新しい客

……………………


 ──新しい客



 東雲たちが運び屋の仕事ビズを終えてから7日後のことだった。


 客が来た。


「おいおい。どういうことだよ」


「お前を頼れと言われた」


 やってきたのは運び屋こと暁。


 そして、あのスーツケースの中にいた少女であった。今は手術衣は来ておらず、子供向けの長袖のTシャツとジーンズを履いていた。


「勘弁してくれよ。トラブルはごめんだぞ。あんた、ジェーン・ドウから荷物を盗んだのか? 正気か?」


「違う。ジェーン・ドウは情報が取れたから暫く預かっておけと言われた。大井医療技研の研究所はメティスの産業スパイがいて、これから掃除するそうだ」


「はあ。産業スパイ、ね。じゃあ、とりあえず上がってくれ」


 東雲はそう言って暁と少女を部屋に上げる。


「ベリア。お客さんだ」


「知ってるよ。で、暁君はなんだって?」


「ジェーン・ドウから荷物を預かれって言われて俺たちを頼ってきたそうだ」


「トラブルにならないといいけど」


 ベリアはそう言って人工コーヒーを淹れ始める。


「すまんな。他に頼りになる連中もいなくて」


「マジか? 犯罪組織なりなんなりいるだろ」


「そういう連中は信用できない。特に俺が荷物を持っているときは」


「さいですか」


 暁たちにダイニングの椅子を勧め、東雲も向かいに座る。


「へえ。君、何か私の知り合いに似ているね。名前はなんていうの?」


「……ヘレナ」


 ベリアが少女に名前を尋ねるのに少女はぼそりとそう言った。


「確かに言われてみれば似ているな。“月光”」


 東雲がそう言うと青緑色の光が煌めき、“月光”の少女が姿を見せた。


「む? 主様、この女子は吸血鬼ではないか?」


「は? マジか?」


 “月光”の少女がヘレナを見て指摘するのに東雲がマジマジとヘレナを見た。


「ふん。私は吸血鬼だ。だが、それに何の意味がある?」


「あんた、ひょっとして異世界から来なかったか?」


「いいや。私はルーマニアの生まれだ。大きな戦争──第一次世界大戦が起きた年に生まれた。異世界になど行った覚えはない」


「じゃあ、地球に吸血鬼がいた? マジかよ」


 東雲が目を見開く。


「らしいぞ。大井医療技研では吸血鬼だとは言わなかったが、特殊な体質の人間だと言っていた。それから何を調べたのかはしらないが、いろいろと検査を受けたらしい」


「はあ。そいつはびっくりだな。吸血鬼ともなれば、それこそいろいろなサンプルが取れるだろう。しかし、メティスの白鯨派閥はどうして吸血鬼を手に入れたがったんだ? マトリクスの魔導書とは無関係なのか?」


「いいや。関係はある。少し調べたことだが、大井の連中の反応を見て分かった。奴らはヘレナの組織サンプルを取ると同時に脳神経データを取った」


 東雲が尋ねるのに暁がそう答える。


「脳神経データを……。まさかマトリクスの魔導書ってのはヘレナの脳神経データなのか? 誰かの脳神経データだという噂は聞いていたが、まさか吸血鬼の脳神経データだっていうのか?」


「ああ。ヘレナの脳神経データこそマトリクスの魔導書と呼ばれているものだ。お前なら知ってるだろうが、メティスが手に入れてるマトリクスの魔導書のデータは断片だ。白鯨派閥は完全版を欲しがっている」


「そして、メティスはヘレナを他の六大多国籍企業ヘックスから奪取した。で、マトリクスにはどういうわけかマトリクスの魔導書の完全版がある」


 東雲がそう整理した。


「マトリクスの魔導書の完全版。最初に接触したハッカーに天啓を与えたもの。いったい誰がヘレナ君の脳神経データを採取したというの?」


「アトランティスだとさ。アトランティス・バイオテック。連中はヘレナのことを長年研究していたらしい。そして、そこに潜入していたメティスの産業スパイがヘレナを奪取スナッチした」


「白鯨派閥はヘレナを、マトリクスの魔導書の完全版を手に入れるところだった。だけど、メティスの反白鯨派閥がヘレナを大井に売り飛ばした。停戦交渉のために」


 暁が答えるのにベリアがそう言う。


「もしかして、だけどヘレナ君って魔術は使える?」


「……使える」


 ヘレナはそう言った。


「なるほど。だから記憶そのものが新しい魔術を形成したのか。でも、この世界に魔術があったってわけ? 私の知る限りそんなものはなかったはずなのに。ロスヴィータ、君の意見を聞かせて」


 ベリアがマトリクスにダイブしていたロスヴィータを呼ぶ。


「ううん。可能性としてはかなり低いんだけど、ボクも世界中を見て回ったわけじゃないから分からない。もしかすると、ボクが知らないだけで魔術はあったのかも。この世界では魔術でないことが魔術と記録されるから」


 だから、何とも言えないとロスヴィータは言う。


「おいおい。地球に魔術があったって? 冗談だろ。異世界から来たんじゃないのか? なあ、“月光”はどう思う?」


「このものは吸血鬼だが、我が知っている吸血鬼ではない。我の世界の吸血鬼とは違う。吸血鬼として有する波動が僅かに異なるのじゃ」


「ふうん。じゃあ、地球には魔術があって、吸血鬼がいた? マジかよ」


 東雲が額を押さえて呻いた。


「根っこが同じなのかも。ボクたちのいた世界とこの世界のルーツになる共通の世界がある。そこから枝分かれし、それぞれの世界に発展していった。生物が枝分かれして進化していったように」


「ロスヴィータ。じゃあ、俺たちの世界は異世界と親戚の関係だってことか? そんなことってあり得るのか? 今でこそこの世界はイカれてるが、昔は正気だったぞ。魔術もなければ、吸血鬼もいない」


「絶滅したと思われていた生物が発見されることもある。東雲、君はこの世界の全てを知っているわけじゃないでしょ? 君は世界中を旅したわけでもないし、ボクも世界中を探し回ったわけじゃない」


「そりゃそうだけどさ。この世界に魔術と吸血鬼ってのはなあ」


 受け入れがたいぜと東雲がぼやく。


「でも、ここに吸血鬼がいて、私たちとは違う魔術が存在する。少なくともマトリクスの魔導書をメティスやらなにやらが白鯨の技術を分析して作ったっていうより説得力があるよ」


「そりゃそうだが。だが、ちょっと待てよ。仮にマトリクスの魔導書の技術がこの吸血鬼由来だとしても、人間の脳のコピーを取るのは不可能なんだろう? 脳神経データをただとっても、お前の友達みたいになるんじゃないか」


「ディーのことだね。確かに彼は完全に彼の人格をコピーできたわけじゃない。恐らくはヘレナ君についても同じことだと思う。彼女の脳の運動を完全にマトリクスというハードに移すのは難しい」


「しかし、吸血鬼の記憶はマトリクス上で自律AIとして機能している。最高の電子戦兵器として。何をどうやった?」


「多分、ニューロチェイサーを使ったスキャンだと思う。それでも脳神経データをマトリクスに完全にコピーするのは無理だと思うけど」


 ベリアが少し迷った末にそう言った。


「ニューロチェイサーってメティスが開発した脳みそが死ぬ装置じゃなかったか?」


「そうだよ。まともな人間なら負荷に耐えられなくて、脳に深刻な損傷を負う。でも、君は知ってるでしょう。吸血鬼がどれだけ頑丈な種族なのかについて」


「おいおい。マジかよ。脳みそが死ぬような装置を使われて記憶を吸い出された? そして、その記憶がマトリクスの魔導書になったっていうのか?」


 ベリアが言うのに東雲が言う。


「ヘレナ君。アトランティス・バイオテックで何をされたのか分かる?」


「……いろいろされた」


「具体的には?」


「……知らない」


 ヘレナはそう言って黙り込んだ。


「いいか? お前の相棒について伝えておけとジェーン・ドウに言われたことがある。お前の相棒はどうした?」


「別の部屋だ」


「そうか。直接伝えるのもどうかと思うことだから、お前に伝えておこう。お前の相棒のジョン・ドウはアトランティスの所属だと分かったらしい。今回の件でアトランティスについて調べて分かったと」


「どうにも臭うな。アトランティスにけしかけるために仕込んだんじゃないか?」


「俺はそこまでは知らんよ。ただ、ジェーン・ドウからお前の相棒に伝えておけと言われただけだ」


「証拠は何かあると言ってたか?」


「証拠はジャスパー・アスカムという男とグレイ・ロジカル・アナリティクスという会社、そしてグローバル・インテリジェンス・サービスの関係について調べろとさ」


「ベリア。調べといてくれるか?」


 東雲がベリアにそういう。


「オーキードーキー。それでマトリクスの魔導書についての情報収集はどうするか言っていた? 何か調べろとは?」


「何も。特に何かを調べろとは言われていない」


「ふうむ。ヘレナ君の脳神経データが手に入れば確かにもう調べるべきことはないか。けど、アトランティス・バイオテックとメティスの白鯨派閥がヘレナ君を狙っていることは間違いないよね」


「ああ。それを恐れている。アトランティスから盗み出したときはアトランティスのヘレナについての解析がまた完了したとは言えない状況だったと聞いている」


「完全版を求めてってわけか」


 暁が言うのにベリアがそう呟いた。


「はあ。やっぱりトラブルじゃねーか。で、部屋なら適当に使っていいから選んどけ。ジェーン・ドウはあんたを守れって? これは仕事ビズか?」


仕事ビズだ。報酬は出る」


「了解。アパートからは迂闊に出るな。あんたは吸血鬼の面倒を見ておけよ」


 東雲がうんざりした表情でそう言う。


「グレイ・ロジカル・アナリティクスとグローバル・インテリジェンス・サービスか。関与が見つかればアトランティスで確定だ」


「グローバル・インテリジェンス・サービスってどこの会社だ?」


「アトランティス系列の情報コンサルタント企業。情報収集と情報分析が主な業務。元アメリカ国家安全保障省フォート・ミードの将軍が設立した」


「アメリカ国家安全保障省フォート・ミードの将軍? また随分なお偉いさんが出てきたな」


「イーサン・ガブリエル元陸軍大将。いわゆる現職大統領が命じたアメリカ国家安全保障省フォート・ミードによる選挙中の対抗候補への盗聴事件──フォート・ミード事件の暴露を行った人物」


「で、その将軍が民間企業を設立して情報コンサルタント、と。アトランティスの系列企業ってことはアトランティスにも情報を提供してるわけか?」


「実際のところはアトランティスの保安部としての役割を担っていると言われている。アトランティスの防諜を含めた情報戦において重要な立場にあるってさ。マトリクスでの噂だけど」


「噂が本当か確かめてくれ。分かったら俺が八重野に直接伝える」


 東雲はベリアにそう頼んだ。


 ベリアはマトリクスに潜りに席を外す。


「あれから呉とセイレムには会ったか? 俺は会ってないんだが、そっちに連絡が言ってるかもしれないから聞いておく」


「あのサイバーサムライか。会ってない。連中は大井の所属じゃないみたいだが」


「そうか。じゃあ、あんたはなるべく家にいてくれ。特に吸血鬼は家に。メティスやらアトランティスやらの奪還部隊が来るのはごめんだぞ」


「分かった。食い物が調達できれば文句はない」


「俺が買ってきてやるよ。中華とインドは平気かい?」


「大丈夫だ」


 暁が答え、東雲がヘレナの方を見る。


「吸血鬼は血しか吸わないということはないよな?」


「大井医療技研じゃ普通に飯を食ってたよ。血も吸うみたいだが。俺は吸われたことはない。とは言え、大井医療技研の連中は防護服を着ていたが」


「勘弁してくれ。吸血鬼になるのはごめんだぞ」


 東雲がそう言ってヘレナをまじまじと眺めた。


「大丈夫じゃよ、主様。吸血鬼というのはそうそうなれるものではない。このものの波動からも他のものを吸血鬼に変えるは困難じゃろう」


「……誰彼構わず血を吸う気はない」


 “月光”の少女がそう言うのにヘレナがぼそりとそう言った。


「そりゃどうも。部屋を選んでくれ。荷物は?」


「着替えの類と銃があるだけだ」


「銃ね。セクター13/6じゃみんな持ってる。ただ、隣人を五月蠅いからって撃ち殺すようなことはしないでくれよ。これもセクター13/6じゃよくあることなんだが」


 そう言って東雲は手を振った。


……………………

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