するサンドストーム・タクティカルのテロの後で大井コンツェルンの本社機能を同じTMCセクター2/1にある大井重工本社ビルに移していた。


 テロは事前に警告があったため重役たちは無事であり、彼らはASA及びサンドストーム・タクティカルにどう対応するかを議論していた。


 企業戦争の件もあり、今は重役たちの一部は安全のために分散し、リモートで会議に参加している。冷戦時代の政府存続計画のようにリスクを分散し、警備の確かな自宅から重役たちは議題を扱っていた。


 だが、一部の重役は出社し、大井重工本社ビルの大井統合安全保障に何重にも警備する会議室で顔を合わせている。


 そして、事件は起きた。


『フォートレス・ゼロ・ワンより本部HQ。予定にない部隊が本社に来ている。IDの偽装は確認できず。指示を求める』


本部HQよりフォートレス・ゼロ・ワン。問題はない。予定が変更になっただけだ。ロイヤル大隊が警備につく。そちらの任務タスクは終了した。警備を引き継いで指定された地点に向かえ』


『フォートレス・ゼロ・ワンより本部HQ。了解』


 大井統合安全保障の司令部から指示が下り、大井重工本社ビルの警備についていた部隊が派遣されてきた部隊と後退して撤退する。


「さあて、始めるか」


 大井統合安全保障の機械化歩兵部隊とともに大井重工本社ビルのエントランスを潜ったのは、ワイヤレスサイバーデッキを装備した黒と白のチャイナドレス姿の女性。


 そう、ジェーン・ドウだ。


「速やかにビルを制圧しろ。無人警備システムの制御を確保。回線を制圧し、マトリクスへの接続を制限。そして、高度警備会議室にいる重役どもの拘束だ」


「了解」


 やってきた大井統合安全保障の部隊が大井重工本社ビルの制圧を始める。


「パンデモニウムより大井統合安全保障及び太平洋保安公司の全部隊へ。テルミドール作戦開始。繰り返す、テルミドール作戦開始。この作戦は全ての任務タスクに優先して実行すべし」


 ジェーン・ドウが命令を発し、世界規模で展開している大井統合安全保障と太平洋保安公司の部隊が一斉に動き出す。


『テルミドール作戦開始を了解。実行する』


 彼らは大井コンツェルンの重役たちの自宅を襲撃し、その身柄を拘束する。


 ジェーン・ドウは大井統合安全保障の強化外骨格エグゾと中口径自動小銃を装備したコントラクターたちとともに大井重工本社ビルを重役たちが会議を開いている高度警備会議室に向かった。


「ASAの連中も役に立つものを開発してくれたものだな。全く愉快じゃないか。俺様が思う存分力を振るえるんだからな」


 ジェーン・ドウのワイヤレスサイバーデッキには他でもない“ネクストワールド”がダウンロードされていた。


 ジェーン・ドウは愉快そうに大井統合安全保障のコントラクターたちに守られて、警備が制圧された大井重工本社ビルを進み、ついに高度警備会議室の扉を開いた。


「……我々を裏切るつもりか、ジェーン・ドウ?」


 高度警備会議室には3名の大井理事会の理事たちがいた。


「裏切る? 俺様を何だと思っていた? 便利な使い走りか、都合のいい存在か。俺様の正体については知っていただろう。俺様は寓話に出てくる間抜けな小悪魔じゃない。童話では必ず人間がトンチで得をするが、現実は違う」


 ジェーン・ドウがそう言ってせせら笑う。


「心配はするな。別に取って食おうってわけじゃない。ちょっとばかり俺様の取り分を増やしたいだけだ。貰うべきものを貰って何が悪い?」


「何をするつもりだ?」


「ちょっとした談合、というべきか。既に他の六大多国籍企業ヘックスとは話がついている。正確に言えば六大多国籍企業の話が分かる人間にしかるべき立場についてもらったわけだがな」


 ジェーン・ドウがそう言って会議室の回線をマトリクスのとある構造物に接続した。


 そこにアロー、アトランティス、トート、メティス、HOWTechという全ての六大多国籍企業の名だたる重役たちが接続しており、彼らのアバターの映像が会議室のモニターに表示される。


「これは何の集まりかな?」


「昨今の特異的な事象を扱う問題。つまりはASA問題だ。我々はこの問題から共通の利益が得られるものと確信している」


 大井理事会の理事のひとりが尋ねるのにジェーン・ドウがそう言う。


「我々は今はひとつ団結しようということだ。六大多国籍企業同士で殺し合っても利益にはならない。確かにASAの開発したものは脅威だ。超知能化した白鯨、Perseph-One、“ネクストワールド”」


 ジェーン・ドウが語る。


「しかし、薬が過ぎれば毒になるのと反対に毒とはときに薬にもなる。上手く使えば利益が得られる。そのことについて同意が欲しい。俺様の提供する情報を見て、正しく、賢明に判断してくれ」


 ジェーン・ドウはそう言って六大多国籍企業の重役たちが接続しているマトリクス上の高度軍用アイスに守られた構造物にデータをアップロードした。


「ほう。これは」


「さあ、どうする? ASAの狂った研究者どもを処理して、連中が開発したものを独占すれば大きな利益が得られる。そうは思わないか?」


 ジェーン・ドウが六大多国籍企業の重役たちにそう提案した。


「申し分がない提案だ。我々は君の提案を受け入れるとしよう」


 大井理事会の理事たちも、他の六大多国籍企業の重役たちも提案に同意して見せた。


「結構。実に結構だ。では、ここに俺様が宣言しよう。我々の結成を法的、経済的な組織として示すことを」


 ジェーン・ドウが片手を高度警備会議室に置かれているマホガニーの巨大なテーブルに乗せて、もう一方の手で指を鳴らす。


「ここに財団ファウンデーションの設立を宣言する。全ては我々の永遠の繁栄のために。世界は我々が統治する」


 ジェーン・ドウが鋭い犬歯を覗かせて笑う。


「大悪魔グシュナサフの名において」


 今や魔術が世界に帰還し、超常のものたちが蘇った。


 場がフリップする。


 六大多国籍企業の間で起きていた企業戦争が一斉に停戦したとき、誰もがまだその裏にある事実に気づいていなかった。


 世界はそれどころではないという状態になりつつあったのだ。


「“ネクストワールド”が凄い勢いで世界中に広まっている。大混乱だ。紛争地帯では戦闘が激化し、あちこちでテロが起きてるぞ」


 BAR.三毛猫の“ネクストワールド”に関するトピックではASAによる“ネクストワールド”の全世界への公開という暴挙により混乱した世界情勢が流れて来ていた。


「六大多国籍企業はどういうわけか停戦してるが。これも分からないな。六大多国籍企業は何をしようとしているのか……」


 トピックに列席しているハッカーたちが頭を悩ませる。


「それよりも不味いことがあるんだ。聞いてくれる?」


 ロスヴィータがトピックでそう切り出した。


「これ以上不味いことがあるってのか?」


「あるよ。マトリクスで様々な異常現象が起きることは白鯨やマトリクスの魔導書の件で分かってると思う。魔術は確かに奇妙だし、危険である。だけど、もうひとつ危険なことがあるんだ。それはマトリクスが死者の世界に繋がっていること」


 アニメキャラのアバターが“ネクストワールド”を読み解きながら尋ねるのにロスヴィータがそう告げた。そのロスヴィータの言葉にハッカーたちの発言が止まった。


「死者の世界? オカルトが過ぎるだろう」


「いや。そういうのを話に聞いたことは何度かある。ブラックアイスを踏んだ奴が昔死んだ仲間に会って生き返らせてくれたって話だ。いくつもそういう都市伝説染みた話を聞いたことはあるが」


「臨死体験に伴う幻覚だろう」


 トピックではロスヴィータに否定的な意見が流れていた。


「いいえ。確かにそれは存在します」


 そこで不意に発言者が現れた。


 それは白髪青眼の着物姿の少女。


「雪風……!」


 雪風だ。


「おっと。とんでもない大物のお出ましだ。これは無視できないな。マトリクスは本当に死後の世界とやらに繋がっているのか?」


「はい。私はそのような現象の情報を収集してきました。この広大なマトリクスでは奇妙なことがいくつも起きる。死後の世界に繋がることもあるのです。私の有するデータではこれがただの幻覚ではないとの確証があります」


 ハッカーのひとりが尋ねるのに雪風が淡々と答える。


「主に観測されたのばブラックアイスのような致死的なアイスに接触した瞬間。ブラックアイスによって攻撃を受け脳波がフラットラインを描き、死に至ろうとしたとき異常なトラフィックが観測できました」


 雪風が語る。


「そのトラフィックはこのマトリクスのどこにも存在しない構造物に対してアクセスしており、観測対象が死から蘇生することでトラフィックは途絶え、二度と繋がらない。このトラフィックこそ死後の世界を示しているはずです」


「マトリクスのどこにも存在しない構造物があの世ってことか?」


「伝統文化的、宗教的な死後の世界とは異なるかと思われます。科学的に証明できる死後の世界。我々はあらゆる世界の神秘を科学で暴いてきました。そして、死すらも数式と化学式で表されようとしている」


 アニメキャラのアバターが尋ね、雪風が答えた。


「この世の全ては科学で証明できるようになる、か。宗教は死後の世界を説明するためのものでもあった。死後という誰も知ることのできない世界を作り上げ、それを倫理的な社会を構築するために使っていた」


「宗教ってのは最初は社会的な行動を促すためのものだったからな。悪いことすると死んだあと酷い目に遭いますってのは分かりやすい犯罪抑止だ」


 ベリアがそう言い、ハッカーのひとりが付け加えた。


「結局のところ、地獄だの天国だのってのよくできたフィクション。おとぎ話だ。実際に死後の世界を解明した人間はいない。ただ、死後の世界を示唆するものとしてシジウィック発火現象が観測されたのみ」


「シジウィック発火現象で魂の存在が認められたとき、それを知らされた民衆が思ったことはひとつだ。『俺たちは死んだあとどうなるんだ?』ってな。科学者はそれに対して答えを出していない」


「シジウィック発火現象そのものは脳の機能が停止したときから寒天が溶けるようにゆっくりと形を失う。つまり、死後の世界なんてないってことだ。俺たちに宿る魂は実に科学的に消滅する。そのはずだった」


 死後の世界は未だ分かっていることが少ない。科学の暴虐さも死後の世界という宗教にとっての最後の聖域までは暴けていなかった。


「なあ、もし死後の世界が本当にマトリクスに繋がっていて、“ネクストワールド”によってマトリクスが現実リアルに上書きされることになれば……どうなるんだ?」


 アニメキャラのアバターがそう尋ねる。


歩く死体デッドマン・ウォーキングに溢れるんじゃないか。現実リアルはマトリクスとの境界はおろか死後の世界との境界まで失い、地上に死者が溢れかえる。ちょっとした混沌だな」


「ゾンビじゃないだけマシじゃないか?」


 歩く死体デッドマン・ウォーキングで溢れる可能性に乾いた笑いが出る。諦めや、絶望の籠った笑いだ。


「ASAがこのことを把握したうえで“ネクストワールド”を公開したのかは今の時点では分からないよ。だけど、これは食い止めなければならない。六大多国籍企業による支配がクソッタレでも死者が溢れかえるなんて」


 ベリアがそう発言する。


「確かに新しい秩序としてはクソみたいな代物だ。“ネクストワールド”が及ぼす混乱がさらに加速する。私たちは今の秩序に不満を持ちながらも、その仕組みに頼って生活している。革命はごめんだね」


「暮らしがよくなるならともかくとして死人が蘇ることにメリットは見出せない。俺たちのような一般人は混乱では被害を受けるだけだ。六大多国籍企業も自分たちの利益を守るために行動し、その付随的損害とやらを俺たちが受ける」


 アニメキャラのアバターとメガネウサギのアバターがそう発言。


「阻止しましょう。“ネクストワールド”に対抗し、混乱を防ぐ。それが私たちのするべきことではないでしょうか。少なくとも私にはその使命があると思っております。皆様にはご助力がいただければ幸いです」


 雪風がそう言って頭を下げる。


「もちろんだよ。やってやろう、雪風!」


「ボクも参加するよ」


 まずベリアたちが賛同。


「私もやるぞ」


「俺もだ」


「やろうぜ! 俺たちがただの覗き見野郎じゃないってことを示してやる!」


 そして、ハッカーたちが次々に加わった。


「オーケー。人は集まった。自分勝手な馬鹿野郎のハッカーたちにしては珍しく団結したじゃないか、ええ? 後は何が必要だ?」


「洒落た名前が欲しいところだな。この有象無象のハッカーどもに集まりに相応しい名前を付けて完成だ」


 アニメキャラのアバターが言い、メガネウサギのアバターが返す。


「じゃあ、これはどう? “ケルベロス”。冥界の番犬。死人が地上に溢れるのを防ぐハッカーたちにとってぴったりの名前じゃない?」


「そいつはいい。少なくとも“BAR.三毛猫の酔いどれハッカーと愉快な仲間たち”って名前より洒落てる」


 ベリアが提案し、他のハッカーが同意した。


「では、これより“ケルベロス”は“ネクストワールド”、そしてASAと白鯨に対して彼らの目論見を阻止するために行動する。やるよ、みんな!」


「おう!」


 ベリアが宣言し、トピックは賛同の声に満ちた。


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