調査//マトリクスを漂う

……………………


 ──調査//マトリクスを漂う



 ベリアたちは未だにBAR.三毛猫にいた。


 今、顔を出しているのは“白鯨事件反省会”というトピックだった。


 そこでは白鯨に関する技術の解析が行われている。すなわち魔術の解析が。


「規則性はかなり解読出来て来たな。少なくともアイスとアイスブレイカーについては区別がつくようになってきた」


「シミュレーションも順調だ。見てくれ。マトリクス上で限定AIが構築したアイスに、この白鯨由来のアイスブレイカーを叩き込んだ結果だ」


 以前から他のトピックで見かけていた猫人間という男性のアバターがデータを示すのに、前に白鯨関係のトピックにいたアニメキャラのアニメキャラの女性のアバターが新しいデータを示す。


「こいつはBadRabbit系のアイスブレイカーに白鯨由来のコードを組み込んだものだ。通常のBadRabbit系のアイスブレイカーよりも確実にアイスを砕いているのが分かるだろう?」


「興味深いな。白鯨由来の技術はまだまだ解析の価値ありってわけだ」


 このトピックは主に白鯨由来の技術解析のトピックで、各地で白鯨が暴れまわった痕跡を回収し、白鯨のコードを回収し、そして限定AIにそれを解析させていた。


「Sorcerer-CSは白鯨由来のデータ解析に役立っているな。こいつはなかなかイカした限定AIだぜ。不明な言語で描かれたコードから規則性を読み取る。コードを文字列として読み取ると同時に画像的な解析も行う」


「だが、そろそろバージョンアップしないとな。Sorcerer-CSじゃ解析しきれないデータも出て来た。もっとシステムにゆとりを持たせたい。かなり変則的なデータからも規則性を見つけられるように」


 白鯨由来のデータ解析用の限定AIを組んだのはアニメキャラのアバターだった。


「そう言えばマトリクスの魔導書って奴からも白鯨由来のコードが見つかったんだろう? あっちのデータは解析しているのか?」


 そこで興味深い発言が出たのにベリアが注目する。


「試してみたがどうも一部のデータがこれまでの白鯨由来のものとは違うようだ。一から解析している。それでバージョンアップが必要なんじゃないかって思ったんだ」


 アニメキャラのアバターがそう答える。


「あれに間してはちょっとトピックとして話題が違うから言いにくいが、どうもコードの一部に魔術だのなんだのを抜きにしたデータが含まれているらしい。白鯨も純粋な自律AIでないのは分かっているが、あれに関してはノイズがより多い」


「ノイズ?」


 猫人間のアバターが言うのに、アニメキャラのアバターが反応する。


「そう、ノイズだ。俺たちハッカーはコードに注意書きとか残すだろう。こいつは何のために機能しているとか、こいつは俺が作ったとか。そういうノイズがかなり含まれている。白鯨もそういう機能とは関係ない記述があった」


「ああ。確かに。機能として意味をなさないノイズは白鯨にも多く含まれていたな。ただ、白鯨の場合はそのノイズのコードと実際の機能するコードに共通性があった」


「しかし、マトリクスの魔導書には共通性がない。ないんだ」


 どうにもおかしな話だろうと猫人間のアバターが言った。


「ねえ、アスタルト=バアル。あれからマトリクスの魔導書のデータ解析した?」


「まだ。ジャバウォックとバンダースナッチに任せてみよう。とは言っても、私たちは見ただけで、白鯨の魔術とマトリクスの魔導書の魔術が違うことは分かるけど」


 ベリアたちは魔術を知っているために、限定AIに分析させるまでもなく、白鯨のコードとマトリクスの魔導書に含まれている既存の魔術とは異なるコードを識別できた。


「今は横道に逸れず、白鯨由来の技術の解析を進めていくべきだろう。俺たちは魔術師ウィザードではないが、この技術を会得できれば大きなメリットになる」


「確かにな。白鯨があんな事件を引き起こせたのも、この技術があってのことだ。ホワイトハッカーとしては、この技術をアイスに応用したいね。まあ、中にはよからぬことに使う連中もいるだろうが」


 猫人間のアバターが再び発言すると、アニメキャラのアバターが同意する。


「白鯨の技術解析は思ったより進んでいる。けど、やっぱり今のところは白鯨の技術の解析でしかない。そこから新しい魔術を生み出すわけじゃない」


「だとすると、マトリクスの魔導書は」


「どうなんだろうね。少なくとも私たちの世界の魔術ではない。別の来訪者がいるのか。魔術がある世界が私たちの世界だけと決まったわけじゃないし」


 こうして自分たちのように世界を移動する人間もいることだしとベリアが語る。


「それに本物のマトリクスの魔導書を見てみないことにはなんとも」


「うーん。またトピック戻ってどこら辺にマトリクスの魔導書が出現するか聞いてみる? ジェーン・ドウはマトリクスの魔導書の情報が欲しいんでしょう?」


「そだね。そうしよう」


 ベリアたちはまたマトリクスの魔導書のトピックに戻る。


「白鯨からこいつが生まれたってことは本当に考えられないのか?」


「解析している連中によると規則性が違うらしい。俺たちは様々なプログラミング言語でプログラムを書くが、そのプログラミング言語の違うのように白鯨とこのマトリクスの魔導書の含まれるコードには違うがあるそうだ」


 マトリクスの魔導書のトピックは白鯨との関係性がやはり話題になっていた。


 白鯨が及ぼした影響を考えるならさもありなんという具合だ。


「ねえ、直近でマトリクスの魔導書が目撃されたのはどこかな?」


 ベリアがそこでログを見てから発言する。


「最近は脳を焼き切られる可能性があるってことで調べに行く奴が減ったからな」


「少なくともTMCのネットワーク上にはいないな」


「中国のネットワークで見かけた奴がいるって話じゃなかったか?」


「一番新しい目撃情報は北米のネットワークだ」


 ログが発言者の増加で流されて行く。


「北米だな。どうもマトリクスを目的もなく漂っているらしいから、白鯨と違って行動を予想することもできない。白鯨には少なくとも敵意のようなものがあったが、こいつは積極的に何かを攻撃するわけじゃない」


 メガネウサギのアバターがそう言った。


「攻撃もせずにただマトリクス上を彷徨っているだけ? 情報収集とか、あるいは進化とかの形跡はなし?」


「あらゆる意味で白鯨とは行動原理が違う。自律AIらしさを見せるときもあるが、白鯨のような攻撃的な自律AIではなく、一般人がマトリクス上を漂っているぐらい無害だ。ただ、どうも近づくと攻撃されることはあるらしい」


「では、誰が一体何の目的でこんなものを作ったのか、だね」


「そう、目的だ。こいつの目的が分からない。ただマトリクスを漂い、通り魔的に人を殺す自律AIなんかに何の価値がある? これで一体誰が得をする? 狂ってはいたが、少なくとも白鯨には世界征服という明確な目標があった」


 こいつにはそういう思想がないとメガネウサギのアバターが語る。


「それでいてコードには白鯨の痕跡。これが自律AIだという根拠は?」


「一般人のようにと言ったが、それは人を模倣できているということを意味する。限定AIでは潜り抜けられない場所も潜り抜けている。ああ。魂があるかないかで言えば、ないだろう。これは恐らくは低次元の自律AIだ」


「限定AIに限りなく近い。だけど、ちゃんとした自律性はある。それだとますます持ってこれの目的が分からない。まるで最初から目的なんてものがなかったかのようで」


「案外そうかもしれない。目的はない。強いて言うならば、白鯨由来の技術がプログラムとして成立するか確かめた。その程度の目的なのかもな」


「これに本当に悪意や敵意がなければそれでいいけれど、これは一度ここの住民に天啓って奴を授け、多くの陰謀を暴露させた。本当に私たちにとって無害かどうか結論するのは早い気がするよ」


 ベリアはそう発言して肩をすくめた。


「マトリクスを漂う目的もない自律AIじゃあ誰も得はしないが、そいつが高度なハッキングの技術を授けてるとなると話は別だな」


「無差別に授けてるわけじゃないんだろう? 何人かは殺されかけたっていうぜ」


「あの最初に天啓だのなんだの抜かしたハッカーはどこ行きやがったんだ?」


「あれから別の人間が天啓を授かったって話だぞ。ここの外だ。そいつがやらかしたのが、外務省の人事データの窃盗らしい」


「ここは日本語話者がメインの電子掲示板BBSだが、国外でもそういう事件はあるのか?」


「インドでも政府系機関が攻撃を受けたって話だぜ」


「じゃあ、手当たり次第だな」


 ログが噂や推測で流れていく。


「白鯨のようなAIとやり合うのはもうごめんだと思っていたけど、白鯨のような目的がないゆえに見つけにくいAIになるとはね」


「どうする?」


「もう暫く様子を見てみようと思う。ロンメルは白鯨の技術解析のトピックを見ててもらえるかな? 白鯨の技術がどれだけハッカーたちに解析されているか知っておきたい。恐らくはそれが六大多国籍企業ヘックスの魔術の理解度だ」


「了解。ボクは向こうに行ってるね」


 ロンメルは“白鯨事件反省会”のトピックに向かい、ベリアがマトリクスの魔導書のトピックに残った。


「俺は思うんだが、本当にマトリクスの魔導書って奴はひとつだけなのか? 誰かが複製を作ったりはしてないのか?」


「どうしてそう思うんだ?」


「考えてもみろよ。目撃情報があっちこっちに行きすぎだし、目撃した人間も多種多様。一時期のマトリクスの幽霊も神出鬼没だったが、あれは目撃情報が少なかった。こっちは“それらしきもの”を大勢が目撃している」


「確かに。北米と思ったらインド。インドと思ったら中国。そして、マトリクスの魔導書は単なる自律AI。それもそこまで高度ではない自律AI。近づけば焼かれるそうだが、白鯨ほど攻撃的でもない」


「だろ? 誰かが悪戯半分に複製を作って流してるんじゃないかね」


 ログがこういう話題で埋まっていく。


 そう、マトリクスの魔導書が単なる低次元の自律AIならば複製が作れるはずだ。


「だけど、こんなものを複製してどうするの? そもそも作った意味すら分からないってのに。複製を作って構造解析したっていうならば、どこかの六大多国籍企業に売れるかもしれないけど」


「ううむ。そうだな。全ては目的の問題だ。マトリクスの魔導書には白鯨のような目的がない。テロにしてはいい加減だしな」


 ベリアの発言に列席者のひとりが同意する。


「おっと。盛り上がってるな」


 そこで新しくスポーツマンガのキャラのアバターが姿を見せた。


「いいニュースだ、諸君。国連チューリング条約執行機関がマトリクスの魔導書に懸賞金をかけたぞ。マトリクスの魔導書の構造解析図に50万ユーロだとさ」


「ケチ臭いな。それなら六大多国籍企業に売った方がマシだ」


「噂によると大井なんかは構造解析図に100万新円払うらしいぜ」


「大井に伝手がある奴はいいよな」


 とうとう国連チューリング条約執行機関までもが乗り込んできた。


「つまりこれは本当に自律AIで、危機が差し迫まったものかもしれないってことだね。でも、国連チューリング条約執行機関は何を恐れているの?」


 ベリアがそう言うとログが止まった。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る