探し物ならマトリクスで

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 ──探し物ならマトリクスで



「エイデン・コマツ?」


 マトリクスにログインしていたロスヴィータがベリアの言葉に首を傾げる。


「そう。八重野君が調べてくれって。前のジョン・ドウらしい」


「あれ? メティス本社の渉外担当者のデータベースに八重野絡みの情報はなかったんじゃなかったっけ?」


「君と同じみたいだよ。マトリクスでブラックアイスを踏んで、死後の世界に」


「ああ。そういうことなのか」


「なんだか不思議だね。マトリクスでは魔術が使えて、死後の世界に繋がっている」


「本当に不思議だよ。マトリクスは奇妙な出来事が入り混じっている」


 ベリアとロスヴィータはそう言葉を交わした。


「で、エイデン・コマツについて調べるの?」


「それしか八重野君のジョン・ドウに繋がる情報はないからね。検索エージェントに探させておくよ。私たちはこの前のメティス本社に対する仕事ビズとその反応及び大井とメティスの停戦交渉について」


「オーケー。じゃあ、いつも通り」


「BAR.三毛猫へ」


 ベリアたちはBAR.三毛猫にログインした。


「おっと。“大井・メティス企業間紛争停戦交渉トピック”」


「どういう情報で盛り上がってるんだろう。情報が流れてきてるのかな」


六大多国籍企業ヘックスが意図的に情報を流してるんでしょ?」


 ベリアはそう言ってトピックに顔を出す。


「で、メティスはどうやって停戦しようっていうんだ? 白鯨関係についてはノータッチだろう? 大井はそれじゃあ納得しない」


「それでも停戦しないとどっちにとっても損だ。戦争は金にならない」


「古い意見だな。シカゴ大学の経済学部は『戦争は投機的ではあるが利益を上げることがある』って言っている」


「じゃあ、第三次世界大戦、第六次中東戦争、第三次湾岸戦争では誰が儲けた?」


民間軍事会社PMSC


「あーあ」


 議論が流れていく。


「民間軍事会社が儲かるのは直接的な戦争じゃない。後方で政府に割り増し請求することで儲けるのさ」


「大井海運が第三次世界大戦と第三次湾岸戦争で後方の海上兵站を請け負って儲けた額はTMC自治政府から大井統合安全保障から貰っている額より多い」


「過大請求してるのさ。政府はいいカモだ」


 そこで新しくトピックに参加してくるアバターが見えた。


 流行りのソーシャルゲームの騎士の姿をしたアバターだ。


「新しい情報だ。メティスは大井に生産してる人工食料の優先取引権を与えることで交渉しようとしている」


「おいおい。そいつが大井にとって何の利益になるっていうんだ? 今のご時世に食料安全保障を盾に取ろうってことか?」


「らしい。大井が受けなかったら、この権利をトートに渡すと言っている。当然、東アジアへの食料供給は十分なものではなくなる。あるいは高騰する」


「最悪だぜ。やっぱり戦争は儲からない。少なくとも俺たちはな」


 メティスがやろうとしているのは自分たちの人工食料生産を人質にした脅迫だ。


「白鯨の件はどうなってる?」


「メティスは相変わらず広報が言っていることを繰り返している。自分たちじゃない。あれは自分たちが作ったものじゃない。その繰り返しだ」


「マジかよ。メティスの連中、それが通じると思っているのか?」


「思ってるんだろ。広報が言うのは同じこと。自分たちは知らない。自分たちは関係してない。その一点張り」


 まあ、メティスとしても被害は受けてるし、実際に今交渉のテーブルについているのは白鯨に関与していない連中らしいがと騎士のアバターが言う。


「ブリティッシュコロンビア州とコスタリカの研究所に白鯨派閥が立て籠もっているんだろう。現地の特殊執行部隊SEUを抱き込んでいるらしい。反白鯨派閥は手出しできない。連中が研究所に手を出せば電磁ライフルがドカン」


「白鯨派閥は諦めるつもりは欠片もないってか。理事会がことを収めるって言った連中は何してるんだ?」


「理事会はまだ殺し合わせるつもりなんだろ。理事会だって白鯨級のAIが自在に操れればメティスの利益になるのが分かっている」


「この電子掲示板BBSでも話題になってるよな。白鯨由来の技術解析」


 大井とメティスの停戦交渉に関する情報は他に新しい情報もなく、雑談のような雰囲気になり始めていた。


「検索エージェントが戻って来た」


 ベリアがそう言ってトピックから抜ける。


「エイデン・コマツについてヒットしたのは民営化された退役軍人支援企業に寄付をしているということ。彼はいくつかのアメリカにおける民営退役軍人支援企業に寄付してる。総額100万ドル」


「わお。流石はジョン・ドウというべきか。でも、退役軍人支援に寄付? 民営化されてからかなりサービスが悪くなったとは聞くけど」


「それでいて第三次世界大戦、第六次中東戦争、第三次湾岸戦争でアメリカは大勢の兵士を戦場に送り込んだ。PTSDにならないようにインプラントやナノマシンを叩き込んだ特殊作戦部隊の兵士と違って、今も昔も歩兵はそのまま」


「彼らが意識するのは特殊作戦部隊と違って目標を殺すことじゃなくて、マスを制圧すること。けど、彼らは過酷な戦場で生きて、殺される恐怖に晒され、そのストレスから日常生活が送れなくなる」


「そんな退役軍人がアメリカにはいっぱい。だけど、それを支援するはずの退役軍人省は民営化されてる。福祉は何かも民営化によるコスト削減の対象だ」


 ロスヴィータとベリアがそう言葉を交わす。


「考えられるのはエイデン・コマツは元軍人。そうでなければ退役軍人問題に関心のある善良なアメリカ市民」


「元軍人って線が濃いね。けど、元軍人であるかどうかを調べるのは大変」


「ちょっとばかり仕掛けランをしないといけないね」


 ベリアはそう言って肩をすくめる。


アメリカ国防総省ペンタゴンへの仕掛けランは無謀だよ」


「分かってる。何か他に探る方法は?」


「そうだ。退役軍人のローカルな集まり。退役軍人支援企業じゃなくて、元いた部隊の戦友同士の集まりを当たってみよう」


「オーキードーキー」


 検索エージェントにさらに具体的な情報を入力して検索させる。アメリカ軍に所属していた退役軍人という条件を入れる。


「あ。“トロントテロ未遂事件”だって」


「私たちの仕事ビズか。覗いてみよう」


 ベリアたちは“トロントテロ未遂事件”のトピックを覗く。


「テロの情報は全部デマ! ベータ・セキュリティは散々振り回された挙句、結局トロントでは何も起きてなかったと発表した。悪質なデマを流した犯人は追いかけているらしいけどな」


「善良なトロント市民はご愁傷様。ベータ・セキュリティはざまあみろ。ついでにメティスも自業自得だ。未だに連中は白鯨は自分たちに関係してないって言い張っているんだ。報いを受けろ」


「メティスだって白鯨のことでは被害を受けてる。反白鯨派閥と白鯨派閥が殺し合っているしな。噂によればメティスと大井の企業間紛争を引き起こしたのは白鯨派閥だって話だ。連中は白鯨を崇拝している」


「AIを崇拝しているね。碌でもねえ。それも人殺しのAIだ。こいつはとんでもない数の人間を殺している。白鯨派閥も反白鯨派閥も関係ない。メティスはテロをやった」


「でも、トロント・ピアソン国際航空宇宙港は封鎖されてない。恐らくは誰かがベータ・セキュリティのシステムをハックして、連中を振り回したんだ。マトリクスを泳いで遥か彼方から攻撃した」


「凄腕だな。ベータ・セキュリティのシステムをハックして連中を振り回すなんて。並大抵のハッカーにできることじゃない。もちろん、俺だってやろうと思えばできなくはないけどな」


「大口叩いてるならやってみろよ」


 だらだらとベリアたちによるトロントでの仕事ビズについての情報が流れていくが、概ねメティスとベータ・セキュリティが意図的に流しただろう情報が流れていく。


「メティスはテロが起きたという事実を隠蔽した。彼らにとっては本社が襲撃されたなんて醜聞は撒き散らされたくない。それは自分たちの脆弱性を示してしまう。そうすれば他の六大多国籍企業に食い荒らされる」


「だから、何もなかったことに。ベータ・セキュリティはデマに踊らされてトロントは何事もなかった。でも、いいニュース。私たちが追いかけ回されることはなさそう」


 ベリアが言うのにロスヴィータがそう言う。


「ベータ・セキュリティにはね。非合法傭兵を雇って報復するってことは考えられなくもない。停戦しても非合法傭兵が動きを止めるわけじゃない」


「最悪だね。控え目に言っても。でも、TMCにいる限りはメティスももう大っぴらに非合法傭兵は動かせないはずだよ」


「停戦交渉でそこら辺も話し合われているといいけれど」


 ベリアがそう言った時、検索エージェントが戻って来た。


「エイデン・コマツは元海兵隊かな。海兵隊のどの部隊にいたかは不明。けど、アメリカUS海兵隊MAR特殊S作戦OコマンドCの所属で第三次湾岸戦争で戦死したジェイデン・イリンスキー軍曹の葬儀に出てる」


「当たりかもね。どうする?」


「いくらなんでも特殊作戦部隊の名簿は手に入らない。検索エージェントも有益な情報は集められない。八重野君には悪いけど、お手上げかもね」


 ベリアはそう言って肩をすくめた。


「退役軍人ならアメリカ国防総省ペンタゴンが委託している情報保全企業インフォセックにデータがあるかも。アメリカ国防総省ペンタゴンは軍人のIDの管理を民間企業に委託してる」


「あー。情報保全企業か。あの手の企業のアイスはかなりきつい。総務省に仕掛けランをするよりもね。そもそも総務省への仕掛けランはIDの偽造でしかないし」


「情報保全企業の管理している個人情報はもっと膨大でプライベートなもの。文字通り個人の情報セキュリティを請け負っている。軍人なら政府が費用を受け持ち、業務委託する」


アメリカ国防総省ペンタゴンならアロー・インフォメーション・セキュリティ&マネジメント・サービスってところだね」


「ふうむ。ちょいと仕掛けランをやってみようか?」


「まあ、ベータ・セキュリティに仕掛けランをやるよりもマシかな」


 ロスヴィータが言うのにベリアがそう返す。


「まずは情報収集と行こうか。空振りだったら意味がないから」


「ログを当たっておこう」


 ベリアたちはまずはアメリカ国防総省ペンタゴンが軍人のID管理を委託している情報保全企業についてログを検索する。


「わお。“情報保全企業連続情報漏洩事件”だって」


「これがヒットしたの?」


「みたい。アローもやらかしたみたいだね。見てみよう」


 ベリアがログを再生する。


『言っておくが、この電子掲示板BBSで犯罪を促すような行為はBANの対象だぞ。で、その上で話を聞こう。情報保全企業からのデータ流出の原因はなんだ?』


 一昔前のシューティングゲームのキャラをしたアバターが尋ねる。


『ハッキングだとしたら結構な腕前だな。六大多国籍企業ヘックスに所属する情報保全企業のデータベースをドカン、とな』


 少年漫画のサブキャラのアバターが言う。


『そもそも情報保全企業なんてクソッタレだ。ID、ID、ID。何でもかんでも個人認証が必要。認証がなければハンバーガーのひとつすら買えない』


『対テロ政策だというがどこまで効果があるやら。片道切符で自爆テロをする連中に追跡性トレーサビリティなんて意味がない。ID管理があっても連邦捜査局FBIのフーヴァー・ビルはふっ飛ばされた』


『結局は六大多国籍企業の連中が俺たちを監視するためさ』


『クソッタレの六大多国籍企業め』


 ログが流れていく。


『情報保全企業が襲われたら元も子もないだろう。で、情報保全企業をやった奴は誰だ?』


『おっと。犯人が名乗りを上げたぞ。“ラッキー・ストライク”って奴だ。こいつ、ガチガチの反グローバリストだな。襲撃の理由も納得』


 シューティングゲームキャラのアバターが言うのに、少年漫画キャラのアバターが言う。彼は情報をトピックのテーブルに乗せた。


『手口は?』


『ソーシャルハックだ。古典的な。こいつはいくつかの情報保全企業のホワイトハッカーをやっていた。内部の情報にも詳しい』


アイスを相手にすることなく情報漏洩か。ま、そんなもんだろ。六大多国籍企業の産業用アイスを正面から砕いたというよりまともな話だ』


『その“ラッキー・ストライク”が逃げるのは難しいだろうけどな』


 ログが流れていき、ベリアは話題が終わったところで切った。


「残念。情報保全企業のアイスは砕かれてない」


「ソーシャルハックは難しいよ。ウィルス付きのメールを送るって古典的なやり方はもうIT関係者にも通用しない。それぐらいの常識はある。せいぜいメモにパスワードを書いて端末に張ってる程度の間抜け具合だね」


「ってことは私たちは正面からアローの産業用アイスを突破しなくちゃならないってわけだ。泣けてくるよ」


 ベリアはそう言って肩をすくめた。


……………………

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