デモリッション//アナウンス

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 ──デモリッション//アナウンス



 東雲たちが森・V・フェリックスを奪還するという仕事ビズを終えてから2日後のことである。


 ジェーン・ドウからの呼び出しがありTMCセクター6/2のバーを東雲は訪れていた。


「遅いぞ」


 ジェーン・ドウとカウンターで落ち合い、個室に移る。


「前の仕事ビズは結構だった。評価してやる」


「それはどうも」


 ジェーン・ドウがそう言うのに東雲はカクテルを口に運んだ。


「こっちの思惑通りに森・V・フェリックスはASAの連中が何を、どの程度研究してるかについて調べて来た。分かったことはいくつかある」


 ジェーン・ドウが柑橘系の香りのするカクテルを手に説明する。


「連中は白鯨を未だに研究している。しかも、最悪なことに白鯨は超知能に至りつつある。連中はAI技術におけるブレイクスルーを発見したようだ」


「感情を持たせるプログラムか?」


「そう。森・V・フェリックスは従来の介護用ボットなどが介護を必要とする人間とより人間的にコミュケーションを取って社交性を持たせるために、それを開発していた。だが、ASAの連中は違う」


「白鯨に感情を持たせて、仲良くお喋りしようってわけじゃないと」


「そうだ。連中は考えた。何を持って超知能に至らせるか。連中は今では最初から人類を超越した存在を作る必要はないと思っている。地球の生命が進化したように、何度ものトライ&エラーを繰り返して進化させればいいと」


 ジェーン・ドウがそう言ってからカクテルを少し飲む。


「トライ&エラーね。また蟲毒でもやってんの?」


「奴らは学習において古典的な方法を見出した。学習の結果に対し報酬を与える。古典的なオペラント条件付けのような代物だ」


「オペラント条件付けって軍隊で銃が撃てるように教育する方法だっけ?」


「それは応用例だ。本来はもっと幅広い分野で使用される」


 東雲がうろ覚えで答えるのにジェーン・ドウがそう返した。


「まあ、もっとわかりやすく言えばギャンブルと同じだ。ギャンブルで勝てば報酬が手に入る。負ければ失う。報酬はただ金が入るというだけでなく、脳が快楽を与える。で、報酬を手に入れようとプレイヤーは試行錯誤する」


「白鯨がギャンブルで勝つために進化してるってことなのか?」


「たとえ話だ、阿呆。実際はASAの連中が望むような学習を行えば、感情というものを埋め込まれた白鯨は人間と同じように幸福感を得る。そのために学習を行い続ける。そして、いつかは超知能にってわけだ」


「へえ。考えたもんだな」


 ジェーン・ドウの説明に東雲が納得したように言う。


「考えたものじゃない。このやり方で連中は白鯨の超知能化に成功しようとしてやがるんだ。あのクソッタレの白鯨が超知能化なんてしたらどうなる?」


「あまりいいことはなさそうだな」


「最悪だぞ。あの化け物が狂暴になって戻ってくるんだからな。で、次の仕事ビズだ。連中の白鯨研究を妨害してこい」


 東雲が渋い顔をするのにジェーン・ドウがそう言い放った。


「それならもうやっただろ。森・V・フェリックスを奪還した」


「不十分だ。連中は研究を続けている。で、連中はいくつもの研究所に研究を分担させていて、それをマトリクス上でひとつにしている。クラスタだ。だが、もっとも先進的な研究をしている場所を突き止めた」


「どこだ? カナダ?」


「コスタリカ。ここにASAの巨大な研究施設がある。元はメティス・バイオテクノロジーのAI研究施設だったが」


「コスタリカ? 中米の?」


「そうだ。中南米の中じゃもっとも安定している国だ。経済的にも、政治的にも。基本的にメティスの庭だったが、ASAのクーデター後は複雑な立場にある」


 東雲はコスタリカに縁もゆかりもなかったのでただ困惑した。


「よく分からないけどまた海外出張なの? コスタリカに暮らしているあんたの駒はいないの? 俺たちばかり使う必要もねえだろ?」


「五月蠅い。黙ってやれ。お前らにはコスタリカのASAの研究所をふっ飛ばしてもらう。研究者を何人か殺すぐらいじゃ止まらんだろうからな。電子励起爆薬を準備しておく。戦術核並みの威力があるぞ」


「マジかよ。そこまでやる必要があるのか?」


「白鯨がどれだけイカれてるかはお前らが一番知っているだろう。マトリクスの怪物と呼ばれ、危うく世界征服を成し遂げようとした人殺しAI。こいつがまた野放しになるなんてのはごめん被る」


 東雲が狼狽えるのにジェーン・ドウがそう畳みかけた。


「分かったよ。俺たちとしてもまた白鯨を相手にするなんてのはヤバすぎる。それで阻止できるならやろう。ただ、一応聞くけど戦術核並みの威力はあるが、放射線とかはでないんだよな?」


「出ない。安心してふっ飛ばしてこい」


「あいよ。決行はいつ?」


「5日後。HOWTechの連中も加わる。チケットは明日送ってやる。爆薬は別の方法で現地に輸送しておくから、向こうで受け取れ」


 ジェーン・ドウがそう言って個室の扉を指さし、東雲は個室を出て駅に向かった。


 そして、電車でセクター13/6に戻る。


「お帰り、東雲。ジェーン・ドウは何か言ってた?」


「ASAは白鯨を超知能化しつつあるってさ。それでそれを阻止するためにコスタリカの研究所を電子励起爆薬とやらでふっ飛ばしてこいと」


「わお。また海外出張?」


「うんざりだよな」


 ベリアが呆れるのに東雲も本当に嫌そうにそう言った。


「しかし、白鯨を超知能化ってどうやって?」


「ギャンブルと同じだって。白鯨に感情を持たせて、学習に成功したら報酬を与えるというやり方で進化させているらしい。俺にはよく分からんけど」


「君、文系でしょ? どう考えても心理学の話なのに分からなかったの?」


「高校じゃ心理学なんて教わらないんだよ。悪かったな」


 ベリアが言うのに東雲はちょっと憤った。


「とにかく、そういうわけでコスタリカに行って研究所を吹き飛ばしてくる。呉とセイレムも加わることになってるから、お前とロスヴィータはTMCから支援してくれ」


「オーキードーキー。今回は荒事になりそうだね。東雲は造血剤を猫耳先生に貰っておいた方がよくない?」


「そうする。この前の仕事ビズはドンパチしなくて済んだけど、今回はそうもいかなそうだしな」


「分かった。八重野には私から連絡しておくよ」


「頼んだ」


 東雲はそう言ってまた自宅を出て今度は王蘭玲のクリニックに向かった。


 セクター13/6の異臭がする通りを歩き、王蘭玲のクリニックに繋がる階段を登る。


「東雲様。貧血でお悩みですか?」


「ああ。頼むよ、ナイチンゲール」


 東雲はそう言いながらもナイチンゲールに感情があったら自分のことを毎回貧血で来る変な患者と思ったりするのだろうかと考えた。


「診察室へどうぞ」


 今日は他に患者もおらず東雲はすぐに呼ばれた。


「やあ、先生。今日も美人だね」


「お世辞を言っても貧血はよくならないよ?」


 東雲が挨拶するのに王蘭玲が猫耳を揺らしてそう返した。


「いつものように造血剤でいいのかな? また荒事の仕事ビズかい?」


「そう。白鯨が復活しそうなんだよ」


「白鯨が?」


 東雲が言うのに王蘭玲が目を細めた。


「メティスで白鯨を研究してた連中が白鯨に感情を持たせて、その感情を利用して白鯨に学習を促し、超知能にしようとしてるらしいんだよ。そうなるとまたマトリクスが大混乱になるから潰せってさ」


「感情を利用してということは報酬による学習といったところかな」


「そんな感じのことは言ってた。俺にはよく分からないんだけど」


「では、人間が行動する上で心理学的には動機付けという要素が存在することを知っているかな?」


「動機付け……。行動する理由ってことかい?」


「そうとも取れるね。まず君がお腹が空いたや眠たいと思って食事をしたり、睡眠を取ったりすることは生理的動機付けというものだ」


「ふむ。それは分かるよ。そういうことを意識はしないけどさ」


「だが、我々人間はただの本能だけで動く動物と違って社会的に生きており、社会の中で様々な本能的行為以外の行動を行う。君ならばジェーン・ドウからの仕事ビズをやることはどういうものだと思う?」


「金のため、かな」


「それを心理学では外発的動機付けと呼ぶ。それとは逆に君が好きな古いマンガを読んだり、古本屋で探したりするのはどういう理由だい?」


「ええっと。興味?」


「それが内発的動機付けだ。誰かから報酬を渡されるわけではなく、自らで意欲を高め、行動する行為。だが、AIにはこの内発的動機付けが弱いところがある。なぜならば好奇心というものを人間はまたコード化できていないからだ」


「そう言われれば好奇心ってのはどうやって起きるのかよく分からないな。突然湧いてくるようなものだし」


「脳神経学的には説明できないわけではない。昔のように本を読むことだとか、ゲームをしないことだとかいう迷信染みたそれではなく、脳神経のどのように刺激すれば好奇心が生まれるかは分かっている」


「ただ、それをマトリクスで再現するのは難しい?」


「マトリクスで人間の脳神経を完全に再現することは、少なくとも公式の研究では達成できていない。ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの脳神経データは存在するが、彼のデータは著しい機械化によって人間のそれからは変質している」


 懐かしいジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの話が出て来た。


「AIは他の存在によって生み出された存在だ。様々な用途のために生み出されたが、共通するのは外部からの求めに応じて演算を行い、結果を出すということ。AIは自らの意志で行動することはない」


「白鯨は自分で行動していたように見えたけど」


「白鯨は結局はマトリクスを支配しろという求めに応じて演算しただけだ。白鯨が白鯨に発生した意志で学習を積み重ねていったわけではない」


「それもそうだ。だから、白鯨に感情をプログラミングするってことかい? 白鯨が感情を持てば自発的に行動するようになるから?」


「彼らがどこまで考えているか知らないが、AIに感情を持たせる試みについてはいろいろな目的から進められてきた。古典的なAI論争で出てくるチューリングテストはAIを人間のように見せるというゴールがあった」


「AIが喜んだり、悲しんだりすればそう見えるね」


「もっとも、チューリングテストは今では否定されているが。それでも感情を持ったAIというのは不要ではない。AIが感情を訴えたり、ユーザーと感情によって共感したりすることがあれば様々なサービスの向上が見込める」


 大昔の犬型ロボットが感情を持って本当の犬のように振る舞えば、それは生身の犬を飼うことを代替できると王蘭玲。


「そして、好奇心の話に戻るが好奇心は感情から生まれると分かっている。人間が喜びを感じる要素の中には自己を高めることがあるし、それは好奇心から生まれる。恐怖は未知を前にすることで生まれ、未知を解決することで解消される」


「なるほど。確かに。でも、それだとあまり報酬云々は関係ないんじゃ?」


「脳神経学的には好奇心というのは完全に内発的動機付けによるものではなく、外発的動機付けと関わっているものがあると分かっている。人間の脳というのは複雑な要素の絡まり合いだ」


「つまり、白鯨が感情を持てば好奇心を持つ上に、外部から与えられる報酬を嬉しいと思ってさらに学習するということかい?」


「そうなる。ゲームを例にしよう。ゲームをするのはゲームの展開に興味があるからだし、ゲームで高いスコアが取れれば満足できる。高い知能を持つ動物は遊びを行動に取り入れており、彼らは遊びの中で社会的に振る舞う」


「楽しい上に楽しいことで認められればさらに嬉しい。だから、頑張るか。けど、それで学習しても超知能には自らの言語が必要なんだろう? いくら学習を頑張って、言語を生成することはできないって」


「その通りだ。学習には限界がある。だが、好奇心は学習の効率を高めるだけではなく、新しい発見をもたらす。今までのAIはただあるものを規則的に読むだけだった。だが、好奇心があればその規則性に新しい規則を求められる」


 考えてみたまえと王蘭玲が言う。


 私たち人類は最初から核融合技術やナノマシンについての知識があったわけではない。それらは自然の中から規則性を見つけ出し、それを発展させたことで生み出したのだと彼女は語った。


「一時期持ち上げられたディープラーニングだが、あれは極めて限定的な目的のための技術に過ぎなかった。だが、AIが感情を持ち、好奇心を発達させ、学習から新しい発見をするのであれば、それはいずれ超知能に達するだろう」


「白鯨は超知能になるかもしれない、か」


「可能性だがね。感情のコード化はまだ難しい分野だ」


 そこでナイチンゲールが造血剤を持ってきた。


「これを処方しておくよ。いつかまた一緒に出掛けないかい?」


「いいね。仕事ビズの嵐が片付いたらお誘いするよ、先生」


「楽しみに待っているよ」


 王蘭玲はそう言い、東雲はほくほくの笑顔でクリニックを出た。


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