根拠ある噂

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 ──根拠ある噂



 東雲と八重野が帰宅してから早速ベリアたちはマトリクスの魔導書について、八重野に聞いてみることにした。


「八重野君。マトリクスの魔導書って知ってる?」


「いや。それが私の呪いの原因なのか?」


 ベリアの質問に八重野が質問を返す。


「まだ決まってない。可能性の話。最近、胡散臭い噂が出回っていてね」


「教えてくれ。マトリクスの魔導書の噂とはどういうものだ?」


「うーん。なんでも接触して選ばれれば、凄腕のハッカーになるっていうもの」


「それはあまり関係ありそうにないな」


 八重野が見るからに落胆する。


「まあ、そういうわけなんだよ。ちょっと魔導書っていうから関係あるかなって思ったんだけど、効能的にあまり関係なさそうなんだよね」


「そうだな。2年で死ぬ呪いと凄腕のハッカーになるってお守りなら、どう繋がっているのかさっぱりだ」


 東雲が肩をすくめる。


「マトリクスの魔導書、か。私もマトリクスに潜ってみるか」


「あ。サイバーデッキ買ってきたの?」


「ああ。給料を前借した。私もマトリクスの魔導書について調べてみる」


「うーん。ちょっと難しいかな」


 マトリクスの魔導書が話題になっているのは今のところBAR.三毛猫だけである。他の場所では話題になっていない。


「呼び出しだ」


 そこで東雲がそう言う。


「ジェーン・ドウ?」


「ああ。セクター6/2のバーに来いとさ」


「また何かの仕事ビズかな」


「そうだろうな」


 ベリアが言うのに東雲が頷いた。


「私も行くべきだろうか?」


「来いって指定されているのはベリアだけだな。俺も来いとは言われていない」


「では、私はマトリクスに潜ってマトリクスの魔導書について調べる」


「お好きなように」


「すまない」


 八重野が頷く。


「じゃあ、行くか。ジェーン・ドウを待たせると後が面倒だ」


 東雲とベリアはロスヴィータと八重野を残してアパートを出た。


「ジェーン・ドウは何の仕事ビズを斡旋すると思う……」


「メティスと揉めてるからそれ関係か。どうもジェーン・ドウは最近メティスを目の敵にしているみたいだし」


 メティスから拉致スナッチした坂下の殺害。メティスから拉致スナッチしたセオドア。


「白鯨の被害補填ってやつかね」


「どうだろうね。ジェーン・ドウはメティスと企業間紛争をやるつもりなのかも」


「おいおい。その場合、どうなるんだ?」


「企業間紛争は六大多国籍企業ヘックスにとって中立地帯であるオービタルシティ・リバティで開かれる国際経済開発会議の仲介で停戦に向かう。もっとも私たち非合法傭兵が動いている分にはまず停戦しない」


「企業同士で本気で殴り合うまでそれは戦争じゃない、か」


「そういうこと。まだ表向きはどの企業も企業間紛争を起こしていない。そもそも白鯨の件ですら、企業間紛争とは認定されていないんだよ」


 忌々しい白鯨を作ったメティスでも動きを止めると世界中で食料生産が滞って、世界中が餓死するとベリアは肩をすくめた。


「なんともまあ。白鯨の件はそれでお咎めなしか。相当被害が出ただろうに」


「メティス内で揉めてるって話をセオドアがしていたんでしょう? 一応彼らなりに始末はつけるつもりなんじゃないの。多分、メティスは完全には白鯨について把握していなかったんだと思う」


「メティスも半生体兵器にケチがついたしな」


 白鯨の件で得した奴はいないんだろうなと東雲は言った。


「そういうことだね。みんなが大損。だけど、どの企業も今やメティスに責任があることを知ってる。メティスに対して私的な取り立てを行う」


「今回の仕事ビズもそうなる可能性がある」


「メティスから何を毟り取るか」


 ジェーン・ドウはメティスからまた何かを奪えと言うのだろうか。


「セクター6/2だ。降りよう」


「オーキードーキー」


 東雲たちはセクター6/2の駅で電車を降りた。


 夕方のTMCセクター6/2は賑わっている。お洒落なバーが並ぶ繁華街と夜の街としてその手のお店が立ち並ぶストリートは場所こそ微妙にずれているとは言え、同じセクター6/2である。


 夜の出会いを求める人間。辛い現実リアルから逃れるために酒に走る人間。刺激を求める人間。


 そういう人間たちがセクター6/2に集まる。


「こっちだな」


 ARで東雲はルートを確認する。


「ここだ」


「お洒落なバーだね。それから凄く高そう」


「この前は本物の酒を飲ませてもらった」


「それはいいね」


 セクター13/6で流通してる酒は化学合成されたアルコールを原料に、化学薬品で味付けしたものばかりだ。混じっている化学薬品によっては命を落とすこともある。


「遅いぞ」


 ジェーン・ドウはバーのカウンター席で東雲たちを待っていた。


「こっちだ」


 そして、ジェーン・ドウは個室に向かい、そこではいつものように技術者が。


 だが、今回はやたらと念入りにチェックされる。血糖値を測るように僅かだが採決も行われた。


「随分と疑っているんだな……」


「メティス相手に仕掛けランをやった後だからな。あそこはバイオウェアに関してはトップの技術がある。汚染されていないかチェックするに越したことはない」


 そう言ってジェーン・ドウは座れと言うように席を指さした。


「あれからあのちびサムライの方はどうだ……」


「上手くやってるよ。問題なしだ。それを聞きたくて呼んだわけじゃないだろ」


「当り前だ。まずは酒を頼め。ただし、酔っ払うな」


「はいはい」


 ウェイターが注文を取りに来るのに東雲は前に頼んだジョニー・ザ・ブレイクを頼み、ベリアはインサイダーという奇妙な名前のカクテルを頼んだ。


「メティスが混乱状態にある」


 ジェーン・ドウはそう言った。


「白鯨を作っていた派閥──白鯨派と白鯨を疎ましく思っていた連中で揉めている。メティスが割れることはないだろうが、粛清を繰り返すことになるだろう」


「その隙にお宝をちょうだいってわけかい……」


「メティスには白鯨のクソ野郎のせいで損害を被った。謝罪と賠償の代わりに技術者やデータをいただくことは悪いことではない」


 ジェーン・ドウはそう平然と言ってのけた。


「だが、その前に、だ。マトリクスの魔導書についてはもう知ってるんだろう?」


「知ってる。あれは白鯨絡みの品じゃない? というか、自律AI?」


 ジェーン・ドウの問いにベリアがそう尋ね返した。


「白鯨絡みという可能性はある。というのも、メティスの白鯨派に動きがあるからだ。連中の首は皮一枚で繋がっているだけで、いつ理事会から切り捨てられてもおかしくない。それに今は反白鯨派と内紛状態にある」


「メティスが割れることはないっていったが、それは危機的じゃないか?」


「メティスの理事会は割れていない。態度を明確にしていないだけだ。連中は白鯨の研究にゴーサインを出したんだぞ? 連中は一種のカルトめいた信仰心を持っている。理事会全体が秘密結社ってわけだ」


「ますます薄気味悪くなる企業だな」


 東雲は前にロスヴィータから聞いた理事会での奇妙な信仰の話を思い出した。


「メティスが薄気味悪いのは昔からだ。で、マトリクスの魔導書だ。こいつが白鯨由来であることも考えられる。少なくとも以前白鯨から検出されたコードが混入していることは確認できた」


「でも、白鯨の魔術とは違うよ。そして、メティスでも一から魔術の系統を生み出したにしてはスパンがあまりにも短すぎる」


 ローゼンクロイツ学派も、ゼノン学派も、生み出され、系統となるまでは数十年の年月がかかっているとベリアは指摘した。


「ふん。かもしれんな。だが、メティス内の動きと連動したようにマトリクスの魔導書は現れた。無関係だとは思えん。そこでだ。知りたがりのちびのハッカー」


 ジェーン・ドウがベリアを指さす。


「マトリクスの魔導書について情報を集めろ。情報には全て報酬を支払ってやる。お前のマトリクスのお友達から情報を聞き出せ。マトリクスを探索してマトリクスの魔導書そのものの構造解析データを手に入れられれば文句なしだ」


「マトリクスの魔導書に接触した人間が六大多国籍企業のサイバーセキュリティを突破して情報を流しているって知った上での判断?」


「知っている。それについてはしかるべき対応をするつもりだ」


「まだ消せてないの?」


「少なくとも俺様たちはな」


 あの姿が見えなくなった自称天啓を受けたハッカーはまだ消されていないらしい。


「マトリクスであれがどういう風に騒がれているかはある程度は知っている。その上で調べてもらう。マトリクスの根拠ない噂ではなく、根拠のある情報が欲しい」


「了解。情報を集めましょう」


 ベリアはそう言って頷いた。


「それからローテク野郎。お前はメティスの報復に警戒しろ。この前の拉致スナッチの件をメティスが忘れたとは思えないし、白鯨派は白鯨を破壊されたことを少なからず恨んでいるはずだ」


「勘弁してくれよ。先に仕掛けて来たのは向こうだろう」


「そういう理屈の通じない世界にお前はいるんだよ」


 東雲が愚痴るのにジェーン・ドウが呆れたようにそう言った。


「何はともあれまずはマトリクスの魔導書について、だ。情報を集めてこい。マトリクスはどうやら最近では魑魅魍魎が跋扈する場所になったようだ」


 ジェーン・ドウはそう言って注文したカクテルに口をつけた。


「話は以上で?」


「以上だ。行っていいぞ」


 東雲たちはジェーン・ドウが頷くのにバーを出た。


「どうも臭うな。きな臭い。メティスの内紛。マトリクスの魔導書。白鯨の残滓。そして、それに興味を示すジェーン・ドウ」


「確かに碌でもない予感がするね」


 東雲の言葉にベリアが同意して見せた。


「今回はジェーン・ドウはやけに情報公開に前向きだったのも引っかかる。普段からあんなにお喋りだったわけじゃないだろ?」


「私たちを誘導したいのかな?」


「かもしれない。どうあれ、俺たちはジェーン・ドウに従うしかないがな」


 他の取れる選択肢があるわけでもないしと東雲が愚痴る。


「まあ、マトリクスの仕事とは言っても白鯨ほど攻撃的なものではなさそうだし、前みたいなスリルはないだろうね」


「スリルね。脳みそを焼き切られるかもしれないのに暢気なことで」


「ハッカーってのは大なり小なり知りたがりの覗き魔なのさ」


 ベリアはそう言ってにやりと笑った。


「じゃあ、頼むぜ、相棒。俺はマトリクスについてはさっぱりだ。物理的なドンパチになったら、俺が仕事を引き受ける」


「そうして。まずは私が情報を探るから」


「メティスの本社に仕掛けランはしないよな?」


「どうだろうね。その必要があればやるけど」


「マジかよ」


 東雲は少しばかり呻いた。


「知りたがりなのはいいが、命大事にだぞ」


「オーキードーキー」


 そして、東雲たちはまた電車でセクター13/6に戻った。


……………………

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