サイバー戦争//BAR.三毛猫

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 ──サイバー戦争//BAR.三毛猫



 東雲は深夜に帰宅したが、仕事ビズが連続してくたびれ果てていたので眠ってしまった。ベリアもマトリクス中毒で狂いがちな生活リズムを正すために睡眠導入剤を飲んで眠った。


 そして、翌日。


「で、ジェーン・ドウからデータサーバーの情報とマトリクスの魔導書の情報に金を出すとさ。俺は俺で情報を探る。TMCに乗り込んできた連中についてな」


「オーキードーキー。マトリクスの魔導書については情報を集めないといけないね」


「無理はするなよ。危ないと思ったら引け。俺はマトリクスでは援護できないからな」


「分かってるって。任せといて。これでも伊達にアングラハッカーやってないんだよ」


 ベリアはサムズアップすると早速サイバーデッキに向かった。


 ロスヴィータは早めに朝食を済ませて先にサイバーデッキに潜っていた。


「ロスヴィータ。ジェーン・ドウがデータサーバーの情報とマトリクスの魔導書に金を出すってさ。これは仕事ビズだよ」


「やれやれ。ジェーン・ドウがそういう仕事ビズを依頼してくるだろうことは分かってたけどさ」


 ロスヴィータが改めてデータサーバーの情報を閲覧しながらそう言う。


「データサーバーの方はどう?」


「有益な情報は全部吸い出した。必要な情報はあらかた漁ったよ。もうジェーン・ドウに売り飛ばしていいと思う」


「そうしよう。で、マトリクスの魔導書だけど。どうする?」


「BAR.三毛猫だね」


「そうしよう」


 ベリアたちはBAR.三毛猫のアドレスに飛ぶ。


「さてさて、最近ご無沙汰だったけど何か変わったトピックはあるかい?」


「ニューヨーク市のテロ騒ぎがトピックになってる」


「それはいいよ。私たちは真相を知ってるんだから」


 ベリアたちはトピックを見渡す。


「“マトリクスの魔導書目撃情報”。まずはここだね」


 ベリアたちがトピックに顔を出したときベリアとロスヴィータが目を見開いた。


「あいつ……!」


「大井を襲ったハッカーだ」


 マトリクスの魔導書のトピックに並んでいたアバターのひとつはローマ帝国の執政官の格好をしたネロというハッカーだ。非合法傭兵集団インペラトルの一員として大井に対して仕掛けランをやったハッカー。


 ベリアたちがネロに気づいたのに、向こうもベリアたちに気づき手を振って来た。


「よう。あんたらもここのメンバーだったか。ここでは殺し合いは禁止だぜ? それに俺は今はあんたらに関する仕事ビズを請け負っているわけじゃない。無駄な殺し合いは美学に反する」


「例の自律AIはどうしたのさ?」


「ペットじゃないんだ。いつも連れ回してるわけじゃない」


「それじゃここに顔を出してるのは自分の自律AIを自慢しに?」


「ただのアングラハッカーのひとりとして自分が使っている道具について話し合いたくなるものだ。それだけだよ」


 ネロはそう言って肩をすくめた。


「そうかい。君の持っている情報を教えてくれるのかな?」


仕事ビズの支障にならない限りはな」


 そう言ってプライベート通話モードを終わらせてベリアたちはトピックに向く。


「マトリクスの魔導書を解析している連中と話した。マトリクスの魔導書は誰かの脳神経データで間違いないらしい。シミュレーションの結果だ。ニューロチェイサーで採取した脳神経データ」


「どこでニューロチェイサーによる脳神経データを?」


 メガネウサギのアバターが言うのにアラブ系のアバターが尋ねる。


「ハーバード大学メディカルスクールの研究記録だ。動物の脳神経データと一緒に人間の脳神経データも保存されていた。初期のニューロチェイサーで採取された生物医学的データだ」


「マジかよ。確かに初期のニューロチェイサーはメティスがリコールするまで脳障害とは無関係だって言われていたけれど」


「必要なら大学はロボトミーの施術記録だって残す。過去を保存することは重要だ。特に忘れ去りたいものほど保存しなければならない。アウシュヴィッツやスレブレニツァという愚行や九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアのような悲劇」


「含蓄のある言葉をどうも。で、ニューロチェイサーの脳神経データってのは自律AIとして機能するのか? だって、プロジェクト“タナトス”は失敗しただろう?」


 メガネウサギの発言にアラブ系のアバターが突っ込む。


「そうだ。生のデータは機能的に作用しない。ただのノイズの塊だ。意味をなさない。情報機関や六大多国籍企業ヘックスは情報を引き出すのにデータをコンバートする。そのためのプログラムも開発された」


「知ってる。Brain-CSだろう。アトランティスが開発した」


 そこでネロがそう発言した。


「一般的な脳神経データのコンバートにはそのBrain-CSが使われる。だが、こいつは違うパターンだ。解析結果、パターンが見いだせた。脳神経データは別のプログラムでコンバートされている」


「どんな?」


「“エデン・イン・ザ・ボックス”を知ってるか?」


「デジタル動物園ごっこ」


「あれには生命のデジタルでの再現が行われている。生命がマトリクスで機能するようにプログラムが組まれている。マトリクスの魔導書はその仕組みが使用されている。デジタルな生命体としてコンバートされたんだ」


「そんなことができるのか?」


 メガネウサギの説明にアラブ系のアバターが訝しむ。


「できるという解析結果だ。暗号解析の要領でパターン化してコンバートの仕組み解析した。まずはコンバート先が“エデン・イン・ザ・ボックス”のデジタルデータと仮定した。そして、コンバートプログラムを組んだ」


「で、できたと」


「シミュレーション上ではな。実際にニューロチェイサーで採取された情報をコンバートしてはいない。そんなことをしてうっかり被験者A氏をデジタルな眠りから覚ましては悪いからな」


 メガネウサギのアバターがシミュレーション結果を表示する。


「言っちゃ悪いが、“エデン・イン・ザ・ボックス”はおままごとだ。生命っていうものをシミュレーションするには簡素化され過ぎている。あれじゃあ、できるのは粘土のハンバーグであって本物のハンバーグじゃない」


 そこでネロがそう指摘する。


「ああ。その通りだ。見た目はそっくりでも中身は違う。結局、ニューロチェイサーを使っても生命のバックアップは取れない。だが、自律AIを作ることはできる」


 メガネウサギのアバターは頷いてそう言った。


「ちょっと考えてみない? マトリクスの魔導書はどんな人物の脳神経データで、どこの六大多国籍企業が採取してコンバートしたのか。それで目的は分かるよ」


 ベリアは一部の事実を知りながらネロの存在を警戒して省略した。


「最初にデータを流したのはメティスの白鯨派閥だよ。だが、連中はオリジナルを持ってない。なんでかって。他所の六大国籍企業から強奪スナッチしたからだ。自分たちが派閥争いで勝利するためにな」


 意外にもベリアの問いかけに応えたのはその詳細をはぐらかすであろうネロであった。彼は流暢に喋り続けた。


「メティスの白鯨派閥はどん詰まりだ。ブリティッシュコロンビア州とコスタリカの研究所に立て籠もっている。頭のいい奴はとっくの昔に企業亡命した。そんな連中が最新の摩訶不思議なデータを手に入れた相手は?」


 ネロが尋ね、自分で答える。


「アトランティスだ。アトランティス・バイオテック。調べてみろよ。ルナ・ラーウィルって女とルーカス・J・バックマンって研究者のやり取りを。詳細に記してあるぜ。マトリクスの魔導書が生まれたいきさつが」


「本当か? だが、どうやってそのやり取りを?」


「ソーシャルハック」


「あんた、アトランティスのホワイトハッカーか?」


「イエス。そうだ。今はな」


 ネロは白々しくそう言った。


「君がメティスのために仕事ビズをしてるのを見たことがあるんだけど?」


「言っただろう。賢い奴はとっくに企業亡命したってな。俺は自画自賛するわけじゃないが、賢い方だと思ってる」


「メティスの白鯨派閥は見放したか」


 ネロが舌を出して笑うのに、ベリアは肩をすくめた。


「アトランティスのホワイトハッカーがこんなところで話してていいのか? アトランティスはそういうことを嫌がって、規則違反を犯した雇われハッカーは厳しく処罰される。だろう?」


「ギリギリってところだな。俺は昔ながらの悪ガキハッカーでね。知りたがり、やりたがり、バラしたがり、自慢したがりなんだ」


「早死にするよ。アトランティスの保安部は優秀なことで有名なんだ」


「グローバル・インテリジェンス・サービスだろ? 連中は俺のことを見張ってるが、連中は大した連中じゃない。アメリカ国家安全保障省フォート・ミードのマニュアル通りにやるだけだ」


 ネロはベリアの警告をせせり笑う。


「君は他に何を知っているの? アトランティス・バイオテックはどこでマトリクスの魔導書の研究をしてる?」


「ロンドン。カナリー・ワーフのアトランティス・バイオテック本社。それからケンブリッジにあるアトランティス・バイオメディカル・コンプレックス。どちらか連中は研究を進めている」


 ネロがこともなくそう言った。


「アトランティスは何を狙ってマトリクスの魔導書を作ったのか、だが」


 メガネウサギのアバターは言葉をはさむ。


「思い出してほしい事件がある。マトリクスの魔導書から天啓を得たというハッカーのストロング・ツー。彼は死んだ。私が聞く限りはね。マトリクスの魔導書はどういうものだと考えられるか」


「寿命と引き換えに能力を与える?」


「違う。一定期間までは絶対に死なせないという呪い。期限切れになるまで全ての因果が歪められて対象は生き残る。だけど、期限が過ぎたら。ドカン」


「寿命を操作する技術ってわけか。どうかしてるぞ、そんなの」


「私たちはそう予想している。そして、このマトリクスの魔導書の技術を上手く使えば期限をどこまでも長く、無限にしたら、不老不死だ」


 ベリアはこれまでのまとめをそう語った。


「六大多国籍企業の連中は不老不死になるつもりか? 延命措置で百数十年生きるだけでは不十分だってのか、クソッタレ」


「六大多国籍企業の重役どもはまさに特権階級になろうってか。ふざけるなよ」


「不老不死なんて本当か? 白鯨より意味不明だぞ?」


 ログが急速に流れていく。


「待て待て。アトランティスにとって利益になることってのは不老不死の技術だけか? 相手の生命に制限をつける呪いというもの使えるんじゃないか?」


「使えるだろうな。もし、呪いが上書きできて、少しずつ期限を伸ばせていけるならバイオウェアや生物医学的措置以上の従業員管理に繋がる」


「もちろん、敵対者の暗殺にもな。人間の寿命まで管理できるようになったら、六大多国籍企業の連中は寿命を売り物にするだろうさ」


「クソくらえだな」


 ログが流れ続ける。


「ニュースだ」


 そこで新しく有名なスペースオペラの宇宙人のアバターをした女性がトピックに乗り込んできた。


「アトランティスとメティスの白鯨派閥と大井がマトリクスの魔導書の奪い合いを始めた。そこら中に雇われハッカーどもがいて、大騒ぎになってるぜ。なんでもどの勢力もマトリクスの魔導書を手に入れたら大金を払う、と」


「白鯨の時と同じだな」


 トピックがざわめきながら発言者が増大する。


 そこでトピックにふらりと少女が現れた。


「……ヘレナ?」


「……ああ。そうだ。私はヘレナ。お前たちがマトリクスの魔導書と呼ぶ脳神経データの採取元。そう言えば分かるか?」


 ヘレナはそう言ってトピックにいる人間を見渡した。


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