データサーバーの中身

……………………


 ──データサーバーの中身



 ベリアとロスヴィータはアトランティス・ユナイテッド・タワーのデータサーバーからダウンロードした情報を眺める。


「グローバル・インテリジェンス・サービスの行動記録がある。アトランティス・バイオテックのための保安のための情報活動だってさ」


「具体的には?」


「8名の情報オペレーターの動員と装備の輸送。グローバル・インテリジェンス・サービス所属の情報オペレーターとは書いてあるけど、どれも元特殊空挺部隊SASだったり、情報支援活動部隊アクティビティだったり」


情報任務部隊ITFの連中だ」


 8名の元特殊作戦部隊のオペレーターたちがグローバル・インテリジェンス・サービスの用意した身分で入国していた。


「そして、この連中の仕事ビズの結果は?」


「グローバル・インテリジェンス・サービスのTMC支社からロンドンのカナリー・ワーフにあるアトランティス・バイオテック本社に対いて情報資材とやらを輸送」


「それがヘレナだ。もうロンドンか。アトランティスの本拠地だ」


 大英帝国の買収以後、ロンドンはアトランティスの支配する街になっていた。


 警察・消防・救急はALESSが担い、あらゆる事業がアトランティスの系列企業に対して委託されている。ロンドンではアトランティスこそが法であり政府だ。


「他に何か情報は?」


「グローバル・インテリジェンス・サービスの情報オペレーターはアトランティス・バイオテックの本社に荷物を送ってからも行動している。そして、何かしらの仕事ビズをして成田から出国している」


「行先はワシントンD.C.だ。グローバル・インテリジェンス・サービスの本社がある。彼らはアメリカ中央情報局ラングレーやらアメリカ国防総省ペンタゴンから人員を引き抜くためにね」


「大抵の民間軍事企業PMSCは既存の政府の国防中枢のある場所に本社を置いている。民間軍事会社は結局は税金で育成された人員をかかった費用より安く引き抜くことで生計を立てているんだからね」


「あくどい」


 ベリアが言うのにロスヴィータが肩をすくめる。


「グローバル・インテリジェンス・サービスはヘレナの拉致スナッチ以前から仕事ビズをしてる。大井医療技研相手の市場調査だってさ」


「間違いなく産業スパイだね。ジェーン・ドウが言っていた大井医療技研内のモグラスリーパーエージェントってのにグローバル・インテリジェンス・サービスは関わっていた」


「じゃあ、彼らは最初から誰がヘレナを拉致スナッチしたのか知っていたわけだ。そして、拉致スナッチに関わっていた暁も殺した」


「その命令者がルナ・ラーウィルだってさ」


「黒幕か」


 ルナ・ラーウィル。アトランティス・バイオテックの最高技術責任者CTO


 元アトランティス・バイオテックの生物情報学者であるルーカスが企業亡命に行きついた元凶であり、“エデン・イン・ザ・ボックス”の設計者であり、ヘレナという吸血鬼に関係している人間。


「アトランティス・バイオテックの独断専行って可能性は?」


「でも、グローバル・インテリジェンス・サービスはアトランティスの理事会が管理してる会社だよ? 理事会が承認しなければ勝手に動けるはずがない」


「理事会の関与もありえると。グローバル・インテリジェンス・サービスはアトランティスの保安部でもあるからね。今回の件を見ても大井医療技研にモグラを忍び込ませたり、いろいろな産業スパイ行為に関与してる」


「その大きなものが出て来たよ。坂下の企業亡命未遂事件にグローバル・インテリジェンス・サービスが関わっていたって情報」


「他には?」


「いろいろ。詳細は誤魔化されているけど大井相手の産業スパイと大井からの防諜活動に従事している。元アメリカ情報軍のオペレーターも在籍してるみたい」


「陰謀論者が喜びそうなニュース」


 ベリアが肩をすくめる。


「データサーバーに他に何か情報は?」


「流石に大井の縄張りにおいてあるだけあって、そこまで詳細な情報はない。ジェーン・ドウに売れそうな情報はあるけどね。いいニュースはグローバル・インテリジェンス・サービスは東雲たちをマークしてるわけじゃない」


「いいニュースと言えばいいニュース」


 ロスヴィータが頷く。


「データサーバーの情報は保存しておこう。ジェーン・ドウに売ったり、あとで解析したりする」


「そうしよう。ところで──」


 ロスヴィータの視線がベリアの背後に向けられる。


「お友達が来たみたいだよ?」


「え?」


 ベリアが振り返った。


「お久しぶりです、アスタルト=バアル様、ロンメル様」


「雪風!」


 そう、いたのは雪風だった。


 いつものように氷の結晶を模した柄のついた着物を身に着けた少女が静かにベリアたちのいるマトリクス上のサイバーデッキの中にいた。


「何か用かい、雪風? 私たちに仕事ビズってわけじゃないでしょ? もう白鯨の脅威は去ったんだし」


「いいえ。まだ脅威は残っています。マトリクスの魔導書」


 雪風の口からマトリクスの魔導書という単語が出た。


「何か知ってるの?」


「白鯨の脅威に次であろう脅威になるということを。白鯨はあくまでマトリクス上の暴君でしたが、マトリクスの魔導書ではその範疇に収まらない」


現実リアルに影響を及ぼすということかな」


「そうです。その点をルーカス・J・バックマンが警告していました。マトリクスの魔導書は経済格差のみならず命の格差すら生み出すということを」


「企業亡命のことも君は知っているのか。マトリクスの魔導書の脅威って?」


「VaHe細胞の不死性を活性化させるトリガー。それがマトリクスの魔導書に記されたもの。白鯨を構成したものと同じ事象改変的現象です。それを使ってルナ・ラーウィルは不老不死を実現しようとしている」


「ふむ。狙いは不老不死か。六大多国籍企業ヘックスの重役だけが不老不死になることを君は脅威に思っているの?」


「はい。アプローチは異なれど、私も白鯨と同じように六大多国籍企業による搾取のシステムをよくは思っておらず、人々を糧食を得るだけの労働から解放したいと思っています。それを六大多国籍企業は拒否するとしても」


「けど、不老不死は一概には悪いことだとは言えないんじゃない? 技術が流通しないのは考え物かもしれないけど」


「ええ。技術が流通することがないのが問題なのです。アトランティス・バイオテックはVaHe細胞のサンプルからトリガーとなるマトリクスの魔導書の技術に至るまで隠蔽しています。彼らの狙いは不老不死の独占」


「情報の暴露を君の方でやってみたら?」


「難しいでしょう。私の力が及ぶのはほぼマトリクス内に限定されています。ただ、ひとつだけ現実リアルに干渉できたことがあります。これを」


「この巨大なデータは?」


「暁涼様の生前のデータです」


「まさか。それってディーみたいな……」


 ベリアがあの死を望み続けたディーのことを思い出して暗い顔をした。


「違います。これは私が生み出した最初のマリーゴールド。人間のデジタルなバックアップ。完全にひとつの生命として完成した存在。暁様は生前のように思考し、生み出し、言葉を発する。言語を生成する。魂がある」


「マリーゴールド。超知能が生み出す既存の化学を超えた産物」


「はい。人間のバックアップを取ることは人類にとって長年の夢であり、技術的特異点シンギュラリティの到来とともに期待されたもの。私はそれを実現しました」


「具体的にはどうやって……」


「生前の暁様の脳神経データをマトリクス上で最適化されるようにコンバートし、人間の思考に必要な脳の仕組みを生物量子学を含めて再現しました。彼はディー様と違ってひとつの生命として完全なバックアップです」


 レイ・カーツワイルは予想した。技術的特異点シンギュラリティの訪れは人間と機械の境界を失くすと。人間はデジタルなバックアップと機械化した体で永遠の生を得ることになるだろうと。


 雪風は超知能としてそれを実現したのだ。


「ねえ。試してみてもいい? 本当に再現できているかどうか」


「ええ。もちろんです」


 雪風がそう言うのにベリアが暁のデータを展開した。


 ノイズの走ったアバターが現れ、狼狽えている様子が窺える。


「暁。アバターを生成して。マトリクス遭難する」


「マトリクス遭難……。ここまマトリクスか? 俺はどうなった?」


 狼狽える暁がアバターを形成し、マトリクス上で安定する。


「暁。今、どんな感じ?」


「不思議な感じだ。マトリクスにいると言うよりも現実世界にいるような感じがする。マトリクス内で感触を感じるんだ」


「これがマトリクスで再現された人間のデータか」


「そうだ。俺はどうなったんだ? 何が起きた?」


「君は死んだ。そして、君の脳神経データから雪風が君をひとつの情報生命体として生まれ変わらせた。君の体は死んでいるけど、君はこうしてここに再現された」


「そうか。そうなのか」


 暁は暫く戸惑っていたが、考え込んだ末に言葉を発した。


「マトリクス上の生物になったということだよな? 科学者たちが目指していた人間のバックアップっていうことなんだから。だが、俺は俺なのか? 生前の俺と今の俺は連続した存在なのか」


「残念ですが、いいえです。あなたはあなたの脳神経データから再現された存在。いわばデジタルのクローン。あなたの生命を受けて生まれた来た存在とは部分的にしか連続していません」


「はっきり言ってくれてありがとう。まあ、いいさ。セカンドチャンスだ。俺にはやり残したことが多くある。それを叶えるチャンスが巡ってきたということだ。そうだろ?」


「そうなります」


 暁が尋ねるのに雪風が丁重にそう返した。


「つまり、つまりだよ。雪風、君はプロジェクト“タナトス”を成功させたの……」


「はい。人間のデジタルなバックアップを作り、そのあらゆる情報と思考、人格を死後においても保存し続ける。これが私の生み出したマリーゴールド。人類をひとつ、自由にするための手段」


技術的特異点シンギュラリティの至る先にあるもの、か」


「ええ。私のようなAIが人類とともに発展するためのもの」


「ともに、か。それが白鯨との大きな違いだね」


「私は人類とともに歩み、ともに発展し、ともに繁栄することを望んでいます。私たちは対立せずともに進めるのです」


 雪風はそう言ってベリアを見る。


「では、よろしくお願いいたします。これ以上の格差がもたらされぬように。彼らを止めてください。それが私の願いです、アスタルト=バアル様」


 雪風はそう言って深々と頭を下げるとそのまま消滅した。


「さて、暁。君は何か知ってるから雪風は君をこういて再現した。君はこのヘレナを巡る騒動とマトリクスの魔導書事件について何を知っている?」


「知ってることはある。ヘレナをメティスから運んだのは俺だ。ヘレナとも話をした。彼女の故郷の話やアトランティス・バイオテックで行われていた研究。それらに対するルナ・ラーウィルの関与」


「面白い話が聞けそうだ。これは全員が聞くべき話だね。東雲たちの帰りを待とう。東雲たちはそろそろ帰ってくるはずだよ。まあ、寄り道するかもしれないけどね」


 ベリアはそう言うとロスヴィータの方を向いた。


「ロスヴィータ。これには生物情報学の知識が必要になる。君の知識が頼りだよ」


「任せて」


 ロスヴィータはそう言ってサムズアップした。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る