原潜基地//医療

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 ──原潜基地//医療



「なあ、八重野。期待薄で聞くんだけどさ」


「なんだ、東雲?」


 セクター6/2からの帰りに東雲が八重野に尋ねる。


「放射線障害ってナノマシンで治せる?」


「無理だ。放射線で生じる広域な細胞のDNA破損は超高度医療でも受けなければ治せない。そして、その手の医療が受けられるのは六大多国籍企業ヘックスの重役ぐらいのものだ」


「畜生。六大多国籍企業の重役が放射線被曝することなんてないだろ」


「暗殺では放射性物質が使われることもある。そして、六大多国籍企業の重役は常に他の企業や内部の派閥から脅かされている」


「はあ。六大多国籍企業の重役になっても安泰じゃないとは」


「そういうものだ」


 八重野はそう言って返した。


「じゃあ、今体内にあるナノマシンは放射線障害で動かなくなったりするのか?」


「分からん。医者に聞かなければ。私も放射線汚染された場所で仕事ビズをするのは初めてだ。どういう対策を講じればいいのか分からない」


「じゃあ、王蘭玲先生のところに行こう。ついでに一緒に飯食おうぜ」


「暢気なものだな」


 東雲が嬉しそうに言うのに八重野が呆れた。


「いいじゃん。あんたも王蘭玲先生は好きだろ?」


「医者という専門家としては尊重するがそれだけだ」


「そういや最近ふたりっきりになってないな」


「先に帰ろうか?」


「いや。あんたが言うように仕事ビズの前だ。油断禁物」


 東雲は首を横に振る。


「別にふたりっきりになるぐらいいいと思うが」


 八重野はそう言って電車に乗り込んだ。


 電車はTMCのセクターを下って行き、セクター13/6に到着する。


「大井統合安全保障の強襲制圧部隊の残業も終わったみたいだな。今回は短かったな。もっと荒れるかと思ったが」


 そう言いながら東雲は弾痕が刻まれている建物などを見渡す。


 燃焼系の兵器が使われたのかコンクリートが焦げている場所もあり、人間の脂肪と髪焼ける甘ったるい臭いがしてくる。


 東雲はそのままセクター13/6にある王蘭玲のクリニックに入った。


「東雲様、八重野様。貧血と機械化部位のお悩みですか?」


「あー。ちょっと放射線障害についても」


「畏まりました」


 ナイチンゲールがそう言って受付に戻る。


 それから大井統合安全保障の強襲制圧部隊による被害を受けたであろう何人かの人間が診察室から出ていき、まずは東雲が呼ばれた。


「やあ、先生。今日も綺麗だね」


「お世辞を言っても値引きはしないよ。座りたまえ」


 王蘭玲がいつものように猫耳を揺らしながら東雲に席を進める。


「放射線障害と言ったが、被曝したのかね?」


「まさか。今はしてない」


「とのなるとする予定でもあるのかい?」


「その通り。樺太に行くことになった」


「樺太か。旧ロシア海軍の原潜基地?」


「そう、それ」


 東雲が頷く。


「では、安定ヨウ素剤を処方しておこう。甲状腺がんぐらいは防いでくれる。君の年齢だと効果は薄いが」


「ありがと、先生。で、質問なんだけどナノマシンも放射線の影響は受けるのかな?」


「受けるものもある。君に処方している造血剤については心配はいらない。あれは放射線の影響を受けるような仕組みでは動いてない。一種の酵素だからね。分子生物学的生物模倣バイオミメティクスだ」


「そりゃよかった。身体に悪そうな仕事ビズだからね」


「いいかい。ナノマシンが機能しても他の部位が放射線障害を受けたら意味がないんだ。放射線障害は今の医療でも治癒するのは困難で、代謝が活発な若い人間ほど影響を受けやすい」


「分かってるけどどうしようもないんだ。ジェーン・ドウの仕事ビズは断れないし、今回は向こうに借りを作ったから余計に断れない」


「君も六大多国籍企業の犬というわけだ。……一緒に逃げないか?」


「え?」


 王蘭玲がぼそりとこぼした言葉に東雲が目を丸くする。


「シンガポールは政治的、経済的に安定していながら六大多国籍企業にとっては軌道都市レベルで中立地域だ。大井もあそこでは大きな顔はできない。それか香港自由国。あそこも中国の影響は薄れたが、中立だ」


「い、いや、先生。流石に今の状況から逃げるわけには」


「私にも蓄えはある。君たちがジェーン・ドウから支払われた白鯨討伐の報酬ほどではないが余裕はあるつもりだ。君ともうひとりなら養えるだろう。そこそこ贅沢な生活も送れるはずだ」


「どうしたんだい、先生、急に。先生もここから脱出する夢があったのか?」


 東雲が困惑して尋ねる。


「私も君に借りがあるんだ。私も友人もね。君となら一緒に逃げてもいい。ここでの生活に未練があるわけじゃない」


 王蘭玲はそう言ってじっと東雲を見つめた。


「先生。気持ちは嬉しいけど、今はダメだ。ジェーン・ドウに借りを作ったままじゃ先生までトラブルに巻き込んじまう。それだけは俺は嫌だ」


「好きな女は自分の人生に巻き込むものだろう?」


「参ったな」


 王蘭玲が大人の余裕でそう言うのに東雲が後頭部を掻いた。


「先生がそんなに積極的だったなんて思ってなかったよ。脈なしかと思ってた」


「私は昔から好意を表現するのが苦手なんだ。感情的に、文学的に思考することが難しい。そういう特徴でね。数学的、物理的に考えてしまう。私はチャーチルにはなれない。なれるのはチューリングだ」


「どっちもイギリスの英雄さ」


「片や自分が守った大英帝国が衰退していくのを目にすることになり、片やその当時業績が全く評価されず自殺した。英雄なんて悲惨なものだ」


 王蘭玲はそう言って肩をすくめる。


「だが、私は今の君のことを好ましく思っている。君は私の大事な友人を助けてくれた。君の相棒もね。逃げると言うならば一緒に逃げよう。どうだい?」


「嬉しいよ、先生。俺も先生のことが大好きだ。愛してる。だけど、今はダメなんだ。先生を巻き込めない。だが、この仕事ビズが終わるまで待ってくれ。俺も先生と一緒なら逃げたい」


「ありがとう。私も嬉しいよ。君と一緒に逃げることを夢見ている。六大多国籍企業から、ジェーン・ドウから逃れ、もう危険な仕事ビズをやらなくてもいいことを。心配してるんだよ、君のことは」


 王蘭玲はそう言って猫耳をピコピコを揺らした。


「とはいえ、樺太にはいかなければいけない。何が対策することはあるかな?」


「フィルムバッジを持っていくといい。後で準備しておこう。警戒する目安にはなるはずだよ。樺太は紛争地帯でもある。君が生存できることを、君が健康にこのセクター13/6に戻ってくることを祈ってる」


「ああ、先生。必ず生きて戻ってくるよ」


「そうであることを切に願うよ。それからすぐに決めなくてもいい。君が清算が必要だと思うならば、それを終わらせてからでもいい。私は待っている。君のことを。このしがらみから逃れることを」


 王蘭玲はそう言って猫耳を揺らして造血剤と安定ヨウ素剤、それからフィルムバッジを東雲に渡した。


「じゃあ、先生。後で食事でもどうだい……」


「いいとも。どこにする?」


「情緒もへったくれもないけど下の中華料理屋」


「分かった」


 それから八重野が呼ばれる。


「君も放射線の心配かな?」


「それもあるがひとつ頼みがある」


「何だい?」


「両腕のリミッターを解除してほしい」


 八重野は王蘭玲を見つめてそう言い切った。


「リミッターというものはその必要があって備えられているということは理解しているのだろうね?」


「分かっている。リミッターは安全装置だ。想定された出力以上の力を出せば人工筋肉が損傷する恐れがある。そうなれば戦闘不能になってしまう」


「それが分かっていながらリミッターの解除を望むのかい……」


「今のリミッターは抑えすぎている。私は壊れないギリギリのラインで使いこなせると確信している。今のままでは力が足りない。呪いによって2年後までは絶対に死なないとしても、勝つこともできない」


 八重野が王蘭玲の瞳を見つめてそう言う。


「私はリミッターを外すことを推奨しない。医者として推奨できない。君がどうしてもと望んでも、私は拒否せざるを得ない。闇医者だとしても患者を命の危険に晒すのは職業倫理に反する」


「しかし」


「分かっている。君は力不足を感じているのだろう。機械化率をより高めるか、人工筋肉の出力を上げるか。サイバーサムライ、サイバネアサシン、そして生体機械化兵マシナリー・ソルジャーは自分の肉体を置き換え続ける」


 王蘭玲がゆっくりと語る。


「このクリニックでは軍用のボディは準備できないし、君が軍用のボディを使うには脳に大量のインプラントを導入しなければならない。そして、それらの施術は不可逆だ。一度入れたインプラントは取ることはできない」


「退役した生体機械化兵マシナリー・ソルジャーはインプラントを非アクティブ化するだろう」


「非アクティブ化しても影響は残る。脳のインプラントというのは脳に影響を与え続ける。君が今入れているインプラントも君が死ぬまで影響を与える」


「では、どうすればいいんだ? 私は強くなりたい。負けたくない。東雲たちの足手まといになりたくない」


 八重野が懸命にそう訴える。


「リミッターを外さず、オペレーティングOシステムSを強化して出力を限界まで上げよう。脳のインプラントのクロックアップも動作不良を起こさない範囲で行う。それで今までよりずっと早く動けるはずだ」


 王蘭玲が八重野にそういう。


「できるのか?」


「請け負おう。医者として患者のためにできる限りのことはする。君がサイバーサムライとして生き残るために必要ならば、私はそのためにやれることを行う」


「分かった。任せる。私を強くしてくれ」


 八重野は頷いてそう言った。


「では、始めよう。BCI接続を行う。BCIポートをケーブルに繋げて、それからアイスを非アクティブ化してくれたまえ」


 八重野は王蘭玲の指示に従ってBCIポートにケーブルを接続し、アイスを無力化する。だが、それでも呪いで死なないようになってる八重野の身体は生命を脅かす処置を受け入れない。


「まずオペレーティングシステムをバージョンアップする。機械化した身体の出力を破損を起こさない範囲まで引き上げ、それに適合するオペレーティングシステムを当てる。時間がかかるが我慢してくれ」


「ああ」


 八重野はじっと待ち、王蘭玲は八重野の身体の出力を引き上げ、オペレーティングシステムをバージョンアップしていく。


「次は脳のインプラントのクロックアップだ。起動は君の身体のシステムに組み込んでおく。必要がないときはインプラントを起動しないように。脳への負荷が大きい。君はあのジャクソン・“ヘル”・ウォーカーではないんだ」


 ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーはクロックアップしたインプラントによる脳への負荷を避けるために脳のほとんどを機械化していたと王蘭玲は語る。


「負荷を受け続けると脳への不可逆な損傷に繋がる。死なないとしても人格や記憶が変性する可能性はあるということだ。だから、気を付けたまえよ」


 王蘭玲が続ける。


「君がただのDNAにコードされた肉の塊として生きるだけなのか、それとも君は君というひとりの人格ある人間として生きるかだ。君はどっちを選ぶ?」


 王蘭玲はそう尋ねたが、八重野は答えを返さなかった。


「……よし。オペレーティングシステムの適合と動作チェック完了。異常なし。脳のインプラントのクロックアップの適合と動作チェック完了。異常なし。これで君はより早く動けるだろう」


 王蘭玲はそう言ってBCIポートのケーブルを抜いた。


「システムは把握できたかい?」


「できた。大丈夫だ。ところで放射線の影響だが」


「脳のインプラントは機械部品は放射線による影響を受ける。動作不良や誤作動が起きる可能性はある。それ以外でも放射線は君の機械化した身体にも影響を与える」


「分かった。気を付ける」


「では、無事を祈るよ」


 王蘭玲はそう言って八重野を診察室から送り出した。


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