スフィンクスの足元で//ジェーン・ドウ

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 ──スフィンクスの足元で//ジェーン・ドウ



 東雲たちがジェーン・ドウに呼び出されたのは、統一ロシア軍へのサイバー攻撃とTMCでのテロ未遂事件から4日後のことだった。


「エジプトで現地に展開してるトート系列の民間軍事会社PMSCであるZ&Eがサイバー攻撃を受けたとの情報が入った」


 ジェーン・ドウは本物のコーヒーを手にそう切り出した。


「エジプト? 第六次中東戦争でイスラエルに核で攻撃されたんじゃ」


「された。カイロとニューカイロは壊滅。政府は崩壊。内戦が始まった」


「で、どうなったんだ?」


「トートが介入した。連中は地中海一帯の安定のために北アフリカ諸国に頻繁に介入しているからな。それにエジプトを押さえておかないと第三次大規模拡張にトートが投資したスエズ運河が使えなくなる」


「地理的に重要だと六大多国籍企業ヘックスに絡まれるわけだ」


「当り前だ。で、トートの介入で世俗的な民主政権が誕生した。エジプトの連中のほとんどは戦争にうんざりしてたし、トートが今の政権に限ってと条件をつけての経済援助を提示したから政権を受け入れた」


「だが、受け入れなかった連中もいる」


「それが問題だ。国際的なイスラム原理主義テロリスト“イスラム殉教機構”のエジプト支部が断固として今の世俗的な政権を受け入れず、テロを繰り返した」


 中東と北アフリカは第六次中東戦争で自棄になったイスラエルによる核攻撃を受け、首都や主要都市が壊滅した。


 確かに世界が地球温暖化の防止と新エネルギーの普及のために脱炭素化して中東情勢が世界情勢に影響を及ぼすことは少なくなった。


 だが、地中海の安定に関わる国々には地中海を縄張りとする六大多国籍企業一角であるトートが介入し、安定化と政府の傀儡化を行っている。


「宗教色のない世俗的な政権はダメってわけだ。イスラム教を信じて、それに従っていないと嫌なのか」


「今のご時世に宗教国家なんてのはどの六大多国籍企業もごめん被るんだよ。グローバル資本主義はイスラム万歳なんてのは受け入れない。世界の基準というものに従ってもらい、良くも悪くも均質化する」


「そりゃ西側で発達したグローバル資本主義とイスラム教の相性は悪いだろうな」


「順応した連中もいる。世俗主義の民主政権を受け入れ、宗教を分離した国がないわけじゃない。イスラム主義は衰退した。第六次中東戦争と第三次湾岸戦争でイスラム主義のアラブ諸国は軒並み薙ぎ倒されたからな」


「中央アジアや東南アジアにもイスラム教徒はいるだろ?」


「そっちも崩壊した。ゼータ・ツー・インフルエンザとネクログレイ・ウィルスのパンデミックによってメティスが人工食料の供給を握ると、宗教がどうのこうのとは言ってられなくなった」


「衣食住が満ち足りない場合でこその宗教じゃないのか……」


「馬鹿を言え。飢えて死にそうなときに空想上の存在でしかない神が何の役に立つ。飢えから逃れるためには食料を手に入れるしかない。インフラを支えるエネルギーも同様に六大多国籍企業の支援が必要だ」


「で、六大多国籍企業による価値観の押し付けってわけか」


「そうだよ。ゼータ・ツー・インフルエンザで衛生環境が劣悪だった発展途上国は死人が処理しきれないほど出た。そして、そのほんどは人口過多の傾向にあったイスラム国家だった。連中の立場は不味かった」


 人口は激減し、企業は撤退し、経済は急降下し、失敗国家が乱造されたとジェーン・ドウはどうでも良さそうに語る。


「なるほどね。俺が知ってる限りでもイスラム原理主義のテロリストの活動は活発だった。911を初めとするテロをいくつも起こしていたのは知ってる」


「今も変わらずだよ。第六次中東戦争と第三次湾岸戦争で混沌と化した中東ではいくつものイスラム原理主義テロリストが生まれた。これまで結果として核戦争を引き起こしたイスラエルを支援していた西側を死ぬほど恨んでる」


「テロとの戦いは未だに続いているのか」


 東雲は未来の世界では過激派も少なくなり、人々はもっと平和に生きるものだとばかり思っていたが、現実は所詮は過去の延長でしかなかった。


「今日日のイスラム原理主義者なんて世界情勢から取り残された時代錯誤の連中だ。宗教に文化以上の価値はない。戦争や人殺しの口実にするような連中は馬鹿もいいところだ。宗教や神が飢えを満たしてくれるものか」


 ジェーン・ドウは心底軽蔑しきった様子でそう言った。


「オーケー。その時代から取り残された連中がテロを起こした。それで仕事ビズの中身は? テロは起きてるから阻止じゃないだろ。それともそいつらが他の連中みたいにTMCでテロを企ててるとか?」


「いいや。連中の活動範囲は北アフリカ、中東、中央アジア、東南アジアに限られる。極東は活動拠点がない。今回の仕事ビズは連中がテロに使ったものをトートより先に確保することだ」


「テロに使ったもの? サイバー攻撃だよな? サイバーデッキか?」


「馬鹿か、お前は。テロリストが使うサイバーデッキなんて市販のものを組み合わせただけだ。セクター5/2に言ってパーツを揃えればすぐにできる。問題はハードではない。ソフトの方だ」


「俺にはマトリクスの話は分からねーよ」


「じゃあ、今すぐ頭に叩き込め。ハッキングでは相手の防衛手段であるアイスを砕くためのアイスブレイカーが使用される。今回のテロに使われたそれをお前は回収するんだ。連中の端末からな」


「そんなに重要なプログラムなのか?」


「今のところデータがない。マトリクスではPerseph-Oneと呼ばれている。お前が対応した統一ロシア軍へのハッキングにも使われたものだ」


「ああ。あの件か。ってことはイスラム殉教機構ってテロリストは“人民戦線”と繋がりがあるってことなのか?」


 東雲は以前にTMCで起きそうになったDLPH-999によるテロを思い出した。


「分からん。表向き繋がりがあるような連中じゃない。大昔にマルクス・レーニン主義と左派の勢力同士で日本の左派とパレスチナの左派が手を組んだことはある。だが、大昔の話だし、イスラム殉教機構は別に左派テロリストじゃない」


「俺も知らない昔話だな。じゃあ、繋がりがないのに同じアイスブレイカーを? あんたもまだ把握できていないようなレアな?」


「今の状況ではその通りだ。で、問題のイスラム殉教機構エジプト戦線の連中は当然エジプトにいる。最後に構成員が確認されたのは臨時首都であるマンスーラ。7日後にエジプトに飛んで、連中からプログラムを手に入れろ」


「エジプトか。あまり行きたくないな」


「黙ってやれ。もうチケットは準備した」


 ジェーン・ドウがそう言って東雲のARデバイスに全日本航空宇宙輸送ANASの成田発エジプト行きのファーストクラスのチケットを送った。3名分だ。


「3名ってことは呉とセイレムは味方してくれないんだな」


「いつまでもHOWTechに借りを作るわけにはいかん。お前とちびのサイバーサムライ、そしてちびのハッカーかエルフ女のどちらかで行け」


「了解。で、武器弾薬の輸送についてだが」


「ちびのサイバーサムライの刀の輸送は手配してやる。他に送るものがあるのか?」


「電磁パルスグレネードとか」


「お前は仕事ビズの内容を忘れたのか? 相手はイスラム原理主義テロリストで、連中のサイバーデッキからアイスブレイカーを抜くんだぞ? どこで電磁パルスグレネードを使うつもりだ?」


「分かりましたよ。八重野の刀だけでいいよ」


 東雲が降参というように手を上げた。


「現地の警察業務はトート系列の民間軍事会社Z&Eの低強度紛争部門が請け負ってる。だが、エジプト政府は警察官や軍人を全てクビにするということはなかった。未だに連中は力を持ってる」


 ジェーン・ドウが語る。


「そして例にもれずエジプトの警察は腐敗してる。表向きは実質的な支配者であるトートと傀儡の政府に忠誠を誓っているが、Z&Eがじわじわと侵略していることに焦っている。俺様がコネがある汚職警官を教えておく」


「あんたにしちゃ親切だな」


「それだけしくじれない仕事ビズということだ。頭に置いて置け」


「あいよ」


 そこでジェーン・ドウが出ていけと言うように扉を指さし、東雲はジェーン・ドウとの会合場所だった高級喫茶店を出て、TMCセクター13/6に戻った。


「ただいま」


「お帰り、東雲。ジェーン・ドウは何だって?」


「エジプトで仕事ビズをやれとさ」


「エジプト? また随分な場所に飛ばされるね」


 東雲が報告するのにベリアが呆れたようにそう言った。


「何でもイスラム殉教機構っていうイスラム原理主義のテロリストが珍しいアイスブレイカーを持ってるみたいだから、それを分捕ってこいって」


「アイスブレイカーを強奪スナッチするのに現実リアルでエジプトに飛ぶわけ? 変な話だ」


「だよな。Perseph-Oneってアイスブレイカーらしいけど」


 東雲が首を傾げた。


「Perseph-Oneを使っていたの? イスラム原理主義テロリストが?」


「知ってるのか?」


「この前の“人民戦線”によるテロでも使われたんだよ」


「ああ。ジェーン・ドウもそう言ってたな。連中からは奪えなかったのか?」


「あれは“人民戦線”によるハッキングが原因じゃない。アルゼンチンの反グローバリズムテロリストのハッカーの仕業。アルゼンチンの警察業務を引き受けてるALESSのサイバーセキュリティチームが逮捕した」


「ふん。じゃあ、アトランティスと競争してるのかね」


「アトランティスも完全なPerseph-Oneのデータは手に入れていない。押収したプログラムに自壊アポトーシスプログラムが組み込んであって機能を喪失したから。しかし、エジプトでもか」


 ベリアが考え込む。


「ジェーン・ドウはエジプトのテロリストと“人民戦線”に繋がりはないっていってたぜ。思想が合うわけじゃないって」


「片や左派反グローバリズムテロリストで片や宗教原理主義テロリストだからね。もちろん、反グローバリズムという点では意見は一致したかもしれないけど」


 宗教はグローバリズムのせいで抑圧されたしとベリアが付け加える。


「エジプトに飛ぶのは7日後で八重野の刀の輸送はジェーン・ドウが手配する。ベリアたちはマトリクスで情報を集めておいてくれ。どうもジェーン・ドウが明らかにしていない部分があるみたいだ」


「オーキードーキー」


 東雲の頼みにベリアが頷き、サイバーデッキに向かう。


「ロスヴィータ。次の仕事ビズが決まったよ。エジプトに飛んでPerseph-Oneを手に入れる。エジプトのテロ組織がPerseph-Oneを使ったテロを起こした。ジェーン・ドウも争奪戦を始めたみたい」


「知ってる。ニュースが流れてるから。トート系列の民間軍事会社Z&Eの防空システムがハッキングされて現地の国連軍が難民輸送に使っていた輸送機を撃墜した。死者100人以上で原因はサイバー攻撃だと」


「あちゃ。国連軍の輸送機を運用してたのは?」


「Z&Eの航空宇宙作戦部門。自社の輸送機を自分で撃墜した。サイバー攻撃を受けたってのは嘘じゃないと思うよ」


「実行犯は?」


「イスラム原理主義テロリストのイスラム殉教機構エジプト戦線。Z&Eが対テロ作戦を開始してる。Z&Eの親会社であるトートにとって彼らの勢力圏である地中海一帯の不安定化を招く北アフリカの混乱は問題だから」


 ベリアが尋ねるとロスヴィータが情報ソースを渡した。ニュース記事だ。


「確かにテロだ。トートの勢力圏を狙った。この前は大井の勢力圏であるTMCが別の組織によって同じアイスブレイカーであるPerseph-Oneを使って狙われた。偶然?」


「偶然というのはPerseph-Oneは出回ってない。マトリクスのかなり深い部分まで検索エージェントを走らせたけどヒットなし」


「一般的なアイスブレイカーじゃないよね。マトリクスで拾えるものならジェーン・ドウがわざわざエジプトで仕事ビズをしろなんて言わない」


 Perseph-Oneは他のアイスブレイカーのようにハッカーたちが頑張れば見つけて使えるというものではなかった。


六大多国籍企業ヘックス絡みじゃない? どうも損な感じがする。六大多国籍企業による電子戦兵器の実験」


「そんなのわざわざテロリストにやらせて実際の被害を出す必要がある? バレれば白鯨のことがバレたメティスみたいに他の六大多国籍企業から袋叩きにされる」


「アイスブレイカーの実験なら確かに自社のマトリクスで実験すればいいね。だけど、よく考えて。こういう事件をボクたちは前にも経験してる」


「前にも?」


「Perseph-Oneは学習するアイスブレイカーで、学習によって強大な存在になった自律AIをボクたちは知ってる。そうでしょ?」


「白鯨。まさか自己学習のためにテロリストにプログラムを流して六大多国籍企業や軍を攻撃させているっていうの?」


「あり得なくはないでしょ」


 ロスヴィータが白鯨との類似を指摘した。


 白鯨も六大多国籍企業のアイスを無差別に攻撃し、叩きつけられるアイスブレイカーを学習してマトリクスの怪物という存在になった。


「ふむ。今は何とも言えない。とりあえず仕事ビズに必要な情報を集めよう」


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