マトリクスの魔導書の噂を追って
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──マトリクスの魔導書の噂を追って
ベリアとロスヴィータがマトリクスからログアウトして起きて来た。
「よう。晩飯、買ってあるぞ」
東雲がそう言って中華料理屋の帰りに買ったインド料理のテイクアウトを示す。
「ありがと。今回も大変な
「全くだ。血を流さない奴が多過ぎる。今回はセイレムが一緒だったからよかったものの。それでも熱光学迷彩を装備したサイバネアサシンとかいう訳の分からんものが出てきやがるし」
ベリアが言うのに東雲がそう愚痴る。
「そういやハッカーは自律AIを使っていたんだろう。マトリクスの魔導書由来の」
「そう、自律AIを使っていた。マトリクスの魔導書由来の技術で、かつ白鯨由来の技術。どうもおかしいんだよね。メティスがあそこまでの技術を持っているはずがないのに」
「確かにな。前にも話したが、この世界には魔術の基礎がない。白鯨の技術をメティスがものにしたとしても、そこから応用発展させるのは難しいはずだ」
「文法解析や図形解析で魔術に規則性を見出したとしても、そこから全く新しい技術を生み出すのは不可能だ。パターンだけ学習しても、既存のパターンを理解できるだけで、新しいパターンは生み出せない」
ベリアがそう言ってタンドリーチキンをつまむ。
「ロスヴィータはどう思う?」
「そうだね。少なくともボクがメティスに在籍していた段階では、彼らが有していた魔術は酷く限定的だった。オリバー・オールドリッジは優れたプロジェクトリーダーではあったが優れた魔術師ではなかった」
「東雲の話じゃ、メティスはブリティッシュコロンビア州の研究所で魔術を研究しているそうだけど、今やメティスの全てのリソースが使えるわけじゃない魔術研究続行の白鯨派閥が新しい魔術を生み出せたとは」
「けど、あれは間違いなくマトリクスの魔導書の技術だった」
ベリアが語るのにロスヴィータがそう指摘する。
「なあ、白鯨はいろいろな自律AIを捕食して成長していただろう? で、今回白鯨由来の技術とそうではない技術がくっついた自律AIが現れた。それってつまりは白鯨がそのマトリクスの魔導書って奴を捕食したんじゃないか?」
「じゃあ、マトリクスの魔導書はどこから来たの?」
「さあ。メティスの白鯨派閥はメティスのリソースを使えないだろうが、大井やHOWTechは今や白鯨由来の技術を解析してAI技術として応用しようとしている」
「つまり、他の
「そして、さらにそれをメティスが盗んだ。考えられなくはないだろう? 今やマトリクスは魑魅魍魎の跋扈する場所になってるって言ってたし」
東雲はそう言ってペットボトルのソフトドリンクを口に運んだ。
「ボクとしては白鯨が捕食したってのはあり得なくないと思うけど、マトリクスの魔導書については六大多国籍企業が研究して生み出したってのは無理があると思う」
「なんだかんだで一番マトリクス上で魔術を使いこなしているのはメティスだからね。彼ら以上の成果を後続の他の六大多国籍企業が生み出せるとは思えない」
「せめてブリティッシュコロンビア州の研究所の現状がもっと正確に分かればね」
ベリアが推察するのにロスヴィータが化学薬品臭のするチーズの入ったチーズナンを食べながらそうぼやく。
「情報不足か。いつもの
「まだだよ。これが終わったら顔を出そうと思ってる。大井ファイナンシャルが攻撃されたときには随分と野次馬がいたからね。噂が出回ってると思う」
「じゃあ、そっちの情報収集は任せる。ジェーン・ドウの口ぶりだとこれで終わりってわけじゃなさそうだからな」
「オーキードーキー。東雲は暫く暇だね」
「そういうわけにもいかなそうでな。暫く
「それはまた。巻き添えにならないように気を付けないとね」
「非常食を買いためておいた方がいいかもな。大井統合安全保障はこの手のことになると酷く荒っぽいし、この
質問は撃ってからだしなと東雲が愚痴る。
「そっちは任せるよ。私たちはマトリクスで情報収集」
「ああ。とりあえず八重野と非常食を買って来る」
東雲はそう言って、家から出ていった。
「さて、私たちはマトリクスに潜ろう。今回の大井ファイナンシャル襲撃事件についての情報探しだ。あれだけ観測エージェントが飛んでいたんだから、何かしらの情報はあるはずだよ」
「だといいけれどね。白鯨のときは情報が完全に出回るまで結構時間がかかったみたいだし。タスクフォース・エコー・ゼロが最初に白鯨とやり合った時もお祭り騒ぎだったんでしょう?」
「まあ、そうだね。けど、そのときも全く情報がなかったわけじゃない」
ベリアはそう言って部屋に向かい、サイバーデッキのケーブルにBCIポートを接続してマトリクスにダイブした。
「情報を求めるとすれば」
「BAR.三毛猫」
ベリアとロスヴィータはいつものようにBAR.三毛猫にログインした。
「変わったトピックは?」
「“マトリクスの魔導書統合”と“大井ファイナンシャル社襲撃事件”ってのがある」
「じゃあ、大井ファイナンシャルの方から当たろう」
ベリアたちは“大井ファイナンシャル社襲撃事件”のトピックを覗く。
「見たか、あの自律AI。あの時、観測エージェントを飛ばしていた連中は大勢いるだろう? あいつは白鯨由来の技術だったはずだ」
マンガに出てくるバスケットボール選手のキャラをアバターにした男がそう尋ねる。
「確かにあれは白鯨由来の技術だったね。だが、狂っていなかった」
以前、白鯨関係のトピックに顔を出していたアニメキャラのアバターの女性が頷いて見せる。
「メティスは白鯨を制御下に置いたってことか?」
「連中はそもそも元から白鯨を制御下に置いていなかったのか?」
「どう考えても制御下に置いていたとは思えない。白鯨は世界相手に戦争をおっぱじめたんだぞ。メティスも被害を受けている」
「六大多国籍企業が素直に被害を申告すると思うのかよ。連中は被害をでっちあげることだってやるさ」
ログが一斉に流れていく。
「メティスは明らかに被害を受けている。メティスの開発した半生体兵器の信頼は落ちた。その上、メティスは内乱状態だ。これは明確に確認されたソースによるものだ」
アニメキャラのアバターが騒動を終わらせるようにそう言った。
「注目すべき点はメティスがどうのこうのじゃない。ここに来て白鯨由来の技術を完全に使いこなすハッカーが出て来たことだ。先の大井ファイナンシャル社襲撃事件じゃ、ハッカーは完全に白鯨由来の技術を使いこなしていた」
「この
バスケ選手のアバターがそう言い、アニメキャラのアバターが同意する。
「こいつは六大多国籍企業がどこも白鯨由来の技術に値段を付けるってことを意味しないか? だって、この技術を使ったハッカーは大井統合安全保障のサイバーセキュリティチームすら退けたんだぞ」
「だろうな。六大多国籍企業でも当然解析は進んでいるだろうが、連中はいつだって俺たちから盗んでいくんだ」
「被害妄想は止めろよ。六大多国籍企業は情報に値段をつけている。盗んでもそれが真っ当な情報か分からないからな。つまり、俺たちのうち誰かが裏切っているのさ」
「クソッタレの六大多国籍企業勤め」
「僻むなよ」
またどうでもいいことでログが流れていく。
「ねえ。私たちはあの自律AIと戦ったけど、マトリクスの魔導書由来の技術が検出されたよ。誰かこのマトリクスの魔導書の由来を知ってる?」
そこでベリアがそう発言する。
「マトリクスの魔導書か。ここに来てあれが絡んでくるとはな。最近、白鯨由来の技術を解析するトピックで分かったことだが、あれは誰かの記憶らしい」
「誰かの記憶?」
アニメキャラのアバターがそう返すのにベリアが質問する。
「そうだ。というのも、あるハッカーがプロジェクト“タナトス”のデータに注目した。人間の脳のデータを保存するという無謀な試みだ。プロジェクトそのものは失敗に終わったが、その過程でできた生成物に注目した」
「マトリクスの魔導書がそのプロジェクト“タナトス”の人間の記憶のデータと一致したっていうの? そんな」
「ああ。あり得ないと思うだろう。プロジェクト“タナトス”は失敗したんだ。記録されたデータは意味をなさない。少なくとも人間のバックアップにはならないし、自律AIのように稼働するはずがない」
「そうだね」
アニメキャラのアバターが説明するのにベリアはディーのことを思い出していた。
ディーの生前の記憶からバックアップされたディーはあたかも自律AIのように機能していたということを。
「しかし、あのマトリクスの魔導書にはプロジェクト“タナトス”の被験者の記憶データをコードしたものと同じようなコードが確認された。白鯨の技術が完全に解析されたわけじゃないから断言はできないが」
だがあれは、人の記憶によく似ているとアニメキャラのアバターが言った。
「待てよ。人間の記憶データなんてものをマトリクス上でエミュレートしても限定AIにすらならないはずだぜ。どういうことだ?」
「分からん。だが、コードにはマサチューセッツ工科大学が公開しているプロジェクト“タナトス”のデータと同じようなコードがあった。それだけは確かだ」
「クソ。どうなってやがる」
バスケ選手のアバターが呻く。
「そもそもどうやって人間の記憶を抽出したのかも重要じゃないかな? 人間の記憶をマトリスやコンピューター上で再現しようとしたのはプロジェクト“タナトス”だけじゃないよ」
そこでロスヴィータがそう指摘する。
「そうだな。それも重要だ。プロジェクト“タナトス”は質問応答連想方式だ。いくつかの質問を行って脳のパターンを見て、さらに連想によって脳の活動をモニターする。他の実験にも応用された方法だ」
「それから忌々しいメティスのニューロチェイサー」
アニメキャラのアバターが答えるのに、バスケ選手のアバターがそう付け加えた。
「ニューロチェイサー。ナノマシンによって脳の活動を完全にスキャンする技術。メティス・メディカルの独占技術か」
「こいつはハートショックデバイスのような陰謀論と違って明確に欠陥が公開されたものだ。ニューロチェイサーによる脳の活動のスキャンは人間の脳に高い負荷を与え、最悪ブラックアイスを踏んだのと同じ影響を与える」
ログが流れる。
「それでも六大多国籍企業や軍の情報部はニューロチェイサーを使っているのさ。連中にとっては、情報さえ手に入ればそいつがどうなろうが知ったことじゃないからな」
「脳の記憶そのものに価値はあるが、そいつ自信には何の価値もないってのは最悪なパターンだ。保険は用心して準備しないと脳みそすらコピーされる世の中だ」
「どこまでが陰謀論で、どこまでが本当やら」
ニューロチェイサーに関する噂が流れていく。
「それで、ニューロチェイサーで記録された人間の脳のデータはあるのか?」
「表向きには出回ってない。メティス・メディカルは商品を自主回収している。だから、データはない。六大多国籍企業も政府も軍もそんなデータはないと言うだろう」
「じゃあ、比べられないな。マトリクスの魔導書は質問応答連想方式で記憶されたデータと類似するということだけだ。それだけだな」
「それでもおかしな話だよ。マトリクス上で自律AIどころか、限定AIとしても機能しないはずの人の記憶がどんなハッカーも真っ青の電子戦兵器として機能しているんだから」
アニメキャラのアバターはそう言って肩をすくめた。
今分かっているのは本当にそれだけだった。
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