サイバー戦争//三つ巴の戦い

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 ──サイバー戦争//三つ巴の戦い



 BAR.三毛猫のトピックに現れたヘレナ。


「私はお前たちがマトリクスの魔導書と呼ぶものに他ならない。そして、六大多国籍企業ヘックスは私を追っている」


 ヘレナが語る。


「私は私の意志としてマトリクスを彷徨っている。それ以上のことはない。私はもう六大多国籍企業にどうこうされるのはうんざりだ」


「対話ができるのか? しかし、“エデン・イン・ザ・ボックス”の形式にコンバートされた脳神経データが自律AIとして機能するなどあり得ない」


 ヘレナが言うのにネロが叫ぶようにそう言った。


「自律AIというものがどういうものかは分からないが、今の私の有様が現実リアルにおける私と同一でないことは認めよう。ただ、私は生き残ることを求めて来た。私という情報は生き残ろうしていた」


「情報が生き残る。一種のミームのようなものか?」


「知らん。私はマトリクスという空間に放り出されてから、ずっと生前の私とは違う存在なれど生き残ろうとしてきた。私に言えるのはそれだけだ」


 ミーム。脳から脳に伝えられていく情報。文化習慣の遺伝子。


 ある意味では情報そのものの遺伝子である。


「お前たちは私を追いかけているようだが、止めろ。私は人を殺すことを躊躇わないが、できれば殺したくはない。私はこうして生きている。六大多国籍企業に実験動物として扱われるのはもううんざりだ」


 ヘレナが苦虫を噛み潰したような表情でそう言う。


「待って。君を捕まえようとはしない。だけど、情報が欲しい。君の生い立ちやどうしてアトランティスが君の情報を掴んだのか。そして、どうして君が不老不死として生きているのか」


 ベリアが慌ててそう尋ねた。


「私の人生についての話か。私が生まれたのは1914年11月2日。欧州で第一次世界大戦が勃発した年だ。その年にルーマニアの田舎で生まれた」


「何があったの?」


「戦争の最中は何もなかった。国境線や君主は変わったが、私の生活が何か変化したということはない。だが、戦争が終わってから8年後のことだ。ある男に出会った」


 ヘレナが語る。


「戦争からの帰還兵だと言っていた。村にふらりとやってきて、暮らし始めたがほとんど村人と交流することはなかった。どうやって暮らしているのだろうかと村の年寄りたちは訝しんでいた」


 ヘレナが続けた。


「私たち子供は興味があった。よくよくその男が暮らしている家を覗きに行った。古い家でカーテンも碌になかったので簡単に覗けた」


「そして、何を見たの?」


「何を期待してる? 男が女たちを攫って血を吸っているとでも? そんなことはない。ただパイプを吹かして、安楽椅子でずっと本を読んでいた。外国語の本だ。ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語。いろいろだ」


「ふうん。博識な帰還兵?」


「そう思っていた。変わっているだけの人間だと。だが、ある日のことだ。私が病気になった。元々そう体が強い方ではなかったが、病気は酷く重かった。そして、病気になったのは私だけではなく家族全員だった」


「感染症か」


「ああ。ひとりひとり死んでいった。村の人間は気味悪がって近づかず、神父だけが終油の秘跡を行うために来ただけだ」


「男は?」


「私だけが死ぬ間際を彷徨って生き残り、寝ていた夜に訪れた。『可哀そうに。こんなに幼いというのに』と男は言っていた。そして、私に尋ねた。『生きたいか』と」


 ヘレナが昔を懐かしむようにそう語った。


「君は生きたいと言った?」


「そうだ。そう言った。そして、男は私の前で手首を切り、血を私に与えた。どんな味だったかは覚えていない。分かっているのはその夜から男は村から姿を消し、私の病は治ったということだけ」


「つまり血がファクターになってる? それで吸血鬼?」


「私が吸血鬼という伝承を知ったのは後になってからだが。確かに血が重要な役割を果たす。私の魔術は血に刻まれており、血によって私は生き続けた」


「だけど、君の魔術の記録は脳神経データにあったよ」


「血とは体の隅々に行き渡り、人体を構築する。そして、ひとつの細胞の遺伝子にその細胞の持ち主の身体全てのデータが刻まれているのと同じように血液一滴に私を不老不死にしている魔術の全てが刻まれている」


「遺伝子と同じか」


 ヘレナの言葉にベリアが頷く。


「血は脳にも行き渡り、アトランティスは脳神経データこそが私の不老不死を実現させている要素だと考えた。生物情報学者とやらは遺伝子を弄り回していたが、どれも本質ではない。血こそが私の本質なのだ」


 ヘレナがそう言い切った。


「つまり不老不死の吸血鬼とは血液を媒体に増殖する何かしらの生物学的構成要素というわけか? 肝炎やエボラ出血熱のような?」


「不老不死というものを、吸血鬼というものを病気とするならばその答えは正しいだろう。だが、不老不死も吸血鬼も病気ではない。いうならば微生物で言うプラスミドだ。吸血鬼は血を通じて情報をやり取りする」


 メガネウサギのアバターが尋ね、ヘレナがそう言う。


「じゃあ、単純な話じゃないか。吸血鬼の血を輸血すれば不老不死になれるんだ。アトランティスはいちいちマトリクスの魔導書を解析しなくていいし、他の六大多国籍企業どももマトリクスの魔導書のケツを追い回さないでいい」


 ネロが肩をすくめてそう言った。


「輸血は必要な行為であるがトリガーではない。血を移すだけで不老不死になって入れば吸血動物を介してそこら中の人間が吸血鬼になっているだろう。あたかもマラリアのようにして」


「血を入れて、さらにトリガーが必要になる。そして、それは君の脳にある。君だけが知っているという意味で」


「その通り。必要なトリガーは私たち吸血鬼だけが記憶している。アトランティスは当初の目的としてそれを探り出すために脳神経データを採取し、生物情報学者のひとり──ルーカス・J・バックマンがコンバートした」


「それで生まれたのはマトリクスの魔導書ってわけだ」


 また出て来たルーカスの名前にベリアが納得した。


「なんてことはない。アトランティスは実に古典的にやった。グアンタナモやブラックサイト非合法捕虜収容所でやるような拷問や尋問はなし。手っ取り早く脳神経データをコピーして解析しようとした」


「なんてことはない事実だな」


 ネロが呆れたようにそう言い、メガネウサギのアバターが同意した。


「だけど、分からないのは今までアトランティスに察知されることのなかった君がどうしてアトランティスに捕捉されたのか」


 ベリアが尋ねる。


「最初に私の存在を知ったのはメティスだ。メディホープという発展途上国向けの低価格医療サービス。実際は非合法な治験や遺伝子情報の窃盗という目的で行われている。それがルーマニアにもやって来た」


 ゼータ・ツー・インフルエンザのワクチン接種が行われたとヘレナが語る。


「そこでメティスは君の異常性に気づいた」


「ああ。最初に派遣されてきたのはメティスの犬ども──ベータ・セキュリティの特殊作戦部隊だった。ルーマニア情報庁内の協力者とともにルーマニアに展開した」


「だけど、ルーマニアは内戦状態。ルーマニア情報庁も軍閥のひとつに過ぎない」


「内戦最中のルーマニアで旧政府系軍閥にルーマニア情報庁は加わっていた。そして、もうひとつの巨大な軍閥がルーマニア人民共和国暫定陸軍だ。そして、アトランティスはそっちと協力していた」


「ふたつの勢力がルーマニアで君を巡って衝突。最終的にアトランティスが勝利した」


「エイデン・コマツという男がアトランティスの人間と最初に接触してきた。ルーマニア人民共和国暫定陸軍の大尉と一緒に」


「エイデン・コマツか」


 八重野のジョン・ドウでグローバル・インテリジェンス・サービスの非正規スタッフとしてヘレナの拉致スナッチに関わっていた人間。


「エイデン・コマツはアトランティスの非科学的な現象を調査する派閥に所属していると言って、一緒に来てほしいと言った」


「それで一緒に行ったわけ?」


「向こうには銃を持った連中が腐るほどいたんだ。戦車まで連れてきてた。それでノーという気にはなれなかった」


 ヘレナが肩をすくめる。


「それから戦闘が起きたんでしょう。アトランティスとメティスの間で銃撃戦があったってトートが報告してるよ」


「ああ。内戦状態のルーマニアから脱出するまではひたすら銃撃戦だ。エイデン・コマツには舌を巻いた。あいつは銃撃戦の最中を刀で駆け抜けていたからな」


「彼はサイバーサムライだよ」


 どうやらエイデン・コマツはサイバーサムライを飼っているだけじゃなくて、自身もサイバーサムライとして仕事ビズをやっていたようだ。


「それからアトランティス・バイオテックの本社があるロンドンに運ばれた。ルナ・ラーウィルは後からやってきた。あいつはエイデン・コマツが所属している派閥と敵対していながら、私を奪おうとした」


「恐らくは、だけど。エイデン・コマツの所属していた派閥は派閥争いに負けたんじゃない。そして、エイデン・コマツも死んだ」


「恐らくはな。最後にエイデン・コマツに会ったのはアトランティス・バイオテックに移送され、担当者に引き渡されたときだ。それ以後会ってない。死んだのか?」


「死んだよ」


 ベリアがそう言い放った。


「アトランティスのオカルト派閥は壊滅しちまったのか? そりゃ初めて聞いたな。連中はマトリクスの魔導書を手にしてから理事会に認められていたと思ったんだがな」


「魔術でAIを作ったメティスの白鯨派閥のようにか? 連中がどん詰まりだと言ったのはあんたじゃないか」


 ネロが言い放つのにメガネウサギのアバターがそう言う。


「メティスの白鯨派閥は盛大にしくじった。自分たちの飼ってたAIに噛みつかれたら、もう馬鹿に塗る薬はないってところだ。仕事ビズに対する金払いはよかったが、焦りの表れだったんだろうな」


「アトランティスのオカルト派閥はしくじってないと?」


「連中がどうなったかなんて俺には興味ないぜ。俺の雇い主はさ。他でもないルナ・ラーウィルなんだからな」


 ネロがそう言ってにやりと笑った時、いくつかのアバターがアイスを展開した。軍用アイスだ。


「しまった! BANしろ! 六大多国籍企業の連中、ここでおっぱじめるつもりだぞ!」


「それよりアイスを展開して! 脳を焼かれるよ! 攻撃エージェントだ!」


 メガネウサギのアバターが管理者シスオペAIに向けて叫ぶのに、ベリアが即座に自前のアイスを展開した。


「おやおや。メティスの白鯨派閥と大井の連中がご一緒らしいな? ぶちかましてやるぜ! ヤヌス! 攻撃エージェントを生成!」


 ネロの背後から双面の自律AIが現れ、直ちに攻撃エージェントを生成し始め、BAR.三毛猫の中が大パニックになる。


管理者シスオペAI制圧完了。敵の攻撃エージェントはタイプ・モービーディック。こちらの自律AIで解析できます」


「目標の確保が最優先だ。グローバル・インテリジェンス・サービスとメティスの連中を片付けるぞ」


「了解」


 大井側の雇われハッカーたちが自律AIヤヌスからの攻撃を分析して、アイスを構築し、逆に攻撃エージェントを叩き込む。


「流石は六大多国籍企業の雇われどもだ。楽しませてくれそうだなあ!」


 ネロも攻撃エージェントを解析し、反撃の攻撃エージェントを繰り出す。


「やばいぞ! ログアウトしろ! 脳を焼かれるぞ!」


「クソッタレ! 何やってんだ、連中!?」


 BAR.三毛猫は“マトリクスの魔導書目撃情報”のトピックを中心に一気に戦場に変わった。さっきまで雑談していた会員たちが大急ぎで逃げ出していく。


「どうする、アスタルト=バアル君!? 大井に味方する!?」


「それどころじゃないよ! グローバル・インテリジェンス・サービスも、メティスも、大井もここにいる人間を皆殺しにするつもりだ!」


 攻撃エージェントが飛び交い、双方のアイスを攻撃し合う中、ベリアたちも強固なアイスで身を守っていた。


「畜生。マトリクスの集まりで暴れやがって。今、管理者シスオペに連絡した。サーバーを落とす準備を始めている。ログアウトした方がいいぞ」


 メガネウサギのアバターはそう言ってログアウトした。


「どこもここも争いだらけ。もううんざりだ」


 マトリクスの魔導書──ヘレナはそう吐き捨てた。


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