過ぎ去りし日々

……………………


 ──過ぎ去りし日々



「まず言っておきたいのは、これから話す話の大部分は前のジョン・ドウが伝えて来たものだ。私の記憶はおぼろげで、正式な記録もない」


 八重野はそう前置きした。


「私が生まれたのは九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアの2年後のことだった。崩壊したロサンジェルスの街で生まれた」


「そいつはまた。いきなりハードモードだな」


「ああ。そして、両親はオールドドラッグジャンキーだった。当時はまだBCI手術がさほど一般的ではなく、電子ドラッグは流行していなかった。昔ながらのドラッグジャンキーだった」


 オールドドラッグ。電子ドラッグが流行りだすまでは大手だった昔ながらのドラッグの古都である。コカインやメタンフェタミン。


「私が2歳のときに両親はドラッグを買いに行くところでチンピラの抗争に巻き込まれて死んだ。そう、前のジョン・ドウは言っていた。少なくとも私が両親を失ったのは確かだ。私は孤児になった」


「それでストリートに……」


「いいや。流石に2歳児が生きていけるほどストリートは甘くない。私は民営化された児童保護事業社に引き取られ、民営の孤児院に収容された。アメリカはほとんどの事業を民営化してしまっていたからな」


 昔ならば児童保護サービスの仕事だった孤児の保護も民営化されていた。


「民営化された孤児院というのを想像できるか? 民営化された孤児院は孤児を収容している人数が多ければ多いほど連邦政府から金が入る。だから、キャパシティーオーバーであろうと無視して孤児を収容し続ける」


「民営化された刑務所と同じか」


「その通りだ。劣悪な環境だった。少なくとも辛かったという記憶がある。シャワーもまともに浴びられない孤児たちの放つ異臭と少ない食事、そして年長者からのいじめ」


 監督する人間は孤児が多過ぎてまともに働けていなかったそうだ。


「そして、ある日ドラッグが見つかった。年長者が隠し持っていたものだが、年長者はその罪を私に擦り付けた。私は懲罰室という冷たく、狭い部屋に閉じ込められ、何日も食事できなかった」


「虐待じゃねえか」


「それを訴えることは力のない子供である私には無理だった。私にできたのは、あの監獄から逃げ出すことだけだった。私は6歳の時にストリートに出た」


 崩壊し、荒れ果てたロサンジェルスのストリートで過ごし始めたと八重野は言う。


「ロサンジェルスは酷い状況だった。今でこそニューロサンジェルスとして西海岸の主要な商業都市になっているが、私がストリートに出たころは治安は最悪で、街中にも深刻な汚染地域があった」


「そこでストリート生活か」


「ああ。苦労したよ。犯罪組織の使い走りをやって盗みを始めた。盗みに成功する時もあったし、失敗して死ぬほど殴られることもあった。そして、どんな盗みに成功しても報酬の額は決まっていた。端金だ」


 結局は汚染されたゴミを漁り、空腹と寒さに耐えるしかなかったと八重野がかつての自分を思い返す。


「それから、幾分か成長して殺しを始めた。殺しと言ってもこんな立派な刀で殺すわけじゃない。ナイフとパイプ爆弾。子供だと思って油断した相手の腎臓を突き刺し、犯罪組織のライバル組織の店にパイプ爆弾を投げ込む」


「銃は……」


「ストリートの薄汚い餓鬼に銃を与えるような連中じゃなかった。どうせ渡されても使いこなせないし、私は銃を売っぱらって金にしただろう」


「そういうものか」


 想像以上にストリートの生活が過酷なことに東雲は少し衝撃を受けていた。


「次第に殺しに慣れていき、上手に仕事ビズをこなすようになってから、私はちょっとした名声を得た。とは言え、暮らしは変わらなかった。九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアで放棄された廃墟で寝泊まりするような生活」


「そして、ジョン・ドウが?」


「ああ。私が9歳の時にジョン・ドウと出会った。ジョン・ドウはロサンジェルスにおけるある六大多国籍企業ヘックスの基盤を固めるために仕事ビズをしてほしいと頼んできた」


「頼んできた、か」


「威圧的に要求するわけではなかった。そんなことをする必要はなかった。ジョン・ドウには金があり、私は金が欲しい無数のストリート暮らしのひとりだったからな」


「で、最初の仕事ビズは……」


「やはり殺しだ。ハッカーや電子ドラッグの製作者。そういう人間をナイフで殺した。ジョン・ドウは報酬は弾んでくれた。まともな食事ができるようになったのはこのころからだ。始めてハンバーガー屋でバーガーを食べたときは感動した」


「そうか」


 ハンバーガーで感動するほどの生活だったのだなと東雲は少し同情した。


「そして、仕事ビズを重ねていくごとにジョン・ドウは私を信頼するようになっていった。機械化の話が出たのは私が14歳の時だ」


 八重野がそれを思い出すように自分の腕を摩る。


「ジョン・ドウは『これからもっと重要な仕事ビズを任せたいから機械化してくれるとありがたい』と言っていた。私はジョン・ドウを信頼していたので、提案に乗った。私は機械化し、サイバーサムライになった」


「14歳で機械化したのか。まだ成長期だろうに」


「私の体は長いストリート生活でホルモンバランスが崩れ、成長しなくなってしまっていた。だから、問題はなかった」


 平然と八重野がそういうのに、東雲は僅かに目を細めた。


 確かに八重野の身長は低いし、体も女性らしさはない。


「サイバーサムライとして活動を始め、本格的にジョン・ドウの仕事ビズを受けるようになった。殺しがメインだが、物理フィジカル強奪スナッチもやった。前のジョン・ドウは信頼できたし、報酬も良かった」


「前のジョン・ドウってのはどういう人間だったんだい……」


「変わった経歴の人間だったと自分で言っていた。六大多国籍企業に勤務し、ジョン・ドウとして動き始めたのは最近だと」


 懐かしそうに八重野が語る。


「前職はピザの配達人から日本語教師までいろいろやっていたそうだ。それから直近ではストリートの剣道道場の師範をやっていたと」


「ストリートで剣道道場?」


「ああ。剣道を通じて、身を護る術と挫けないタフな精神を持たせるのだと言っていた。彼の剣道は日本のそれとは違って実戦的だった。実際の戦闘で使えるものだ」


「ルール無用ってことか」


「そうなる。私も前のジョン・ドウから刀の扱い方を教わった」


 今の私の技術は前のジョン・ドウから教えられたものだと八重野は言った。


「しかし、ストリートで剣道道場をやったって、金は払えないだろう。無償でやっていたのか……」


「いいや。その点においても前のジョン・ドウは立派な男だった。彼は私たちのようなストリートの人間が無償という言葉を嫌うことを知っている。無償というのは結局のところ、相手に借りを作ることなのだ」


 犯罪組織が無償で援助してくれるほど怖いものはない。いつか、とんでもない“恩返し”を求められることがあるかもしれないのだ。


 それをストリートの人間は知っている。


「前のジョン・ドウは必ず対価を求めた。少しでもいい。昔の小銭程度の硬貨でもよかったし、何なら賞味期限切れの食べ物でもよかった。前のジョン・ドウは借りを作らせなかった」


「できた人だったんだな」


 八重野が東雲に奢られるのを嫌うのも分かったような気がした。


「私が思うに彼はジョン・ドウという立場に向いていなかったのだと思う。彼はあまりにも人間味がありすぎた。それは時として駒を使い捨てディスポーザブルにする冷酷なジョン・ドウという立場に向いていない」


「確かにな。うちのジェーン・ドウも嫌な奴だ」


 東雲が同意する。


「そのせいだろう。前のジョン・ドウが所属する企業内で起きた内紛の中で、ジョン・ドウは敗北した。そして、殺された。伝聞だが、今のジョン・ドウは彼が殺されたと言っていた」


「そうか。いい奴ほど先に死ぬ世界だ。仕方ない」


 東雲はそこでふと思った。


「前のジョン・ドウは所属を明らかにしていなかったのか?」


「していない。そこはちゃんとジョン・ドウらしさがあった。仕事ビズの内容は説明するが、その仕事ビズに何の目的があり、その仕事ビズで誰が得をするのかということは秘匿していた」


「つまり前のジョン・ドウの仕事ビズから今のジョン・ドウの所属を探ることは難しい、と」


「そういうことになる」


 八重野は悔しそうにそう言った。


「まあ、過ぎちまったものは仕方ない。しかし、あんたは前のジョン・ドウとは親しい関係だったのかい……」


仕事ビズ以上にという意味ならば確かに。お互いを信頼していた。だが、あくまで仕事ビズの延長線上だ。私は前のジョン・ドウをいい人間だとは思っていたが、それだけだ。向こうもこちらを使える人間と思っていただけだろう」


「ふむ。男女の仲には?」


「それはない。前のジョン・ドウは私のような小娘を相手にしなかった。そもそも言っていなかったが、ジョン・ドウは女と恋愛関係を築く男ではなかった。彼は肉体関係こそないものの、男と付き合っていた」


「あれま。そうだったのか」


「ああ。その点では前のジョン・ドウは信頼できた。犯罪組織の末端の人間は私のようなストリートの餓鬼でも性的な目で見る。だが、前のジョン・ドウにそれはなかった」


「確かに信頼できる相手ではあるな」


 東雲は納得した。女性にとっては仕事ビズの関係でいたいなら、相手のジョン・ドウが同性愛者というのはメリットだろう。


「だが、前のジョン・ドウは私のことが無関心だったわけじゃない。私のIDを作ってくれた時の話だ。私は民営孤児院を脱走したあと、IDなしの状態だった。そこで前のジョン・ドウがIDを作ってくれた」


「ふむ。いいことだ」


「それで、だ。私の名前。八重野アリスというのは前のジョン・ドウがつけてくれた名前だ。前のジョン・ドウは日本に由来するルーツの持ち主で、日本語が堪能だった」


「あんたの日本語も上手だぜ」


「前のジョン・ドウのおかげだな。彼は中国語も教えてくれた。まあ、それはいいとして名前だ。アリスというのはよくある名前で平凡だと前のジョン・ドウは言っていた。だが、八重野という苗字は珍しいと」


「それは確かに。あまり見かけない苗字だ。よくある苗字なら、佐藤だったり、田中だったりだな。それが特別なのかい……」


「ああ。前のジョン・ドウは言っていた。『八重野というのは私にとって君が特別な資産サブジェクトであることの証明だ』と。それほどまでに私は前のジョン・ドウから信頼されていたのだ」


「なるほど。それは今のジョン・ドウとは大違いだな」


「正直に言って、今のジョン・ドウは好きではなかった。というのも、今のジョン・ドウは前のジョン・ドウが命を落とすことになった内紛の勝者の側についていたのだ。間接的に今のジョン・ドウが前のジョン・ドウを殺した」


 八重野は嫌悪感を隠さずそういう。


「複雑なんだな」


「ああ。だが、これが私のくだらない人生だよ、東雲」


 八重野はそう言って肩をすくめた。


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る