デート

……………………


 ──デート



 八重野が東雲の冗談を本気にし、そして撤回もできなかったために東雲と八重野は約束通りデートに行くことになった。


 とはいっても、ちょっと遊びに行く程度だ。


 場所はTMCセクター5/2。かつて秋葉原と呼ばれていた場所である。


 軽くウィンドウショッピングでもして、それからメイド喫茶で一服したら、それで終わりでいいだろうと東雲は思っていた。


「八重野。あんた、セクター5/2ここは初めてかい……」


「ああ。噂には聞いたことはあるが」


 八重野は物珍しそうに周囲を見渡している。


「まあ、ここも昔とは違うがね」


 かつてアニメとマンガ、サブカルチャーの街であった秋葉原は青少年なんとかかんとか法により、様々なものが規制されていた。


 それでも街を見渡せばアニメキャラのイラストを見かけることがある。


「これは」


 家電の店を通り過ぎようとしたとき、八重野が立ち止まった。


 彼女の視線の先にはハイエンドワイヤレスサイバーデッキがある。


「ああ。サイバーデッキか。そう言えば自宅にサイバーデッキなかったな」


「うむ。今はマトリクスに繋げていない。簡易のワイヤレスサイバーデッキは持っていたのだが、ジェーン・ドウに取り上げられてしまった」


 そう言って八重野はしげしげと街頭にディスプレイされているハイエンドワイヤレスサイバーデッキを見つめる。


「しかし、結構価格がばらけているな。500新円程度のものもあれば、9000新円するのもある。何が違うんだ?」


「ハイエンドワイヤレスサイバーデッキはまずアイスが厳重に配置できる。それだけの演算量と容量があるのだ。だから、この手のワイヤレスサイバーデッキでは簡単に脳を焼き切られない」


 東雲の質問に八重野が返す。


「そして、微細なワイヤレスネットワークでも快適に利用できる。他のものと比べて回線速度が段違いだ。これはマトリクスの上で活動する場合においてとても重要なことだ」


「ふうむ」


 東雲もハイエンドワイヤレスサイバーデッキを眺める。


 八重野の見ているものは8500新円するものだった。


「それからこの手のタイプのものだと、現実リアルで行動しながら、同時にマトリクスでも行動できる」


「それだと何か意味があるのか?」


「大いにある。つまりはマトリクス上で敵のネットワークをハックしながら、リアルタイムで戦闘を行える。敵の警備ボットや警備ドローンの制御を奪えるのだ。戦闘中に。そのことで生まれる戦術的な幅は大きい」


「なるほどな」


 東雲はどうやって相手のネットワークを乗っ取るのかについてはさっぱりだったが、あると便利そうだというのは分かった。


「なら、買っておくか? 今、マトリクスに繋げる環境にないんだろう? それだと何かと不便だろう」


 東雲は自分がマトリクスに繋げないので情報が手に入りにくいことは感じていた。


「しかし、そういうわけには」


「給料の前借だと思っておけ。これから仕事ビズがまたあるはずだ。そのときにしっかりと働いて返してくれ。それでいいだろ?」


「あまりよくはないが、確かにあれば仕事ビズで役に立つ」


「決まりだな。早速買おうぜ」


 東雲は八重野が選んだハイエンドワイヤレスサイバーデッキをレジに持っていき、購入した。回線の設定などを終えて、商品が引き渡される。


 八重野が少し満足そうだったのが微笑ましく、それからふたりはメイド喫茶に向かう。前にも利用した猫耳のメイド喫茶だ。


「変わった店があるのだな」


「アメリカにはこういう店はないのかい」


「ないな。あっちはこういうサービスをする店はないし、反生体改造主義者がいるからこうも大っぴらに生体改造を行った店を出すこともできない」


「そういうものか」


 東雲は生体改造も何もしないので、あまり気にすることではなかった。


「反生体改造主義者って具体的にどういう連中なんだ?」


「キリスト教右派の中でも過激な連中だ。人体は神から与えられたギフトであり、それを悪戯に弄り回すのは神に対する冒涜であると主張している。BCI手術にも、ナノマシン治療にも反対している」


「そいつはまた。このご時世にしては随分とファンキーな連中じゃないか」


 東雲はもう帰還直後のようにナノマシンに対して嫌悪感を示すことは少なくなった。少なくとも脳みそに入ってくるようなナノマシンでなければ。


 造血剤のナノマシンは乳酸菌のようなものだと思っておくことにしている。


「しかし、さっきの儀式はなんだったのだ? 美味しくなれと食べ物に命じてもどうしようもないだろう。所詮は合成品だ」


「そういう文化なの。食ったら帰ろうぜ」


 八重野と東雲は合成品のオムライスを食し、アイスティーを飲む。


 場がフリップする。


 BAR.三毛猫。


 ベリアとロスヴィータは今日も情報収集のためにここを訪れていた。


「わあ。凄いことになっている」


「“メディホープ非合法治験問題”。“TMC自治政府贈収賄事件”。“日本情報軍非合法暗殺事件”。なんとまあ。あのハッカー君はいろんなところを攻撃したようだね」


 かつては噂されこそすれど陰謀論としてくだらないと片付けられていたトピックが俄かに賑わっている。


 それもこれもあのマトリクスの魔導書に接触したというハッカーの仕業だろう。


「では、行きますか」


「“マトリクスの魔導書”へ」


 ベリアたちはこの前と同じトピックに向かう。


「もう大パニックだぜ。これが壮大なでっち上げなら早急に白状した方がいいぞ。こいつはスキャンダルってレべルじゃない。もはや、戦争だ」


 アラブ系のアバターがトピックにおり列席者を見渡してそういう。


「でっち上げではないだろう。それぞれのトピックにある情報を見たが、電子署名付きの書類だった。六大多国籍企業ヘックスの電子署名をでっち上げることができるならば、情報も盗み出せる」


 メガネウサギのアバターがそう言う。


「分からねえのは、マトリクスの魔導書ってのは本当はどういうものなのか、だ。この前のハッカーの言っていたことは支離滅裂で、その上今は姿を見せない。とうとう脳を焼かれたかね」


 化学教師のアバターが横からそういう。


「確かに姿を見ないな。マトリクス上では暴れられても、現実リアルで居場所を特定されて消されたのかもしれん」


「だとしたら、マトリクスの魔導書も大したことはないな」


「いいや。ここまで情報が盗み出せているだけで十分だ」


 アラブ系のアバターの言葉をメガネウサギのアバターが否定する。


 そこで不意にトピックにTPSゲームのゴツイ装備のキャラが現れた。


「おい。マトリクスの魔導書のデータの一部を手に入れたぞ」


 そのアバターがそう言う。


「どういうデータだ?」


「構造解析図。一部だが。危うく脳を焼かれそうになったんで逃げて来た」


 TPSキャラのアバターがそう言って、データをトピックのテーブルに乗せた。


「こいつがマトリクスの魔導書の構造解析図だ」


「こいつは……」


 そこに記されたのは魔法陣。


「あれは」


「私たちの知っている魔術と、知らない魔術の組み合わせ……」


 ロスヴィータとベリアがそれを見て呟いた。


「こいつは前に見た白鯨の構造解析図と一緒じゃないか?」


「確かに。こいつは白鯨のデータだ。やはり、白鯨絡みなのか?」


「メティスがまた何かしやがったのか?」


「訳が分からん」


 瞬く間にトピックの発言者が増大する。


「データをダウンロード。これは嫌な予感がしてきたよ。一度出よう、ロンメル」


「うん。東雲と連絡を取らなくちゃ」


 場がフリップする。


 TMCセクター5/2。


 東雲たちは帰路についていた。


 腹も膨れ、買い物も楽しみ、セクター5/2を堪能した東雲たちは駅に向かっている途中であった。


『東雲!』


「おう、ベリア。どうした?」


『八重野君の背中の魔法陣のデータを送ってくれない? 今からちょっと照合したいことがあるから』


「何か情報が手に入ったのか?」


『それっぽいものがね。お願い。データを送って』


「あいよ」


 東雲はそう言って八重野の方を向く。


「八重野。背中の魔法陣のデータを送ってくれとベリアが」


「む。分かった。では」


「おいおい。ここで脱ぐなよ。トイレに行け、トイレに」


「ああ」


 八重野が駅の女トイレに向かう。


 八重野は背中を鏡に向け、ARデバイスで撮影を行う。


「背中の魔法陣のデータだ」


 女子トイレから出て来た八重野が東雲の方にデータを渡す。


「ベリア。データだ。これでいいんだよな?」


『うん。細かいところはこっちで補正するから大丈夫』


「今から帰宅するし、結果は帰ってから教えてくれ」


『オーキードーキー』


 ベリアがそう言って通信を切ると、東雲は八重野の方を向く。


「帰るぞ。ベリアが何か情報を掴んだらしい」


「本当か? 期待していいのだろうか?」


「分からん。無駄な情報ではないだろうが」


 場がフリップする。


「東雲からデータが来た」


「では、このデータと照合してみよう」


「うん。ジャバウォック、バンダースナッチ。ふたつのデータを文法解析して。類似点を残らずチェック」


 ベリアがそう言って2体のAIを呼び出す。


「照合開始なのだ」


「チェックするのにゃ」


 ジャバウォックとバンダースナッチがそのAIらしい演算の早さでふたつのデータの照合を行う。ふたつの魔法陣のデータが解析されて行き、マトリクスの魔導書と八重野に刻まれた魔法陣の照合が行われる。


「チェック完了なのだ」


「ご主人様。95%でふたつのデータが一致しているのにゃ」


 示されたデータにベリアが考え込む。


「95%の一致。私たちの知らない魔術の痕跡と知っている魔術の痕跡が刻まれたマトリクスの魔導書が、八重野の魔法陣と」


「もしかして、八重野君って以前マトリクスの魔導書に接触したとか?」


「それだったら、もっと早くそう言っていると思う。恐らくは違う。私たちが現実リアルである程度魔術が使えるように、マトリクスの魔導書の魔術も現実リアルの魔術がベースなんだと思う」


「つまり、誰かが白鯨を研究している過程で新しい魔術を手に入れた?」


「かもしれないし、違うかもしれない。これらの魔術は全く別のものを根幹にしているように思える。私たちの魔術を研究しても、人を超人にするような魔術は使えないし、呪い殺す魔術も生まれない」


 そのはずなんだとベリアは呟く。


「このデータ。八重野君に見せたら」


「間違いなく今度こそメティスの仕業だって思うね。今は黙っておこう。ただ、ちょっとしたヒントが得られとだけ伝えよう。それから一応マトリクスの魔導書について知ってるか聞いておこう」


 ベリアの眼前ではマトリクスの魔導書の構造解析図の一部が表示されている。


……………………

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