原潜基地//トンネルの向こう側

……………………


 ──原潜基地//トンネルの向こう側



 ディミトリをロシア人居住区から連れ出すのは容易だった。


 ロシア人居住区を管理している太平洋保安公司はディミトリが出国する予定があり、既に航空便の予約を取っていると知らされるとスムーズに彼を外に出した。


「旧ロシア海軍地下潜水艦基地の付近には街などの人口密集地はない。アメリカ国家偵察局NROにも見つけられなかった場所にある。非常用トンネルに至ってはここに暮らしていたロシア人すら知らない」


「そもそも旧ロシア海軍地下潜水艦基地なんてのは都市伝説だったからな」


 ディミトリが言うのにアーロがそう言いながら車を走らせる。


「都市伝説じゃない。冷戦時代から準備されてきた。旧ロシア海軍は音響監視システムSOSUSで戦略原潜やハンターキラー原潜が探知されるのを恐れていた。そこでアメリカ海軍や旧海上自衛隊に探知されない方法を模索した」


「旧海上自衛隊時代から日本は大陸の潜水艦の封じ込めのために固定ソナーをアメリカと合同運用していたからな。中国海軍も旧ロシア海軍もすぐに探知されて、対潜哨戒機に追いかけ回される」


「日本人の多くは意識していなかっただろうが、日本列島って奴は大陸を太平洋から締め出すように広がっている。そこにソナーラインを設置されたら敵わん」


 ディミトリがそう語る。


「そもそも中国もロシアも陸軍国だ。陸軍国が海軍の拡張に手を出すと碌な目に遭わない。そのことは前世紀にドイツ人が散々証明した。かの立派なティルピッツ提督の作った大洋艦隊がどれほど役に立ったか」


「旧ロシア海軍は戦う前から経済制裁でボロボロだったが中国人は努力したさ。日本本土に巡航ミサイルを叩き込んだ。その報復は当然受けたがね」


「そして、中国が誇るあの立派な空母はまるで役に立たなかった。連中はASW対潜作戦能力が極めて低かったからな。魚雷を喰らって、機雷にぶつかって、沈没。大金を投じたってのに」


「日本海軍の戦略転換が大きかったからな。非大気依存推進AIPで原潜並みの潜水能力がある潜水艦隊を使った中国大陸の機雷封鎖。限定AIを使った知性化機雷スマートマインをばら撒いた」


「小さな努力で最大の戦果を。第三次世界大戦が開戦する前から日本海軍が機雷戦に出たら中国海軍は手も足も出ないってのはアメリカ海軍の高官が指摘してた」


「中国人は少なくとも戦って散った。俺たちと来たら戦う前からガタガタだ。水兵たちは給料の未払いで反乱を起こすし、部品がなくてミサイルも魚雷も使えない。樺太の売却が決まったとき、水兵どもは大喜びしやがった」


 忌々し気にディミトリが言い、腕を組んだ。


「『やった。これで給料が支払われるぞ』ってか。いいじゃないか。ロシア人はボルシチが腐ってただけで反乱を起こすんだろう?」


「言ってくれるぜ、日本人が。誰のせいでこんなことになったと思ってやがるんだ。ウクライナ戦争の件で西側が揃って経済制裁したせいだぞ」


「ウクライナに攻め込んだりするからだろ。自業自得じゃねーか」


 東雲はディミトリに呆れたようにそう言った。


「確かにウクライナを攻撃したのは間違っていた。認める。俺は旧ロシア政府に盲目的に従った悪いロシア人じゃない。だが、だからと言って日本人が火事場泥棒していい理由にはならない」


「俺の記憶が確かならロシア人は自分たちから日本政府に樺太売却を持ち掛けたと思うんだが?」


「極東ロシア臨時政府の売国奴どもがやった取引だ。無効だ、無効」


 東雲が指摘するのにディミトリが腕を組んだままそう返した。


「止めようぜ。不毛だ、この話題は。水掛け論が繰り返されるだけ」


 アーロがそう言って議論を終わらせる。


「旧ロシア海軍地下潜水艦基地についてだけ話そう。あれは日米の音響監視システムSOSUSを逃れるためにものなんだろう? 運用はどう行われていたんだ?」


「主に日米海軍のハンターキラー潜水艦から戦略原潜SSBN巡航ミサイル原潜SSGNを保護するためのものだった。主要な海軍基地は偵察衛星に常に見張られているから、隠れ家が必要だった」


「で、地下潜水艦基地と」


「そうだ。戦略原潜も巡航ミサイル原潜も軍事的価値は高い。抑止力として重要だ。日米のソナーラインを避け、偵察衛星による捕捉を避け、ハンターキラー潜水艦を避ける必要性があった」


「なるほど。しかし、今は放射線汚染されているんだろう?」


「ああ。最初のトラブルは戦略原潜ウラジーミル・モノマーフで起きた反乱だった。給料の未払いが原因で水兵と何名かの将校たちが戦略原潜を乗っ取ろうとした。艦長は反乱を伝え、地下潜水艦基地に向かえと命令を受けた」


「それから?」


 ディミトリが喋るのにアーロが尋ねる。


「反乱分子は地下潜水艦基地に向かっていると気づくと、原子炉の冷却炉を機能不全に追い込んだ。結果、原子炉が暴走して炉心溶融メルトダウン。だが、そのまま戦略原潜は地下潜水艦基地に入っちまった」


「それで放射線汚染か」


「ああ。地下ドックが放射線で汚染され、封鎖された。旧ロシア海軍には対処する能力がなく、そのままだ。そして、第二次ロシア内戦が始まり、極東ロシア臨時政府が樹立され、樺太は日本人に奪われた」


 ディミトリが続ける。


「それから日本海軍特別陸戦隊が突っ込んできた。地下潜水艦基地の制圧を担当していたのは最新鋭のアーマードスーツと機械化ボディ、強化外骨格エグゾで武装した連中だ」


「あんたはそこで戦ったんだろう。旧ロシア政府忠誠派の海軍歩兵のひとりとして」


「そうだ。核兵器と潜水艦を守るために戦った。俺たちはおんぼろのアーマードスーツとガタガタ動く強化外骨格エグゾ、そして旧式火器で応戦した。俺たちは祖国を愛してたし、ロシア軍人としての誇りがあったからな」


「そして、あんたたちは日本海軍に負けて逃げた」


「仕方がないだろ。連中との戦力差は明白だった。こっちは放射線汚染のせいで碌に食事もまともにできいない状況で、装備の更新は常に後回し。主力はウクライナ戦争に抽出されて残っていたのは二線級部隊」


 東雲が言うのにディミトリがうんざりしたようにそう返した。


「戦闘で原潜がさらに損傷。放射線漏れが激しくなり、地下ドックは防護服なしじゃ行動できなくなった。戦友の一部は急性放射線中毒で死んだよ。俺と三等兵曹はもうやってられんと逃げ出して、同胞が集まっている場所に逃げた」


「その軍服でか? 日本陸軍は残党狩りをやったと思うが」


「極東ロシア臨時政府に忠実な軍人の振りをした。樺太からの疎開船で働き、火事場泥棒を働く連中を射殺した。それで見逃されたってわけだ」


 ディミトリが東雲にそういう。


「その後、またロシア人であることが誇らしくなってオホーツク義勇旅団に入ったのか? よく信じてくれたな」


「元ロシア軍人は歓迎された。オホーツク義勇旅団は民兵という名の素人の集まりだ。専門知識が足りてない。だから、軍人は歓迎される。参謀本部情報総局GRUも支援していたが、それでも足りなかった」


「あんたは軍人で将校。知識はあるな。その知識で樺太連隊や太平洋保安公司相手に戦ったわけだ」


「いいや。俺は訓練を担当していただけだ。銃の撃ち方や遮蔽物の確保方法、そして小部隊での基本的な戦術について山の中の基地で教えていた」


「なんでオホーツク義勇旅団を売った?」


「金だよ。最初はオホーツク義勇旅団も食い物やウォッカをくれたが、段々日本陸軍による圧力が大きくなって支給品が少なくなっていた。それでうんざりして太平洋保安公司に取引を持ち掛け、逃げた」


「あんたはオホーツク義勇旅団を裏切って、太平洋保安公司はあんたを裏切った」


「そういうことだ」


 ディミトリは短くそう言った。


「そろそろだ。そっちの山道に入ってくれ。森の中にトンネルの入り口はある。偵察衛星やドローンによる探知を避けるために。三等兵曹が言うには核戦争が起きたときに地上の様子を確認するためのものらしいが」


「オーケー」


 車は山道に入り、砲撃によって生じたクレーターを避け、森の手前で止まった。


「ここからは歩きだ。上空に警戒。太平洋保安公司は人狩り機仕様の無人攻撃ヘリを限定AI制御で飛行させている。オペレーターがトリガーを引くだけ。それも碌に確認せずに攻撃する」


「人狩り機仕様ってどういうことだ?」


「生体電気センサーとサーマルセンサー、そしてマイクロ波レーダーで人体を検出することに特化した無人攻撃ヘリだ。武装も口径40ミリの空中炸裂弾頭を使う電磁チェーンガン。フレシェット弾頭、サーモバリック弾頭の誘導ロケット弾」


 ディミトリがそう言って上空を見ながら、森の中に入る。


「結構距離があるのか?」


「ある。山歩きは平気だろう」


「一応靴は山歩き用だ」


 東雲はそう言ってディミトリの後をついていった。


 それから1時間ほど歩いてディミトリが立ち止まった。


「着いたぞ。ここにトンネルの入り口がある」


「何もないぞ」


「隠してある。そこにスコップがあるから取ってくれ」


「あいよ」


 東雲はディミトリに言われて、置いてあったスコップを渡すとディミトリは土を掘り始めた。土が払いのけられていき、そして金属製のハッチが姿を見せる。


「入口だ。ここから地下潜水艦基地に行ける」


「ホットスポットについては分かってるんだよな?」


「ああ。日本人が弄ってなければ記憶の通りだ」


 アーロが尋ねるのにディミトリがそう答え、ハッチを開いた。


「誰かガイガーカウンター持ってるか?」


「ああ? 持ってねえよ」


「だろうな」


 東雲が肩をすくめるのにアーロがそう言う。


「さて、覚悟はいいか?」


「覚悟してます」


 東雲はディミトリに返す。


「潜るぞ」


 ディミトリの案内でハッチからトンネルを梯子を使って降りていく。


 トンネルは長く続き、30メートルほど下った。


「ようこそ。旧ロシア海軍の秘密基地へ」


 ディミトリがそう言い、トンネルの先に広がる旧ロシア海軍地下潜水艦基地を見渡した。コンクリートが剥き出しの空間が広がり、非常用の赤いライトで照らされている。


「ここは基地のどの辺りなんだ?」


「現在地のデータを送る。基地そのもののデータは持ってるんだろう?」


「ああ。持ってる」


 東雲がディミトリから地下潜水艦基地のデータを受けとる。


「ふむ。このまま進めば居住区か。居住区の下は警備部隊のための弾薬庫とバンカー。その下は核兵器貯蔵庫。そのまた下は地下ドック」


「取引場所はバンカーだ。放射線汚染は少ない」


 東雲が確認するとアーロがそう言う。


「用心して進むぞ。ホットスポットがあちこちにある。居住区も被曝した水兵の装備を捨てた場所があって、ホットスポットになってる。チェルノブイリの消防員の装備を捨てた場所みたいにな」


 ディミトリはそう言って慎重に地下潜水艦基地内を進んでいく。


 東雲たちはしっかりディミトリの後をついて進んだ。


「しかし、ぞっとするな。この下には炉心溶融メルトダウンした原潜と核兵器があるんだからな」


「なんだってジェーン・ドウはこんな場所を選びやがったんだ」


 アーロと東雲が愚痴る。


「秘密の取引をするにはうってつけだぞ。ときどきオホーツク義勇旅団の連中も統一ロシアの参謀本部情報総局GRUが送り込んだ不正規作戦要員と取引している」


「太平洋保安公司の警備は?」


「当然ある。だが、正面から入れば蜂の巣にされるものの、こういう隠し通路を使って入り込んでいる。内部は放射線のせいで防護装備を持っている特殊兵器事業部と日本海軍陸戦隊の連中しかいないからな」


 そこでディミトリが立ち止まった。


「この先にホットスポットだ。地下ドックに通じている水道管が破裂して汚染水が漏れている。かなりの放射線値だったはずだ」


「最悪」


 東雲はそうぼやいてディミトリが迂回するのに従った。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る