調査//BAR.三毛猫

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 ──調査//BAR.三毛猫



「ただいま」


「お帰り。八重野君が来てるよ」


 東雲とベリアが帰宅するとロスヴィータがダイニングで合成緑茶を啜りながらそう言った。リビングに八重野がおり、深刻そうな顔をしていた。


「よう、八重野。どうした、暗い顔して……」


「マトリクスの魔導書についての噂を聞いた」


 東雲が尋ねるのに、八重野がそう返す。


「どういう噂だ……」


「マトリクスの魔導書には魔術が使われているという話。私の背中の魔法陣とは無関係だろうか? 詳細な情報はあいにく手に入れられなかったのだ」


「ふむ」


 東雲は八重野の言葉にベリアの方を向く。


 ベリアは肩をすくめていた。


「仮に関係あるとしたら、どうする?」


「マトリクスの魔導書の製作者を探す。そして、そこに記されているものを見て、誰がマトリクスの魔導書を作ったのか探る」


 そうすればジョン・ドウが所属していた企業も分かると八重野は言う。


「八重野君。そうは言うけどね。マトリクスの魔導書の効果は人を凄腕のハッカーに変えるものであって、呪い殺すものではないんだ。噂では脳を焼き切られることもあるっていうけれど、それは呪いじゃない」


「しかし」


「私たちがこれから仕事ビズとして調べるし、もし君の呪いを解くのに役立つのならば教える。けど、意味の分からないうちから、あれこれ騒ぐのはよくない」


「そうだな」


 八重野はベリアの言葉に渋々というように頷いた。


「あ。仕事ビズで調べることになったんだ」


「そう。ジェーン・ドウから依頼。詳細はマトリクス上で説明するよ、ロスヴィータ。君の力も借りたいところだからね」


「了解」


 ロスヴィータがそう返す。


「じゃあ、東雲。しっかり外を見張っておいてね」


「あいよ。お前も脳を焼き切られないようにな」


 東雲はそう言ってベリアたちがサイバーデッキに向かうのを見届けた。


 ベリアたちはサイバーデッキに接続し、マトリクスに潜る。


「ロンメル。仕事ビズについて説明するね。ジェーン・ドウはメティスの内紛のことを示しながら、今回の仕事ビズを斡旋してきた。ジェーン・ドウはマトリクスの魔導書をメティスが作ったものだと思っている」


「だろうね。魔術を詳しく知らない人間がみたら、同じような魔術に見える」


「だけど、白鯨に使われていた魔術とマトリクスの魔導書の魔術には明確な違いがある。君は異世界で賢者であり、魔術の学派を開くほどだったから聞くよ。白鯨の技術をこの世界の技術で発展させれば、新しい魔術は作れる?」


 ベリアはロスヴィータにそう尋ねた。


「ボクがローゼンクロイツ学派を開くときには65年かかった。それも魔術として先人たちの遺産がしっかりと体系化された上で」


 ロスヴィータが語る。


「精霊学。神秘学。言霊学。そういう魔術の基礎となる学問があの世界にあって、ボクはそこから新しい法則を見つけ出すことでローゼンクロイツ学派を開いた。この世界にそれらがあるか。ないよね?」


「ないね。つまり、基礎がないということか。確かにメティスはホムンクルスの技術を手に入れた。だけど、それは産業で言うならば自動車のドアの作り方を学んだだけで、自動車全体のベースとなる材料工学や物理学という知識が足りない」


「そう。だから、彼らが新しい学派を開けるようになるまでは相当な年月が必要。というか、無理ですらあるかもしれない」


 ロスヴィータがベリアにそういう。


「だけど、私たちの知らない魔術が機能している」


「うん。どうもおかしい。この世界には本当に魔術はなかったのかな……」


「この世界に元々ある魔術? その可能性は考えたことがなかったな」


 この世界に魔術があるとは思えなかったしとベリアが考える。


「あり得なくもないんだよ。この世界にも精霊がいて、かつては神秘の研究が行われていた。その過程で魔術を見つけ出したとしても、なんらおかしくはない。荒唐無稽というわけでもない」


「ふうむ。マトリクスの魔導書はこの世界で形成された魔術である可能性か」


「あくまで可能性。絶対にあるとは言えない。だって、仮にあったとしても古代の魔術なんてオカルト話を六大多国籍企業ヘックスのような組織が本気にするか」


「まだマトリクスの魔導書は六大多国籍企業絡みと決まったわけじゃないよ」


「他に考えられる? 白鯨の技術が見られたんだよ?」


 ロスヴィータはそう指摘する。


「確かにそうだけど、白鯨のデータはマトリクスに広く広がった。それを手にした人間ってことも考えられない?」


「どうだろうね。ボクは六大多国籍企業並みに技術と設備の整った環境でなければ、無理だと思うけど」


「それは確かに。技術も設備も必要だ」


 ベリアが頷く。


「では、以上のことを踏まえて情報収集といこう。ジェーン・ドウはマトリクスの魔導書についての情報を欲しがっている。少なくとも六大多国籍企業のうち一社はこのことに困惑しているってわけだ」


「了解。では、いつものように?」


「いつものように。BAR.三毛猫へ」


 ベリアたちはBAR.三毛猫へと飛び、ログインする。


「暴露系のトピックが減ったね」


「みんな飽きちゃったのかな。それとももう燃料がなくなったのか」


「新しい暴露のトピックはないね」


 ベリアとロスヴィータはBAR.三毛猫を見渡してそう言葉を交わす。


「けど、マトリクスの魔導書のトピックは未だに盛り上げっている」


「行こう」


 ベリアたちはマトリクスの魔導書のトピックに入る。


 今は“マトリクスの魔導書総合”となっているトピックだ。


「なあ、本当にあれからあのハッカーを見た人間はいないのか?」


 メガネウサギのアバターがそう尋ねている。


「いない。ぱたりといなくなっちまった」


「もしかすると今までの情報は全て六大多国籍企業なりなんなりが流したデマの可能性もあるんじゃないか。ほら、あのハッカーは実は雇われた人間で」


「それにしちゃ際どい情報が多いぜ」


 いなくなったのはあのストロング・ツーと名乗っていたハッカーだ。


「マトリクスの魔導書をあれから目撃した人間は?」


「いるかもしれないし、いないかもしれない。何せ、相手は脳を焼き切ってくるんだ。あのハッカーは天啓だとか抜かしてたが、どうも話が違う」


 メガネウサギのアバターが尋ねるのに、化学教師のアバターがそう返す。


「マトリクスの魔導書は天啓を与える人間を選ぶと言っていたな。今のところ、マトリクスの魔導書について言えるのは、白鯨ほど攻撃的な存在ではないということ。それでいて白鯨と似たようなコードが含まれること」


「それ以外は情報が錯綜していてさっぱりだ」


 マトリクスの魔導書については情報がよく集まっていないようだった。


「アスタルト=バアル。向こうのトピック見て」


「メティスの内紛について、か。向こうの方が興味深そうだね」


 “メティス・グループ内部紛争問題”というトピックが立てられていた。


 これも情報漏洩によるものだろう。


「つまり、表向きに白鯨事件の責任を取らされた人間はいないわけだ。理事会は態度を表明することを保留し続け、広報は自社と白鯨の関係を否定している」


「だが、少なくとも5人の主要な研究者が企業亡命し、6名が事故死──殺されたってことさ──している。理事会は何も決めなくても、下は勝手に戦争をやってるようなものだ。内戦だぜ」


 ホラー映画のピエロのアバターをした男性が言うのに、アメフト選手の格好をしたアバターの男性が返す。


「メティスは割れるかね?」


「いや。理事会がなんだかんだで最後は纏めるはずだ。それまでは下が勝手に争っているだけだろう。要は、だ。理事会が態度を表明しないのは、自分たちの手を汚さずに粛清を完了するためじゃないか?」


「メティスの理事会は昔から気味が悪い連中だったが、自社をそういう風に扱うとはな。また研究者が企業亡命するんじゃないか」


「メティスも重要な研究者は引き抜き対策を取っているはずだ。メティスが何が得意かって言えば、バイオウェアだからな」


「連中の“生物学的従業員管理”って奴か」


「そう。連中は研究者にフェイルデッドリーなバイオウェアを仕込んでいる。もし、研究者が拉致スナッチされたら、死亡するようなシステムだ」


「胸糞が悪くなる」


 トピックがそれからメティスを批判する声で溢れる。


「ロンメル。君はフェイルデッドリーなバイオウェアを埋め込まれなかったの?」


「まあ、一応籍をおいていた程度の立場だから。それにオリバー・オールドリッジの研究チームはその手のバイオウェアを扱っているチームと仲が悪いこともあって」


「なるほど。セオドアも無事だったしな」


「どこまで本当か分からないよ、フェイルデッドリーなバイオウェアって」


 この手のことには尾ひれがつくとロスヴィータは肩をすくめた。


「白鯨を作ったチームは今も活動しているんだってな」


「ああ。研究チームはばらばらになったが、散った先で活動しているらしい。っていうのも、メティスのAI研究者が全員殺されたわけでも、全員企業亡命したわけでもないからだ。理事会も白鯨の技術には注目しているらしい」


 またトピックが動き始めていた。


 ピエロのアバターとアメフト選手のアバターが語り合う。


 恐らくは彼らはホワイトハッカーで業界調査も兼ねてこの電子掲示板BBSに潜っているのだろう。


「そういえばマトリクスの魔導書って奴に白鯨の痕跡があったらしいが」


「自律AIって噂の奴か。白鯨のバックアップは恐らく存在する。人間と違ってAIはバックアップが取れる。この前の混乱を引き起こした白鯨は撃破されたかもしれないが、メティスはまだそのバックアップを大切に保管しているはずだ」


「白鯨由来の技術って可能性も無きにしも非ず、か。こいつはある種の収穫加速の法則じゃないか? メティスが白鯨を作り上げるまでにかかった時間は3年程度。次に新しい自律AIを作れるのはそう長くはかからないってわけでさ」


「どうだろうな。多くのハッカーが白鯨の遺産を解析しているが、ようやく奴のアイスとアイスブレイカーについて理解し始めた頃だ」


 それを聞いてベリアはぎょっとした。


 ハッカーたちは魔術を理解しつつあるというのか? こんなにも早く?


「ねえ。白鯨由来の技術の解析をやってるトピックがあるの?」


「あるぞ。ここは話題が少ないからこのトピックでも扱うし、専門のトピックも立っていたはずだ。って、あんたはアスタルト=バアルか。あんただったな。最初に魔術云々いっていたのは」


「うん。興味があってね、昔から」


「あんたの立場からすると今の状況はどう思う?」


 ピエロのアバターがベリアにそう尋ねる。


「ふむ。あれは既存の技術とは全然別系統の技術だと思うよ。だけど、確かに今は限定AIでも解析能力に優れている。全く未知の魔術でも規則性を見つけられるかもしれない。魔術に全く規則性がないわけじゃないから」


「規則性があれば限定AIなりなんなりで規則性を解析し、模倣することはできるってわけだな。では、より以上に発展させることは?」


「それは難しいかもしれない。私たちハッカーは最初は既存のアイスやアイスブレイカーを使う。そして、それを改良していくけど、その基盤となる情報通信技術があってこその改良だよね?」


「そうだな。で、俺たちには魔術の基礎知識はないか」


「うん。恐らくはメティスにしてもそうだと思うよ」


「ふうむ。興味深い」


 ピエロのアバターは納得したように何度も頷いていた。


「そして、マトリクスの魔導書はこれまでの魔術とは違うと思う。メティスが作ったとはあまり考えられない。もしかすると、私たちが知らないだけで、この地球にも魔術がひっそりと存在していたのかもね」


「それは夢のある話だ。かつての神話が実は事実だったってのはそそられるぜ」


 トロイア戦争の事実を見つけたハインリヒ・シュリーマンのようにとアメフト選手のアバターは笑った。


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