陰謀の影に
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──陰謀の影に
東雲たちが帰宅したのは夜中のことだった。
「ただいま」
「お帰り、東雲」
久しぶりに
「お腹空いてるでしょ。カップラーメンが買いためてあるよ」
「ありがとよ。夜中にカップラーメンを食うのはなかなかに背徳的だが」
東雲はお湯をカップラーメンに注ぐ。
「それから暁が蘇ったよ」
「はあ? どういうことだ?」
「雪風がマトリクス上で暁を再現した。ディーのときとは違う。完全にマトリクスでひとつの人格ある生命として機能する。雪風が生み出したマリーゴールドの技術だよ」
「すげえ。じゃあ、暁と話せるのか?」
「そう。これから全員で話し合いたい。マトリクスの魔導書を巡る大騒ぎについて」
「了解。カップラーメン食い終わったら話そうぜ」
東雲はずるずるとトンコツ味のカップラーメンを啜った。
「先のマトリクスに潜っているよ」
「ああ」
それから数分で東雲はカップラーメンを食べ終わり、ARでマトリクスに潜ったベリアと連絡を取る。東雲のARもバージョンアップされており、マトリクスにダイブしている人間との会議ができるようになっている。
ベリアはマトリクスで東雲からの会議要請を承諾した。
「東雲。まずは君がルーカス・J・バックマンから聞いた話を聞かせて」
『ルーカスはヘレナから採取した細胞には不死性があると言っていた。劣化しない細胞だと。それをVaHe細胞と呼び、マトリクス上でシミュレーションを行った。VaHe細胞を
「その結果は?」
『受精卵は不死性を持たなかったらしい。普通に劣化していったと。そこでルーカスたちは別の要素が問題になっているのではないかと考えた。それがマトリクスの魔導書というか、魔術によるものだと』
「マトリクスの魔導書は不死性を実現するためのトリガーってわけだね」
『らしい。それでマトリクスの魔導書をアトランティス・バイオテックは研究し続けていたとさ』
東雲がそう言う。
「暁。君が知っていることについて教えて」
「ああ。確かにヘレナはアトランティス・バイオテックで自身の細胞を採取されて、実験をされていたと言っていた。そして、細胞を採取してから今度は脳神経データを採取されたと」
「その前にヘレナはどこから連れて来られたの? どうしてアトランティス・バイオテックはヘレナという特異な存在について気づいたわけ?」
ベリアがそう尋ねる。
「アトランティスはメティス染みたオカルトにのめり込んでいる派閥があった。今はメティスの白鯨派閥から技術を盗み出している連中だ。そいつらは都市伝説や神話などについて調べていたんだよ」
「そして、ヘレナを見つけ出した?」
「ああ。アトランティス・バイオテック内のオカルト派閥が見つけ出し、グローバル・インテリジェンス・サービスがルーマニアに潜入して
「確信はあったの?」
「いいや。手当たり次第だ。一時期は聖杯やら聖櫃についても調べていたらしい。オカルトにどっぷりと嵌ってやがった」
「ルナ・ラーウィルも?」
「あの女は違う。ヘレナの検査を任されてから介入してきた。オカルトを信じているわけじゃない。どこまでも科学者だ。だが、非科学的なものを頭から否定するタイプでもない。それから科学的な法則が見出せるならば使う」
「そして、彼女は科学的法則をヘレナの細胞とマトリクスの魔導書から導き出した」
「そうだ。東雲が言ったようにヘレナの細胞──VaHe細胞の不死性を実現させるのは、ヘレナの脳神経データにあったマトリクスの魔導書の力が必要だと気づいた」
「ふむ。そして、マトリクスの魔導書の技術が他のことにも使えると気づいた?」
「みたいだ。マトリクスの魔導書を連中は研究していたが、そこでメティスの白鯨派閥から攻撃を受けた。そして、マトリクスの魔導書の部分的データをまんまと盗み出されたというわけだ」
暁がそう説明する。
「思うにマトリクスの魔導書というか、ヘレナの魔術というのは生命の寿命というものを決めてしまうものなのかも。上手く使えば不老不死、悪用すれば時限爆弾。どちらも生命の寿命に関わってる」
「確かに。因果を書き換えて絶対に定められた時間まで生かすというのは不老不死にも呪いにも通じる。ようやくマトリクスの魔導書の本質が見えて来た」
「運命を決定する。だから、ヘレナは不老不死だったし、ストロング・ツーは期限切れになるまで無敗のハッカーだったし、八重野君の呪いは機能する」
「
運命を決定する魔導書があれば、六大多国籍企業はその技術を独占し、貧富の格差はおろか生物としての違いまで広げてしまうだろう。
「マトリクスの魔導書とVaHe細胞の関わりが分かったところで、六大多国籍企業は、ルナ・ラーウィルはどう動くつもりなのか。少なくともアトランティスはヘレナを奪還しに動いて成功した」
「ヘレナの奪還は大井に技術を渡さないためだろう。今のアトランティスは守備側だ。技術を盗み出そうとする連中から会社を守らなければならない。不老不死の技術を独占してしまうために」
「大井医療技研は必要な情報を採取できなかった?」
「アトランティスはヘレナから必要な情報を採取し、使えるようにするのに6年かけてる。大井医療技研がヘレナを握っていたのはほんの僅かな時間だ」
「時間が足りなかった」
「だが、大井も馬鹿じゃない。細工をする暇はあったはずだ。大井は再奪取を目指すはずだし、メティスの白鯨派閥も動くだろう」
「ヘレナとマトリクスの魔導書の争奪戦ってわけだ」
ベリアが唸る。
「ベリア、暁、東雲。ルーマニアで起きたグローバル・インテリジェンス・サービスの作戦について情報があったよ」
ロスヴィータがそこで戻って来た検索エージェントからの情報を上げる。
「ドラグーン作戦。グローバル・インテリジェンス・サービスの情報オペレーター12名が動員されている。
「記録によれば?」
「ティミシュ県の田舎の村で不明勢力による戦闘。激しい銃撃戦が繰り広げられたらしい。現地の警察業務を担っているトート系列の
「現場には銃弾だけってところかな?」
「そうみたい。グローバル・インテリジェンス・サービスの情報オペレーターたちは翌日ルーマニアを出国してイギリスに向かっている。待って。参加人員にある非正規スタッフの名前。エイデン・コマツ……」
「八重野君のジョン・ドウだ」
「この時はジョン・ドウ以上の仕事をしていたみたいだね」
「もっと詳しい情報は?」
「ないよ。これもどこかのハッカーが盗み出した情報だし」
ロスヴィータがそう言って肩をすくめた。
「ルーマニアは一応トートの庭だ。欧州のほとんどはトートの傘下にある。イギリスだけが唯一の例外。欧州はロスヴィータも言ったようにウクライナ戦争と第二次欧州通貨危機を含めた混乱で政府は軒並み瓦解した」
「一応っての言うのは欧州のいくつかの国は内戦状態だからだよね。東欧の政府の多くは経済破綻して軍事政権が樹立されたり、アナキストがテロを起こしたり、分離独立運動が起きたりしてる」
「ルーマニアもそんな失敗国家のひとつ。いくつもの国連加盟国のどの国にも承諾されていない暫定政権とやらが樹立され、同じ国民同士で殺し合ってる。トートは介入はしてるけど、収まる気配はない」
「そりゃそうだよ。その壊れかけの政府に武器を売って儲けてるんだから。東欧諸国にイベリア半島やイタリア半島の各勢力。トートが絶対的な権力を持っているのはフランス、ドイツ、オーストリア、スカンジナビア諸国。それぐらい」
トートは欧州全てを支配しているとは言えなかった。
欧州を支配することにメリットがないのだ。経済インフラとしては脆弱で、資源もなく、人口は減少している欧州諸国に投資するよりもアフリカの成長著しい国家に投資した方がリターンは大きい。
大井も東アジアを縄張りにしているが、成長の見込めない国家は見捨てている。
『ベリア。すまんが、俺は呼び出しを受けた。席を外すぞ』
「誰から?」
『ジェーン・ドウ。今回の
「分かった。じゃあ、後で分かったことを伝えるよ」
『頼むぜ』
場が
「さて、と」
東雲はアパートの部屋を出て、電車でセクター5/1のバーに向かう。
「遅いぞ」
ジェーン・ドウはいつものように不満げだった。
「報酬の話だろ?」
「そうだ。HOWTechの連中にはもう渡してある。40万新円だ」
「サンキュー」
東雲がジェーン・ドウから40万新円がチャージされたチップを受け取る。
「データサーバーの情報は?」
「あんたは盗めとは言わなかっただろ」
「人をおちょくるなよ。お前の相棒が盗み出したのは知ってるんだ。使える情報があれば金を払って買ってやる。特にグローバル・インテリジェンス・サービスと生物医学的サンプルについて」
「最初から盗めって言えよ」
「俺様は優しいから無理強いはしないんだよ」
「優しいね」
ジェーン・ドウがカクテルを片手ににやにや笑うのに東雲が肩をすくめた。
「マトリクスの魔導書のデータも買ってやるとちびのハッカーに伝えておけ。特に混ざりものがない純粋なマトリクスの魔導書には大金を払ってやる。あれがどういうものかはもう知っているんだろう?」
「ああ。脳神経データ。吸血鬼の」
「全く、けったいな世の中になったものだよな。マトリクスの怪物の次は吸血鬼だ。もうドラゴンが出て来たって俺様は驚かないね」
「あんた自身もけったいな存在だろ? 大井から何を貰って契約を成立させてるんだ? 生贄があるはずだろ、あんたらとの契約には」
東雲がそう言ってカクテルに口をつけてジェーン・ドウに尋ねる。
「貰うものは貰ってるさ。だが、お前が口出しする問題じゃない」
ジェーン・ドウが東雲を睨みつけてそう言った。
「お互い契約関係というわけだ。あんたは
「そうだ。それ以上の関係になるつもりはない。これから荒れるぞ」
「アトランティスが握った不老不死の技術。それを奪いたいあんたらとメティスの白鯨派閥。三つ巴の戦争か?」
「まさに、だ。既に六大多国籍企業に雇われたホワイトハッカー、アングラハッカーたちがマトリクスで奪い合いを始めてる。マトリクスではもう戦争が始まっているんだよ」
「聞くが、マトリクスの魔導書の技術を手にして、不老不死を実現できると分かったら、あんたらはどうするつもりなんだ?」
東雲がカクテルのグラスを置いてそう尋ねる。
「使う。どうして俺様にマトリクスの魔導書や吸血鬼を奪えって命令が出ていたかは分かることだろう。上は不老不死の技術が欲しい。そして、技術を手に入れれば当然ながら特権階級がその恩恵に預かる」
「最悪だな」
「どうせ既に命の格差は生まれている。中東の放射能汚染された地域や各地のスラム街、内戦状態に陥り感染症が蔓延る失敗国家。それらの寿命は25歳から40歳だ。対する六大多国籍企業の重役は違う」
ジェーン・ドウが語る。
「高度なアンチエイジング技術を施されている。細胞単位で、いやDNA単位で生物としての劣化が防がれ、老化は非常に緩やかだ。あらゆる先進医療を浴びるように受けられ、平均寿命は180歳から240歳」
「生命の格差か。救急も金がなければ運んでくれないしな」
東雲はうんざりしたようにそう言う。
「金持ちが得をするのは当たり前だ。俺様たちは平等な世界には生きちゃいないし、富めるものが貧しいものを助けてやるっていう宗教的な価値観も持ち合わせていない」
「だろうね。で、暫くはベリアたちの
「お前も情報を探れ。TMCでアトランティスの連中が暴れたのは知ってるだろ。TMCは俺様たちの庭だ。余所者が入り込むのは望ましくない」
「あいよ。情報を探りましょう」
東雲はそう言ってバーから出ていった。
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