冥界の女王//BAR.三毛猫

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 ──冥界の女王//BAR.三毛猫



 東雲たちはそれから無事にメティスの実験設備のある施設までDLPH-999を輸送し、正式に仕事ビズを終了した。


 ジェーン・ドウに会って、仕事ビズの出来について嫌味を言われながらも報酬を受け取ることができたのであった。


 そして、その頃ベリアとロスヴィータは今回の事件の発端になったことを調べていた。つまりは統一ロシア陸軍基地襲撃事件についてだ。


 ベリアたちが顔を出していたのは“統一ロシア東部軍管区基地襲撃事件”のトピックである。今、このトピックは俄かに騒がしくなっていた。


「統一ロシア陸軍のサイバーセキュリティについての情報がある。C4Iシステムについては末端の部隊や二線級の部隊に限っては非常にお粗末。やろうと思えば高校生だってハックできるだろう」


「だな。ウクライナ戦争でその弱点が露呈していた。そして、第二次ロシア内戦には電子戦など開発している余裕はなかった」


 メガネウサギのアバターが言うのに、前に白鯨関係の技術についてのトピックに顔を出していたアニメキャラのアバターが同意する。


「だが、統一ロシア政府成立とウクライナ戦争での戦争犯罪者引き渡しで、経済制裁は部分的に開錠された。だから、トートが統一ロシアに進出している。トートの他にもメティスも人工食料関係で進出」


「そう。経済制裁は部分的には続いているが六大多国籍企業ヘックスはお構いなしだ。で、今回の件ではトート系列の民間軍事会社PMSCであるZ&Eのサイバー戦部門が統一ロシア軍を支援してた」


「Z&Eか。ツィンメルマン・ウント・エルンスト・グルッペン。通称Z字。欧州最大の民間軍事会社で、トートの手先」


「練度は確かだ。ドイツ連邦軍とフランス軍、欧州諸国の精鋭が揃ってる。トートがそれらの軍隊の兵器供給者なだけあって装備も一流。第二次欧州通貨危機を発端とする欧州騒乱では各地の紛争地帯に投入されているから実戦経験もある」


 アニメキャラのアバターがZ&Eという民間軍事会社について説明する。


「そしてZ&Eのサイバー戦部門だが、この連中は第三次世界大戦とウクライナ戦争、第六次中東戦争、第三次湾岸戦争で活躍した軍の技術将校を引き抜いてる。欧州騒乱では敵対する軍閥に対してかなり高度な電子戦を仕掛けた」


「アメリカ情報軍のサイバー戦におけるアグレッサー部隊もやってたな。大抵のアメリカ政府機関は愛国的な──皮肉だぜ──アローがお気に入りだが、それでも選ばれたってことは確かな技術があるってことだ」


「ああ。特にイスラエル国防軍IDFから引き抜いた連中が役に立ってるらしい」


「イスラエルはイランにもサイバー戦を仕掛けた経歴があるから納得だな」


 トート参加の民間軍事会社Z&Eはサイバー戦においても優れている。


「それを踏まえて今回の事件を見直してみよう。統一ロシアはトートと手を組むことを選び、そしてZ&Eが統一ロシア軍を支援した。経済制裁に違反しない範囲の支援とは言えど、やれることはやっただろう」


「そもそも六大多国籍企業が国家間の取り決めである統一ロシアへの経済制裁を守ったのかは疑問の限りだが」


 アニメキャラのアバターが言うのに列席者のひとりが愚痴る。


「それはどうでもいい。とにかく、統一ロシアは第二次ロシア内戦以前のレベル、あるいはそれ以上のレベルに電子戦能力を高めた。そのことはこのトピックのテーマである統一ロシア陸軍基地襲撃で漏洩したアイスからも分かる」


「あれは確かに高度なアイスだった。軍用レベルでブラックアイスも含まれてた。西側諸国の軍隊のサイバー戦部隊でも苦戦するだろうし、六大多国籍企業の民間軍事会社でも砕けないだろう」


「それが破られた。しかも、ハッカーとしては初心者同然だった学生ハッカーによって。“オンリー・ワン・ネイション”はブエノスアイレス大学の学生の集まりだった。ちょっとばかり政治に被れた」


「しかも学部は文学部。サイバー戦のことを理解してないはずだ。実際にここに来た連中と話した奴の話じゃ、初歩的なアイスブレイカーすら理解できてなかったとさ。いつからこの電子掲示板BBSはこんな素人を入れるようになったのか」


「利用規約とログイン条件がここで六大多国籍企業の連中が暴れてから変更になったからな。そのせいだろう」


 六大多国籍企業のサイバー戦部隊がよりによってこのBAR.三毛猫で暴れたことで、管理者シスオペは電子掲示板の設定をやり直す羽目になっていた。


「そんな素人連中が軍用アイスをただハックするだけじゃなくて、ハックしてさらに無人警備システムをジャックした? どんな魔法を使ったらそんなことができるんだよ。アルゼンチン政府は誤認逮捕したんじゃないか?」


 列席者のひとりがそう発言する。


「いいや。間違いない。ALESSのサイバーセキュリティチームは統一ロシアの軍事関係施設への不正なアクセスの証拠を入手した。トラフィックデータと端末のログ。ALESSはまだ公開してないが、アルゼンチン政府には報告した」


「あんた、それを盗み見たのか?」


「俺だってハッカーだぞ? 知りたがり、覗きたがり、暴きたがりだ。アルゼンチン政府の政府関係施設のアイスはお粗末だったから砕いて盗み出して来た。これがそのデータだ」


 メガネウサギのアバターがトピックのテーブルに入手した情報をアップロードした。


「ふうむ。なるほど、確かに動かぬ証拠だ。やったのは“オンリー・ワン・ネイション”の連中。最近の文学部ってのは何教えてるのかね……」


「ここで前にアスタルト=バアルが指摘したことを改めて言う。誰かが人体実験のために“オンリー・ワン・ネイション”の素人に白鯨由来のアイスブレイカーを供与して、安全かどうかを確かめた。この説だ」


「濃厚だな。文学部の素人が軍用アイスを叩き割るには、誰かが手を貸したと見るのが適切だ。私たちも初心者のころは手本にしたり、教えてくれる人間がいただろう。大学の教授や先輩であったり、マトリクスでの関係だったり」


「ああ。俺にも教師がいたよ。現実リアルにもマトリクスにも。大学で公式に教えられている範囲の話じゃあ、マトリクスでハッカーはやってられない」


 アニメキャラのアバターが同意するのにメガネウサギのアバターがそう語った。


「“オンリー・ワン・ネイション”の文学部どもは“親切な教師”にいろいろと教えてもらったが、“親切な教師”の目的は文学部どもを使った人体実験。逮捕されるのも想定の内かね」


「だろうな。使い捨てディスポーザブルな駒だ。六大多国籍企業らしい」


「まだ六大多国籍企業が開発したアイスブレイカーだとは分かってない」


「常識で考えろよ。六大多国籍企業の他にどこの連中がこんなことをするんだ? あのマトリクスの怪物だった白鯨ですら作ったのはメティスだぞ」


「それはそうだが。だが、まだそうだと断言できる証拠はないだろう」


 それからログが六大多国籍企業を非難する発言と陰謀論を否定する発現でずるずると埋まっていく。


「静かに、静かに。とにかく俺たちもその“オンリー・ワン・ネイション”が使ったアイスブレイカーを入手しよう。情報がある奴は教えてくれ。何か知ってる奴はいないか? アルゼンチン方面の詳しい人間は?」


 メガネウサギのアバターがそう言って列席者を見渡す。


「アルゼンチン方面でも、“オンリー・ワン・ネイション”が使ったアイスブレイカーの件でもないけど、関係してる情報がある」


 そこでベリアが発言した。


「統一ロシア陸軍基地に収容されていたのはDLPH-999だった。それをテロリストが盗み出して使用しようとした」


「DLPH-999だって? メティスが広報が発表したのと違ってまだ持ってるのは間違いなかっただろうが、よりによって統一ロシアに保存してたってのか?」


 ベリアの燃料投下によってトピックが一気にざわめく。


「これで六大多国籍企業の筋は消えたぞ。DLPH-999が流出すれば世界の終わりだ。六大多国籍企業だって世界人口の9割が死滅した世界からは利益を上げられない」


「じゃあ、どこのどいつだ。こんなクソみたいな真似をさせたのは? 世界が滅んでも構わないなんて破滅思想の持ち主か?」


「終末思想のある宗教。その宗教原理主義者ファンダメンタリスト。アメリカにも世界の終わりに備えている連中が腐るほどいるし、中東のムスリムは依然変わらず過激なテロをやる」


「アメリカの反連邦主義者の民兵によるワシントンD.C.での炭疽菌テロ。中東・アフリカに食料が十分に提供されないことに腹を立てたソマリア人ムスリムグループによるローマの世界食糧計画WFP本部爆破」


「そう。連中は何もかもふっ飛ばせばよくなると思ってる。DLPH-999が流出して世界が崩壊するなら大喜びだろうさ」


 宗教を皮肉り始めるとログがどんどん埋まっていく。基本的にマトリクスのハッカーというのは神は自分たちに都合のいい時にしか信じない。


「だが、少なくとも技術はあるだろうアメリカの終末主義者にしたって、軍用アイスを簡単に抜けるアイスブレイカーを作るのは無理だ。他に技術のあって破滅願望がある終末主義のハッカーを知ってるか?」


「知ってる」


「どこのどいつだ?」


「イスラエルのユダヤ人ハッカー」


「ああ。そいつらがいたか」


 列席者のひとりの発言に全員が呻いた。


「イスラエルは滅び、ユダヤ人にとって悪しき時代が訪れた。ディアスポラ再び。ユダヤ人は核攻撃の報復にリンチされるのを恐れてイスラエルから逃げ出した。多くが欧州の安定した地域やアメリカに渡った」


「技術者として引き抜かれた連中も多い。第六次中東戦争前のイスラエルには六大多国籍企業があれこれ関わってた。研究開発をメインにイスラエルにある大学や研究所、企業と提携していたこともある」


「そして、その手の優秀なユダヤ人が居場所を失ったのをこれ幸いと六大多国籍企業が引き抜きまくった。そのためのイスラエルを地図から消滅させたんじゃないかって言われている程にな」


「イスラエルは科学技術大国だったからな」


 今やそのイスラエルは国家として存在しないがと列席者のひとりが言う。


「イスラエルにいたユダヤ人は世界を憎んでる。自分たちの約束された土地を異教徒に明け渡した世界を。国連がイスラエルを解体したんだ。正確に言えば国連を傀儡にしている六大多国籍企業が」


「俺にはイスラエルから亡命してきたユダヤ人の同僚がいるから言うが、本当に連中はイスラエルが消滅したことが民族アイデンティティに響いていると感じてる。古代ローマ帝国に滅ぼされ、1948年に復活した国家だからな」


「熱心なシオニストじゃなかったとしても住む場所を追われるってのには堪える。俺たちだって自分たちが親しみ、馴染んできた環境から外国の人間に叩きだされたその連中を死ぬほど恨むだろう」


 それからイスラエルの消滅と自分たちの故郷の話でログが埋まる。


「実際にイスラエル崩壊後にユダヤ人がテロを起こしてる。元イスラエル空軍のパイロットで、正統派ユダヤ教徒。アラファトとオスロ合意を結んだラビンを殺った奴と似たような人物像プロファイル


「あれか。核爆弾でふっ飛ばされたエジプトのカイロからモロッコの首都ラバトに移転していたアラブ連盟本部へのケミカルテロ」


「あれで本部にいた職員126名が死んだ。生き残りも後遺症に悩まされている。使用されたのはH-VXガス。ナノマシンを組み込んで殺傷力を上げたVXガスだ」


 こいつは第三次湾岸戦争で多国籍軍を相手に使われたと列席者が発言する。


「自棄になっちまってるんだろ。1948年のイスラエル建国と分割協定の破綻でパレスチナ人も国を追われた後、ミュンヘンオリンピック事件やらハイジャックやら滅茶苦茶やっただろ?」


「何だってあんな土地にどいつもこいつも集まるかな。本気で神様がいるなんて、このご時世に思ってるわけ?」


「信仰は好きにすればいいさ。神を否定するような生物医学や宇宙科学を研究している研究者でも敬虔な信徒だったりする。宗教は文化なんだ。俺たちだって今年から正月は廃止しますって言われたら腹立てるだろ?」


「最近、正月に休めねえ」


管理者シスオペ業か? その手のサービス業だけには神はいなさそうだな」


 神に関するジョークが飛び交う。


 そこに前にいたアラブ人のアバターをした男が姿を見せた。


「興味深い情報を手に入れた。ALESSが押収した“オンリー・ワン・ネイション”が使っていたアイスブレイカーについてだ。ALESSからアトランティス・サイバーソリューションズに移される前にゲットした」


「マジか。どうやったんだよ?」


「アルゼンチンのマトリクスはガタガタだ。トラフィックが漏洩する場所がある。そしてALESSはブエノスアイレスからロンドンにデータを送信した。それをデータハブで待ち伏せしてフルスキャントラップだ」


「すげえな」


 アラブ人のアバターの技術に列席しているハッカーたちが感心したように唸る。


「完全な情報が手に入ったのか? なら、解析しよう」


「残念ながらアイスブレイカーそのものは軍用レベルで暗号化してある。恐らくはこの暗号を解読するには宇宙が終わるまで時間がかかるだろう。だが、使用されたアイスブレイカーの名前は分かった」


 そう言ってアラブ人のアバターがALESSによって暗号化されたファイルをトピックにアップロードする。


「“Perseph-One”?」


「ペルセポネ。ゼウスの娘で冥界の神ハデスのお嫁さん。冥界の女王にして農耕の神。その英語表記のもじりだね。なかなか洒落た名前じゃない」


 メガネウサギのアバターが首を傾げるのにベリアが発言した。


「ペルセポネは冥界のザクロを食べたせいで地上に戻れなくなった。そういう意味で名前をつけたならば、ちょっとばかり用心するべきだろうな」


 アニメキャラのアバターが慎重にそう言う頃にはトピックにいた全員が検索エージェントで、このPerseph-Oneについて検索を始めていた。


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