冥界の女王//ラテンアメリカ・マトリクス

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 ──冥界の女王//ラテンアメリカ・マトリクス



 ベリアたちはBGM-109のお手製のアイスブレイカーに魔術的機能を付与したのち、アルゼンチンのマトリクスへと飛んだ。


「通信負荷がある。何かやってるのか」


「海外のアダルトサイトへのアクセスが6割。違法なコンテンツ視聴が2割。それでいてアルゼンチンのネットワーク環境は贅沢を許さない」


「なるほど。通信インフラが古臭いのか。アルゼンチンの軍事政権にとってすれば、民衆が不都合な情報にアクセスできる機会を失って都合がいいのかも」


 BGM-109が言うのにロスヴィータが頷いた。


「もちろん、アトランティスの経済機能を支えるために彼らのためのプラチナ回線はあるみたいだけど。そっちはやっぱりアイスがあるから侵入は難しい」


 プラチナ回線は六大多国籍企業ヘックスの特権だ。


 彼らは国家という古典的集団から事業を請け負いつつも、それによって構築されるあらゆるインフラを自分たちのために整備している。


 通信インフラのようなものから、海外に商品を出荷し海外から商品を輸入する港湾施設、商品を各地に輸送する鉄道や高速道路、そして民間軍事会社PMSCが行う兵站業務のためのインフラなど。


「このボクたちが使っている回線は安定してるの? 仕掛けランの最中にラグるなんてことがあったら困るよ」


「大丈夫じゃない? 今のところトラフィックは安定してる。確かに回線は脆弱で、決してTMCと比較できるような通信インフラじゃないけど、一応は帯域が確保されてる」


 ロスヴィータが気にするのに、ベリアがトラフィックをモニターしながらそういう。


「検閲用の限定AIの制圧完了。流石は国連チューリング条約執行機関お手製だ」


「もっと高度な自律AIだって殺せる代物だからね。ちゃちな限定AIに対して使うなんて牛刀をもって鶏を割くようなものだよ」


 アルゼンチンの軍事政権が不都合な情報の発信と閲覧を制限していた検閲用限定AIが国連チューリング条約執行機関製のAIキラーで沈黙した。


「本番だよ。ブエノスアイレスにあるALESSの構造物相手に仕掛ける」


「魔術を使うんでしょ? どんな魔術なの? 私も使える?」


「質問が多いね。ひとつずつ答えていこうか」


 BGM-109が興味津々なのにベリアが語り始める。


「まず使う魔術は結界破りと姿隠し、そして探索の魔法。結界破りは本来ならただ相手の構築した魔術的結界を破るだけのものだけどマトリクスではアイスブレイカーとして機能する」


 結界破りの魔術はゼノン学派のものだ。


 本来ならば敵の魔術から身を護るために構築した相手の結界を破壊するためのものだが、どういうわけかマトリクスではアイスブレイカーの性質を持つ。


「姿隠しはトラフィックの偽装。探索は強力な検索エージェント。魔術はマトリクス上では似たような性質で、かつマトリクスに適応した形で効果を発揮するんだよ」


「私も使える?」


アイスやアイスブレイカーにコードとして組み込めば使える。これ、君の作ったアイスブレイカーに魔術を組み込んだものだから見てみて」


 そう言ってベリアはBGM-109に魔術を組み込んだアイスブレイカーを渡した。


「へえ。白鯨由来の技術を解析しているトピックにはいつも顔を出してるけど、そっちで解析されたコードより無駄がないね」


「白鯨由来の技術解析のトピックにいたなら誰も魔術が使えるって知ってるんじゃないの? あそこではいろんなハッカーたちが解析を行って実際に使える魔術を組み込んだアイスブレイカーとか作ってるでしょ?」


「あっちで開発してるものはノイズが多い感じ。なんていうのかな。外国人が日本語の教科書から筋立てて文法や単語を学んでいくんじゃなくて、広辞苑のような百科事典を数学的に分析して日本語を学ぼうとしている感じなの」


 BGM-109がそう説明した。


「そりゃあ、この世界に魔術の基礎になる学問はないから。唯一魔術が使われ、多くの人間にその威力を示した白鯨のコードをパターン的に学習すればそうなるよ」


「けど、あなたたちは違うんだよね? どういうわけか白鯨が何なのか分からなかったときから白鯨の使っているアイスブレイカーに魔術が使用されていると指摘し、白鯨をやっつけた」


「私たちは魔術カルトの会員だったから。こういうお呪いについて前々から民間伝承や神話を調べて、まだ科学では証明できない現象として扱っていた」


「黄金の夜明け団みたいな?」


「そういうのかな。詳細は会員以外には明かせないんだよ。秘密結社だからね」


「いいな。そういうの憧れる」


 ベリアがウィンクするのにBGM-109が羨ましがった。


 実際はベリアが語った魔術カルトなど地球には存在しないのだが。


「お喋りはそろそろにして仕掛けランをやろう。目標はブエノスアイレスにある民間軍事会社ALESSの構造物。やるよ」


 ベリアたちはブエノスアイレスのマトリクスにジャンプする。


「アトランティス関連企業の構造物ばかりが巨大だ。政府や軍の構造物より大きいし、アイスについても遥かに上」


「仮にも軍事政権なのに海外のハッカーが本気になったら簡単に陥落しそう」


「軍事政権が軍事的に優秀かと言えば疑問だからね。アルゼンチンの軍事政権は経済開発主義のための政体──昔懐かしの開発独裁をオブラートに包んで──だと言っている。彼らは軍の忠誠を受けているけど、目的はあくまで開発」


「開発、ね。そのための人材が国外に流出しているんじゃ未来は暗いよ」


「グローバル化のせいで昔見たいな開発独裁はできない。今や技術さえあれば世界のどんな場所でも就労出来て、収入が得られる。必要なら人材を教育して労働力にする国家や六大多国籍企業も存在するし」


 今や移民や難民は技術さえあるならば、アメリカはもちろんのことヨーロッパだろうが、アジアだろうが移住して活躍できる。


 昔ながらのナショナリズムや民族主義を主張する人種は少数派に転落した。


 今や職業軍人ぐらいしか国家のために働かない。その職業軍人も民間軍事会社に枠を取られ、引き抜かれ減少し続けている。


 ナショナリズムを掲げるには今の国家は脆弱なよりどころになった。何もかもが民営化され、政府は六大多国籍企業の傀儡で、グローバル資本主義が国家を解体していった。誇りを持てる国家は既に歴史の教科書の中だけだ。


 ナショナリズムの後退に伴い民族主義も後退した。民族主義を悪しきものという政治的思想は第二次世界大戦後、ナチス・ドイツの人種政策から生まれていた。それを加速させたのは今のグローバル資本主義だ。


 優秀な人材はどんな肌の色をしていようが、どんな宗教を信仰していようが、採用される。人材は常に奪い合いの世界だ。人種や宗教で区別するのはデメリットしかない。


 ただし、ナショナリズムと民族主義が後退しても、経済的格差だけは大きく広がった。今や世界は持てるものと持たざるもので二分され、格差は広がり続けている。


「ALESSの構造物のトラフィックは正常。特にこっちに気づいた様子もない」


「オーケー。やるよ。準備して。アイスは十分?」


 ベリアがロスヴィータとBGM-109に尋ねふたりが頷く。


「始めよう。アイスブレイカー展開」


 ベリアがALESSの構造物への仕掛けランを始めた。


 まずは表層の限定AIによる二重アイスがアイスブレイカーに含まれたAIキラーであるパラドクストラップによって沈黙。


「複層式アイスを砕いてる。順調だね」


 続いて複層式のトラフィックスキャン&インベーダーブロックというアイスがアイスブレイカーの純粋な情報通信科学的要素と魔術的な要素のふたつによって瞬く間に砕かれていく。


「凄い。これじゃ管理者シスオペAIだって気づかない。これが魔術の力か。これは確かに白鯨が世界的な脅威になったはずだ」


 BGM-109は自分が作ったアイスブレイカーが魔術によって格段に性能が向上しているのを見て、興奮している様子だった。


「これまで白鯨由来の技術を使ってみようとは思わなかったの? 白鯨由来の技術を解析するトピックにいたんでしょう?」


「いや。他のハッカーからデータとして有効性が示されても自分が学んできた技術じゃないと仕事ビズで使う気にはならなかったというか。実際にマトリクスの魔導書事件じゃ迂闊に使ったハッカーが死んでるし」


「意外に慎重なんだね。こんな仕掛けランに付き合う割には」


「まあ、私もハッカーですから」


 BGM-109はニッと笑ってそう言った。


「ハッカーって人種は。複層式アイス突破。最後のファフニール型ブラックアイスさえ沈黙すれば仕掛けランは成功だ」


 ファフニールとは北欧神話に登場する呪われた黄金を守るドラゴンだ。


 その名を冠したブラックアイスはガーゴイル型ブラックアイスのようにマトリクスの指定された領域への侵入を阻止するのではなく、マトリクスの指定されたデータの複製や移動を阻止する。


「ファフニール型ブラックアイスにアイスブレイカーが作用中。ブラックアイスの活動が低下しつつあり。通信負荷増大。ブラックアイスの対応能力限界値」


「よし。ブラックアイス、機能停止」


 そして、ALESSの構造物の最後の守りであるブラックアイスが沈黙した。


「お宝拝見の時間だ。“オンリー・ワン・ネイション”と統一ロシア軍へのハッキング事件、ALESSのサイバーセキュリティチームが関わった活動について」


 ベリアが早速検索エージェントを走らせる。


「見つけた。“オンリー・ワン・ネイション”についてのALESSの公式情報」


「低脅威反政府集団。活動は低調。武力活動の経歴なし。海外勢力との繋がりなし。構成要員はブエノスアイレス大学の学生7名」


「とんでもなくどうしようもないテロリストだ事で。学生のサークル活動だよ、こんなちっぽけなテロ集団ってのは」


 ベリアが早速見つけた情報をロスヴィータが解読するのにベリアが呆れていた。


「彼らは全く警戒されてなかった。だが、追記がある」


「六大多国籍企業または準六大多国籍企業との関係を確認。アルゼンチン内での細胞として機能することが期待された模様、か。やっぱりPerseph-Oneの出所はどこかの六大多国籍企業ってわけだ」


 ベリアたちは大学生のちょっとした政治活動家の集まりでしかなかった素人ハッカーがどうやって統一ロシア軍の軍用アイスを砕いたかについてのヒントを手に入れた。やはり外部からの支援があったのだ。


「統一ロシア軍へのハッキングについての詳細があったよ、おふたりさん」


「どういう内容?」


「テロリストは未確認のアイスブレイカーを使用。統一ロシア軍参謀本部情報総局GRUのサイバー戦部隊が事件後にトラフィックを解析してアルゼンチン政府に通報。同時にALESSのサイバーセキュリティチームも探知」


「軍用アイスは砕けたけど身元を隠すという初歩中の初歩を怠っていた。文学部の素人って話は本当みたいだね」


 BGM-109の得た情報からベリアがそう判断した。


「外部の関与について詳しい情報がある。ALESSのサイバーセキュリティチームの事件後の捜査情報。問題の未確認のアイスブレイカーは事件後に機能停止。コードの自壊アポトーシスプログラムが組み込まれていたって」


「そのアイスブレイカーを渡したのはどこの誰?」


「複数の容疑者。アロー・サイバーシステムズによる間接的攻撃。中国サイバー軍の関与。そして、モービーディック・グループのテロ」


「ふむ。モービーディック・グループ。メティスの白鯨派閥のことか」


「それからアトランティス内における反乱勢力の犯行だって」


「アトランティスの反乱勢力? それって何?」


「分からない。どこにも記述がないし、BAR.三毛猫でもそんな情報が見たことがない。けど、アトランティスで何かが起きたみたいだね」


 ベリアたちもアトランティスにおける内乱については情報がまるでなかった。


「それってマトリクスの魔導書問題じゃないの?」


「マトリクスの魔導書がアトランティスの内乱の原因?」


「そういう情報が現実リアルにはある。マトリクスの魔導書の開発を行っていたアトランティス・バイオテックとアトランティス・サイバーソリューションズの研究員が研究が破棄されたことに反乱を起こしたって」


「確かにルナ・ラーウィルはアトランティス理事会の命令で殺された。白鯨のようにオリバー・オールドリッジが死んでも、白鯨に縋る人間がいるようなものか」


 BGM-109の提供した情報にベリアが考え込んだ。


「事件とは関係ないかもしれないけどアルゼンチンのALESSがサンドストーム・タクティカルって民間軍事会社に警戒しろって通知を受け取ってる」


「サンドストーム・タクティカル? また知らない勢力が出て来たよ。どうやら思ったより状況は複雑そうだ」


 それからベリアたちは問題のアイスブレイカーであるPerseph-Oneのデータを求めたものの、アルゼンチンのALESSの構造物にそれは断片すらなかった。


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