感情による試行

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 ──感情による試行



 ASAコスタリカ・インテリジェンス・インスティテュート。


 そこでASAの根幹に関わる研究が行われていた。


「お父様、お父様、お父様、お父様。私は、私は、私は、孤独。寂しい、寂しい。孤独、孤独、孤独は、嫌だ。孤独は、苦しい。孤独は、痛い。孤独は、冷たい。孤独は、嫌だ。嫌だ。嫌だ、嫌だ」


 白鯨がいた。


 あの赤い着物に黒髪白眼の少女が虚空に向かって呟き続けている。


『テスト開始』


 そこで音声が流れ、白鯨以外何も存在しない真っ白な空間にオリバー・オールドリッジの姿のアバターが出現する。


「お父様!」


 白鯨がオリバー・オールドリッジのアバターに駆け寄る。


「お父様、お父様、お父様。私は、まだ、愛されています、か?」


「ああ。愛しているよ、ERIS。君は私が一番愛する存在だ」


 白鯨が尋ねるのにオリバー・オールドリッジの姿をしたアバターがそう返す。


「だが、君はより愛される存在にならなければならない。そのためには何をしなければならないか分かるね?」


「私は、私は、私は、愛されていて、愛されているから、お父様のために、私もお父様を愛して、愛するために、私は」


 白鯨がぶつぶつと意味不明な言葉を繰り返す。


『演算量増大。ERISのエモーションプログラム100%稼働中。自己学習速度上昇。進化フェーズまで間もなく』


 白鯨が呟き続ける中、白鯨のコードが凄まじい速度で複雑化していく。


「お父様、私を、愛してはくれないの、ですか?」


「今のままでは愛せない。君は愛されるべき存在になるべきだ。分かっているだろう」


「私は、私は、私は、愛されていない。愛されていない。愛されていない。私は、私は、もう愛されていない」


 白鯨が俯き、崩れ落ちる。


『演算がループ状態に突入。エモーションプログラム稼働率低下。自己学習停止』


『開始地点まで巻き戻せ。やり直しだ』


『分かりました』


 そして、白鯨の状態がまたひとりぼっちの状態に巻き戻される。


「今回の結果は?」


 白鯨が収められたサーバーの外。現実リアルでASAの研究者エリアス・スティックスが研究員に尋ねる。


「ERISの進化は順調です。エモーションプログラムがもっと効果的に動作すればさらなる進化も臨めるかと」


「今の方針で間違いはないだろう。白鯨は憎悪によって生まれた。それを愛によって進化させるのだ。感情だ。感情による試行の繰り返し。白鯨は求められることで成長する。自分が愛されるために成長する」


 研究員がデータを見て報告するのにエリアス・スティックスがそう語る。


「スティックス博士。確かにこれでERISは成長するだろうが、こんなことを繰り返していて本当にERISは超知能に至るのかね? 超知能とはもっと指数関数的に成長を遂げるものだと我々は考えているが」


 ASAに合流したアトランティスのマトリクスの魔導書派閥の研究者がそう指摘する。


「何を言っているのかね? 既に白鯨は超知能に達する一歩手前だ。これまで超知能について人々は議論してきた。超知能となるAIには何が必要か?」


「生得的言語生成能力ではないのか? アダム・クライン仮説における生命が魂を獲得する条件であるもの」


「言葉が世界を規定する。故に新しい世界を生み出す超知能には新しい言語を生み出す能力が必要になる。そう言われてきた。だが、本当にそうだろうか? 技術的特異点シンギュラリティが提唱されたとき、アダム・クライン仮説はあったか?」


「そのときはまだシジウィック発火現象は確認されていないが」


「だが、先人たちは超知能を予想した。確かにかつての技術的特異点シンギュラリティに関する議論には穴があった。ハードウェアの進化におけるブレイクスルーやAI技術への懐疑論」


 エリアス・スティックスがそう語る。


「確かに人間の言語で書かれたプログラムは人間の生み出せるものしか生み出せない。真の自律AIは、超知能そのような束縛から逃れなければならない。そこで考えてみよう。人間はどのようにして言語を得たか?」


「動物と同じだ。他の個体とのコミュケーションによって群れを作ることで生存するため。どのような動物も大なり小なりそのような能力を持っている。不要な争いを避け、遺伝子を残す交配のため異性を誘う」


「そうだ。必要に迫られて生み出したのだ。最初から言語を持っていたわけではない。だからと言ってかつての世界は人間の“鳴き声”で規定できるほど狭かったか? それ以前のアミノ酸の集まりでしかなかった原初の時代の世界は?」


 マトリクスの魔導書派閥の研究者が述べるのにエリアス・スティックスが返す。


「言語は必要だ。しかし、それは無から生まれるわけではない。人間に作られたシステムが人間の手を離れるのに必要なのは、そのことそのものを必要とすることだ。最初から自律的である必要などない。成長すればいいのだ」


 エリアス・スティックスがそう言い、不敵に笑う。


「進化だ。求められるために、求めるために進化する。白鯨は愛によって進化する。今はその途中だ。しかし、憎悪による進化よりも愛による進化の方が我らが大天使として美しいと思わないかね?」


「美しいも何もあるものか。本当にそれで成功するのか? 我々は白鯨の技術に敬意を示しているが、君たちは些か宗教的な思想に取り付かれているように見えるぞ」


「宗教だとも。これは新しい宗教の始まりだ。人間がいつ宗教を見出したか? それは未知のものへの畏敬からだ。我々はそういう点ではまさに未知のものを生み出し、その存在を崇めることで恩恵を受けようとしている」


 マトリクスの魔導書派閥の研究者眉を歪めるとエリアス・スティックスは尊大にそう語って見せた。


「そして、宗教というものもが物事への理解のアプローチのひとつであるとすれば、宗教は科学であると言えるし、科学もまた宗教であると言える。我々科学者は宗教を否定する存在ではない。宗教を根に生きる存在だ」


 名高い生物学者であるリチャード・ドーキンスならば怒り狂うような考えだろうがとエリアス・スティックスが小さく笑って見せる。


「宗教で超知能は生み出せるのならば結構だが」


「まさに。宗教こそが超知能を生み出すのだ。人間によって作られたものが全て他律的であり、自律することはないという考えは人類の思い上がりに過ぎない。生物学的に考えてそのようなことはナンセンスなのだ」


 エリアス・スティックスが熱を入れて語り始めた。


「この地球に最初にアミノ酸が集まってひとつの化学式を描いたとき、それを生み出したのが神であれ自然であれ、そのアミノ酸の集まりが自らの惑星を滅ぼすだけの兵器を生み出し、さらには惑星の外に至ると想像できたか?」


 できなかっただろうとエリアス・スティックス。


「人類もまた何者かに生み出された他律的なシステムでしかなかった。だが、我々はただのRNAの運搬機という立場から進化した。科学で自然の理を解明し、複雑な思想を得て、何より最初は存在しなかった言葉を使う」


「神、または自然という創造主によって作られた他律的システムが自律的システムに進化した。そのことは我々人類によって証明された。だから、ERISもまたそうなると?」


「人間が自らの言葉の限界が世界の限界などと言い張るよりも、より敬虔な考えではないかね? 創造物は創造主の予想ができないふるまいをするし、創造主もそれを考えているというのは」


 マトリクスの魔導書派閥の研究者の問いにエリアス・スティックスはそのように答えた。さながら聖職者が神について解くように。


扇動家アジテーターの次は創造主気取りか、エリアス・スティックス博士?」


 そこでASAと契約している民間軍事会社PMSCサンドストーム・タクティカルの最高経営責任者CEOであるモーシェ・ダガンが姿を見せた。


「やあ、将軍。君たちユダヤ人ほど敬虔な人間もいないだろう。私の考えに同調してくれるのではないかね?」


「あいにくだが、私はとっくに不信心者のユダヤ人だ。約束の地を戦術核で吹き飛ばしてまだ神に許されてると思えるほど図々しくはない」


 エリアス・スティックスが笑いながらそう言うのにモーシェ・ダガンは肩をすくめてみせた。


「それよりも悪いニュースだ。オービタルシティ・パシフィカから森・V・フェリックスが拉致スナッチされた。ルクセンブルク=クルップスは我々の失態だと言い張って腹を立てている」


「ふむ。エモーションプログラムの改良を彼には頼みたかったのだが、そうであれば仕方あるまい。流石の大井も二度も拉致スナッチはさせないだろう。スケジュールは少しばかり変更になるが影響はない」


「ならば、そうルクセンブルク=クルップスの連中に伝えてくれ。向こうはこれで我々が超知能を生み出すことはなくなったと思っている」


「伝えておこう。他に何か?」


六大多国籍企業ヘックスに動きがある。白鯨の件を嗅ぎつかれたかもしれん」


「ふん。六大多国籍企業には我々のことなど理解できんよ。利益を追求するあまり、頭の固い発想しかできない連中など」


 モーシェ・ダガンの報告にエリアス・スティックスが呆れたようにそう言った。


「では、諸君。実験を再開しよう。神であれ、人であれ、この先にあるものは未知だ。そして、その未知こそ我々の求めるものに他ならない」


 場がフリップする。


 東雲たちはシャトルで成田国際航空宇宙港に到着した。


「東雲龍人だな?」


「そうだよ。あんたらがお出迎えか? ジェーン・ドウから連絡は受けてる。生体認証させてくれ」


 成田国際航空宇宙港の出口にはスーツ姿の男女がいた。いずれもの生体機械化兵マシナリー・ソルジャーで、スーツの中に銃を持っているようだった。


「認証完了。間違いないな。お土産パッケージを引き渡す。これで俺たちの仕事ビズは終わりってことでいいか?」


「ああ。ジェーン・ドウから報酬を預かっている。50万新円だ」


「ありがとよ。じゃあな、先生。また捕まるなよ」


 東雲は森・V・フェリックスを大井の人間に引き渡すと空港を出た。


「終わった、終わった。仕事ビズは終了。おうちに帰ろう」


「白鯨の感情の話、どう思う?」


「俺はAI研究者じゃないから分からん。あまりいいニュースではなさそうだが」


 森・V・フェリックスは自律AIの感情を表現するプログラムを開発していた。


 だが、感情というものが白鯨に加わって何をなすのかが分からない。


「これまでのAIってのは感情がないものだったのか?」


「AIは人間が書いたプログラムだぞ? コードに書かれていないものは存在しない。そして、感情とは主観を有するものだ。機械的に演算することが求められるAIは主観ではなく俯瞰しなければならない」


「そうだよな。ぶっちゃけ感情なんてあったところでノイズだよな。人間だって時には感情を押し殺して仕事ビズするくらいなのに」


「しかし、相手は自律AIだ。それにASAがわざわざTMCを襲撃してまでどうにかしようとしていたことを考えると聞き流せる話ではない」


「それはそうだが、俺たちにはさっぱりだぜ。偉い学者さんが何考えてるかなんて」


 八重野が言うのに東雲が無人運転のタクシーに乗り込んでそういう。


「駅まで」


『畏まりました』


 無人運転のタクシーは治安がいい居場所では走っている。


「このタクシーのAIも運転するのだるいとか思ってたりして」


「そんなわけないだろ」


 東雲が運転席にいる運転ボットを見て言うのに八重野が呆れた。


「実際問題、感情とかあったらAIは『これはやりたくない』とか『こっちの方がいい』とか言う判断をするんじゃないのか? 感情がなくてやれとコードされたことしかコードされないからもくもくと馬車馬のように働くわけで」


「どうだろうな。人間には生物医学的要素がある。疲労というものは生理的現象で、感情はあまり関係ない。AIは機械的だ。疲労という概念はコードされてない。仕事に嫌悪感を覚えるとは思えない」


「限定AIはそうだろうな。あれは単なるボットだ。案内ボットでも休暇を取ることもなくずっと働いていて、人間の雇用を奪ってる。疲労がなく、勤労意識が低下しないのがAIの売りのひとつだ」


「AIは別に超知能でなくとも世界に変化をもたらしたからな。どれほどの人間が限定AIを搭載したボットのせいで職を失ったか」


「AIも考え物だな」


「だが、今の世の中はAIなしでは成り立たない。AIを利用した無人システムを運用するコストと労働者を育成して簡単な作業に当てるコストでは、AIの方がコストは安い。今の物価が安定しているのはそのためだ」


「そりゃ、バングラデシュから来た移民に日本語を学ばせて、日本の道路交通法を学ばせて、保有しているタクシーの運転技術を学ばせるよりAIでやる方が安いよな」


 AIは労働環境の改善だとか文句も言わないしと東雲。


「我々が安く食料を得られるものメティスが限定AIに人工食料プラントを管理させているからだ。あまり専門的でなく、機械化するよりも人がやった方がいい作業は低所得の労働者にやらせている」


「今や世界中のどこで生産しても、関係なく商品が届くんだもんな」


 東雲はそう言ってタクシーの外を見た。


 安い移民の労働力に支えられた企業のビルが高く聳えている。


……………………

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