ディア・ヴァンパイア//カバー

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 ──ディア・ヴァンパイア//カバー



 東雲たちはアイリッシュ・マフィアが運営するメティス・バイオテクノロジーの合成食品輸送トラックでケンブリッジに向かっていた。


「腹が減ってくる匂いがする」


「つまみ食いするなよ。怒られるぞ」


「今朝から何も食ってないからなあ」


 東雲が呉に注意されつつ合成食品の脂の匂いを嗅ぐ。


 合成食品としても上等な部類に入るもので、調理というよりも化学合成によって出来上がる代物だ。


「誰か何か食うもの持ってないか?」


「アイリッシュ・マフィアにサンドイッチを貰った。合成品だが」


「食べないのか?」


「ああいう連中の食い物には何が混じっているか分からない」


「そう言われると食欲失くすぜ」


 八重野がサンドイッチを投げて渡すのに東雲がうんざりした表情でそれを見た。


「止めとけ。あんたは機械化してないんだ。仕事ビズの最中に腹でも壊されたらたまらん」


「あいよ。空腹に耐えましょう」


 東雲はサンドイッチを投げ捨て揺れるトラックの中で考え込む。


「暁。本気でヘレナを逃がすつもりなのか?」


「ああ。何というか、運び屋としちゃ失格なんだが、お土産パッケージに愛着が湧いちまってな。ヘレナのことをこのままジェーン・ドウに引き渡すことはできないというか。見捨てられなくてな」


「分からんでもないよ。俺もロスヴィータを守るためにジェーン・ドウを裏切ろうとした。結果としては許されたがね」


「俺の方は許されないだろうな。ジェーン・ドウは血眼になって俺を探して、お前たちみたいな非合法傭兵を差し向けて始末しようとするに違いない。だが、俺はもう一度死んだ身だ。死は怖くない」


「奇遇なことにあのジャクソン・“ヘル”・ウォーカーもあんたと似たようなことを言ってたぜ」


「似た者同士だ。奴も俺も100%の機械化。そして、記憶はマトリクスに保存されている。いくらでも復活できるってわけだ」


 東雲が言うのに暁がそう返した。


「だから、死は怖くない、か。いずれ人間全員がそうなるのかね……」


「かもな。昔は言われてたぜ。超知能が技術を発展させて、超知能の技術で人間のバックアップを取るようになり、世界は機械化された人間とデータ上の人間で構成され、死という概念はなくなるんだって」


「夢物語にしか聞こえないが、あんたとジャクソン・“ヘル”・ウォーカーは成功した。ああ。墓に入るときがなくなるってのはどんな感じかね」


「さてな。俺はあまり特別な感情を抱いていないが。だが、俺をこういう体にした雪風ってのはどんなハッカーなんだろうな? あんたのお気に入りの猫耳の女医が言うには俺をこういう風にする技術はどこにもないって」


「雪風を知らないのか?」


「知らん。誰だ? 知り合いか?」


「昔、白鯨相手の仕事ビズを一緒にやった仲間だ。正確にはハッカーじゃない。彼女は自律AIだ。チューリング条約違反で、超知能を宿す可能性がある」


「おい。まさか俺を復活させたのは超知能だってのか?」


「どこかの野良ハッカーが有名な大学や六大多国籍企業ヘックスが失敗した研究を成功させていて、あんたを被験者に選んだってのより信じられるだろう?」


「それはそうだが。クソ。信じられない。超知能が誰にも管理されずにマトリクスに存在してるってのか? 誰が作ったんだ?」


「臥龍岡夏妃って研究者だと。すげえ天才らしい。今はどこに消えたのか六大多国籍企業すら知らないって人だ」


「そいつはまた。マトリクスのハッカーどもが好きそうな話だ。伝説だな」


 東雲の言葉に暁が小さく笑う。


「雪風があんたを復活させたんだ。雪風はもう超知能になってるのかね。ハッカーたちが夢見た技術的特異点シンギュラリティの到来ってわけだ」


「こんな形で技術的特異点シンギュラリティが訪れるとはな。俺はもっと組織的というか、歴史や体制が動くように訪れるものだと思ってた。それがマトリクスに放たれている自律AIが勝手に超知能になるだなんて」


「歴史や体制なんて案外しょうもないことで動くものだぜ」


 東雲がそう言う。


「俺たちみたいな連中も歴史や体制を動かせるかね」


「もし、あんたが無事にヘレナを連れて逃げ出せれば六大多国籍企業のお偉いさんたちが不老不死になって永遠に経済や世界を支配するってことはなくなる。企業ディストピアから一歩遠ざかるってことさ」


「だといいがね」


 そういう会話をしていたときベリアから連絡が入った。


『東雲。そっちはもうすぐケンブリッジだね。こっちはアトランティス・バイオメディカル・コンプレックスに侵入するための準備を始めている。研究施設への仕掛けランは上手くいっているから』


「いいニュースだ。マトリクスから支援してくれ」


『オーキードーキー』


 ベリアは既にアトランティス・バイオメディカル・コンプレックスの構造物に侵入し、内部の様子を探っていた。


『ルナ・ラーウィルとヘレナを確認。アトランティス・バイオメディカル・コンプレックスで間違いない。その代わりハンター・インターナショナルの重武装部隊が確認されているよ。研究施設というより軍事基地みたい』


「勘弁してくれよ。マトリクスから何ができる?」


『この研究施設ではバイオセーフティレベル4の実験室があって国連によって感染拡大が防がれたゼータ・ツー・インフルエンザの変異株が保存されている。メティス製の抗ウィルスも効果がない変異株』


「おいおい。そんなヤバいものが保存されてる研究所に突っ込むのか?」


『他にも天然痘やエボラ出血熱の株も。そこから流出が起きたって警告を誤作動で引き起こさせる。研究施設は封鎖されて、防護装備のないハンター・インターナショナルの部隊は撤退』


「ふむ。あくまで警報の誤作動だよな? 本気でヤバイウィルスを漏らさないよな?」


『約束するよ。君たちがウィルスに曝露するようなことにはしない。だけど、君なら身体能力強化でゼータ・ツー・インフルエンザも治癒できるんじゃない?』


「無茶苦茶言うなよ。俺だって異世界で腹壊したことあるんだぞ」


『じゃあ、小さな敵に気を付けて』


 ベリアが冗談めいてそう言い、連絡を切った。


「ベリアがウィルスの漏洩を偽装して研究所をパニックに叩き込むってさ。俺たちはその隙に行動して、ルナ・ラーウィルをぶち殺し、ヘレナを奪還する。オーケー?」


「オーケー。仕事ビズをやろうぜ」


 東雲がトラックの中にいる全員に伝えるのに全員が頷く。


「東雲。ルナ・ラーウィルについてはマトリクスの魔導書について吐かせたい。奴を殺してハッピーエンドとは限らないんだ。何か解呪のための手続きが必要かもしれない」


「それなら先に専門家に話を聞いたらどうだ?」


「専門家?」


「ヘレナ」


 八重野が首を傾げるのに東雲が暁の頭を突いた。


「おい。突くな。ヘレナはマトリクスにいる。話があるならマトリクスに繋いでくれ。ただし、彼女は仕掛けランの最中だ。邪魔はするなよ」


「分かった」


 暁の言葉に八重野がそう言ってマトリクスに接続した。


『どうかした、八重野?』


「ヘレナを出してくれないか、ロスヴィータ」


『いいよ。呼び出しリンクを渡す』


 マトリクスで仕掛けランの最中だったロスヴィータが八重野にヘレナの呼び出しリンクを渡した。


「ヘレナ。知りたいことがある。どうすればこの呪いを解呪できる?」


『ああ。呪いか。そうだったな。単純だ。呪いをかけた人間を殺すだけだ。それで呪いは解ける。ただし、その時点で呪いの反動が起きる可能性はある』


「呪いの反動とは?」


『お前は今まで呪いによって因果を捻じ曲げて、生き残って来た。あらゆる危機が呪いによって歪められて無力化され、絶対に死なないようになっていた。それはゴムの紐をぎゅうぎゅうに絞ったようなものだ』


「だから、呪いが解けるとき反動がある、か」


『そうだ。これまでの因果の歪みが放たれ、襲い掛かる。これまで死を回避してきたことが多いほど反動は大きくなる。それによって死ぬこともあるだろう』


「どうすればいい?」


『呪いを解呪すると同時に新しくかける。私の本体ならば呪いを書き込める。それによって死を回避する』


「しかし、それでは結局呪いによって死ぬではないか」


『人はいずれ死ぬ。その因果から外れれば私のような化け物に成り下がる。安心しろ。2年で死ぬような短い呪いではない。100年は生きられるようにしてやる』


「そうか。反動ですぐ死ぬより100年も生きられれば儲けものだな」


『そう思っておけ。だが、まずは私の本体に事情を説明しておけ。私の本体がどこまで話を把握しているかは怪しい。もちろん、お前たちは私を連れ出してくれるのだ。そのことに感謝しないほど私は恩知らずではない』


「ああ。ありがとう、ヘレナ」


『こっちこそな。仕事ビズをやり遂げろ、八重野』


 ヘレナそう言って連絡を切った。


「呪いの方はどうにかなりそうか?」


「完全に呪いから逃れるのはもはや不可能らしいが長生きはできる」


「そうか。よかったな」


 八重野が少し安堵したように言うのに東雲が頷いた。


「おい。あんたら」


 そこでアイリッシュ・マフィアのトラックの運転手が東雲たちに声をかけて来た。


「そろそろメティスの食料デポに到着する。ずらかる準備をしておいてくれ。脱出の際にはこの連絡IDに連絡してくれれば行きと同じようにトラックでドーバーまで連れて行くからな」


「ありがとよ。さて、準備だ、野郎ども!」


 東雲が腰を上げる。


「あたしは野郎じゃねえぞ、大井の」


「私もだ。だが、準備はできてる」


 セイレムと八重野がそう答えて降車準備に入る。


「そら。今だ。降りろ、降りろ。幸運を祈るよ!」


「サンキュー」


 トラックは警備の厳重なメティスの食料デポに入る前に東雲たちを降ろした。


「さて、ケンブリッジだ。俺は有名な大学があるってことしか知らない」


「元々はケンブリッジ大学を中心に広がった大学都市だった。そこにアトランティスが進出してきて高度研究都市に作り替えた。研究施設が集中している都市だ。俺は何度か強奪スナッチ仕事ビズで来た」


「観光地じゃねえな。けど、何か食いたい」


「んなこと言ってる場合かよ。もうALESSのIDは使えないんだぞ」


「だって、腹減ったしさ」


 東雲がそう文句を言う。


「飯は仕事ビズが終わって欧州大陸に移ってからでいいだろ。本場のフランス料理を味わって帰ろうぜ」


「どうせ合成品だろ。ラーメン食いてえ」


 セイレムがからかうようにいうのに東雲がそう返した。


「東雲。重大な仕事ビズの前にくだらないことで文句を言わないでくれ。これからアトランティスの重要な研究施設に突っ込むんだぞ」


「はいはい。分かったよ、八重野。我慢しましょう」


 八重野が苦言を呈し、東雲がしゃんとする。


「ベリア。今、ケンブリッジに到着した。仕掛けランは?」


『準備完了。いつでもどうぞ!』


「オーケー。まずは足を調達してほしい」


 東雲がベリアにそうリクエストするとケンブリッジ大学と書かれたバンが走って来た。リモート運転だ。


『それを使って。大学の備品をちょっと拝借。ここじゃALESSの車両は目立つから』


「おう。ありがとよ。じゃあ、アトランティス・バイオメディカル・コンプレックスへレッツゴーだ」


 東雲たちはケンブリッジ大学のバンに乗り込み、アトランティス・バイオメディカル・コンプレックスへと向かった。


「ベリアからアトランティス・バイオメディカル・コンプレックスの警備状況が報告されている。共有してくれ」


「おーおー。こいつはまた。凄い警備状況だな。アーマードスーツに、戦闘用アンドロイド、軍用装甲車、そして無人攻撃ヘリ」


「勘弁してほしいよな。だが、いいニュースは連中には防護装備がないってことだ。ウィルスが漏洩したとなれば大混乱」


 呉が唸るのに東雲がそう言いながらケンブリッジの街並みを眺めた。


 先進的な研究を行っている真新しい建物が並んでいる。


「ALESSのチェックポイントがないのがどうにも気になるな」


「ここは研究所ごとに警備体制が変わるようだからな。ロンドンのように街全部が警戒対象ってわけじゃない。研究所のものは基本的に研究所から出さないし、研究所外のものは研究所に入れない」


「暮らし難そうな街だな」


 暁が説明するのに東雲がぼやく。


「さて、ショータイムだ。派手にやろうぜ」


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