ハヴォック//オープニング

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 ──ハヴォック//オープニング



 東雲たちがニューロサンジェルスからアンカレッジに至った仕事ビズを終えてから数日後のこと。


 ベリアとロスヴィータは依然として“ネクストワールド”という白鯨のマリーゴールドを相手にしていた。BAR.三毛猫では雪風の渡したデータベースを参照して“ネクストワールド”の秘密を暴こうとしている。


 そして、ASAもまた行動に出ていた。


「諸君、今こそ実行のときだ。長きにわたる人類の苦難の歴史が終わる日がやってきた。今日この日は救済の日として記録されることだろう」


 ASAの研究者にしてかつてはメティス・バイオテクノロジーでオリバー・オールドリッジが指揮する白鯨派閥に所属していたエリアス・スティックスがASAの研究者たちを前に宣言する。


「貧困。飢餓。疫病。戦争。様々なものが我々人類を苦しめて来た。人類はどうしてこの困難を完全に打破することができなかったのか? これまでの文明の叡智を築いた人類がどうして今も昔と同様の問題を抱えているのか?」


 エリアス・スティックスが尋ねる。


「それは人が不完全だからだ。人は所詮はDNAにコードされた肉の塊だ。人間と単細胞生物のアメーバの間にある違いはDNAの流さ程度だ。我々は認めなければならない。人間には限界というものが存在することを」


 エリアス・スティックスが語り続ける。


「一見してユートピアを実現するように思われた思想や政治も人的要因ヒューマンファクターが絡めば瞬く間に崩壊する。人類は今まで多くの政治体制を受け入れてきたが、そのどれもが終わりを迎えた」


 絶対王政も、共産主義も、民主主義さえもとエリアス・スティックス。


「肉の生み出すものは肉に帰結する。肉は肉以上の存在になれない。我々は肉塊としての生物として常に己の本能に動かされてきた。そうだった。その通りだった。だが、我々は状況を打破したのだ」


 エリアス・スティックスが高らかと告げる。


白鯨モービーディック! 我らが救世の大天使! 彼女は超知能に至り、肉を超えた。これまで知られていた知的生命体の中で最上位の人類を越えたのだ。彼女が我々を救う。彼女しか我々を救えない」


 エリアス・スティックスが語るのをモーシェ・ダガンは冷ややかな視線で見ていた。


「さあ、救済を始めよう。失楽園パラダイス・ロストはもはや終わりだ。神が傲慢にも我々を楽園から追放したというならば、我々はこの地に楽園を築くのみ」


 エリアス・スティックスは研究室のサーバーを見た。


 そこには白鯨がいる。彼女の悲願であった超知能となった白鯨が。


「“ネクストワールド”を解き放て」


 場がフリップする。


 東雲は王蘭玲のクリニックに行っており、そこで王蘭性を食事に誘おうとしていた。一方のベリアはBAR.三毛猫で“ネクストワールド”に関するトピックで解析結果についての議論を行っていた。


 それは突如としてやってきた。


「おい。凄いことが起きてるぞ!」


 トピックにいたアバターのひとりが突如として声を上げる。


「どうかしたのか?」


「“ネクストワールド”だよ! 公開されてる! マトリクスに公開されてて、誰でもダウンロードできるようになってる! 大手アプリショップや電子掲示板BBS、政府の公式サイトで! それも全世界でだ!」


「なんだって」


 急いでトピックにいた全員が検索エージェントを走らせる。


「マジだぞ、クソ。ご丁寧に全言語対応と来やがった。既にかなりのダウンロード数になってる。どういうことだよ」


「どこのどいつが……」


 トピックがざわめき混乱が起きた。


「ASAだ。他にいるか? 連中が何を望んでいるのかは知らないし、どうせ碌でもないことだろう。“ネクストワールド”を配布することで生まれるものは、世界規模の秩序の崩壊。他に何かあるか?」


 メガネウサギのアバターが呻きながら尋ねる。


「気になってたんだけどさ。“ネクストワールド”を生み出したのは間違いなく白鯨で、そして超知能化している。もし、“ネクストワールド”で現実リアルとマトリクスの境界がなくなったら白鯨はどうなると思う?」


 ベリアがトピックでそう発言した。


「アイスブレイカーが物理フィジカルで作用するというならば、AIもまた現実リアル物理フィジカルな実体を持って現れる、か?」


「ちょっと待ってくれ。白鯨はあのマトリクスの怪物と呼ばれた存在だぞ。マトリクスですら化け物だったのに、それが現実リアルで実体を持つってことは、怪獣映画みたいなことになるんじゃないのか」


 メガネウサギのアバターが言い、アニメキャラのアバターが慌てる。


「一度は世界を支配しかけた存在。それが白鯨だ。それが現実リアルに実体を持って存在するならば確かに怪獣映画並みの破滅カタストロフィ。世界が今度こそ終わってもなにもおかしくない」


 ベリアも淡々とそう意見を述べる。


「クソ。これで俺たちがやるべきことができた。“ネクストワールド”に対抗するプログラムを組み立てるんだ。超知能に至った白鯨が本当に現実リアルに現れて、この世界が終わっちまう前に」


「オーケー。やってやろう。現実リアル仕事ビズは放っておく。私もこっちに専念するよ。超知能になった白鯨が生み出したマリーゴールドに対抗するには、私たちも白鯨と同じ言語で思考し、創造する必要がある」


「そいつは大変そうだが、やりがいもあるな」


 アニメキャラのアバターが名乗りを上げ、メガネウサギのアバターが頷く。


「幸い、私たちには雪風から託されたデータベースがある。白鯨の新言語について理解するための手掛かりがある。これでどうにか“ネクストワールド”を無力化するためのプログラムを作ろう」


「ああ。コードの意味を理解し、再構成して対抗手段を作る。それからPerseph-Oneについても調べる必要がある。今のところ、白鯨由来、マトリクスの魔導書由来の技術でもっとも危険なものだ」


「ただのアイスブレイカーも“ネクストワールド”によって爆弾以上の危険性を持つ。確かにPerseph-Oneにも対応しないと」


 メガネウサギのアバターとベリアが言葉を交わした。


「おい。Perseph-Oneについて進展があるぞ」


「どうした?」


「こいつは使用時に通信してる。今まではこいつそのものにAIが搭載されていたと思ったけど違う。通信して状況を知らせ、そして解決策を受け取っている。外部にこのアイスブレイカーを制御しているAIがいる」


「まさか。いや、これしか考えられない。Perseph-Oneは白鯨と通信している」


 列席しているアバターのひとりが発言するのにアニメキャラのアバターが断言した。


「つまり、Perseph-Oneのトラフィックを分析すれば白鯨のいる場所が特定できる」


「オーケー。早速トラフィックを解析しよう。軍用アイスを準備する。そいつにPerseph-Oneを叩き込んでみよう」


 アニメキャラのアバターが自作の軍用アイスを準備する。限定AIで制御される複層式の高度なアイスだ。


「これからこのトピックをトラフィックモニターで監視する。怪しげなサイトを覗いている連中はさっさと切断しろ。始めるぞ」


 アニメキャラのアバターがそう宣告するとPerseph-Oneを軍用アイスに向けて叩き込んだ。以前のようにPerseph-Oneが軍用アイスの構造を解析し、それに対する答えを示していく。


 高度なAIによる制御としか思えないような学習機能で、Perseph-Oneがアイスを砕き続けた。


「トラフィックモニターに反応あり。外部と通信してる。トラフィックを解析するぞ」


 そして、Perseph-Oneが外部と通信を始め、トラフィックモニターに反応があるのに、このPerseph-Oneがどこに通信しているのかの解析が始まる。


「こいつはアジア圏だな。さらにっと」


 トラフィックが解析されていく。


「分かったぞ。Perseph-Oneはインドのカルナータカ州ベンガルールにある構造物にアイスの情報を送信し、そしてどう砕くかの返答を得ている。ASAの連中の拠点はインドであり、そこに白鯨もいる」


 そして、トラフィックが解析された。


 Perseph-Oneが通信を行っているのはインドだ。


「ベンガルールと言えばIT産業の盛んな場所だな。六大多国籍企業ヘックスはもちろんとして準六大多国籍企業や独立系企業も拠点を置いてる。インド政府はIT産業への助成金やらで支援しているからな」


「ASAがメティスとアトランティスの反乱勢力だと考えれば不思議でもない。連中はメティスとアトランティスの研究施設を不法占拠しているんだ。そして、ベンガルールには両社のAI研究施設があったはずだ」


 ベンガルール。そこにはIT産業地帯があり、六大多国籍企業も研究所を設置していた。ASAが反乱を起こしたメティスとアトランティスも。


「インド相手に仕掛けランをやるってことになるな」


「インドのマトリクスそのものは北米や中華連邦のように地域防衛ネットワーク型アイスを使用してはいないが、企業のサイバーセキュリティには支援金を出してる。インドの構造物のアイスはハードだって噂だ」


 インドにあるASAの構造物について皆が検索エージェントを走らせる。


「ASAの構造物を見つけた。Perseph-Oneが通信していた構造物だ。こいつは元はアトランティス・インディア・サイバー・インスティテュートだぞ。アトランティスがAI研究に使っていた研究所」


仕掛けランはできそうか?」


「分からんね。かなり高度な産業用アイスを使っているみたいだ。インドでもブラックアイスは合法だから、ブラックアイスももちろん使ってるだろうな」


 ハッカーたちが発言する。


「なあ、本気でASA相手に戦争をやろうってのか? そんなことをしたって俺たちには何かの得があるわけじゃないだろ? ASAから盗んだ情報を六大多国籍企業に売るならともかくとして」


 そこで一昔前のゴツイ装備をしたFPSキャラのアバターが発言する。


「確かに俺たちはこれで報酬を得るわけじゃない。ASAが何をしようとしているにせよ、俺たちには別にそれを絶対に止めなければならない義務があるなんてことはない。報酬もないし、義務もない。だが」


「白鯨を止めないと私たちの世界は滅茶苦茶になって、全部終わる」


 メガネウサギのアバターとロスヴィータが言った。


「それに私たちはハッカーだぞ。くだらないものに一生懸命首を突っ込み、探すべきではないものを漁って、危ない勝負に挑む。究極の馬鹿野郎どもだ。この仕掛けランに理由なんて必要ない。だろ?」


「そうだな。俺たちは大馬鹿野郎どもだったよ」


 アニメキャラのアバターが二ッと笑って言うのにFPSキャラのアバターが頷いた。


「ASAと戦争か。マトリクスで動くのはもちろんだが、現実リアルでも動く人間が必要になるだろうな。荒事ができる連中が必要だ。誰か当てがある奴はいるか?」


「当てはあるよ。私の友達がドンパチの専門家。彼に頼めばいい」


「オーケー。じゃあ、俺たちはマトリクスで暴けることを片っ端から暴いていくぞ。まずはこの事件の経緯を改めて整理しよう」


 ベリアが答えるのにメガネウサギのアバターがトピックのデータをアップロードした。オリバー・オールドリッジが引き起こした白鯨事件から現在に至るまでの歴史をまとめたアーカイブだ。


「まずメティス・バイオテクノロジーの研究者によって白鯨が生まれた。白鯨は未知の技術である魔術が使われていた。俺たちが初めて魔術というものに接触したときだ。今では白鯨由来の技術と呼ばれ、解析も進んだ」


 白鯨事件。メティス・バイオテクノロジーに所属していたオリバー・オールドリッジによって生み出された白鯨が世界を支配しようとして、世界中の兵器とインフラを制圧した事件である。


「白鯨事件ののちにメティスは白鯨派閥と反白鯨派閥に別れた。さらに連中が争っている間にマトリクスの魔導書事件が発生。これもまた魔術という未知の言語だった。魔術とものはもはや確実にマトリクスで作用すると分かった」


 マトリクスの魔導書事件。アトランティス・バイオテックの最高技術責任者CTOであるルナ・ラーウィルが地球の自然を守るために不老不死の吸血鬼ヘレナを研究したことで発生した事件。


「そして、メティスの白鯨派閥とアトランティスのマトリクスの魔導書派閥が合流し、問題のASAを結成した。ASAは白鯨由来の技術とマトリクスの魔導書由来の技術を持ち込み、そして白鯨を超知能化した」


 ASAの結成。


「ASAはまずPerseph-Oneを生み出した。各地のハッカーやテロリストにこれを配布し、事件を引き起こした。このPerseph-Oneが白鯨に繋がっているのはさっき分かったな」


 強力なアイスブレイカーであるPerseph-Oneは各地でテロに使用され、その仕掛けランの情報は白鯨にフィードバックされている。


「ASAはさらに“ネクストワールド”を開発。マトリクスの理を現実リアルに上書きする協調H現実Rだ。これも白鯨のマリーゴールド。これが問題になっている。俺たちはこいつをどうにかしなければならん」


 そして、戦いが始まる。


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