平和と青い血//ジェーン・ドウ

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 ──平和と青い血//ジェーン・ドウ



 東雲と八重野は大井統合安全保障のティルトローター機でTMCに戻った。


「げっ。ジェーン・ドウからだ。今からセクター4/2の喫茶店に来いってさ」


「正直に報告するしかあるまい」


「憂鬱」


 八重野と東雲はティルトローター機が着陸したTMCヘリポートから電車を使ってセクター4/2に向かった。


「相変わらずちんたらしやがって」


 ジェーン・ドウと喫茶店で落ちあい、個室に入る。


仕事ビズは失敗だぜ。そもそも俺があれだけ連絡したのに何もしないって何考えてたんだよ?」


「うるさい。こっちはこっちで仕事ビズがあったんだよ。それにASAの連中が何をしているのかを探るチャンスでもあった」


 東雲が言い訳するのにジェーン・ドウがそう返した。


「は? ASAが何をしようとしているのか探るためにわざと泳がせたのか?」


「そういうこった。少なくともサンドストーム・タクティカルについては既に分かったことがある。連中は戦略原潜を使っている。元イスラエル海軍のレヴィアタンって潜水艦だ。日本海軍の音響監視システムSOSUSが掴んだ」


「戦略原潜ってことは核兵器も積んであるのか?」


「あるだろうな。イスラエル海軍は中東の核軍拡が始まってから、報復能力を高めようとしていたしな」


「おいおい。勘弁してくれよ」


 ジェーン・ドウの言葉に東雲が唸る。


「厄介なのは核兵器だけじゃない。連中の戦略原潜はドローン母艦や極超音速巡航ミサイル母艦、特殊作戦部隊の揚陸母艦として機能する。それでいてリム駆動推進で無音航行が可能だ」


「沈めちまえよ」


「できたら苦労しないんだよ、阿呆。連中の日本領海への侵入に日本海軍が気づいたのは連中が逃げ去った後だ」


 東雲が言うのにジェーン・ドウが苛立った様子で返した。


「日本海軍の対潜水艦作戦ASW能力は決して低くはないが、向こうは上手くやりやがった。そもそも第六次中東戦争の真っ最中にアメリカ海軍の海上封鎖を突破して逃げた連中だ。慣れてやがる」


 ジェーン・ドウがぐちぐちと文句を言う。


「で、どうするんだ? 研究者は連れていかれちまったぜ?」


「想定の範囲内だ。今度はAI研究者を奪還してもらう」


「わざと連れて行かせたのに今度は連れ帰れって?」


 東雲は信じられないという目でジェーン・ドウを見る。


「黙ってやれ。AI研究者はASAの研究に触れたはずだ。そのためにASAの連中は大井データ&コミュニケーションシステムズから研究者を拉致スナッチしたんだからな」


「ああ。連中が何をどの程度研究しているのか知るためか。だったら、最初から俺たちに研究者を守れなんて仕事ビズを任せるなよ」


「上の判断だ。俺様の判断じゃない。いつものようにコストとリターンの計算をやってたんだよ。で、一度ASAに掴ませることになった」


「そうですかい。で、連中はどこに研究者を連れて行ったんだ?」


 ジェーン・ドウの言葉に東雲がそう尋ねる。


「軌道衛星都市。オービタルシティ・パシフィカだ。独立系軌道衛星都市で六大多国籍企業ヘックスと関わり合いになりたくない金持ちが暮らしてる。そこにASAが研究施設を設置した」


「六大多国籍企業に関わらず軌道衛星都市が運営できるもんなのか?」


「金持ちだからな。ルクセンブルク=クルップス・グループっていう個人資産だけで成り上がった金持ちの所有物だ。大昔に神聖ローマ帝国の諸侯だった連中の子孫で、非六大多国籍企業系資本としてはナンバーワンだ」


「へえ。そんな連中もいるんだな」


「資本主義のいいところは才能があればどいつでも金持ちになれることだ。こいつらはその証明のようなものだな。六大多国籍企業でなくとも軌道衛星都市を保有でき、運営できるほどの金持ちになる」


 ジェーン・ドウがそう語る。


「ASAとつるんでるのか?」


「それはない。ただ、金を払ったから場所を貸した程度の関係だろ。連中がASAとつるむメリットが全くない。ASAの馬鹿どものせいで六大多国籍企業に狙われることになるんだからな」


「オーケー。軌道衛星都市に向かうのは2度目だ。今度は無人爆撃機に爆芸されている中をシャトルで離陸するってのは勘弁してほしい」


「その点は問題ない。シャトルは通常運航してる。成田から飛べば数時間で到着だ。ちゃんとドッキングできるぞ」


「作戦に当たる人間は?」


「お前とちびのサイバーサムライ、それからちびのハッカーとエルフ女。相手は警備のために民間軍事会社PMSCを雇っているが装備は大したもんじゃない」


「だが、サンドストーム・タクティカルの連中がいるだろ?」


「それぐらい自分たちでどうにかしろ。そもそも交戦は想定してない。軌道衛星都市でドンパチやればシャトルの運航が止まる。脱出できなくなる」


「つまりはオプションは隠密ステルスオンリーってわけですかい」


「そういうこった。こっそり忍び込んで、こっそり取り戻してこい」


 ジェーン・ドウは軽い調でそう言い放った。


「AI研究者は絶対必要なんだな? また使い捨てディスポーザブルだったりしないよな? 必ず取り戻す必要があるんだな?」


「そうだ。AI研究者がASAで何を見たのか知りたい。連中は上手く隠れてやがって六大多国籍企業でも動きを把握できないところがある。ASAが何を研究してるのか分かれば、これから対処にしようもある」


「オーケー。チケットは手配してくれるんだよな? いつ始める?」


「明日からだ。明日突っ込んで、その日のうちに連れて帰れ。チケットはこいつだ」


 ジェーン・ドウが東雲のARデバイスにチケットを送付した。


「突っ込むのは俺と八重野だけか」


「人数が増えれば増えるほど隠密ステルスは難しくなる。ハッカーどもにはTMCから支援してもらえ」


「あいよ。これだけか?」


「これだけだ。しくじるなよ」


 東雲が尋ねるのにジェーン・ドウが個室のドアを指さす。


 東雲と八重野は喫茶店を出て、セクター13/6に電車で戻った。


「お帰り、東雲。ちゃんと帰ってこれたね」


「地方の空港に置き去りにされたときには呆然としたぜ」


 自宅でベリアが出迎えるのに東雲がそう愚痴った。


「それから次の仕事ビズだ。軌道衛星都市に突っ込む。ASAの連中は軌道衛星都市に大井のAI研究者を連れて行ってから、それをこっそり連れ戻してこい、だってさ」


「軌道衛星都市にASAが拠点持ってるの?」


「らしい。オービタルシティ・パシフィカ。貴族の金持ちが運営してるとか」


「ああ。ルクセンブルク=クルップス・グループ?」


「そう、それ。知ってるのか?」


「結構有名なところだよ。非六大多国籍企業でありながら、相当な資産を持ってるって。誇り高い貴族らしく俗世からは離れて暮らしてるとかで。それで軌道衛星都市か」


「どうやって成り上がったんだ?」


「彼らの開発したスパコンと限定AIによる証券取引。魔法のように大金が彼らの口座に流れ込み、4人の大富豪が文無しになった」


「へえ」


「けど、今はちょっと大学の研究に投資するぐらいで目立った経済活動はしてない。企業としては死んでるも同然」


「軌道衛星都市を運営してるのに?」


「軌道衛星都市はただの居住環境でしかないし、そこで経済活動を行わなければ利益は計上されないよ」


「そういうもんか。軌道銀行は?」


「オービタルシティ・パシフィカにあるのはルクセンブルク=クルップス社のプライベートバンクだけ。このプライベートバンクは会社の資産を運用するだけで他からの業務は受け付けてない」


「ASAが逃げ込んだ理由はそれかね。六大多国籍企業とあまりにも関わってない」


「そうかもね。出発までに軽く調べておくよ。チケットは?」


「貰った。明日の朝9時に成田を出発だ」


 ベリアが尋ねるのに東雲がチケットを確認してそう答えた。


「造血剤を準備するのを忘れないでね」


「ジェーン・ドウは静かにやれって言ってる。作戦のオプションは隠密ステルスだとさ。騒ぎになると戻れなくなるかもしれんと」


「静かにやれるの? 君と八重野が?」


「なんとかするからIDだけ準備しておいてくれ」


「オーキードーキー」


 東雲が頼むのにベリアがマトリクスにダイブした。


「あ。東雲たちは無事に帰ってこれた?」


「帰ってきたよ、ロスヴィータ。けど、すぐ次の仕事ビズが回って来た。拉致スナッチされた研究者を奪還する。サンドストーム・タクティカルはオービタルシティ・パシフィカに連れて行ったみたい」


 マトリクスに潜りっぱなしのロスヴィータが尋ねるのにベリアが答える。


「オービタルシティ・パシフィカ? ルクセンブルク=クルップス・グループの?」


「みたい。ASAがそこに研究所を持ってるって」


 ロスヴィータが尋ねるとベリアがそう返す。


「ルクセンブルク=クルップス・グループについてはいろいろと噂話を聞いたよ。自分たちを世界で最後の尊き貴族だと思っていていろいろな延命措置で生き延びている一族経営の会社だとか」


「ASAの研究所を受け入れたのはどうしてだろう。彼らにメリットがあるようにも思えないけれど。何か共感するところでもあったのかな」


「マトリクスにも彼らの記録は少ない。閉鎖的な会社で経営陣である一族はずっとオービタルシティ・パシフィカに閉じこもってる。主な資産運営は代理人に任されていて、彼らは関わらない」


「どうにも怪しいな。秘密結社染みた点ではASAによく似てる。それに非六大多国籍企業系資本としては最大規模ってのがね。彼らに関する情報は本当にない?」


「探してもあまりないと思うよ。彼らの行ったAI買収のときには話題になったけど、その時に調べても大した情報はなかったと記憶しているから」


「まあ、軽く調べてみよう。それからオービタルシティ・パシフィカのマトリクスの事前調査と偽装IDの準備。東雲たちは隠密ステルス仕事ビズをやるみたいだから、用心しないとね」


 ロスヴィータとベリアはそう言葉を交わして、まずはBAR.三毛猫を訪れる。


「Perseph-Oneの解析トピックがかなり伸びてる。ここでどれくらい議論が進んだか把握してる?」


「まだ全てのコードの機能を解析出来てはいない。Sorcerer-CSを改良した新しい解析用

の限定AIとしてWarlock-CSが開発されたけど、Perseph-Oneに使用されている新言語についてはさっぱり」


「そっかー」


 Perseph-Oneの解析はまだ終わっていない。


 ベリアたちはジュークボックスに向かうとオービタルシティ・パシフィカとルクセンブルク=クルップス・グループについて検索する。


「オービタルシティ・パシフィカについて1件。やっぱり少ない」


「一応見てみよう」


 ベリアたちが“軌道衛星都市の暮らし”というトピックのログを開く。


『オービタルシティ・パシフィカについちゃ何も言えんな。あそこに暮らしてるのルクセンブルク=クルップス・グループの人間と少数の六大多国籍企業に関わり合いになりたくない連中だけだ』


『六大多国籍企業と関わらずに軌道衛星都市ってのは運営できるもんなのか?』


『別に人工食料技術は全てメティスが握っているわけでもないし、軌道衛星都市にはゼータ・ツー・インフルエンザもネクログレイウィルスも存在しない。ちゃんと検疫をしているだろうしな』


『軌道衛星都市そのものメンテナンスは?』


『自前でやってる。六大多国籍企業はノータッチ。せいぜい軌道修正のために宇宙事業を仕切ってるアローがちょっと関わるぐらいだ』


『で、警備は民間軍事会社PMSCであるD-3プロテクト社が担ってる。小さな会社だが、装備と質は悪くないって話だ』


『何にせよあまり用事がありそうな場所じゃないな』


 オービタルシティ・パシフィカについての言及はそれぐらいであった。


「あまり分かることはないね。けど、特に言及がないってことは目立った要素はないのかも。他の軌道衛星都市と似たような感じって意味で」


「そうかもね。だとすると、IDは観光客とでもしておくか。ルクセンブルク=クルップス・グループについてのログは?」


「AI買収の事件のログが1件だけ。特筆するべきことはないよ。彼らは限定AIとスパコンを使って株式の売買を瞬時に行い、大金持ちになった。それだけ」


「ふうむ。ASAと絡みそうな要素はなし、か」


 ロスヴィータとベリアはそう言葉を交わし、自分たちがやるべきことを考え始めた。


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